第9話
――ガチャ!
二部屋同時に、アパートのドアが開いた。
「おはよう」
「あっ。おはようございます」
笑顔で挨拶をする、牧村と美緒。
胸に抱きしめられたあの日から、数週間が経っていた。
〈牧村真一〉
25歳で、独身(恋人なし)。商社勤務の、ごく普通の会社員……と聞いている。
あの夜は、ただ優しく腕に包まれて、涙が枯れるまで受け止めてくれただけ。それだけだが、美緒の胸はスッと軽くなった気がする。
母が亡くなってから、あんなに泣いたことは無かったせいだろうか。
「それじゃあ、行こうか」
「うんっ」
笑い合い、階段を下りていった。
東京近郊の、とあるアミューズメントパーク。平日でも混雑しているが、今日は日曜ということもあり、大変な人混みだ。
「すごい人だなぁ。何処の店も大変だ」
飲み物を買いにいっていた牧村が、目を白黒させて戻ってきた。
「わ。すごい汗! ありがとうございます」
さっきまで、座るところを探し回っていて、ようやく見つけたカップル向けのベンチ。美緒を座らせていたから、彼は走ってきた。
二人掛けより少し広めだから、真ん中を空けて座る。そこに、作ってきたお弁当を置いて……。
昨日、『お弁当作っていくからね』と予告され、牧村は子供みたいに楽しみにしていた。自炊は得意ではないし、手料理もしばらく食べていない。
「おおっ! 凄いな!」
とても16歳の女の子が作ったとは思えない、豪華で綺麗なお弁当。牧村は、甘い卵焼きとウインナーだけは外せないというタイプ。
おっ! ちゃんと入っている!!
「見た目だけは、それなりでしょ? 味はどうか分らないけど…。お母さん以外の人に食べて貰うなんて、初めてだから緊張しちゃうなぁ」
「えっ、俺が初めて? そりゃあ嬉しいな。――いただきます!」
おにぎりと惣菜を一緒に頬張る彼を見つめる。ちょっと不安そうな顔で……。
「うん、美味い!」
満面の笑みに、美緒もホッと胸を撫で下ろす。
2人でこうして会うのは、今日が初めてだ。
美緒がちょっとでも元気になれば……と、気晴らしにそれとなく誘ったのだった。
“デート”とは言わなかったが、牧村としてはそんな気持ちで今日を迎える。
仕事では車に乗るが、自分では持っていないので、今日はレンタカー。晴れていればドライブが楽しめるし、天気が悪くても雨に濡れずに移動が出来るから、車は便利だ。
このテーマパークを選んだのは、彼の独断だった。勉強とバイトに明け暮れて、学生を楽しむことさえ無い美緒を元気付けたい。その思いを形にした。
彼女に関することは、大体は聞いたと思う。苦労をしてきたせいか、同じ年頃の子と比べても、美緒は落ち着いていると感じる。あまり学生っぽさを見せない美緒を、子供だと見たことはない。
あれから、一人の女性として見ていると気付いている。だが、それを認めてはいけないように思えて、“妹のように可愛がる隣人”という位置で、彼女を見守ろうと決めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます