イレギュラーはギフテッドに夢中です(改訂版)

Nem

私、マリエルには不思議な力があった。

最初に気づいたのは八年前、まだ物心ついてから間もない時だ。

当時からすでに好奇心旺盛でわんぱくだった私は、あろうことか庭の端に生えていた木に登ったのだという。

その木に生えていた深い青色の木の実に強く惹かれた事を今でもうっすらと覚えている。

生来の運動神経の良さが助力して、スルスルと木に登り、お目当ての物を手に取ったはいいものの、前日の雨で中が腐っていたのか、そもそも半分朽ちていたのか、支えにしていた枝が折れてしまい、木から落ちてしまった。

体が支えを失い内臓が浮くような感覚に襲われ、着地の痛みを覚悟した。

ギュッと目をつぶるも、その瞬間、ふわりとおくるみに包まれているかのような浮遊感が私を受け止めた。

一瞬誰かが受け止めたのだと思い、お礼を言うため目を開け、そして絶句した。

辺りは閑散としていたのである。

いよいよ何が起きているのかわからずとにかくこの浮遊感の正体を突き止めようと下を見ると、空間がそこだけゆがんだようにぼやけていた。

それはうずくまる形で落下した私の臀部をすっぽりと包み込むように広がっており、ハンモックのようにも見えた。


家の窓から一部始終を目撃したらしい兄と確認したがやはり私は木から落ち、そしてナニかに受け止められたらしい。

物的証拠として私の手には例の深い海の色をした木の実があったし、私が登った木は落ちればまず間違いなく数日ではとても治らないような怪我を負う高さだった。

兄と供に親にこのことを報告するとひどく神妙な顔つきで蔵書から古びた一冊の本を持ってきた。

てっきり「なに馬鹿げたことを」と取り合ってもらえないと思っていたために意外だった。

古びた本はどうやら歴史書のようだ。

私が住んでいる村は百五十年ほど前に先祖が開拓した土地である。

辺境、とまではいかないまでも王都からは十分に離れていて他の村との交流もなかったために情報は閉じられていた。

本のしおりが挟まれているところを開くと、百年前の飢饉とそれを一夜にして解決してしまった旅人のことが書いてあった。

百年前、この村は例を見ない不作と、病気の萬栄によって人口が半分近く減った。

そんな時、ぼろぼろのローブを纏ったいかにも貧しそうな旅人がやってきて一日分の食料と寝床を求めたらしい。

当時のこの村の村長はいたくその姿に同情し、まさしく自分たちの身を削ってそれに答えたそうだ。

翌日顔色も少しばかりよくなった旅人は、自分のことを王都から追放された”魔法使い”と名乗り、腕の一振りで痩せた大地を潤し、濁った空気を浄化したかと思えば、次の瞬間には忽然と姿を消したという。


―父は私に、私の身を守ったあれを”魔法”だと言った。


自分が魔法(仮)を使えると認識してからは暗中模索の日々だった。それらしき文献もないため完全に独学で発生条件や種類、特性を調べ、今では日常的に応用できるほど研鑽を積んだ。


「...魔法使いかぁ」


村のどこを探しても私と同じことができる人はいなかった。おそらく絶対数が少ないのだろう。

漠然と物語に出てくる魔法使いという職業に憧れているが、私以外この体質の人がいないし、職業なのかもわからなければ、そもそも私のこれが魔法であると確定したわけでもない。


「寂しいなぁ...」


独りベットでごちる。

家族はみんな私を可愛がってくれるし、友達も多いほうだ。

よく立ち寄るお店のおじいちゃんおばあちゃんもよくしてくれる。私は暖かい環境にいるんだろう。

私を端的に表すならよく言えば天才肌、悪く言えば器用貧乏といったところである。

家事全般はそつなくこなせるし、勉強やお仕事の覚えも早いほうで両親からはよく褒められた。

たぶん恵まれてる。

自分でも近所の子供からの羨望や嫉妬のまなざしを受けて最近は自覚し始めていた。

ただそんな中でも意識せざるを得なかった。おおよそ人間にはできないことが出来てしまうために生まれる自分が人ではないかのような強烈な疎外感と、どこを探しても同類がいないために生まれる身を焦がすような焦燥感を。


「...誰か助けてくれないかな......なんてね」


きっとこんなことを考えてしまう私は馬鹿でどうしようもないのだろう。

それでも願わずにはいられなかった。明るく温かい孤独に満ちたこの村から、私の同類...魔法使いが跋扈するような、私が普通などこかへ...と。

夜はすっかり更けて部屋は冷え込んでいた。私は寒さから逃れるように、孤独に潰されないように、淡い希望を逃さないようにと膝を抱え縮こまって眠りについた。

頬に温かいものが伝う感覚にはすっかり慣れてしまった。






少しだけ後悔している。「辞めておけば」とまではいかないものの、小匙ほどの計画性が自分にあったならと唸る。

六時間ほど歩いたのだろうか。日の出と供に村を出発したはずだが、太陽はすっかり天高く上り、肌寒い空気を温めていた。

私―マリエルはアクティブな性格である。休日は基本的に外に出ているし、密閉された空間よりも開放的な空間のほうが落ち着く性質だ。

勿論それに伴って日々の運動量も多いため、こと体力には自信がある。


「って言ったってコレはきついよぉ...」


ただし何にでも限度というものはある様で、六時間、それも道の整備のされていない森の中を倒木や川を乗り越えながら歩き続けるというのは、まだ十三歳の私には堪えるものがある。

額には汗がじっとりと滲み、丁寧に手入れしてきた白銀の髪が肌に張り付いて少し気持ち悪い。

途中で休むことも考えたが夜になった時のことを考えると背筋は伸び、足は留まることを忘れてしまった。

幸い魔法で飲料水は確保できるし、少し可哀そうだが動物を狩って炎の魔法で焼けば飢えるということもなさそうだ。

森には多かれ少なかれ魔獣がいるが、これについてはまな板の上に転がった魚を捌くのと同じようなものだ。

村にいたときは小遣い稼ぎとしてよく近隣の森の魔獣を狩っていた。

村の人に言わせれば魔獣というのは”突然変異の凶暴化した動物”だそうだが、私にはそれが魔力を持っていることが分かった。

狩っていたというと聞こえはいいがそう大したものでもなく、ただ意識を辺りに張って、魔力に魔獣が反応した所に氷をサクッとするだけである。

自分の身に危険が及ぶどころか、大抵視野に入れる前に処理してしまうので命のやり取りという感覚は全くない。

そんなわけで森の中に数日居ること自体は問題にはならなかった。


―夜の暗闇が怖いことを除いたら...だけど。


いくらアグレッシブな私と言えど「森に住んでみたい!!」と村を飛び出したわけでは断じてない。

端的に言えば家出である。

家出というと親や兄弟との諍いが解決せず最終手段として行われることが多いが、私の場合少し事情は変わってくる。ただ私が”普通”でさえいればよかったそれだけの話だった。

私は特異体質だ。村の人間には誰一人できない奇跡のようなことを私は起こせた。

どうやらこれは魔法と云うらしく村の長い歴史の中にも、旅の人が自らを”魔法使い”と名乗った一件を除けば一切記録はなかった。

身近な人たちは本当に理解があったように思う。

理解の範疇を超えたモノに対し差別するわけでも、排斥するわけでもなく、優しく寄り添ってくれた。

だからこそというべきか、私にはそれが酷く歪で不可解なものに感じられた。

今思えば、というか冷静な時であれば村の人たちが本当は訝って畏れていたのを、幼い私に隠し、不安を与えないようにと気遣って支えてくれていたことは身に染みて分かる。

ただ、ふと一人の時に感じる孤独は氾濫した川の流れのように到底せき止められるものではなかったのだ。

「なぜ私だけ」と、どこまでも卑屈にどこまでも疑心暗鬼になってしまう。

繰り返すがなんにでも限度というものはあるのだ。そんな精神を行ったり来たりしているうちに、このままでは自分が壊れてしまうことを悟った。

幼い私が思いついた解決案は一つだけだった。

それは、私と同じ魔法を使える人間を探すこと。

丁度一年前だったか。私は暗い部屋のベットの中で独り「誰かが連れ出してくれたら」などと考えたことがあったが、一年経って私の出した答えは

「そうですか!来ないんですね!わかりました!なら私から行ってやりますよ!」だ。

基本的に思い立ったが吉日を軸に行動している私は覚悟を決めるなり最低限の準備をし、太陽が出てくる方に向かって歩き始めた......のだが今の率直な感想は冒頭のものである。


さらに三時間ほど歩いたところでようやく人里を発見することができた。

途中、方向感覚がおかしくなってずっと同じところをぐるぐる回っているような感覚に襲われた時はさすがに焦った。太陽さまさまである。

「足を向けて寝れないな」なんてしょうもない事を考えるぐらいには疲労が溜まっていた。

目前に広がる村は村というには少しばかり広いだろうか。

故郷の村と比べると人が多い。商売人の売り文句や馬車を引く音、何やら建物を建てている音など、森の静けさから一転して人の営みが喧騒として感じられて肩から力が抜けるのがわかる。

まずは日銭を稼ぐために手に職をつけなければいけないが、魔獣退治はこの町でも職になりうるんだろうか...................................眠い。


―いや眠いな。寝よう。


太陽はまだまだ高いところで地面を照らしているが、歩きっぱなしに加えてよく昼寝をする習慣のせいで相当に眠い。

門衛の人にぺこりとお辞儀をしてすれ違い、眠い目をこすりながら恐らく宿屋であろう建物に入ると、真昼間からまさか客が来るとは思っていなかったのか少し焦ったように女将さんが出てくる。


「いらっしゃい!こんな時間から泊っていくのかい?」


溌溂とした人だなとぼんやりした頭で考えて、ぶっ続けで森の中を歩いてきた旨を伝えると、二階の小綺麗に掃除された部屋に通された。


「朝食を出すけど八時頃には起きられるかい?」

「おきられます。ごていねいにありがとうございます」


最後の力を振り絞って何とかそれだけ返すと、そさくさとベットに入り目を閉じた。

考えるべきことは山ほどある気がしたが、まぁ明日でいいだろうと楽観的になってしまえばいよいよ意識が沈んでいく。

明日の私よ頑張ってくれ...




目を開けると知らない部屋にいた。

(家出したんだった...)

さて、昨日の私を殴ってやりたいが、魔法をもってしてもそんなことは出来ないので諦めて、未だ醒めきってない頭で状況を整理する。

私は故郷の村を出て森を歩きこの町を見つけたらしい。

そこまではいいのだが目下の問題は宿代だろう。どれだけ眠ければそんな大事なことをすっぽかせるのか分からないが、これまた憎いことに今言っても詮無きことである。

部屋に置かれた時計は六時を指していた。どうやら半日以上寝たらしい。

女将さんは八時頃に朝食、と言っていた気がするがいつ起きてくるのだろうか。

持ち合わせがないわけではない、村で流通していた金貨が使えるのかというのが問題である。

金は金だしまったく価値がないということもないだろうがどうだろう。

店先に料金やその他もろもろ書いてあるだろうと辺りをつけて、さっと身支度をして外に出た。


予想は的中しそこには料金について書かれていたが、私の不安は杞憂で終わることになった。

この町は周りの町の中継地点のような場所らしく、立地上色々な場所から旅人が来るようだ。

そのため、あまり出回っていないような珍しい貨幣も一般に流通しているものと同じように使えるらしい。

変換もできるらしいが役場でしか取り扱っていないようなので、後で尋ねることにした。

私の村は割と断絶されたところなので不安だったが、どうやら私の貨幣は私が歩いてきた方向とは逆方向にほんの少し歩いた所にある町と同じもののようで、問題なく使用できるとのこと。

......いや考えるのはよそう。めでたしめでたし。

最も緊急の案件は解決したので次は...魔法使いがいるかということだがこれに関しては恐らくいないだろうと半ば確信している。

魔獣に魔力があることから魔法を使える人間にも恐らく魔力があるのだろう。

準備をしながら町に意識を張ってみたがそれらしい反応はなかった。

まぁ、まだまだめげる様なことじゃないだろう。

せっかく旅に出たんだし旅自体も楽しみたいところである。

女将さんが起きてきたら雑談がてら旅に必要なことや魔法のことについて聞こう。

そう考えて辺りを少しだけ散策した後、宿に戻った。


「おはようございます。女将さん」

「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」


宿に戻って時間をつぶしていると女将さんが朝食の準備を済ませたらしく、部屋を訪ねてきた。


「お陰様でぐっすりです」

「そうかい、そうかい。...それにしても若いねぇ、いくつ?」

「今年で十三になります」

「じゅうさん!?しっかりしてるねぇ」


私の村では成人は十五歳だったが、これはどこに行っても同じなんだろうか。

どちらにせよ想定よりも子供だったことに相当驚いているようだ。

「うちの息子はまだ自立もせずに...」と愚痴る女将さんに曖昧に笑っておいて、豆腐と揚げが入った味噌汁を啜る。

うん、おいしい。心温まるというか、味噌が薄目で出汁メインの味付けはじんわりと体に染みわたる。

というかよく考えてみれば、豆腐も揚げも味噌も大豆由来なので合わないわけがない。

朝食のメニューは魚の煮つけ、ほうれん草の煮びたし、味噌汁に白米と和食で統一されており、はっきり言って毎日でも食べたいと思える程どれもおいしい。

どうやって味付けしてるんだろうなどと考えながら夢中で食べていると、女将さんが少しだけ神妙な面持ちになる。


「ところでマリエルちゃん、この村には何しに来たんだい?こう言うのもなんだけど訳アリなんだろう?」

「...どうしてそう思ったんです?」

「そりゃあ、大人びてるとはいえまだ十三の子供が保護者もつれずに泊まってったんだ。何もないほうがおかしな話さね」

「まぁ何もないわけではないんですが...」

「心配しなくても言いふらしたりしないしマリエルちゃんをどうこうするつもりはないよ?しばらく話し相手がいなかったのさ、めんどくさいババァに捕まったと思って話してごらん?」

「そう言って下さるのはうれしいんですが面白い話でもないですよ?ただ単に家出したってだけですので。それと女将さんはとってもお若いです!」


なんとなくだが女将さんの言っていることに嘘はないと思う。本当にどうこうするつもりはなさそうだ。話相手云々は...まぁ気を使ってくれたのだろう。

ただそれとこれとは話は別だ。

女将さんに話せるならまず先に両親に話しているし、大層な話ではなく個人的なわがままのようなものだから余計人には話せない。


「久しぶりにお世辞なんて言われたよ、まぁ無理強いするもんでもないからね。困ったら大人に頼るんだよ?」


女将さんが困ったように眉を八の字にして言った。

ホントにいい人だな。うん。


「はい、無理だと思ったらすぐに大人に頼るようにします」

「よろしい」


女将さんがにじり寄って頭をなでてくる。

向けられる眼差しは慈愛に満ちていて、女将さんへの信頼を強める一方、悪い人に騙されないかと生意気にも考えてしまう。

...女将さんに仇成す輩はこの手で粉みじんにしてやろうと固く心に決めた。


朝食を食べた後、女将さんに周辺の地図や貨幣のこと、危険区域について教えてもらった。どうやら危険魔獣の住処や、政治的、文化的に重要な場所は国が立ち入り禁止にする場合があるらしい。

女将さんは別れる寸前まで名残惜しそうにしていて、そんな女将さんにくすりと笑ってから「また来ます」と伝えて宿屋を後にした。




その後、役場から依頼を受けてしばらく放浪できるであろう分の日銭を稼いだのち、町から出発した。

それからは町から町を転々する日々が続いた。

来る日も来る日も大小さまざまな町に足を運び、魔法使いについて尋ね、必要があれば魔獣を狩る。

旅自体は楽しかった。最初に訪れた町の女将さんを初めとして会う人はみな親切にしてくれるし、喰いっぱぐれる心配もないのだから悠々自適に過ごせる。


―ただ、このまま旅をしていったとして魔法使いは見つかるのかという不安は日に日に影を増していた。




今日はお財布がいささか心もとなくなっていたので教会に行って魔獣退治の案件を受けた。

空はどんよりとした花雲りで少しばかり気乗りしないが暮らしていくためには仕方がない。

今は暦の上では春一歩手前らしいが、例年より冬が長引いているらしく外はまだまだ冷え込んでいた。

借りている宿屋の扉を開けると隙間から一気に冷気が流れ込んできて身を竦める。

正直、宿に閉じこもっていたかったがそこを何とか堪えて目的の魔獣のいる森へと歩いた。


昨晩はよく寝れなかった。

定期的に現れる不安感にいつもの如く絡めとられ日が明けるのを望むような望まぬような宙ぶらりんの感覚で夜を過ごした。

昼間に町の人に見せる明るく前向きな自分と、独りの時の後ろ向きな自分の二面性に最初こそ戸惑ったものの最近はすっかり慣れてしまって、そんなところ含めて自分だと割り切るようにしていた。

ただでさえ睡眠不足で昨日の記憶と現在の記憶が地続きになっているというのに、感情面でさえ独りのときのネガティブを引きずっていたらそれこそおかしくなってしまいそうで怖かった。


いつもは難なくこなしている切り替えが今日はなぜかうまくいかないな、なんて考えながら歩く。

最近は魔獣を狩ることがストレス発散に一役買っている節があり、昨日一昨日と連続して魔獣を狩りに行っていた。

その日はちょうどいい魔獣の依頼がなかったため、魔法の練習という名目で出かけたのだが、この頃魔獣狩りに対する向き合い方が少しだけ不穏だと自分自身感じていた。

まるで胸のわだかまりをぶつけるかのように吐き出される魔法は、従来のそれに比べて魔獣が酷く痛がっていることを感じていたが、大義名分の前ではそれから目を背けるのはあまりに容易だった。


今日もまた魔獣を狩る。

この世やこの体への不安や不満をたたきつけるように魔法をぶつける。

目に見えない場所で静かに仕留めることもできるはずなのに、魔法の威力を視るため、と視界に入れて過剰に強力な魔法を使ってなぎ倒していく。

表情はピクリとも動かない。

淡い桃色の瞳はあくまでこれは仕事であるとひたすらに無機質である。

目標分なんてとうに超えているだろう。

それでも狩り続ける目的は何なのか。衝動は何なのか。すべての理由を失ったら私はどうするのか。

思考の無限ループに入ってもなお手は動かし続ける。ひたすらに狩って狩って狩って―

鼻先に返り血というには幾分さらりとした液体が伝う感覚がした。

空を見上げると出発時には花雲りだった天候は大変お怒りのようで、視界が一瞬弾けたかと思えば遠方から轟音が鳴り響く。

降ってくる水滴は次々と体の温度を奪っていった。

早く帰ろうと踵を返すも足にうまく力が入らず、私はその場にへたり込んでしまった。


「...まぁ無理もないかな...」


よく考えれば三日間満足するまで魔法を打ち続け、その間ろくに寝れていないのだ。

それに加えて今日の朝は食欲が奮わず食事をとってないため低血糖も一枚噛んでいるだろう。

もう座っているのすら億劫で仰向けになって、雨を正面から浴びる。

不思議と私の胸の内は空模様と反比例して晴れやかだった。

流石に魔獣の跋扈する森の中で倒れてしまえばいくら魔法が使えるとて無事では済まないだろう。

魔獣に狙われずとも寝不足、過労、低血糖、低血圧、低体温症の不調四天王とその魔王をなぎ倒せるほどタフじゃない。

今のうちに魔法で暖をとるなり、簡易的な小屋を築くなりとやれることがないわけではないが、胸に広がる諦念がそれをさせなかった。

というよりも、腕を持ち上げてみても魔力が練れないのだ。

周囲の魔力は感じ取れるのに、自分の魔力は全く感じられない。


―あぁ、なんて酷いことをするんだろう。


ずっと捨てたかったこの体質。

死の間際になって叶うなんてあんまりじゃないか。


その事実が本当に悲しくて、本当に腹立たしくて、しかし胸の内は諦念で一杯だったのか、そのどれもが感情と呼べるほど大きくはならなかった。

目的こそ達成できなかったにしろこの旅路は楽しかった。

世界から私というイレギュラーが消えるのだと思うとやるせなさこそありつつもお似合いの最期だと思ってしまう。

あの古書の魔法使いなど単なるでっち上げだったのだろう。

これだけたくさんの人に会って、いろんな場所に行って、それでも魔法のまの字すら見つけることは叶わなかった。

旅の最中、魔法使いなんて存在しないと知らず知らずのうちに悟ってしまった時から、心のどこかで消えてしまいたいと思っていたのだろう。

確証こそないものの、胸の諦念がそれをひしひしと物語っていた。


私さえいなければ世界は平和なのだ。


私さえいなければ魔法なんて危険なものはおとぎ話から出てこないのだ。


私さえいなければ、私さえいなければ。




―私さえいなければ私は...マリエルは幸せだったのだ。

魔法さえなければ、それ以外のほぼ全てに愛された私はどこまでも幸せに故郷のあの村で暮らしていたんだろう。

しかし魔法という特異体質のせいで私の全ては壊れた。

というのに、私の意識のほとんどは魔法で占められている。

どこまで行っても魔法のことを憎めなかった。

危険で美しいそれが頭から離れなかった。

魔法なんて消えてしまえと思う一方、魔法のない世界を生きたいとは到底思えない。

こんな矛盾も、死んでしまえば考えなくていいらしい。


もう消えてしまおう。


待てど暮らせど王子様はやってこないし、歩けど歩けど答えは見つからない。

こんな暗闇の中あと何十年も過ごすなんてできない。できっこない。

まだ、やろうと思えばそれなりのことは出来る。

しかし、もう一度一から考え直しても出る答えは同じだった。

考えている間にすっかり体から熱は奪い去られて、手足の感覚はなくなっていた。

私はぼんやりと開いていた瞼をそっと閉じた。

雨の音、雷の音、好ましくない存在が草地を踏み分ける音、意識を手放すにしたがってそれらはより大きく、盛大になっていく。

そういえば昔、母が王都の演奏団の円盤を買ってきて、暫くはそれが居間に流れていた事を思い出した。

確かにあの音楽も見事という他なかったが、今際に聞く自然の音の数々はそれに優るとも劣らない荘厳さを持って鼓膜をくすぐった。


まぁ悪くないな、なんて最後に考えて意識を手放す瞬間、癖になって辞めていなかったらしい魔力感知に今までなかったものが反応した。


(遅い...遅すぎるよ...)


今になって来られたってもうこの状況はどうしようもない。せめて後一分...いや三十秒前ですらありったけを振り絞って何とかしていたかもしれないのに。

私はすっかり芯まで冷え込んで、体内をゆっくり、ゆっくり巡る血液と、異常に重い頭だけが熱を持っている事しか最早分からなかった。

なぜ今この時なんだろう。

これでは固めた意思も、悟ったような諦念も根底から取り払われてしまう。

残るのは死への恐怖と半端に悟った自分への後悔だけだ。

薄れゆく意識の中、その人は私に”大丈夫か”と聞いた気がした。

きっと限界故の幻だろう。

魔力感知の端からここまでは相当に距離がある。

瞬間移動でもないならここに人がいるなんて事はあり得ないのだ。


―だからきっと、この体に滲むぬくもりは神様からの最期の贈り物だろう。






夢を見ている。

そう分かるのは、もう何度目かわからない程、同じものを見ているから。

私はドームのように私を塞ぎ込む暗闇の中心に佇んでいる。

その外側から家族や友達、旅で知り合った人達がこちらを見て温かく微笑んでいる。

しかし、その熱は中心までは届かず、私のいる場所は酷く寒い。

むしろ外側の明るさが内側の暗さを、人々が向ける温かさが孤独の寒さをより強調している。

何度も見た夢だ。

私の孤独と身勝手をそのまま表したかのような情景は、途方もない時間移ろうことはなく、この夢を見る時は大方、寝たような寝ていないような感覚に襲われて気分が悪くなる。

またかと思いながら膝を抱えて座り込む。

夢というのはわかっているが、やることも無いし寝てしまおうと思って目を閉じる。

最近はこうすることが多いが寝れた試しはない。まぁ当たり前と言えば当たり前なのだが。

暫くそうしていただろうか。ふと背後に気配がして目を開ける。

初めての経験だった。

振り返るとそこには一本の木が立っていた。

三メートル程だろうか。それには腕を伸ばせば届きそうな場所に木の実がなっていた。

近づいてよく見れば、その実はいつかに見たような色をしていた。

深い、深い海の色。

黒とさえ言えてしまうような、それでいて実の色は何かと問われれば青と答えてしまうような。

私は不思議な色だなと思いながらその実を一つ手に取る。

木の実は温かかった。

そのぬくもりは手のひらからじんわりと広がっていく。

まずは私の体の隅々まで温めて、それでも飽き足らず暗闇のドームを急速に照らしていった。

瞬きする間に私を覆っていた憂鬱な天蓋は取り払われ、辺りが急激に明るくなった為に目を細めていると木が立っていたはずの場所にぽつりと人が立っていた。

目がまだ慣れていないのだろうか、顔はよく見えない。

その人は私に手を伸ばして「大丈夫か」と聞いた気がした。


「私はもう......




――目が覚めると知らない天井だった。

前にも同じようなことを考えた気がしたが、いつだっただろうか。

とにかく体起こそうと思って、腹筋に力を入れ少し体を浮かせたところで、異常に重い頭が重力に逆らえず、ぼすっとベッドに倒れ込んだ。

そこでようやく自分の体が不調そのものであることを認識した。

頭はひたすらに重く熱を持っている。喉はチリチリと痛むし、酷い悪寒もして堪らずふるりと体を震わせた。

完全に風邪だろう、とそこまで考えたところで自分はどこにいるんだろうという疑問が浮かぶ。

どうやら私は真っ白で清潔なベッドに横なっているようで、腕には点滴が刺さっている。

ひくりとあまり利くとは言えない鼻を動かせば、独特の塩素っぽい匂いがした。

どうやら病院で寝かされているらしい。


(待てよ...?病院......風邪..........かぜ...?)


そこで急速に昨日のことを思い出す。

そういえば私は昨日死にかけたのだ。

もういいんだと全てを諦めて森の中で独り倒れた。

意識を失うほんの少し前、魔力を持った人間が私の魔力感知に触れ、瞬く間に私の元に来たものだからてっきり幻だと思っていたのだが、私が助かっていて、こうして病院で寝ているということは幻などではなく本当に魔法使いは存在し、私をあの森から救ったのだろう―。


コンコンと扉が叩かれた。

はーいと返した私の声は笑ってしまう程ガスガスで堪らず頬に羞恥が上るが、特に気にした様子もなく看護師さんが病院食を持って部屋に入ってきた。


「おはようございます、お加減いかがですか?」

「えっと...悪寒が酷いのと、喉が痛いです。熱もありそうです」

「まぁ、あの雨の中暫く倒れていたようですし、そうなるのも無理はないでしょうね。...辺りには魔獣の死骸が夥しいほどあったと聞いてますが?」

「そう…ですね。ハッキリ言って無茶をしてしまったと思います」

「あなた、本当に危なかったんですからね。ここに送り届けてくださった方ができる限り手を尽くしてくれとあれこれしてくれたから一命は取り留めましたけど、低体温症と低血圧で本当にギリギリだったんですから。しっかり自分の限界は見極めて行動してください」


本当にその通りだ。

この看護師さんの言葉は一見突き放すようなもので厳しいけど、それらは私のことを思っての事とわかるから邪険にするのもではない。

それに少し憤りが混じっているのは、私が一瞬命を諦めたことを見抜いているからなのか、無謀なことをしているように見えたのか。

命の尊さを日常的に感じる職業だからこそ無下にしてほしくないのだろう。


「...おっしゃる通りです。ごめんなさい」

「頼みますよ。まだまだ長いんですから、楽しい事だってたくさんありますよ?時たま自暴自棄になるのもわかりますが、くれぐれも命は大切にしてください。いいですね?」

「はい。肝に銘じます」

「よろしい」


それまでは咎める様な鋭い視線をしていた看護師さんは、私が反省してることを感じ取ったのか、安堵したような、それでいて未だ心配そうな視線を向けてくる。


「参考までに聞いてもいいですか?」

「なんでしょう?」

「どうして森の中で倒れたんですか」


ごもっともな質問だろう。理由は答えようと思えばいくらでも話せるが、どう説明したものかと少し思案する。


「...周りの人はみんな優しくしてくれるんです」

「いいことですね」

「そうなんです。けど少し事情があって、私はずっと独りぼっちで。旅をしてる最中もたくさんいい人に会いました。...けど真に私に寄り添える人はいませんでした」

「その事情は話したくないんでしょう?」

「そう...ですね」

「ならいいですよ。続けてください」


本当に踏み込まれたくないところは巧妙に避けてくれるのが、逆にそれ以外のすべてを話させようとしているようだった。


「ずっと、ずっとある人を探していて、それでもどうしても見つからなくて」

「ある人っていうのはあなたに寄り添える人ですか?」

「そうです」

「ふむ。それで?」

「もう全部どうでもよくなってしまって、まだやりようはあったのに全部放り捨てて、あの森でひっそりと消えようと思ってしまったんです」

「なるほど」


看護師さんは一通り話を聞いた後、私の顔を見ながら何事か考えているようだった。


「...今のあなたはそんな風に見えませんね」

「...えっと、それは?」

「今のあなたの顔はそんな絶望なんて欠片もないって言ったんです。まるで明日を待ち望むような、念願を叶える直前のような、希望に満ち満ちた顔をしてます」


はて、と顔を触って確かめてみるが、特別いつもと変わった様子でもない。

ただ、よく考えれば看護師さんの言う通りだ。

熱で頭が回っていなかったし、起きてからずっと夢見心地でふわふわしていたから気づかなかったが、私は念願だった魔法使いと出会えたのだ。

遅かれながらその事実の真の価値に気づいた瞬間、頭の重みなんて吹っ飛んで、私は一気に上体を起こした。これまで朧気だったすべての感覚がクリアになる。無論、魔力検知も。

急にアクティブになった私を見て困惑している看護師さんの目をまっすぐ見ながら言う。


「私を運んできた魔法使いの方はどこに?」


私の言葉を聞いた看護師...いや人生で二人目に出会った魔法使いは、にっこりと意味深に笑って一枚の紙きれを渡してきた。


「その住所に行ってください。あなたの望んだ人はそこにいます」


それだけいって魔力持ちの看護師さんは部屋から出て行ってしまった。

一人取り残された私は、持ってきてもらった病院食を食べながら、念願が叶いかけている事実を何とか飲み込もうとするも、その事実がもたらす幸せは私が許容できる範疇を大きく逸脱しているようで、ぼーっとしている内にご飯を食べ終えてしまった。

ベットに寝転んでこれから身の振り方を考えようとするも、堪らず笑みがこぼれ落ちてしまう。


(こんなに幸せなことってないよ...)


衝撃で一瞬意識が鮮明になったとはいえ体調はまだ万全じゃない。

体を完全に治して、この幸せも全部飲み込むことができたなら、その時は精一杯の感謝をもって彼に会いに行こう。

全身を使っても抱えきれない幸せをこれでもかとかんばせに乗せて、眠気がいつぶりかの安眠を誘うのに今日のところは身を任せようと思う。


「私はもう大丈夫。だから...待っててね?」


―――――


―――


――






「ごめんくださーい」


風邪を気合いと点滴(一対九)で直した私は、病院から飛び出すなり紙に書いてある住所に突撃した。

意識が醒めてまず驚いたのが魔法使いの多さだ。

魔力検知には数えきれないほどの魔力が反応しているし、それらすべてが人間の持つものだった。

ここまででも旅をしていたころの私ならばひっくり返っているところだが、驚くべきことに、この町は魔力検知の反応しない場所には人がいないのだ。

何を意味するかなど簡単なことだろう。


―この町は全員が魔法使いである。


あれだけ探し回って見つからなくて絶望までしたというのに、なんだったのかと聞きたくなるような状況に内心複雑だったものの、まぁ悪い事でもないしいいかと切り替えるまでそう時間はかからなかった。

何せその状況はかつて自分が望んだ事そのままであったし、そんな場所に連れて来てくれた王子様につながる道も一枚の紙きれによって担保されている。

むしろ何を不満に思えというのか。

ドアの前で待っていると「はーい」という少し気だるげな声が返ってくる。

彼についてだが、王子様王子様と繰り返すもののそのような事を求めるつもりは一切ない。

ただの好奇心と、貰った恩を返したいと思っているだけだ。

命を救ってもらったのにこれ以上何か求めるのは違うだろう。むしろ大恩を返すべく、役に立てることは無いかと聞きに行くのだ。

それに運命的な出会いだからと言って、その人の人柄も知らずに好きになってしまうほどちょろくもなければ安直でもない。

キィとドアが控えめに開かれる。


「どちら様で...?」

「あの、先日森で助けていただいた者です。マリエルと言います。えっと、住所の書かれた紙を置いていかれたのでそれを見てここにきました」

「あぁ、来たか」


待ちに待った王子様は何というか、”勿体ない”という印象を受ける出で立ちで私を迎えた。

珍しく一分のムラもない漆黒の髪に、切れ長でやや鋭い目元、女性が見たらもれなく羨むような染み一つない白皙を持ち、確実に超ド級のイケメンに分類されそうなところを、ところどころで遊んでいる寝ぐせと目元の隈、機嫌の悪そうな口元がすべてをぶち壊していて、総評としては勿体ないになってしまっている。

ただその中でも光を失わないものが一つ。それは眠そうに私を映している瞳だ。

私の持つどのような言葉を使ってもこの瞳の色とその美しさを表現することはできないと思わされる。色自体は髪と同じく黒...なんだろう。ただそこに強制的に青を滲ませたような。黒に何色を混ぜても黒になるはずなのに、瞳に混ぜられた青は漆黒の中にいても”青色”という輝きを失わずにそこに存在している。だからと言って青が極限まで黒に近づいたいたものではないのだ。あくまで先にあるのは黒であって青はその上から混ざっている。...やはり言葉を尽くしてもこれを表現するのは難しい。

ここまではあくまで外見の話だ。

私は彼の”声”を聴いた瞬間から動悸が露骨に早くなっていた。

なんとか表面には出さないように気を付けていると、彼は少し眠たそうに口を開く。


「あー、お互いに話したいことあるだろうし場所変えてゆっくり話すか。家上げるわけにもいかないし、近場にカフェあるからそこでどうだ?」

「分かりました。ひとまずここで待ってればいいですか?」

「いや、身支度したり色々準備するから先に行って待っててくれ。左に進んでいったら大通りにぶつかるから、渡って右にちょっと行くと左手に”オズ”って店があるからそこで待ってろ」


そう言うなり彼は玄関の靴入れらしき箱の上に散乱していた硬貨をいくらか渡してくる。


「あの...これは...?」

「オズは喫茶店なんだが、ケーキも取り扱っててな。ショーケースの中から選んでジジィに言うとその場で切り分けてくれるんだ。ただそれ先払いだから俺が着いてからじゃ遅いと思って」

「いえ、悪いですよ。私も持ち合わせはありますし」

「ガキと話するってんのに会計分けるバカどこにいんだよ。気にしなくていいから行け。俺もすぐ行くから」

「は、はぁ」


どうやら、というかまたもやいい人と出会ったらしい。

と言っても、彼がとてもいい人だという事は声を聴いた時から分かってはいたので驚きはない。

私はばくばくと五月蠅い心臓を窘めながら言われた通りに道を歩いた。

しばらく行ったところで大通りが見える。

大通りというだけあって道も広ければ人も多い。

馬車も結構な数行き来してるので周りに気を張りながら道を渡って右に行く。

少し歩いた所でこじんまりとした喫茶店然とした建物が左手に見えた。

ドアには木製のドアプレートがかけられており、そこには年季を感じさせる字で「オズ」と書いてあった。

同じく木製のドアを開けると「いらっしゃい」としゃがれた声が聞こえる。彼の言う「ジジィ」とはこの声の主の事だろうか。


「ひとりかい?」

「いえ、少ししたらもう一人来ます」

「二人だね。窓際に二人席がいくつかあるから好きなとこに座っておくれ」


ニコっと人好きしそうな笑みを浮かべながら丁寧に腰を折ってお辞儀した後、ケーキの入ったショーケースの横からその内側に入った。

そこで彼に言われたことを思い出して「あの」と再度おじいさんに声をかける。


「このショーケースの中のケーキって注文できるんですか?」

「もちろんできるよ。ただ先にお代頂いてるんだけどお嬢さん持ち合わせはあるかい?」

「はい。お小遣い頂きましたので」


どうやらおじいさんは最初から私が自分で会計するとは思っていなかったようで先払いの件を話して持ち合わせを聞いてきた。

...そんなに子供っぽく見えるんだろうか。いや、見えるか。というか事実か。

大丈夫だというとおじいさんはにっこり笑って「好きなのを選びなさい?どれもおいしいよ」と下のショーケースを指すので、私もそれに倣ってどれにしようかと中のケーキをまじまじと見る。

個人的にはショートケーキが好きだが、喫茶店で食べるチョコレートケーキはコーヒーに合うように作られているせいか普通の店とはまた違った良さがあって捨てがたい。この端っこにあるバスクチーズケーキも一度存在を耳にしてからずっと食べたかったものだし、いかにも卵たっぷりですと言わんばかりのロールケーキはさぞおいしいだろう。いよいよどうしよかとうんうん唸っていると、それを見ていたおじいさんが愉快そうに笑った。


「はっはっは。まぁまぁ。今回選んだのがおいしかったら、また来て他のも食べればいいじゃない」

「むむ...そ、そうですネ。ちなみにおじいさんのおすすめは?」


おじいさんのいう事はごもっともなのだが、いかにまた来れるからと言っても一回一回後悔しない選択をしたいところである。女の子はカロリーに敏感なのだ。


「うーん。今の時期だとちょうどイチゴが旬だしショートケーキはどうかな?いつにも増して甘くておいしいと思うよ?」

「それで!!」


旬と。

旬は本当に侮ってはいけない。今まで本領発揮できずにいた食材が自分のステージに立った時の本気度合いは目を見張るものがあるのだ。

半ば食い気味に答えた私におじいさんはまた笑って目の前でケーキを切り分けた。

ナイフがホイップに触れると微かにシュワッという音が聞こえたのでクリームは軽めなんだろう。もったりとした濃厚なクリームも好きではあるのだが、個人的には軽めでいくらでも食べれてしまいそうなクリームが好みだ。

好みド直球のケーキを前にまだかまだかとおじいさんの少し緩慢な動作を見ていると、切り終えたケーキを器に乗せてこちらに差し出してくる。

料金を支払って受け取るとおじいさんは笑いながら言った。


「席にはメニューが置いてあるから美味しそうなものがあったら呼んでね」

「わかりました」

「ところで、お嬢さんコーヒーは飲めるのかい?」

「よく飲みます。朝に出てくることが多かったので。本格的なものこそ飲んだ事はないですけどそれでも美味しいなと思いますよ?」

「そうゆうことならうちのもぜひ飲んでいってよ。自分で言うのもなんだけど、ここらへんじゃ一番だって評判なんだよ?」

「そうなんですか。楽しみです」


俄然楽しみになってきて「失礼しますね」と告げて速足で席を探した。

朝の時間帯は過ぎているものの昼にはまだ早いというような中途半端な時間にもかかわらず、席には人がちらほらいる。

窓際の端っこの席が空いていたのでそこに座ってケーキを置いた。

コーヒーが来てから食べ始めるか、先に食べてしまうかで少し悩んで、待ちきれないので注文するだけして食べてしまうことにした。

メニューを開くとコーヒーはもちろん、軽食やケーキ以外のデザートもあるようだ。

手早く決めて机端の呼び鈴を鳴らすとおじいさんがやってきた。どうやらこの店はおじいさん一人で経営しているようだ。

ウィンナーコーヒーを頼むとおじいさんはニコリと笑って下がっていった。

さてケーキを食べようとフォークを持ったところで、ドアにつけられた鈴が控えめになった。

見てみれば彼が来たようだ。

如何にも魔法使いというような真っ黒のローブに身を包んでいて、さっき見た時よりは幾分かキッチリした印象を受けるが髪が若干は跳ねているせいで最初のイメージは拭えない。


「ジジィ、こんぐらいのガキが来なかったか」

「ラズじゃないか、珍しい。お嬢さんなら窓際の席にいるよ。家族が後から来るのかと思えばお前さんのツレか。...なぁ、可愛いとは思うけど未成年じゃないのか...?」

「アホか!そんなんじゃねーよ!てかなんでこの状況でそうなんだよ!」

「はっはっは、なに最近顔を見せないからからかっただけだ。...いろいろあるんだろう?」

「まぁそんなとこだ、もう行くぞ」


このぐらい、と彼が示した身長は六つか七つぐらいの子供の身長で突っ込みたくなるのだがいかんせん距離が遠い。

彼はラズというらしい。

少し離れたところからこっそり見ていると、気づいたらしい彼、ラズさんはこちらに歩いてくる。


「待たせたな。まぁ食べながらしゃべるのも...な。先に食ってくれ。美味いぞ」

「わかりました。いただきます」


机に置かれたケーキを見てラズさんが言う。

人を待たせながら食べるというのも少しだけ罪悪感があるものの、直々に許可も下りたし、私としても食べながら話すというのは食べ物にも話し相手にも失礼に当たるため、避けたかったのでここはお言葉に甘えることにする。

