第二話 落日

「あ〜、撮られてんね。下層挑戦するって宣言してるし、そりゃそうか」

「ぉ……女、大丈夫なのか?」

「さあ、どうだろ。落ち着いてから確認する。ていうかクラさん──」

「?」


 白い頬がニヒルに吊り上がる。


「タマキって呼んでほしいな」

「た」


 女の名前か。


「たま、き?」


「おッハ!? ぅおおおおおああああああ──ッッッッ」


 呼んだ瞬間、女──タマキのエンジンが全開になった。

 狂乱しながら走る。

 俺自身と、1トンにもなる大剣の重さは魔法でとはいえ、凄まじい走力だ。


 魔法で加速しているわけではない。

 おそらくは天与能力ギフテッド──人外の身体機能を与えられている。

 やたら体温が高く、触れ合っている肌から筋肉の脈動が伝わってくるので間違いないだろう。


 この速度ならダンジョン内での不必要な接敵を避けることも可能。

 索敵能力が高く回避するのが難しいエリート・オロチと遭遇する下層領域にまで単騎で到達出来た理由がこれだ。


 現に今、中層の鈍重な魔物を軽々振り切って走っている。

 夜空を切り裂く星のように──探索者だけでなく魔物までもがタマキに見惚れている。


 言うまでもなく俺も──



「────ゴーーッル」


 鼻血がカピカピに乾燥して固まる頃、地上に着いた。


 丁重に下ろしてもらった俺は呆然とその場に立ち尽くし、手持ち無沙汰に前で手を組んだ。

 タマキはそんな俺に向かって優しく笑いかけてからワラワラと集まりつつあった野次馬を払いに行く。


「オラオラ豚ども、とっととおうち帰んな! ぶっ飛ばされねえウチになァ」


 ポツンと残されてしまった。

 待っていればいい、んだよな?

 このまま何も言わずに帰るのは流石に……。


「……」


 いつも人がまばらな明朝にダンジョン入りして深夜に出るから、人の多い時間帯に来たのは初めての経験で背筋がソワソワする。

 

 若い男女に少年少女、壮年のグループから左腕を失った者まで──たくさんの人々が思い思いの武装をして時空の歪みにしてダンジョンの入り口たる『ダンジョンゲート』に足を運んでいる。


 ぼうっと見ていると時々、縦型の箱を使って俺を照射したり俺を指差して談笑したりする者がいる。

 そんな中、直接俺に絡んでくる奴が出てきた。


「『ダンジョンクラッシャー』っすよね。よかったら写真撮ってくれませんか?」

「は?」

「んじゃOKってことで、ほらみんなこっちこいよ〜」


 あれよあれよという間に複数人の探索者に囲まれてしまう。

 実力的には吹けば飛ぶような連中だと理解しているのに……抵抗出来ない。怖い。


「き、貴様ら。力量差がわからんのか」

「わかってますよ、嫌なら病院送りにでもしてください。その前に写真さえ撮れたら釣りが来るんで」


 実際のところ暴力など以ての外だ。

 パパとママに禁止されている。

 逃げるか?

 いや、身体が思うように動かない。

 

 もうダメだ。

 そんな風に思った時、ピンク髪の女がズカズカとやってきた。


「クラさん人気過ぎて捌き切れないって。リスナーは適当に罵ればいいだけなんだけど──めんどくさいし、えいっ」

「ひぎっ!?」


 タマキがリーダー格の男の足を地面にヒビが入る勢いで踏み抜いて俺の手をグイッと引っ張る。


「こんなところで話そうとしたのが間違ってたね」

「あ、ああ」


 探索者の濁流が真っ二つに割れる。

 タマキが堂々と歩くだけで道が拓く。

 道を開けろなんて言っていないのに、勝手にそうなる。


 この場にいる誰よりも俺が強いはずなのに……。

 タマキは死にけかて泣きじゃくるような軟弱者のはずなのに……。

 

 支配しているのは彼女の方。

 力じゃないんだ。

 じゃあ、どうやって?



 考えても考えても全く分からなかった。



=======



 日が傾き始めた頃、人がまばらな公園のベンチに二人して座った。


「くぅ〜〜、疲れた。今日は気持ちよく眠れそう」

「……」


 タマキがうんと伸びをして目元を拭う。

 また胸元に目が吸い寄せられてしまいそうになったので、前方の砂山に視線を移す。


「代蔵だ」

「ふぇ?」

「俺の名前」

「えっ、いきなりだけどやったねタマちゃん! しかもクラさん続行で良さそうな名前じゃん。あっ、でもクラさんだとあたしだけの特別感ないし、クラシーって呼ぼっかな」


「……好きにすればいい」


 俺も疲れた。

 考えたくない。

 考えたくないのだが……聞かねばならない事はあるみたいだ。


「なあタマキ」

「はいな、タマちゃんです」

「俺は何者だ?」

「哲学的ですな!」

「ダンジョンクラッシャーと呼ばれているみたいだが」

「あー……薄々勘づいてたけど、クラシーは知らないんだね」

「情報には疎いからな」

「スマホとか持ってないの?」

「なんだそれは?」

「あたし、全てを理解しました」


 ちょっと待ってと前置きしてタマキが肩が僅かに触れるほど近づいて、縦型の箱を見せてきた。


「これがスマホ」

「見覚えあるな」

「うん、みんな持ってるからね。で──クラシーで検索っと。ありゃ? ヒットしないや失敬」


 タマキが何度かスマホとやらの前面に触れると、驚くべきかな大剣を振り回す男の姿が映し出された。


「俺だ。しかもエリート・オロチ討伐の瞬間じゃないか」

「あたしを助けようとした彼ら、しれっと撮ってたみたいだね。でも、この動画10万いいねついてるよ、凄いねクラシー」

「凄いのか?」

「クラシーの活躍っぷりはね。でも盗撮だから褒められた行為じゃない。凄腕探索者のダンジョン攻略には計り知れない価値があって、本来は本人の管理下に置かれて然るべきなんだよ。クラシーがいつまでも声を上げないからといってフリー素材みたいに好き勝手使って利益を貪るなんて言語両断」


