第八話【タマキ視点】いつかの高揚

 一年と三ヶ月。

 当時八歳の伊坂玉木に残りの人生時間が宣告された。


 ──がん、と呼ばれる悪魔的な病気である。


 ダンジョンから漏れ出し世界を循環する微量な魔素は身体の弱い老人や幼児に強く干渉し内側から細胞を刺激して変容させ、がん等の難病を引き起こすようになったのだ。


 子どもがいとも簡単に死ぬ社会。

 ゆえに、社会問題であったはず出生率が改善された。


「みーしゃ、ごめんね、ご本読んであげられないや」


 家庭は当たり前のように二人以上の子を持つようになる。

 深く帽子を被った玉木は慈愛の表情かおで齢四歳の妹の頭を震える手で撫でると肩に手を乗せる。


「保育園でしょ。いってらっしゃい」


 自分と瓜二つの顔を残念そうに歪める妹と、そのてを引くお腹に命を宿す母の押し問答をゆるりと眺め出入りの扉が閉められた後、玉木はポスンと病院ベッドの枕に後頭部を預けスマホを弄り出す。

 うひひ、と声を漏らし画面をスクロールする少女の趣味はもっぱらネットサーフィンである。

 

 といっても手の制御がままならないのでネットの大海を泳ぎ続けることは出来ない。

 彼女に出来るのは必死に目当ての動画を手繰り寄せ、ぽんと手元に置いて垂れ流すのみ。


 これのみの動作であるが玉木にとってはサーフィンといっても差し支えないのである。


「……この子、すごいなぁ」


 対岸までやっとの思いで辿り着き、捻り出したのは主役は同い年くらいの少年がダンジョンに挑む──というか破壊する動画である。


 余命宣告されてスマホを買い与えられてから三ヶ月後に見つけた少年の動画は玉木の人生に驚くほど自然に溶け込んだ。


 小さな身体を全開に振り絞り、どれだけボロ雑巾になろうとも肉を切らせるどころか食いちぎる勢いで突進していく少年の生き様は鮮烈であり、見ているだけで自然とヘッドバンキングしてしまうほどに痛快なものである。


 命がいくつあっても足りない。

 そう確信できる死線。

 余命何回分だろうか。

 少年の戦いを見ているだけで、全身が沸騰し時間が加速する。


「ふ、ふふ……っ」

 

 動画を見終わった時、錯覚でしかないだろうが、人生を数十回繰り返したような感覚を抱くのだ。

 

 ──だんじょんくらっしゃー……? クラさんがんばれ──!! あたしも頑張るから!!

 

 少年の目的は分からない。

 少年の名前も知らない。

 知っているのはネット上でいつしか呼ばれるようになっていた『だんじょんくらっしゃー』という通称のみ。


 それで十分だった。

 知っているだけで実感できる。


 自分と同じ年頃の少年がまさに、一瞬一瞬で命を燃やし続けている証明をリアルに享受できる。


 そんな風にして、玉木も命を燃やし続けた。

 比喩などではなく、燃える。

 燃え尽きる。

 幾度となく。


 ダンジョン文明の世──不可思議な事象はもはや存在しない。



 ──やがて春が訪れる。



 医者が珍妙な顔をしてレポート用紙を持ってきた。


 残酷な運命を聞かされると確信している家族は体の前で両手を拝んでいる。


 重苦しい空気が切り裂かれる。


「二年目に入り、がん細胞が脳に到達した辺りから進行が止まったようです」


 頭を掻き、眉間を皺を寄せた医者はレポートをぴんと指で弾く。


「帽子をとってください。ご家族の皆さんも異変に気づくはず」

「はぁ」


 言われるがままに母が玉木の帽子を取る。

 すると純日本人らしい黒髪ではなく、ファンタジー世界の住人よろしくピンクのアホ毛がぴょこんと跳ねて見せた。


 家族が驚く中、玉木はニカっと笑ってくしゃくしゃと髪を潰す。


「これは何です……?」

「お母様方、落ち着いて聞いてください。玉木ちゃんはもう死んでいます」

「しん──っ」

「魔素による被害を原因として死亡した人間の髪はピンク色に変色するのです。彼女が落とした髪を検査したところ魔素含有量が死者のそれでしたし、間違いないでしょう」

「でも玉木は生きてますよ……!?」

「えぇ、ええ、言うなれば死んだも同然な不思議現象です。本当にありえない。がん細胞すらも微動だにせず静観している。まるで支配されているかのようだ。おかしな状況ですが────」


 何やら難しい話をしているが一つ分かるのは自分が生きているということと、最近体の調子がいいこと。

 

 死に目にあったらしいが生きているという事実は変わらない。

 

 だから変わらず玉木はスマホの画面を立ち上げる。


「ぐすんっ、呑気ねアンタ」

「いつも通りだよ。あたしはね」

「ふ、ふふっ、ふぅ……そうみたいね」


 母は目元を拭いつつ、「誰? この子」とスマホの画面を指差す。


 異性をキラキラとした目で見つめる娘の横顔をやや訝しく思いながら、何となく問うてみれば、玉木は顔をくしゃっとしてそれから伏せる。


「アタシに命をくれた人──多分ね。あたしも多くの人に元気を与える活動がしたいな」


 退院して一年の間、経過観察という名目で研究対象として過ごし、苦難を乗り越えた玉木の目先はダンジョンへと向いていた。



♧♧♧♧♧♧♧




「……好き、だな」

「────へ?」


 顔面が炎のように熱くなる。

 口角がギギギ──と持ち上がる。

 自身の異変に遅れて気付いたタマキはペタペタと頬を触り、体感を以てその温度を思い知る。


「う──そ」


 顔を手で覆い自分のドローンから顔を隠してみる──が、失策。リスナーの需要をインプットしたドローンは位置を変えて逃げようとする自分を撮影してくる。


 まずい。


「おい」


 彼が呼んでいる。

 