フォークをもって一口大に切り分けると、シュワッという音が聞こえてきていよいよ我慢できずに口に放り込んだ。

案の定クリームは軽めで、甘さは抑えられている。これはコーヒーを飲んだ時に味の差異で苦くなりすぎないためのものな気がするが、旬が来てとことん甘くなったイチゴとマッチしていて物足りなさを完全に払拭している。

はっきり言って絶品だった。今まで食べてきたものの中でこれが一番おいしいと胸を張って言える程に。

夢中になって食べ勧めるとケーキはあっとゆうまに消えてしまったらしい。

人前で夢中で食べていたことを思い出して、少し頬を赤らめながらラズさんを伺うと、微笑ましそうな目でこちらを見ているのでたまったものではない。


「あの、忘れてください...」

「まぁそうなるのもわかる。俺も初めて食った時はぶっとんだ」


羞恥心を飲み込もうにも中々うまくいかず苦心しているとおじいさんがコーヒーを持ってきた。


「失礼しますね、ウィンナーコーヒーです」

「ありがとうございます」

「ジジィ、いつものくれ」

「はいはい、わかりましたよ」


ラズさんは入れ違いで飲み物を注文したらしい。”いつもの”で通るのはラズさんが常連だという証拠だろう。おじいさんも慣れた様子なのでなおさら。


「それで...ええっと」

「まぁお互い話したい事聞きたい事あると思うんだが、まず聞いてもいいか?」

「な、なんでしょう」

「魔法を使えるんだな?」


一応質問の形を取っているがラズさんは確信しているようで、確認するように聞いてくる。


「はい...と言っても家にあった古書から自分のこれが魔法だと結論付けただけなので本当にそうなのかはわかりません」

「なるほどな、...まぁ安心してくれ。お前のそれは魔法だ。変なものじゃないぞ」

「変なものじゃないんですか?」

「あー...次の質問にもつながるんだが、全く変なものじゃないぞ、魔法は。ここらへんじゃみんな魔力は持ってるし扱えるかは本人次第ではあるが魔法が使えるやつも少なくない」


やはりここでは魔法というものは常識らしい。

驚きはなかった。

魔力感知で分かっていた事もそうだが、何よりそんな場所に来れた嬉しさが勝ってしまって半ば思考停止のような状態になってしまう。


「...思ったより驚かないんだな」

「そうですね。ここの方々が魔力を持っている事は病床で寝ているときに確かめたので」

「......なるほど」

「...えっと?」

「いやなんでもない...わけではないんだが、まぁ後でだな」


ラズさんは急に考え込む仕草をするので何か言ってしまったのだろうかと考えるも、特に余計なことを言った記憶はない。

後でわかるらしいしまぁいいか。


「二つ目の質問なんだが、お前、出身は王都から見てどこにある」

「えーと、南側ですね。というかここはどこなんですか?」

「ここは王都から見て北側の地域だ。一般的、というか北側の人間は、王都から南の地域を王都以南地区、北側を王都以北地区って呼んでる」

「なるほど」

「これについても話さなきゃいけない時が来る、そん時にまた、な」

「また...」


どうやらラズさんはまた会ってくれるらしい。

私としても王子様をみすみす逃がしてやる気はなかったし、魔力検知からこの人がすごい量の魔力を抱えていることがわかるため、私の目的にはぴったりだろう。これは交渉次第だと思うが。


「じゃあこれが最後だ。最後は質問というか実験?なんだが...」

「実験ですか?」


おずおずといった様子でラズさんローブのポケットから透き通った球体を取り出す。

表面の模様は水面のように微かに揺れている。

この模様だが、表面に描かれているというよりかは、透き通った球体の内側にあるように見える。まず間違いなく魔法関連の産物だろう。それらしく不思議な物体である。


「これを触ってくれ...って言っても何かよくわからんと思うから先に説明するが、これは魔力量を映す鏡だ。これに触れている人間の持っている魔力量を水面に例えて投影する」

「水面ですか?」

「そうだ。魔力量ってのは言ってみれば川の幅みたいなもんだ。川の幅が狭ければそこに流れる水は激しく動くし、幅が広い川を流れる水は穏やかだろ?それと同じようにして魔力の全体量を図ってくれるのがコイツだ」

「なるほど」


つまりお前はどんなもんかと聞かれているわけだ。

今までは魔力を持っている人がそもそもいなかったため自分がどれほどかなんて考えたこともなかったが、そういわれれば確かに気になる。

これで激流だったらちょっとへこむ。

球はラズさんから私に移った瞬間、模様を跡形もなく消してしまって、うっすらとした青だけを映した。

暫く経たないと出てこないのかと考えながらも、もしかして魔力が全くなかったのかだの、壊してしまったのかだの考えて不安になっていると、ラズさんが深々とため息をついた。


「やっぱりか...」

「あの...何か映っているようには見えないんですが...。壊してしまいましたか?」

「いやそうじゃない、そもそもその物体には壊れるって概念がない」

「はぁ...?」


思わずビクッと体を揺らして恐る恐る聞くと、ラズさんは呆れたように、それでいて少しだけ嬉しそうにそう言った。

だとしたらこの球は何故何も映さないんだろうかと考えながらラズさんを伺うと、また一つため息をつく。

仕草はけだるげでめんどくさそうではあるが、声からラズさんが少しだけ嬉しそうな事が分かるので凄くちぐはぐに見える。


「それは何も映してないわけじゃない。見ろ、うっすら青いだろ?」

「まぁ確かに」

「そうだな...さっきは川で例えたが海にしてみるとわかりやすいかもな」

「うみ」

「そうだ、海の真ん中を考えてみてくれ、それは揺れていると表現できるほど動いてると思うか?」

「い...いえ、微々たるものだと思いますが...」


よく見てみれば球はうっすらとした青でラズさんが持っていた時と同じだ。恐らくこの球は普段は透明で、魔力持ちに触れると水として表現する一環でうっすらとした青になるんだろう。

そうみれば確かにこの球は正常に私の魔力を映していると言えるが、ラズさんから飛び出た言葉は海というものだった。

その論で往くととんでもないことになりそうな気がするがどこに着地するんだろうか。


「まさにそれだ。お前の魔力は恐らく底がない。ほんの少しでも揺れていたなら海程魔力を消費すれば尽きると思うが、微塵も揺れていないのはつまりそういう事だろう。言っておくが他に例はないぞ。かんっぜんなイレギュラーだ」


...開いた口が塞がらない。

着地も何もそれそのままだったらしい。つまり私の魔力量は無尽蔵でそんな人間は今までいなかったという事だろうか。

確かに魔法を使っていて疲れるなんてことも、魔法が使えなくなることもなかった。

どうやら、それは魔法使いの中でもおかしい事らしい。

折角魔法使いがいる場所に来れたというのにその中でも私は異端だと言われ、また孤独を感じるかと思いきやここでも私は達観していた。

それは昔のような諦念とは程遠い、ともすれば楽観というようなものである。

元来、私は楽観的な性格なので楽観視は私が通常であることの何よりの証拠だろう。

なぜかはわからない。

魔力に底がないという事の重大さをよく理解できていないからなのかもしれないし、魔法使いがいないという事実だけが私にとって負担であり孤独のすべてだったのかもしれない。

...もしかしたら目の前に居る、人のことを言えないぐらい球面を凪がせていた青年がそうさせているのかもしれない。


「聞きたい事は山ほどあるだろうが、一旦後に回させてくれ。こっちから一つ頼みというか提案がある」

「何ですか」


ニヤリと笑ってラズさんは続ける。


「お前、俺の弟子になる気はないか?」

「弟子...ですか」


願ってもない、というか元々弟子にして欲しいと頼み込むつもりだったので、申し出自体は好ましい。

ただこちらから申し出るならまだしも、向こうからというのは何か理由があるのだろうか。

少しの間考えているとおじいさんが注文の品を持ってきたようだ。


「お待ちどうさま。カフェラテのミルク多めね」

「どーも......それで?嫌なら構わないけど、お互いにメリットはあるとは思うぞ。どうする?」


ラズさんはおじいさんからカフェラテを受け取って一口飲んだ後、こちらに聞いてくる。どうやら甘党らしい。


「あの...私としては願ってもない話なんです。ただこちらとしても聞きたいことが山ほどあるというか...それを聞いてから答えを出してもいいですか?」

「いいもなにもこっちから提案してるんだ、今すぐじゃなくても構わないぞ。...で、何を聞きたいんだ」


ラズさんは回答を急いているわけではないらしい。

コーヒーを啜ってのどを潤しつつ、頭の中で聞きたいことをざっとまとめる。


「なぜラズさんはあの場に居たのですか?」


一番気になるのはそこだろう。

探しても探してもいなかったのに突如として現れた魔法使い。

村の長い歴史にも一度しか現れない存在が何故あのタイミングであそこにいたんだろうか。

それにラズさんの話では以南地区と以北地区で魔法使いとそれ以外はハッキリと分断されているらしいのでなおのこと何故ラズさんがあの場に居たのかが謎だ。


「あー...一応機密っちゃ機密なんだが...まぁお前もギリ関係者だろうしいいか」

「機密?」

「あぁ。今回のは平たく言えば”派遣された”ってやつで、普通王都のラインをまたぐような派遣はされないんだが、今回は以南地区で膨大な魔力が検出されたってんで王都から直々に送り込まれたんだよ。調べてくうちにフラっと村に来ては近隣の魔獣を一掃してどこかに消える旅人ってのにあたってな」

「...な、なるほど」

「お前にしてみれば赤子の手を捻るようなもんかもしれんが、魔獣ってのは本来鍛え上げた大人が何人もかかっていってようやく一匹殺せるようなもんで、何匹も村に襲い掛かってきた時点でそれは天災みたなもんなんだ。それをまぁ易々とやっちまうんだから末恐ろしいというかなんというか」

「その大人っていうのは魔法は使えない人の事ですよね?魔法を使える方だとどうなるんです?」


ラズさんは呆れたような視線になりながらコーヒーを飲み、はーっと大きくため息をついた。


「魔法使いでさえ魔獣を二桁以上同時に相手取るのは無理がある。それこそ高位の魔法使いにはお前みたいな出鱈目なやつもいるにはいるが大概はそうじゃない」

「そうなんですね」

「それに...」

「それに?」


少し言いにくそうに眉を寄せながら言う。


「以北地区の連中は以南地区の人間を何とも思っちゃいない。お前みたいな膨大なものでなくとも魔法使いとして魔獣を狩れる力は持っているというのに、以北地域の奴らは以南地区で起きている防げる天災に見て見ぬふりをしてる。...まぁ俺も王に派遣されなきゃそのゴミどもと同類なんだがな」


自分のことをゴミだと言った声は苦渋にまみれていた。

自己嫌悪と罪悪感、無力感に押しつぶされて、今にも折れてしまいそうな、そんな音がした。

本当ならそんなことないと言いたかった。実際、ここで否定してしまうのは簡単だろう。

だがそれをするにはあまりに私は無知すぎた。ラズさんの事も、世界の事も。

よく分からない事をわかったような口であれこれ言うのは好きではなかったが、今だけは何か言ってあげたくて口を開く。


「...ラズさんは悪い人なんですか」

「あぁ。すごく悪い奴だな」

「そうは見えません」

「騙されてるぞ」

「騙されててもいいです」

「...勝手にしろ」

「そうします」


知らないなら知ればいい。ラズさんにラズさん自身の事や世界の事についてじっくり教えてもらえば万事解決だ。

それに知らないなら知らないなりに判断してしまえばいい。

私の持つ全てがラズさんは自分で言うような人間ではないと訴えている。

もし万万が一騙されていたとして、これまでの人生で騙されることなんてなかったしそれはそれで経験だろう。

尤も、そんなことにはならないと半ば確信しているのだが。

ラズさんは頭痛を訴えるかのようにこめかみを抑えながら残っていたコーヒーを一気に煽った。

私もそれに倣って一口飲んで「次の質問なんですが」と続ける。


「弟子って正式にはどのようなことをするんですか」


恐らく私の言う弟子とラズさんの言う弟子は違うだろう。

私の言う弟子は便宜的なもので正式なものではない。勝手なイメージで魔法使いに教えを乞うならば弟子というのが適切だと思っただけなのである。

しかし、ちゃんとした魔法使いであるラズさんが弟子になれというからには、そもそも師弟制度があると考えるのが妥当だろう。

家事雑用ぐらいなら喜んでするがせめて内容ぐらいは知っておきたいものだ。


「弟子についてか。表立って決められてるのは魔法院の登録だけでその後何をするかは完全に任されてるな」

「なるほど」


どうやら魔法使いの中央組織として魔法院というものがあるらしい。そこに師弟関係を登録した後は各々の裁量に任されている、と。


「じゃあラズさんはどんな事をするおつもりで?」


ならば肝心なのは、弟子になったらラズさんはどのような師匠になるのか、という点だ。


「とにもかくにもお前には正式な魔法を覚えてもらう。全く知らない今ですら人並み以上に魔法を使えるお前が知識をつけたらどうなるか気になるってのもあるし、お前の視点から現代魔法を見たときに新しい発見があるだろうから魔法の研究が進んで魔法が発展するかもしれないってのもあるからな。それ以外で私生活を縛るつもりは全くないぞ。どこ住んでも何食っても何しててもいい。勿論生活面は俺が保証する」

「ふむ」


つまり魔法の教育を行うだけでそのほかは何も、という事だろうか。

...それはあまりにこちらに得がありすぎるのではないか。

言ってみれば無償で魔法を教えてもらうようなもので、ラズさんが挙げたラズさん側のメリットも全て副次的なものだ。魔法を教えてもらえるのならこちらもそれなりの対価は差し出したい。