 盗撮動画でクラシーのファンになったんだけどね……とタマキは自嘲する。


「まあ、何者かと問われたら、人生を変えてくれた素晴らしい探索者ですとしかファンのあたしは答えようがないんだけど。何にせよクラシーは有名人だね。ほら、みんな話してる」


 スマホの表示が切り替わる。


♧♧♧♧♧♧


【ダンジョンクラッシャーについて語るスレ part57】


76:名無しの探索者

おいおい、ダンクラやりやがった


77:名無しの探索者

いつもやってんじゃん

今度は何?


78:名無しの探索者

あの動画見てねえの?

どえろい格好でエリート・オロチに捕まってるタマちゃん助けてたwww


79:名無しの探索者

マ?

つかしれっとS級倒してんの草


80:名無しの探索者

タマキんところ地獄すぎwww

祭りになりそうだから貼っとくわ


81:名無しの探索者

>80 サンガツ

荒らしに行くわ


82:名無しの探索者

やめとけって


83:名無しの探索者

死ね死ね死ね死ね死ね


84:名無しの探索者

うわなんか来た

戦争か???


85:名無しの探索者

それより新作ダンクラMADよ

ミリオン行ってた


86:名無しの探索者

裏山

クッソ稼いでんだろうな


♧♧♧♧♧♧


 俺の知らないところで俺のことを話している連中がいる。

 こんなことになってるなんて全く知らなかったので、血の気が引く思いだ。


「人権どこ? て感じよね。あたしもそうだけど」

「……心底気持ち悪い。反吐が出る」

「ごめん。嫌な気分なっちゃった?」

「まぁ……でも、知らないまま過ごす方が良くなかったと思う」


 知っていれば今後は対処出来るからな。

 より一層人目につかないよう気を付ければいい。


 しかし、それよりも……


「なぜ、パパとママは教えてくれなかったんだ?」

「スマホ、というより情報から遠ざけているような感じがあるね」

「ああ、何か前向きな理由があるなら構わないが……」


 ここで思考を中断した。

 これ以上は二人に対してネガティブな感情が湧いてきそうで……恐ろしい。


 だから別の思考に切り替える。


「なあタマキ」

「ほい?」

「聞いていいか?」

「何なりと」

「何歳?」

「唐突っ。えっと、永遠の十七しゃい」

「十七……俺と同じだな。じゃあ、俺くらいの年齢の連中がどう生きてるのか教えてくれないか。興味があるんだ。俺はダンジョン攻略と訓練以外の生き方を知らないから……」


 こんな事を聞いてどうするんだろう。


「…………わかった。でもあたしも割と普通じゃない生き方してるから参考にならないかもよ〜」


 いつもは人を避けていたのに、今に限っては口が軽過ぎやしないか?


「……何でもいいさ。何でも知りたい」

 

 そんな気分。

 ただそれだけ。



========



 随分と遅くなったと思う。

 それに手ぶらで家に帰るのはいつぶりだろうか。


 俺は和式の玄関前で上裸になり、静かに待っているとピシャリと扉が開く。


 出迎えてくれたのは禿げ上がった男──パパだ。

 パパは額に青筋を浮かべていて手には棍棒を持っている。


「遅かったな。何か言うことは?」

「ごめんなさい」

「入りなさい。神罰の間で教育してやる」


 ──へー、門限とかノルマがあるんだ。でも今日は許してくれるよ。だって危険を犯してまで女の子助けたんだよ。それにダンジョン帰りだし、心配の方が勝つんじゃないかな。


 ──一般的にはそうなのか。どうだろうな、ウチは結構特殊だし。


 ──だいじょぶだいじょぶ。だって親、だよ?


 

 地下室へ続く冷たい階段を降りているとタマキとの会話が頭の中を巡る。

 家庭事情を細かに話したわけではないが、彼女は努めて一般論で返してくれた。


 どっちが正しいのかなんて、片方の教育しか受けていない俺には断定できない。

 しかし、今までとは違い比較対象が出来た。

 普通と比べて俺の家庭環境がどの程度異常なのか、少しは学べたのだ。


 まあ、単純な話だ。

 善悪は知らんが──俺は傷付き過ぎている。


「ねえパパ」

「発言は許可していないが?」

「パパはさ、パパ、何だよね」

「……ああ、そうだ。何が言いたい?」

「俺の身体さ、凄く痛いんだ。多分限界が近い。日々の訓練で生傷だらけで蛆が沸きそうでいつ死んでもおかしくない。たまには手を緩めるとか考えてくれないかな」


「それは出来ない。我々は主の教えを守らねばならん、徹底的にな」


 パパは俺を見ていない。

 神様も苦しめてくるだけでクソの役にも立ちやしない。

 じゃあそれってさ、


「……そっか。

 

 ずん、と背中に重いものが落ち、猫撫で声が消える。


 俺の中の世界がバラバラと崩壊する音が遠くで聞こえる。


 奥歯を噛み、拳を握りしめる。


 今から発するのは今までの人生を根底から否定する言葉。

 やけに固く閉じようとする口を引き裂く。


 絞り出す。


「神なんて居ない」

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