「具合が悪いのか?」


 そんなわけない……でも、ダンジョンで生きてきた彼は女の心境を察知することなどできないだろう。

 とにかく、何か返事せねば。


「べつに……なんてことないって」


 これは悪手だ。

 リアクションが大袈裟すぎる。


「いや、おかしいぞ」


 乾いた笑みと共に、流れるようにして手首に視線を落とす。

 見たくないが、目を背けることは出来ないだろう。


「ぅ……」


 案の定、コメ欄は大荒れだった。

 間に受ける──いや、間に受けるも何もないが、ともかく燃え盛っている。

 退院後、奇跡的な勢いで増やしたファンのみんなが怒ったり争ったりしている。


 私のために争わないで!

 などと思えるほど齢一七のタマキは図太くない。

 この手のカオスは当然ながら予期していたものの、実際目の当たりにしてみると胸の奥をぐるぐると掻き乱すような衝撃がある。


「──っびっくりしたァ。まさかクラさんがアタシのファンだなんて思わないじゃん!」


 方向修正を試みる。


「ファン? それはお前の方じゃないのか?」

「ばっ、それは……違わないけどぉ」


 クラシーめ。もっとこう、オブラートに包んで〜!


 などと心の中で叫びつつ、あーだのこーだの言いながら場の沈静化を目指す。

 されど焼石に水。

 ダンジョンクラッシャーまで参戦してしまった本配信の同接は自己最高を更新して530万にまで到達しており、母数が増えることで目にも止まらぬ勢いで『声』の濁流が押し寄せてくる。

 

 みんながみんなバッシングしているわけではないことは勿論理解している。

 応援の声も当然届いている。

 万が一、クラシーとになってしまったとしても受け止めてくれる人が大勢いる事も分かってはいる。


 それでも、やけに目立つ尖りに尖った石が脳を叩いてくる。


 がんを克服したのと同時期に獲得した細胞支配の天与能力ギフテッドが暴れ出し、全身の細胞が凶器と化す。


「ぃイ──っ!?」


 痛みよりもまず、なんと弱い人間なんだろうかと己が恥ずかしくなる。

 エリート・オロチを前に死にかけて泣きじゃくった時に、はっきりした事であるが死は怖い。


 だから今になって思うのだ。

 クラシーに傾倒していたのは──同い年の少年の生命の明滅を眼に焼き付け、デモンストレーションをすることで安心したかったからなのではないかと。

 彼を観て応援していたのは前向きな理由ではなかったとしたら?

 配信者としての理念にヒビが入りかねない思考である。

 

「本当に大丈夫か?」


 やめよう、暗い顔は相応しくない。

 それに、だからなんだという話だ。

 彼のファンであることに違いはないだろう?


「ごめん、ちょっと今日体調悪いかも。先に進めないや」

「そうか。それはいいがお前、動けるのか?」


 真面目に心配してくれている彼をよそに、確かに体の制御が効かない。

 何とか歩くのが精一杯だ。


「だいじょぶ。歩いて雑談しながら帰る。ほんっとみんなごめんね〜」


 ヨボヨボと足を動かす。

 これを真剣な顔で見ていた彼があろうことかヒョイっと身体を抱えてきた。


「わわ──?!」

 お姫様だっこというやつだ。


「大丈夫に見えないな。この前の借りを返す」

「いやいやいやいや! まじで!? おーろーせーー!!!」

「あと、誰に謝る必要もないぞ。感想を伝えただけで頭を下げなければいけないような世界じゃないだろ? ここは」

「…………まぁ、うん」


 身体がすん──と軽くなり少し楽になる。

 魔法がかけられてぼう──っとしていると最強の男はダンジョンのに向かって歩き始めた。


「え、下……!? 帰るんじゃないの……っ!?!?」


 ぽたり──汗が落ちてくる。

 この上層で消耗するわけがないので、つまりは冷や汗。

 ようやく理解できた。

 何らかの事情を察したクラシーが行動を起こそうとしてくれているのだと。


「ファンってやつなんだろ? 動けないなら特等席で見せてやる。渋谷ダンジョンの完全攻略配信だ」

 妙に強気な言葉遣いである。


「も、もしかして──!?」

 

 ぎこちない。

 ぎこちないが、タマキも何となく面白半分に乗じてみせる。

 クラシーが乗り気だと何だか自分も高揚してくる。

 いつかの感覚の再来だ。


「ああ、俺は今から、」


 完全に身体の芯から重さが取り払われ混じり合った体温だけが残り、気づいた時には体の不調も消え失せる。

 風が前方から吹きつけたと思った瞬間にはもう、手近の壁が瓦礫と化しており、阻むものはない。

 

「ダンジョンをクラッシュする」

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