一口分だけ残ったコーヒーの水面を見つめながら、少し考えて「あの」と口を開く。


「あの、ラズさん。生活力の方は?具体的には食事や掃除、洗濯に不便はありますか?」

「...何か変なこと考えてないか」

「いえ、ただの興味本位です」

「......得意...とは口が裂けても言えないな。洗濯は入れるもん入れてスイッチ押すだけでできるからまぁいいんだが...掃除はどこからやっていいのかわからんし、料理に関しては炭以外できたことがないから基本外食か出来合いのもん食ってる。...でこんなこと人に言わせて何なんだ」


暫くは言いにくそうに顔をしかめて黙っていたラズさんだが、此方がずっと目を見ているといたたまれなくなったのか渋々口を開いた。

どうやら生活力は皆無らしい。

炭しか作れない人間が本当に存在することに驚きこそするものの、彼の出で立ちや仕草、雰囲気でおおよそ答えは出ていたので「まぁそうだろうな」という具合である。

口をへの字に曲げて不満も露に此方に問いてくるラズさんににっこり笑って何でもないように言う。


「いえ、生活力が低いようでしたら私が代わりに家事しようと思いまして。魔法を教えていただけるのは嬉しいんですが、ラズさんの話だと貰ってばかりになってしまうので」

「...いや家事自体はそりゃありがたいけどさ...お前それするなら四六時中俺と一緒だけど...」

「何か問題が?」

「いや、自分の時間とかさ...それに移動時間も勿体ないし」

「移動時間ですか?家の中歩くだけで移動時間とか気にします?」


私が魔法以外で何かに貢献できるならばやはり家事だろう。

そう思って提案したもののなぜかラズさんはすぐに頷こうとはしない。

何が気になるんだろうか。お互いに理のある提案だと思うのだけど。

少し話が食い違っているような雰囲気を感じながらもよく分からなかったので首を傾げつつ聞くと、ラズさんは信じられないものを見る様な目でこちらを呆然と見た後に頭を抱えて唸ってしまった。


「...お前、貞操観念育ち切ってねぇな」

「なんですか?」

「あぁもうなんでもねぇよ!!別に子供相手に変な気起こすほど落ちぶれてないけど俺はお前が心配だわ...」

「は、はぁ」


極々小さな声で呟いたので本当に何と言っていたのか分からなかったのだが、ラズさんは吹っ切れたように声を上げると、親指と小指で両こめかみを抑えた。


「...確認なんだが、お前、俺の家に住む気なんだよな?」

「?はい。それ以外に何が?」


当たり前だと言うとラズさんはハハッと乾いた笑いをしている。


「一応言っとくけど、お前が住みたい家を借りてもびくともしないぐらいには稼ぎあるからそこ気にしてるんなら大丈夫だぞ。そもそも最初はそうするつもりだったし」

「何言ってるんですか勿体ない。そんなことに使ってるお金あるなら他の事に使いましょう!それこそ、その分このカフェのケーキ食べさせてくれた方が余程嬉しいです!」


お邪魔したおうちは大きかったし着ているローブも上等なものなのでお金には困ってないことは安易に分かったのだが、まさか家一つ余分に借りても全く平気とは。もしや魔法使いは高給取りなんだろうか。

というかおうちが大きかったからこそ住み込もうと思っていたのだが。

勿体ないと言うとラズさんは口の動きだけで繰り返したがもう全て諦めたのかどこか遠くを見つめながら「ソーカ」とだけ返した。


「他にも聞きたいことはありますが今日はもう疲れましたし、また後日という事で。あ、ちゃんとお返事してなかったですね」

「?」


一日にいろんなことを聞いても頭が追い付かないだろうし暮らしている内に思い出す疑問もあるだろう。どうせラズさんとは長い付き合いになるしゆっくりと聞いていけばいいのだ。

つい先日まで体に群がって皮膚を掻きむしっていた焦燥感は何ともすっきりと消えている。

ピンと来ていないラズさん、いや師匠に精一杯の笑顔を向けて言う。


「弟子のお話、謹んでお受けします。これからよろしくお願いしますね、師匠」

「...あぁ。まぁ気負わず気楽にな、弟子」


試すように首を傾げながら呼び、手を差し出すと、少し恥ずかしそうではあるが優しく柔和な笑みを浮かべて手を取ってくれた。

こんな顔もできるんだと思いながら胸に溜まった多幸感を師匠にも共有したくてはにかむと、師匠は照れたのか手を放してそっぽを向いてしまった。

本当はこちらも痛いほどに心臓がなっていたけれど、何でもないようにくすりと笑って残っていたコーヒーを飲む。

底に砂糖が溜まっていたのかコーヒーは酷く甘かった。






「これは...」


眼前に広がる光景に若干の眩暈を覚えながら私は呟く。


ラズさんに師事する事となったところでオズを後にして家に帰ったのだが、扉を開くとそこには家とはギリギリ呼べないような環境が広がっていた。

形容するなら物置の方が近いだろうか。

床は踏み場が全くない上に、積み上げられている物も多いためそもそもの道が狭い。生ごみの類は一切ないので埃っぽくはあるが異臭はしないのが唯一の救いだろうか。

外から見た通り中は相当に広く、部屋が幾つもあるがそのすべてが完全な物置化していて部屋によっては扉が開かない始末である。


「あの、どうやって生活したらこんなことになるんです?」


「...一回ここまで来ると手が付けられなかったんだ。それに人間は割と慣れる」


「あのですね...」


確かに人間は慣れる生き物だが、だからと言って劣悪な環境に甘んじるのは如何なものか。

やや呆れながらも半分説教すること五分弱。ラズさんはすっかりしぼんでしまって「ごもっともです」と繰り返すロボットになってしまった。


「兎に角、私たちではどうにもできませんし、業者の方を呼びましょう」

「ごもっともです」

「...その間は家に入れませんがどうしましょう?」

「ごもっ...痛っ、痛いから、すみませんでした」


いつまでもごもっともロボットで居られては困るので両頬を引っ張って我らがラズさんを奪還しておく。


「そうだな...あぁ、魔法院に登録しに行くか。正式に弟子取りましたってヤツ」

「具体的には何するんです?」

「大したことはしないぞ。書類書くだけ」

「書類だけ...えー」

「なんで不満そうなんだよ」


つまるところ書類や法的な拘束力こそあるものの魔法を使っての生命的な拘束力まではないという事だろうか。

魔法使い同士の契約と聞くと反故にした場合の跳ね返りが恐ろしそうだが、あくまで師弟関係は書面上の物らしい。




「あぁ、慣例としてお互いの魔石を使った装飾品を身に着けるってのがあるにはあるぞ」

「魔石?」

「お前魔石も知らずにここまで...」


ラズさんがまたこめかみを抑えているが、嘆きたいのはこちらもである。

それに恐らく魔法関連の知識に関しては本当にすっからかんらしいので一々呆れられても困るのだ。

ちょっぴり不満を露にしつつ肘でラズさんの脇腹を押すとカチリと体を固まらせた後に咳ばらいをして話を続ける。頬がほんの少し赤いのは照れたのだろうか。


「...魔石ってのは魔力の結晶体みたいなもんだ。作る人によって色が変わるのが特徴で、厳密に言えば同じ色が二つとないから親しい間柄の贈り物なんかによく使われるな」

「なるほど...それ私も作らなきゃいけないんですよね?感覚で作れるもんなんです?」

「普通だったらそうはいかないが、魔石生成は魔法の基本中の基本だから火やら水やらなんなら氷まで使ってるお前にできない道理はない。イメージはひたすら魔力を圧縮していく感じ」

「...それで出来なかったらちょっと気まずいですね」

「ははっ。お前気まずいとか言う感情あったんだな」


...なんと失礼な。どれだけ図太いと思われているんだろうか。ラズさんをキッと睨むと片手で頬を挟まれて口から空気が出た。どうやら頬に空気を溜めていたらしい。

さらにへそを曲げる私を見てラズさんはくつくつ笑ってるのでたまったものではない。


「もーいーですから、早く魔法院行って登録しちゃいましょう」

「あいあい」


腕をぐいぐいと引っ張る私にラズさんはやる気のなさそうな声で返した。




魔法院はラズさんの家から程なくした所にあった。

町役場のようなものを想像していただけに眼前に広がる優美で壮大な建物にはつい足が止まってしまう。


「綺麗...」

「なかなかイケるだろ?俺も外装は好きだ」


何故かちょっと誇らしそうなラズさん。「行くぞ」と先に歩いて行ってしまうので慌ててついていくと門の方からひそひそとした声が聞こえる。


「見て...あれギフテッド様じゃない?」

「本当ね、珍しい。一緒に歩いている子は妹...にしては似てないわね」

「もしかして弟子...とか?」

「ギフテッド様に限ってそれはないわよ」


...聞こえてますよーと言ってやりたい所だが、如何せん自分が聴覚過敏なためあちら側に非はない。声量もこちら側にはまず聞こえないものに抑えられているためなおさらだ。

好奇の目にさらされるのは些か苦手で、額に皺を寄せているとラズさんが「どうかしたのか」と此方を見てくる。

ギフテッド様という単語が気になったが、その響きが諸手を上げて喜ばしいというような響きではなかったため「なんでもないです」と先送りにした。

門をくぐって建物内に入ると外見に勝るとも劣らないこれまた豪勢な内装が私たちを迎えた。

一階のエントランスは円環状になっていて真ん中のカウンターの両脇から吹き抜けの二階に続く階段が繋がっている。そのさらに横側は書庫のようになっていて、数えきれないほどの本棚と休憩用の椅子があった。


「すごい建物ですね」

「一応魔法院の最高権力だからな。こんぐらいしてもらわなきゃ困る」


ラズさんはまたしてもどこか得意げに言うので、茶化すように「おぉ~」と言うと、フンと鼻を鳴らしてカウンターの方に歩いて行ってしまう。


「弟子の登録をしたいんだが」

「!...弟子の登録ですね。今は丁度先客もいませんので右手の階段を上っていただいて一番奥のカウンターで手続きをしてください」


弟子と聞いた途端に受付のおねえさんがそわそわしだした。

察するにラズさんは弟子を取らないタイプの魔法使いなのだろう。その割にはやけにあっさりと弟子入りできたのはやはり私が露骨におかしかったからなのだろうか。

自分の特異体質のせいで私は親元から離れてここにいるわけだが、ラズさんに弟子にしてもらえるなら大いに許せる。


「おい、行くぞ弟子」


...私はこれから弟子と呼ばれるんだろうか。

確かに師匠の事は師匠と呼ぶが、弟子と言うのは何というか...親が子供の事を娘や息子と呼んでいるような妙な違和感がある。

なんとも言えない表情で返事をした私をラズさんは気にした様子もなく階段を上って行ってしまうので、駆け足気味に追いつくと歩く速度を少し落としてくれた。


「これ書いてくれ」

「わかりました」


指定された場所で無事書類を受け取った私達は、一階の椅子に座って早速記入を始めた。

渡された書類にはフルネームや生年月日、親の名前と住所を書く欄がある。

住所...と言われても村の名前と番地でも書けばいいんだろうか。はたしてそれで伝わるのか疑問である。


「あの、住所って村の名前とかでいいんですか?」

「あー。そこは俺の住所にしといてくれ。お前そもそも以南地区の人間なんだから悪目立ちするのは確実だし、そもそも虚偽扱いされて書類が弾かれるかもしれん」

「そんなに大事というか...変なんです?」

「この何百年で事例がないんだからそりゃそうだろ。どっかのタイミングでばれるかもしれんが少なくとも今はその時じゃない。変な物好きを一蹴できるぐらいには強くなってからだな」

「物好きですか」

「その類の連中がお前のことを研究しようとするかもしれないぞ。穏便じゃないやり方でな」


確かに言われてみれば以南地区出身の魔法使いなど想定されていないのだろう。

町の看板には以北地区二丁目と書いてあるのを確認しているので、以北地区には正式な住所というのが割り振られていると考えていい。

以南地区は区画分けすらされていない事を見るに、ラズさんが言っていた以北地区と以南地区の確執は深そうだ。


「師匠が守ってはくれないんですか?」

「善処はするが俺だって四六時中お前を見てやれるわけじゃないだろ?勿論火の粉は払うつもりだが、払いきれなかった火で大やけどされたら困る。それにお前だって自分の時間はいるだろうに。どっか出かけた時とかに変なのに絡まれたら危ないだろ」

「私は自分の時間があるなら師匠と一緒に居たいですよ。迷惑ならば身を引きますが、できる限り一緒に」


これは私の本心だ。

何が私を惹きつけているのかはわからない。けれどラズさんの隣にいると自分が自分でいられる気がするし、何より居心地がいい。ラズさんの事を知りたいと思うし、ラズさんに私の事を知ってほしいとも思う。

私の言葉を聞いたラズさんはそっぽを向いて「ならいいんだが」と呟く。耳が赤いのは照明の関係だろうか。

ラズさんが書いてる書類を見て住所を書き写すと、ラズさんは中途半端な体制で固まっていた。

どうやら腕と体が触れていたのがまずかったらしく、体を離すと安堵したようなため息をこぼしている。...余りにも耐性が低すぎやしないだろうか。どうやって生きてきたらこうなるんだろう。


