06夏雲 ー矢澤久ー
6-1
その日の放課後、教師への提出物を済ませたあと、俺は教室に戻った。教室の戸は閉じている。なんだ、この緊張感は。そう思いながら、そっと戸を開けた。
そこにはクラスメイト全員が座っていた。遥楓が手を振り、朱音もにこにこと笑っていて、榊原は怠そうにしていて、そして天が俺を教壇へ立つように促した。俺は教壇へ向い、そして教室を見渡すようにして立った。こんなところに立つのは初めてだった。
俺は教師になりたいと思ったことはない。教師に憧れたこともない。なりたかったのは小さい頃から野球選手で、いつしかプロ野球選手になることが俺の夢で、目標で、成ることが、それが当たり前のことのように考えていた。
そんな俺に教師の真似事をしろというのだろうか。なにか授業でもやってみせろというのだろうか。
「さて、今度は久くんの番だよ」
「俺の番?」
「そう、君の番。みんなちゃんと話をしたでしょう? 自分のことを、過去のことを話ししたでしょ」
「ああ、それは。たしかにそれは聞いたけど」
「それね、昔からの恒例で、そこの教壇に立って話すことになっていたのよ。転校してきた転校生はみんなそこに立つの。そして自分のこれまでの生い立ちを話すのよ。自己紹介よ、自己紹介。それがこの学校の決まり、ならわし、恒例行事」
「どうして、そんな」
「はい。遥楓、私が決めました。学校創ったの私だしね。まずは朱音が来て、次に天が来て。次の年に、つまり今年の春に涼が来て、そして夏になったら君が来た。みんな順番に話をしたんだよ。そこに立って、順番に」
「だから、つまり俺は、これまでみんなが話してきたことを聞いて回っていた。そういうことなのか」
「そうだね。そうなのかな。全員分聞いたのは遥楓以来二人目かもしれないけど」
「そうなのか」
「なかなか、話さない子もいたりしてね。涼とか何度も逃げ出して」
「あった、あったー」
「……うるさい」
天が笑っていて、みんなが笑っていて。そしてそれから、視線は全てが俺のところへ戻ってくる。
「だから、今度は転校生、矢澤久くんの番です。まさか、逃げ出さないよね?」
「ああ、いいよ。つまらない話だけど、それでも良ければ話をしてやる」
「じゃあ、お願いします!」
こうして番は、俺に回ってきた。本当につまらない、大したことのない、面白くもない俺のこれまでの人生を、盛り上がりもなく、語るべきところもないままに語ろうじゃないか。話そうじゃないか。みんなが話してくれたように、俺も皆に向かって話すのだ。
そうやって、そうしてやがて。俺は話を始めた。
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