第14話
日曜日の午後。
美緒は牧村真一朗と名乗る、ロマンスグレーが上品な初老過ぎの紳士と、喫茶店のテーブルを挟んで向かい合っている。
重い沈黙……。
頼んでいたブレンドコーヒーと紅茶が運ばれてくると、真一朗は静かに口を開いた。
「真一と、別れてくれないか」
その声、口調は、美緒に有無を言わせない迫力があり、息を呑んだ。
「え……? 違います! 私は、真一さんとお付き合いなんて――……」
「君はまだ若い。いや、若すぎる。……真一は、我が社を任せられる跡継ぎなんだ。まだ未熟だから、関連会社で修行をさせているがね」
テーブルのコーヒーを取り上げ、口に運ぶ。
「あれと一緒になるのは、それ相応の相手と決めている。どういう意味か、君にも分かるだろう?」
「おっしゃることは、分かります。でも私は、真一さんと結婚の約束とか、交際しているとか、そういった関係ではないんです。傍にいてくれるだけで、私は……」
「ままごとじゃないんだよ」
ピシャリと言い放つ。美緒の言葉を遮り、厳しく見据えた。
「……美緒さん。君は、真一に同情されているだけだ。お母さんを亡くして、可哀想な子が隣にいるから、手を差し伸べただけじゃないか。あれは、優しい子だ。身寄りのない子を、放っておけなかったんだろう」
〈同情〉〈可哀想〉――。美緒の胸に、強く突き刺さる。
本当は、真一が自分に同情しているだけではないかと、何度も思っていた。でも、休日に出掛けたり食事をしたり、彼と接する度に、そんなことはないと自分に言い聞かせていた。
心の隅に隠した不安を、真一の父親に、面と向かって言われるとは…。
(真一さんも、本心ではそう思っているの?)
テーブルの下で握り締めた手のひらに、じっとりと汗が滲んできた。
「現実はシビアだ。〈一緒にいるだけでいい〉? そんなものは、幻想だよ」
苦笑して、背広の内側から一通の封筒を取り出した。それをテーブルに置き、美緒へ差し出す。
「これは……?」
「銀行へ持っていくといい。君が大学を卒業するまでに、充分な額を書いてある。これで、手を引いてくれるね?」
中身を見なくても、どういうものかくらい理解できる。
「要りません!」
きっぱりと突っぱねる。真一朗の頬がピクッと動いた。不快そうな表情だ。
「分からないお嬢さんだ。真一を不幸にしたいのかね? 幸せになってもらいたいだろう? それに、金も必要じゃないのか?」
どうしても、『うん』と言わせたいようだ。
黙っている美緒に目を向け、満足そうな笑みを浮かべる。
「分かってくれたようだね。真一を想うなら、それが一番なんだ。――今後は、二度と真一と会わないように」
言いながら、椅子から腰を浮かせる。
近くで待機していた秘書が、テーブルにやってきた。
真一朗は、一度も振り向かずに店を後にした。
冷めた紅茶に写る、自分の顔。
「情けない顔を、してるんじゃないわよ」
紅茶の中の自分に呟いた。その顔が歪んで、一粒の涙が紅い水面を揺らした。
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