「師匠、書けましたから持っていきましょう?」

「あ、あぁ」


まだ顔が少し赤いラズさんに笑いかけると、まだ照れくさいのかそっぽを向いたまま返事をされる。

...ここで腕にでも飛びついたらどうなるかな、と一瞬魔が差したものの、暫くは口を利いてくれなさそうだし最悪弟子にはしないと言われたら困り果てるのでやめておいた。


「もうおうち、綺麗になってますかね」

「流石にもう少し掛かるだろ。上の階にレストランあるからそこで飯食って時間潰すか」

「いいですね。イタリアンですか?中華?和食の気分だなー」


一日動きっぱなし...というか目新しいものが多すぎて頭を使ったらしくお腹はぺこぺこだ。

あんまりにも私が楽しみにしているのを見て、ラズさんは微笑ましそうにくすりと笑って言った。


「何でもあるから安心しろ。それにどれもうまいぞ」


あのケーキ屋...ではなく喫茶店を発掘しているラズさんの事だ、今回のレストランも十二分にいい所なのだろう。


「師匠の舌は割と信用してますので、楽しみです」

「割と?」


ムムッと眉を寄せて聞いてくるので思わず吹き出してしまった。

暫くころころと笑っていたのをまじまじと見てくるので「言葉の綾です」と軽く流す。どうやらここには譲れないラインがあるらしい。

そのことがどうにも可笑しくて、私は暫くにまにまとだらしのない顔を晒してしまった。




書類を提出した後はレストランで食事をとって魔法院を出た。

レストランにはラズさんの言う通り多種多様なメニューがあり、何を食べようか暫く悩んだが、牛すじデミグラスのオムライスと言う聞いただけで涎がたれそうな料理名に吸い込まれて、気づけば注文して一口頬張っていた。

昔ながらの固めの卵は私の好みだったし、主張しすぎないチキンライスもデミグラスとの相性バッチリで絶品である。

オズのケーキと甲乙つけがたい完成度にまたもや夢中で食べ進めてしまい、お皿を空にして満足感に浸っているとラズさんが「うまそうに食うな」と感心したように言うため、またもや羞恥でいたたまれなくなったのだがレストランから出る頃にはそれも落ち着いていた。

帰り道とは反対方向に進んだ私たちは大型の商業施設に来ていた。

家具や服などの生活必需品を買うらしい、お恥ずかしながら私の。

最初に来たのは家具屋で、部屋は空き部屋があるからいいもののさすがに家具の余りはないらしく、折角だし女の子らしい部屋にしたらどうだ、とのこと。


「好きなもん選んでいいぞ」

「ほんとですか!!」


初対面の時こそ遠慮したものの、今となってはラズさんの経済力はしみじみとわかっているので、ここで遠慮した所で不要なやり取りがいくつか増えるだけなのは目に見えている。

それに、まだ出会って間もないものの、ラズさんに裏表がない事は感覚でわかる。

ラズさんが好きなものを選んでいいというのなら好きなものを選んでいいのだ。多分。

見渡すとベットやテーブル、椅子やラックなどの家具が所狭しと並んでいる。女の子であればだれもが一度はあこがれる天蓋付きのベットや白を基調としたシンプルで上品な椅子と机のセットに目を引かれながら奥に奥にと進んでいくと、そこには先日漸く百四十センチを超えた私を易々と見下ろすくまのぬいぐるみがあった。


「ラズさん!!あれです!あれが欲しいです!あれ意外いらないのであれ買ってください!!!」


興奮も露に目を輝かせて腕を引っ張るとラズさんは酷く狼狽している様子だ。


「いや、あれが欲しいのは分かったけど...運ぶの結構大変そうだな」

「それならまかせてください!」


ラズさんはぬいぐるみの置き場でも値段でもなく、運ぶ手間を考えたらしい。

ものぐさなラズさんらしいといえばそうなのだが、些か常識からズレていることは否めない。そもそもこんなに大きいぬいぐるみをねだっているのは私なので人の事を言える立場ではないのだが。

家まで運ぶことを想像したのか眉間に皺を寄せてめんどくさそうにしているラズさんに任せてくださいと鼻を鳴らし、ぬいぐるみに魔法を使う。

使ったのは何のことはない浮遊魔法で、便利なので日常的によく使うのだが、大きすぎるぬいぐるみをフワフワと浮かせながら運んでいるとすれ違う人や今まで商品を見ていた人がぎょっとしたようにこちらを見てくる。まぁこんな大きいものをレジに持って行っているのだから驚かれるのは無理もないだろう。

同じく驚いたように目を剥いた店員さんに渡すと、ラズさんはカードを出して会計を済ませたらしい。


「そのカードってなんなんですか?タダでもらえたわけじゃないですよね?」

「あぁ、これは魔法院が発行する身分証明書だ。魔法使い証明書とか魔法使いカードとか縮めて魔法カードとかって言って、ここに書いてある魔法陣を読み込むと個人の資産データから会計分引落される仕組みになってる」

「なるほど。資産データっていうのは貯金みたいなものですか?」

「ちょっと違うな。貯金は個人の自由でやるかやらないか決めれるし全財産貯金してる奴なんていないだろ?資産データってのはその人の全財産をデータ化してあるもんで、魔法カードの支払いだったり、国が経済の管理をしやすくするために利用されてる」

「へぇーー」


聞く限りなかなかいい仕組みなのではないだろうか。民側としても国側としても便利になるし、身分証明の観点から治安維持にも一役買ってそうだ。魔法陣を個別に作ってそれを読み込むというのも革新的で、凄いことを考える人もいるもんだなぁ、と感心しながら歩いていると、前を歩いていたラズさんが急に立ち止まった。

考えながらと言えば聞こえはいいがその実ボーっとしながら歩いていた私はラズさんの背中に突っ込む。


「ふぺ」

「服屋も見てくぞ。当たり前だが俺の家には子供用のも女性用のもないからな」

「...それはわかりますけど、急に止まらないでください」

「ぼけっとしてたのわかってるからな。責任転嫁小娘はここか」

「いてっ」


完全に油断していたため割と痛かったので、自業自得なことは理解しながらもしれっと罪を擦り付けようとしたのだが、ラズさんにはお見通しだったようで不名誉な呼び名と供に軽くデコピンされた。

服屋の中に入ると、旅路でも見たような余所行きの服もあればラズさんが着ている様な如何にも魔法使いらしいローブやら帽子やらが売っていた。


「師匠、私も師匠みたいなローブ欲しいです!」

「子供用のはあるかわからんが...見てくか?」

「はい!」


ずっと憧れていた魔法使いらしい服装なんて胸が躍らない方がおかしいのだ。

小走りになりながら専用のコーナーに向かうと、ラズさんに「走るなよー」と注意されたがこのあたりに人がいないのは魔力感知で確認済みである。

脇目も振らずそれらしいコーナーに突撃した私の目に入ってきたのはいい意味で想像を裏切るものだった。

並べられたローブは何とも色とりどりで、中には店内に飾られている服と遜色ないほどオシャレなものまであった。

魔法使いのローブと言えば黒や紺を基調とした目立たないものばかりだと思っていたのだが、魔法使いのオシャレ文化は案外進んでいるらしく、黒や白のモノトーンの物は勿論、赤や黄色、緑と言った明るい色もあるようだ。色だけでなく装飾も凝ったものが多く、派手な色を基調としながらも下品に全くならないようなアクセントがあって見ているだけでも楽しい。


「案外小さいサイズもあるもんだな」


後ろから追いついたらしいラズさんが意外なように声を上げる。


「師匠の服が地味なのでてっきりローブはそういうデザインしかないのかと思ってました」

「地味で悪かったな。ローブのデザインが凝りだしたのは割と最近だぞ」

「そうなんですか?」

「最近になって女性の魔法使いが増えてきてな、『もっとオシャレしたい!』って需要が高まった結果がこれだ」

「なるほど」


心の中で勇気ある女性魔法使いの方々に親指を立てながら、よさそうなローブを探す。

余りに色とりどりだったため忘れていたが、ローブとはあくまで仕事着のようなものなので機能面は重視すべきだろう。

それに好みの問題と肌の関係から手触りがチクチクしているとどうしたって着ていられないので注意がいる。せっかくラズさんに買ってもらうのに着れないなんていう悲劇では絶対に避けたい。

そう思って掛けられたローブを触ってみると、どれも驚くほど滑らかな触り心地がして驚いた。


「...これ、どれも触り心地が良すぎるんですが、まさかとは思いますけど、とんでもない店に連れてきました?」

「ここいいだろ?俺のローブもここで買ったんだが、ここのは機能面も優れてるし肌触りもいい。それに保証までついてるから買ってから二年の間だったら破れたりシミが付いたりしても補修してくれるおまけつきだ」

「...あの、お値段はおいくら...?」

「まぁものによるけどざっと金貨二枚から五枚ぐらいじゃないか」


...聞き間違いだろうか。

この国の貨幣は特殊な例を除けば六種類ある。価値が低いものから銅貨、純銅貨、銀貨、純銀貨、金貨、純金貨である。銅貨は端数として扱われ、一般的な果物や野菜類は純銅貨で支払われる。大きかったり少し奮発したお肉は銀貨で、家族でいい所での外食や、ごちそうなんかは純銀貨で支払われ、金貨と言えば月に稼ぐ金額で何枚という代物である。

今ラズさんは服一着に一般的なひと月の給料日分を、それも私のために払おうとしているのだ。


「えっと...金貨って言いました?」

「あ、お前また気にしてんだろ。舐めてもらっちゃ困るぞ、何度も言うが金には困ってない。それにここのローブはかなりいい作りになってるからほぼ一生物だぞ」

「でも...」

「だからいいんだって。子供が金の事なんて気にすんな。それにお前が大人になる頃には俺と同じかそれ以上に稼いでると思うし、金銭感覚は俺のそれで合わせてしまっても何ら問題ないと思うが?」

「な、何を根拠に言ってるんですか!」

「この歳で魔獣バシバシ狩ってんだから当たり前だろうに。以南地区で狩ってた時にいくらもらってたかは知らんが、こっちでは魔獣一匹純銀貨一枚が相場だぞ」

「純銀貨一枚...」


なんと今までの十倍である。確かにその相場のところに来たのなら消費の感覚も十倍にしなければ釣り合わないのかもしれない。


―しれないけど、急にできるわけないじゃん......


飲み込もうにも飲み込めずにうーうー唸っていると「これとかどうだ?」と一着のローブを見せてくる。

ラズさんの手に提げられているのは純白に赤の差し色が入ったローブだった。袖や襟に邪魔にならない程度のレースがあしらわれていて何ともかわいらしい。食事の件もそうだがラズさんはどうにもセンスがいい。


「可愛いです。可愛いけど...」

「気に入ったならもう買っちまっていいか?」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「なんだ?よさそうなの見つけたのか?」

「いえ...そうじゃなくて」


スタスタと会計しに行こうとするラズさんを何とか止めたものの、言葉を濁す私にラズさんはスッと目を眇めた。


「言っておくが、買わないって選択肢はないぞ。これは半分仕事着みたいな物だし、一種の身分証明書みたいなもんだからな。お前が他に欲しいものがあるなら喜んでそっちを買うけど、特にないなら...そうだな、弟子記念としてこれを買う」

「...うーー。わ、わかりました、わかりましたよ!師匠の選んでくれたやつとっても可愛くて好みです!それでお願いします!」

「よろしい」


どちらにせよ買うというラズさんに完全に逃げ場を塞がれて、観念したように一息で言い切ると、ラズさんは満足したようにニヤリと笑いながら私の頭をぽふりと触って会計に向かった。




服屋でラズさんが選んでくれたローブと、ちゃかり普段着まで買ってもらってしまった私は、くまの両肩に荷物を下げて、それごと浮かしながら帰路についていた。


「あー、弟子」

「なんでしょう?」

「当たり前のようにやってるが...その...浮遊魔法ってめちゃめちゃに高位の魔法だぞ」

「え?」


非常に言いにくそうにラズさんは言う。

店内や道端で突き刺さる視線はあまりに大きいぬいぐるみではなく浮遊魔法に向いていたらしい。


「家に帰ったら...いや今日はもう疲れたし明日だな、明日魔法の基礎について教えるけど、ぶっちゃけお前、高位の魔法ガンガン使ってるからな」

「えっと...例えば?」

「魔力探知とか浮遊魔法、意外かもしれんが氷の魔法も高位中の高位魔法だ」

「氷魔法がですか?」

「あぁ。氷魔法は炎魔法を極めてないと使えないし、極めてたとしても適性がないと使えない」

「そうなんですか...」


魔力探知が高位魔法というのもなかなかに驚きだが、それよりも氷魔法についての衝撃が大きい。

氷魔法は魔獣狩りをする際に好んで使用していた。

他の魔法に比べて燃費がいい気がするし、何より発動地点が離れている場合でも発動しやすく、周囲への影響が少ないため私のスタイルとマッチしていたからである。

炎魔法は発動距離が開いていても問題なく行使できるものの、如何せん戦っている場所は森であるため一歩間違えば焼け野原になってしまう。風魔法は周囲への影響こそ少ないものの発動距離が開いていると制御が難しく威力も落ちる。一番酷いのは水魔法で、そもそも威力が弱く、風魔法と違い液体であるため加工するのが難しく、魔獣を殺すためにはそれなりの集中力と魔力が必要になる。

液体というのが一番厄介で、風魔法のようにテンションで使うと形を保てず殺傷力が落ちるし、氷魔法のように一度加工してしまえばいいわけではなく、形をキープさせるために意識を集中させ続けなければいけない。

水魔法は飲料水にしたり洗濯に使ったりと、汎用性が高く普段使いできる代わりに狩りには向かない、というのが長年の研究で私が出した答えだ。

一方で、氷魔法は一度整形してしまえば形が変わってしまうことがないし、鋭くつづらのように尖らせてしまえば少量の魔力でも十分な殺傷力を誇るので戦闘向きなイメージがある。それに固形であるため、比較的安定していて個人的には簡単な部類の魔法だと思っていたのだが、聞く限り全くそうではないらしい。

難しい魔法だというのは、まぁ...各々の感覚の違いもあるだろう。ただ一つラズさんの話と明らかに異なる点がある。


「あの、私、炎魔法を極めた記憶はないんですが...なんなら氷魔法や水魔法の方が使いやすいし、効率もいい気がします」

「なるほどな。まぁ氷魔法の適正は水魔法が得意なやつが持ってる場合が多いのは確かなんだよな。ただ水魔法を得意としながら炎魔法を極めなきゃいけないから難しいんだよ。氷魔法が高位に分類されてる一番の理由はここだろうな」

「それは...何というか、理不尽というか...」


要するに自分の畑で戦うことができないから難しいのだろう。


「炎魔法は苦手なのか?」


苦手かと言われればそうでもない。というか魔法の属性に得意不得意を感じることが少ない。使用用途に応じて使いやすいか否かがあるくらいで、自分の魔法で特に優れていると思う物も特に劣っていると思う物もない。


「いえ...苦手というわけではないですが」

「ならその程度の属性でも一般的には極めたの領域に入ってるか、また別ルートで開拓したかの二択だな」

「流石に極めたというのは無理があるかと」


一般的な基準をまるきり知らないため何とも言い難いが、極めたと言えるかと問われれば答えは否である。かといって別ルートで開拓というのも考えにくい。

首をかしげて考え込む私の横で同じようにしていたラズさんは、疲れたのか飽きたのか、投げやりな声で言った。


「まぁそれも含めて明日だな」

「明日...明日ですね!」


今日だけで同じ言葉を何度か聞いていたが、鮮やかな樺色の空が悪さをしたのかもしれない。

明日という言葉に、思わず口角が上がった。


明日も師匠といられる。

明日こそ魔法の事を知れる。

明日からは一人じゃない。


―頬を温める幸せには暫く慣れそうになかった。




家の扉を開けると、数時間前に見た惨状は跡形もなく消し去っていた。

改めてみると相当に広い。よくもまぁこの広い家を窮屈に見せていたものだと感嘆もとい呆れる。


「綺麗になりましたね」

「流石だな」

「...もしかして常連です?」

「......まぁ」


この際ため息は隠さないでもいいだろう。少々、いやかなりバツが悪そうに答えたラズさんは、私の責めるような視線に小さくなっている。そうやって小さくなれば廊下が狭くなったところで気にならなそうだ。


「私が来たからには常にピカピカにしますからね。部屋にゴミや書類を置いておくのを止めはしませんが、勝手に片付けるので紛失しても知りませんよ!」

「肝に銘じとく...っていうかお前が来たんだし流石の俺も片づけるぞ?当番制と場所で分担するの、どっちがいい?」

「いえ、家事は私がやる約束ですので」

「...いやいやいや。流石に任せっきりってのもどうなんだよ。いやダメだろ」


どうやら家事を任せるという条件をそれほど重く見積もっていなかったらしい。確かにこれを話したときは家事の事よりも別の事を気にしていた気がする。


「何がダメなんです?私は弟子入りするときに師匠に言ったじゃないですか。確か師匠は、勝手にしろとおっしゃった気がしますが」

「いや、言ったけどさぁ...」


尚も頭を抱えて唸っているラズさんに、こればかりは譲れないのでとどめを刺す事にした。


「師匠、家事をやるというのは師匠が出した条件ではありませんよ」

「...そうだな」

「師匠が私に家事をすることを条件にしたのではなく、私が師匠に家事をさせてもらうことを条件にしたんです。家事をさせていただけないのは約束の反故と同義ですよ師匠」


屁理屈ではあるが私にとってこれは筋の通った立派な反論だ。元々私はラズさんに貰った大恩を返すつもりでいたし、そのはけ口として家事をさせてくれと願ったのだ、一つとして嘘はついてないし誇張というわけでもない。

ラズさんの善性を逆手に取った形になるが、こればかりは素直に施されないラズさんが悪い。

ガキと食事に行くのに会計を分けるバカがいないなら、師匠の家に住まわせてもらっておきながら家事を分ける弟子もいないだろう。


「...生意気な......」

「生意気で構いません。それに私ほどの歳であれば生意気なぐらいが可愛いのです」


内容そのものにはぐうの音も出なくなったのか、ラズさんは恨めし気な声を上げる。

そういえば生意気と言われたのは初めてかも知れない。

近所では礼儀正しいで通っていたばっかりに新鮮な響きである。

どうやら私はラズさんの前では生意気になるらしい。何故かはわからないがラズさんには歯に着せる絹の在庫が切れている。といっても何でもかんでもというわけではなく、いうなれば『自分をよく見せよう』『悪く思われたくない』と言ったたぐいのものだけがまるきり入荷待ちなのである。

周りの空気を読んで、よく考えてから発言する普段の私からは考えられないことだが、私の晴れやかで軽やかな心中から察するに、此方の方が自然体なのかもしれない。


「はぁ...分かった、家事は仕事として全般お前に任せる。が、その分の小遣いは払わせろ。オズのケーキでも食ってこい」


ここまで言われてもタダでは食い下がらないらしい。

一瞬断ろうかとも思ったが、されっぱなしというのも男の矜持?が廃るのだろう。

それにオズのケーキは是非制覇したい所である。


「わかりました。それは有難く貰います」

「ん」


姿勢を正して深く腰を折りお礼を言うと、「こちらからもよろしく」とぺこりとお辞儀を返された。

お辞儀をするのは慣れていないのか、両手が前に来ているし、背が丸まっていたりで何とも締まりがないが、これはこれで可愛らしいので何も言わないでおく。

ラズさんが顔を上げると、取り繕ったつもりだったが顔に出ていたらしく、「なんだよ」と胡乱な目を向けてくるので「何でもないです」と誤魔化したがあまり効果はなかったらしい。


「今日は疲れただろうしもう寝ろ。家具はお前が見てたやつをざっと注文しといたから明日には届く。今日のところは―」

「待ってください!今なんて!?」

「ん?あぁ、お前家具屋でそれしか買わなかっただろ?結局買わずじまいだったから道中お前が見てた家具注文した。もしかして、他に欲しかった家具あったか?」

「いえ!十分ですからそれ以上は勘弁してください!!借りが清算できなくなります!ていうか現時点でほぼ無理ですからこれ以上増やさないでください!!」


寝ろと言いながら眠気を吹っ飛ばして来るのはどうなんだろうか。

届くまでわからないが、道中私が見ていた家具と言えば天蓋付きのベットやら椅子やら机だが、そのすべてが理解したくない桁だったので値札は視界に映さないようにしていた。

いや、しかしこの件に関しては私に大分非がある。

可愛すぎるくまのぬいぐるみに思考の大半を持っていかれ、満足して店を出てしまったのだから迂闊という他ない。

だからと言って眺めていた家具を一式買ってしまうのもどうかとは思うが。

まだ何か買い与えようとするラズさんを慌てて止めると、「遠慮しなくても大丈夫だぞ」などと言っているが大丈夫なわけがない。主に私の精神状況が。

一日の疲れがどっときてラズさんに最初に言おうとしていた事の続きを促すと、今日のところは俺は客用の布団で、お前は俺のベットで寝ろ、とのこと。

当然のことながら逆だろうと抗議したのだが、客用の布団はそこそこ薄く、私では腰を痛めるかもしれないと言われ、抗議する体力も残っていなかったためにしぶしぶ了承した。


「玄関から数えて二番目の部屋が俺の部屋な。疲れただろ、もう寝ろ」

「はーい。おやすみなさい...」


急激に眠気が襲ってきて、どうにかそれだけ返してふらつきながらもラズさんの部屋に入った。

視界にベットが入った途端、我慢できずにダイブするとフカフカでありながらも沈みすぎない極上の感触に包まれる。

片づけ業者がやったのか、キッチリ整えられた布団の中に入って口元まで引き上げるとほのかにラズさんの香りがした。

耳が良い代わりに人よりも鼻が利かない私だが、この香りは本当に落ち着くという事だけは言わせてもらおうか。結局香りの事については何一つわかっていないが、落ち着くものは落ち着くのだ。

どうやら部屋の電気は入り口で操作するらしく、ベットの魔力に絡めとられてしまった私では最早どうすることもできない。

幸い今の眠気は部屋の明るさなど気にならないほどなのでこのまま寝てしまおうと思っていると、扉を開けっぱなしにしていたからか、入り口からひょっこりとラズさんが様子をうかがってきた。


「電気消してもいいのかー?」

「お願いします...」


自分がどれだけ喋れたのかすら全く分からなかったが、少し間を開けて電気が消えたので概ね意味は伝わったらしい。


「ししょー」

「ん-?」

「おやすみなさい」


最後にどうしても言いたくなって、本日二回目となる睡眠のあいさつをすると、ラズさんはふふっと笑った後「おやすみ」と返してくれた。




意識がゆっくりと浮上してきて、布団の温かさと落ち着く匂いをまどろみながら堪能していると、何やら大きくて重いものがゆっくりと置かれたような音が聞こえてきた。

音というより振動に近いそれは気遣いの色に満ち満ちている。

私は幼いころから聴覚過敏だった。

幼いころは家の前を通る馬車の音や、家族が階段を上る音なんかに過剰に反応して中々寝付けなかったらしい。特に同じような音の繰り返しが苦手で、ずっと聞いていると責められているような気分になって気持ち悪くなる。

加えて私は共感覚というものを持っていた。

物心ついた時からそうだったので、それが当たり前だと思っていたのだが、文章に色がついて見えるのは普通ではないらしく、書斎にあった本によれば、これは共感覚というらしい。

何の因果か、この聴覚過敏と共感覚が結びついてしまったらしく、私には”色が聞こえる”という風変わりな特性があった。

人が発する音に色が乗って聞こえるのだ。これによってその人がどのような感情を持っているのかザックリわかるし、大方良い人か悪い人かもわかる。そもそも聴覚過敏で聞こえる範囲が広いため、悪い音を発する人はあらかじめ避けることもできる。

私の人生に悪い人はほとんどいないというのは全くもって嘘ではないが、その実、私が端から篩にかけていた節はある。

そんなわけで色々とわかってしまう私だが、恐らくラズさんが私の事を気遣ってくれているであろう音が聞こえてきて、朝からにまにましていた。

初めて会った時からびびっと来るものがあったのだが、一日行動を共にしてみるとそれが間違っていないことがよくよく分かった。

ラズさんの音はいつだって気遣いに満ちているし、浅慮な部分がほとんどない。周りをよく見る視野の広さとそれについて考える思慮深さのどちらも備えていなければあのような色にはならないのだ。

その癖表面上の言動はつっけんどんな所があるので、なんというか、深い、というのだろうか。味のある人間だなと思う。

ラズさんの事を考えていると余計に降格が上がっていくのだが、このままにまにまし続けるわけにもいかないので、名残惜しいもののズルズルとベットから這い出る。

今日は早めに起きて師匠に朝ごはんを作ろうと思っていたのだがどうやら出遅れたようだ。昼ご飯こそは腕によりをかけて作ろうと、そこまで考えたところで、果たしてラズさんの冷蔵庫には調理できるようなものが入っているのか、という問題に突き当たった。

ないなら買いに行かなきゃと思い、音のした部屋をのぞくと、ラズさんが浮遊魔法を使って家具を配置しているところだった。


「起きたか」

「おはようございます」

「ん、おはよう」


足音を殺してこっそり行ったつもりだったが筒抜けだったらしく、ラズさんは肩越しにこちらを見て挨拶してきた。

案外几帳面に配置された家具や、ラズさんによってふわふわと浮かされている家具はやはり家具屋で私が目を奪われてたもので、どれも可愛い。

昨日こそ突然のカミングアウトで詰め寄ってしまったが、私は何か施されたら基本的には素直に喜ぶようにしている。相手は善意でしてくれているのだから、それは素直に受け取り、その善意にはまた別の形で返すのが私の流儀だ。


「家具、本当にどれも可愛いです。ありがとうございます」

「...気にすんな。俺は女子が好きなものとかよくわからんけどお前は顔に出てて助かる」


―ラズさんは素直じゃないみたいです。


むくれていると「そういうところだぞ」とラズさんはけらけら笑う。なんともいたたまれなくなって「今、何時ですか?」と話を逸らした。


「あー、二時頃だと思うが」

「えっと...お昼ご飯は?」

「作業してたら時間感覚吹っ飛んでたわ」


昨日は比較的早く寝たというのに、もうお昼の時間を回ってしまっているようだ。どうやら一日のうち四分の三ほど寝ていたらしい。

当たり前のようにご飯を食べていないラズさんだが想定の範囲内である。

この人の生活力のなさは情けない程雄弁に垂れ流されいるため、どうせそんなことだろうと思っていた。ただ自分の過眠症がここまでとは思わず不覚にも二食抜かしてしまったのが悔しい所だ。

自分が来たからには不摂生はさせないと誓ったのだが、現実はそううまくいかないらしい。


「今からでも食べますか?今日は私が寝坊したのも悪いので師匠に任せます」

「ん-、軽い軽食だけってできるか?夕飯までの時間、魔法教えたいから、その間ぶっ倒れないぐらいのがいいかな」

「わかりました」


どうやら早速魔法を教えてくれるらしい。確かに魔法を教わるなら私も軽食くらいは食べておきたい所である。

少し考えた後に提案したラズさんに、了承を伝えると「助かる」と少し笑った後、思い出したように声を上げた。


「そういえば、食料は適当に注文しといたから冷蔵庫の中に入ってるもの好きに使ってくれ」

「わかりました。嫌いなものはありますか?」

「んー、パンが得意じゃないのと、野菜も味が濃かったり煮込まれてたりしないとちょっと嫌」

「了解です」


パンと野菜が食べれないとなると、食べられるものがかなり減ると思うのだが、どうしていたんだろうか。野菜は言い方から考えるに、あれば食べるけどないほうがいいと言ったところだろうか。これはなかなかに腕のなる案件である。

気合いを入れながらキッチンに入ると、そこには人が三人ほど入ってしまいそうな大きさのハコがあった。たぶん冷蔵庫だろう。

確かに家にある調度品は素人目からしてもよさそうなものがそろっていたし、冷蔵庫がこの大きさでも何ら違和感はない。...ただこの妙な予感は何だろうか。

私は拭い難い悪寒を背に感じながらそっと冷蔵庫の扉を開いた。


「わぁー...」


開けたのは一番上。

肉関係の物が入っている場所らしく、中には肉や卵がぎっしり詰まっている。

そこまでは私も予想していた。不経済のラズさんが適当に注文したのだから不思議はない。納得や許容とはまた別の話だが。

しかし、部屋の明かりを浴びてキラキラと光るほどに入っているサシについては聞いてない。牛肉には全体にこれでもかとサシが入っているし、豚肉の脂身は素人でもわかるほど綺麗だ。鶏肉ばっかりは見た目の差異は少ないものの、真空されて梱包されている時点で中の物の価値はお察しだろう。中段にでかでかと鎮座している肉と、保存容器に書かれた「わいばーん」という文字は見なかったことにする。

...いよいよラズさんがどのようなことをしてどれだけ稼いでるのか本気で気になってきた。

...成程、肉料理に関しては私の腕がどうこうはあまり関係なさそうである。

ならば!と意気消沈しかけた己に鞭を打って野菜室であろう二段目を開く。

恐る恐る中をのぞくと色艶はいいものの、ごくありふれた野菜たちが乱雑に詰め込まれていた。上段との差異が気になるものの、同じように高級品が詰められていても困るので、及第点だろうか。

本人の言葉通り、野菜は好まないというのが如実に表れていて少し笑ってしまった。

さて、中身も確認した所で、いよいよ献立を決めていくところだが、これがなかなか難しい。

軽食という事でサンドイッチでも作ろうかと思ったが、パンが食べられないそうなので断念した。となるとお米を使って作るわけだが、どうしたって重くなってしまいそうだ。

悩むこと五分。結局チャーハンと中華スープを作ることにした。

というのもラズさんの調理器具を確認した所、フライパンや鍋は勿論の事、何故か中華なべや圧力鍋までそろっていたからである。折角なら有効活用しようと思っての事だ。

一段目に入っていた極厚のベーコンを角切りにし、できるだけ小さめに切ったネギと一緒にボウルに入れておく。

中華鍋を炎魔法で熱々に熱したら、多めの油を入れて少し温めたのち、卵を入れさっと卵を揚げる。余り間を置かずお米を入れ、お米の周りを卵がまんべんなくコーティングするまで炒めたら、ボウルの中身を入れる。適度に火が入ったのを確認して、最後に塩コショウ、オイスターソースを入れ味を調えたら出来上がりだ。

自分で料理をするのは実家にいた時ぶりだったので、鍋を振った手首が若干痛い。

これからはラズさんに食べてもらうものを作るのだから鍛えなおさなければ。


「ししょー?できましたよー」


さくっとスープも作って、お盆に乗せ、リビングにもっていってラズさんを呼ぶと、「あーい」と返事が返っていた。のそりのそりとリビングに入ってきたラズさんは、部屋の模様替えどころか一から家具を置いていったわけだが汗一つ掻いていない。

つくづく魔法は便利である。


「簡単なものですけど、どうぞ」

「おー、めっちゃ美味そう。もしかして結構得意?」

「そりゃ、自分から提案するぐらいですし出来なくはないですよ?簡単なものしか作れませんが」

「さっきも思ったがこれも簡単な部類なんだな...。いただきます」

「いただきます」


正面に座ったラズさんはチャーハンを見るなり、目をキラキラと輝かせている。

特別手間をかけたわけでもないので、これでそんなに喜んでくれるなら別の意味で腕が鳴るかもしれない。一口掬って口に運んだラズさんは、クワっと目を開いた後、少し仰け反った。


「うまぁ...」


しみじみ呟くラズさんに思わず笑ってしまう。


「あの、そんなにです?」

「ぶっちゃけ久々にまともなもの食った」

「はぁ」


何というか。本当にここまでどうやって生きてきたんだろうか。


「逆に何食べてたんですか?」

「なんか、すぐ食べれるゼリーみたいなやつ」

「あの...いや、もう私が作りますしいいですけど...」

「うん、まじで頼む」


ゼリーだけ食べていてなぜ生きているのか甚だ疑問ではあるものの、この町の事だし魔法パワーでもあるんだろう。呆れることに変わりないが、便利なものもあるものだ。

子犬のように懇願してくるラズさんに、最早謙遜で下げることすら憚られて「任せてください」とつい言ってしまった。

途端に尻尾を振ってくるので、ギャップでコロリといってしまいそうだ。

目を閉じて噛み締めるように咀嚼し「マジでうめぇ」と繰り返すラズさんにどうも居心地が悪くなる。


「ご馳走様」

「お、お粗末様です」


ラズさんがスプーンを入れたのはほんの数分前だった気がするのだが、お皿はすでに空っぽだった。

まるで魔法のように一瞬で食べてしまったわけだが、この際本当に魔法なのかもしれない。

結局私はラズさんから相当遅れて食べ終わる事となった。




「さて、魔法のお勉強といきますか」


昼食を食べ終わり、満足げな顔をしているラズさんが言った。

漸く、と言っても出会ってからまだ二日目なわけだが、魔法を教えてくれるらしい。


「待ってました!」

「まぁ、今日は軽いテストとお前が使ってるソレの実態調査ってとこかな」


思わず身を乗り出して食い気味に答えてしまったが、ラズさんは特に気にした様子もなく、あくまで淡々としている。

自分の魔力を測った時もそうだったが、テストと言われると若干緊張する。ただ、緊張はするものの恐怖や不安はない。

仮に自分の魔法が未熟で拙かったとしても、これから少しずつ成長すればいいだけの話である。それに例え私が未熟者でもラズさんは私を見限ったりはしないだろう。師匠というからには何とかしてもらいたいところだし、なによりラズさんはそんな人ではない。

自分の感情を整理していると、俄然わくわくしてきて、更に身を乗り出しながら口を開く。


「テストって何ですか?」

「まぁ魔力をどこまで感知できるのかっていう計測かな?」

「感知...魔力感知の半径なら割と細かく把握してますよ?」


私が身を乗り出した分キッチリ距離を取ったラズさんは、詳細な説明をせずにぼかして答えた。

魔力感知の半径なら、細かく相手の力量までわかるラインが半径五百メートル、いるかどうか程度なら半径二・五キロ程度だったと思う。

毎日限界のラインに集中してじりじりと伸ばしているので今はもう少し伸びているかもしれないが。


「いや、距離じゃなくて、量とか質だな」

「あー...」


それは、まぁ、ぶっちゃけ自信がない。

森で狩りをしていた時も、赤毛の比較的強い熊型の魔獣だと思っていて、いざ目に入ったら青毛の比較的弱い熊型の魔獣だった、なんてことはザラにあった。量と質のどちらが苦手で、読み間違えているのかわからないが、この際どちらも苦手、なんてこともありそうだ。


「ま、まぁやってみないとわからないですよね?」

「なんだ、苦手か?」

「...多分?」


正直一般のラインがわからないので多分としか言いようがない。得手不得手は比較する対象がなければ、自分の得意不得意なのか単純にそれの難易度が高いのか判別できない。

恐らく酷く微妙な顔をして答えた私にラズさんは「ま、お前の言う通りやってみないとわからんな」と両手を上げて降参のポーズをとった。




ラズさんに連れられてきたのはラズ邸の庭である。広々とした庭は、私が来る前の部屋よりも綺麗に整えられているのは何故だろうか。


「よし、じゃあ今から俺が魔力を集めていくから感知できなくなったらストップって言ってくれ」

「わかりました」


どうやら広い庭に来たのはいいものの、走ったり飛んだり跳ねたりするわけではなさそうだ。

こちらに来てからろくに運動していないのでそろそろ体がムズムズしてきたのだが、ラズさんに言えばここらの運動場でも連れて行ってくれるだろうか。

といっても最初から運動する予定もなかったので不満も落胆もなく、ラズさんから告げられた試験内容をかみ砕いた。

言わば視力検査と同じようなものだろう。


ラズさんが人差し指をピンと立て「じゃあ、行くぞ」と言うと、その指に少しずつ魔力が集まっていく。

何となくわかっていたが、どうやらラズさんは相当に優秀な魔法使いらしく、細かく、そして一定の速度で魔力を集めている。どちらも私基準では、非常に繊細かつ技術的な要素であり、私はその練習をした後はきまって山に高威力の炎魔法を撃ち、ストレスを発散させていた程である。

暫く、いやかなりの時間そうしてラズさんの最早芸術と言える程の魔力操作を見ていると、ラズさんが「まだまだ余裕か?」と聞いてきた。

此方としては、こんなに長い時間、繊細に魔力を扱い続けているラズさんこそどうなんだと思わなくもないが、特に変わらないようでナニヨリである。

...いや変化ならある。

最初は両足に体重をかけていたのが、今は片足に体重をかけ、少し疲れていると見えなくもない。

尤も、ラズさんの不摂生ぶりを見るに魔力操作で疲れたわけではなくシンプルな肉体疲労だろうが。


「あの、座りません?」

「......なんか悔しいんだけど」

「惨めに思うなら日頃から運動したらどうです?私、運動好きですから付き合いますよ。というか私が運動したいので付き合ってください」

「...考えとく」


提案するなり苦虫を頬張ってよく味わったような顔になったラズさんだったが、考えとくと言った声には多分に前向きな色が混ざっていて、ラズさんの偏屈さを再認識した。

どかっと不貞腐れたように座り込むラズさんだが、その座り込む音からも、それがあくまでポーズだという事がわかるので何ともかわいらしい事である。


「んで、まだまだ感知できるんだな?」

「そうですね、というか魔力って高すぎると感知できなくなるんですね。初めて知りました」

「一般的にはそう...いや、やらかしたな」

「はい?」


半ば強引に話を変えたラズさんだが、何故か眉に皺を寄せながら髪をかき上げている。

うーん、かっこいい。


「いや、一般なんてのがお前に当てはまるわけないんだよな。お前にはそもそも高魔力過ぎて感知できないって状況が存在しないかもしれないのに。一般をお前に当てはめるのはまずいな」

「ええっと、まだわからないですよ?もしかしたら急に分からなくなるかもしれないですし...あ、今、大分ゆっくり上げてるのを早めたらどうです?細かい計測は後でやるとして、一旦私の上限があるかだけ確かめる感じで」


我ながら中々にいい案ではないか。というか最初から二段階で計測したほうが手っ取り早い気がするのだが、まぁそこは上限がある前提で設計されているのだろう。


「それいいな。てか今お前ゆっくりつった?」

「えっと?はい...?」

「...成程ね。なるほど。ナルホド」


ラズさんは何故か同じ言葉を三度も繰り返し、どこか遠くを見るような目になった。最後に至っては片言である。

ラズさんは時たまおかしな言動をする。


「じゃあ、俺の限界値基準で早めに増やしていくから。一応反応できなくなったら言ってくれ」

「わかりました」


私が了承するなり、今までとは比べ物にならないスピードで魔力が集まっていく。

魔力の流れが風のように肌を擽る感触が楽しい。それこそ鬱憤晴らしに放つ特大魔法を作っているときのような感覚は、実は懐かしかったりする。

今でこそ言えるが、ラズさんに見つけてもらう一か月程前から、心が壊死していて楽しいやめんどくさいといった感情は薄れていた。

当時の私の心の内は魔法使いを見つけたいという渇望と叶わない焦燥、ベットに入ると訪れる僅かばかりの安堵がほとんどを占めていた。

昔を思い出している間にもラズさんはガンガン魔力を集めている。対して私は魔力を感じ取れなくなるどころか、危険信号がおでこの辺りでチリチリと疼くのだからどうしたものか。

本能が逃げろとサインを出す中、ふわ、と食後の眠気に襲われてあくびをするとラズさんが困ったようにこちらを見ている。


「えー、一応一般人が触れたら即死するぐらいには集めてるんだが。...お変わりないようでナニヨリ」

「いえ、おでこの辺りがチリチリしますし、先ほどから生存本能が逃げろと言っている気がしますが」

「そんなのはもっともっと前から感じてくれ...」


とても呆れたような顔をするのをやめてほしい。これが実力不足ゆえなら精進しようと奮起するまでだが、この状況だとひたすらにいたたまれない。

というかラズさんの集めている魔力がそろそろ本当に危なくなってきた。

魔力を集めているだけで、魔法は使っていないので実際の実際の質量は持たないが、魔力が集まりすぎると仮想の質量とでもいうべきものが発生する事を、森の木々を丸っと飲み込むことで覚えた。

ほんの出来心からやったことだったが、少し先も見えないような木の生い茂る森が一瞬にして見渡す限りの平地になったのだから、当時の焦り用と言ったらない。

目前の魔力はその時の魔力量にあと少しで届きそうな程密集している。...いよいよ本当にまずい。


「あの!師匠!それ以上やると危ないですよ!!」

「わかってるよ。その前に止めるから」


自分でも驚くほど焦った声が出たが、ラズさんは余裕そうだ。本当にわかっているのだろうか。もしかしたらラズさんは仮想のブラックホールを作ったことがないのではないだろうか。万が一あれが出来てしまえばラズ邸は勿論の事、オズやショッピングモール、もしかしたら魔法院まで飲み込んでしまうかもしれない。

頭でグルグルと考えている間にも魔力は集まっていき、もうアレが出来てしまうほんの少し手前である。

ここで躊躇って悲劇を起こしたくはない。正直アレを人里で使ってしまえば人命の保証はない。

私は「すみません!失礼します!」と言って、ラズさんの人差し指をぎゅっと握った。

たちまち周囲を飲み込みかねない悲劇の種は萎んでいき、人差し指を立てるラズさんと、それを握る私というどこか滑稽な絵面だけが残った。


「は?」

「えっと、すみません師匠。経験上、あれ以上やるととっても凄いことになりそうだったので...」


呆然としているラズさんに何とか謝罪と真っ当な言い訳を試みるが最後の方は尻すぼみになってしまった。愕然とこちらを見てくるラズさんに、流石に怒られるかとギュッと目を閉じる。


「いや、確かにあのまま行けば辺り一帯更地だろうが...その前にお前、何した?」

「何...というと?」

「俺の魔力を相殺しただろ?どうやった」


...怒っているわけではないようだ。

少なくとも私の耳はそう結論付けている。ただしそれ以外の全ての情報が、ラズさんが怒っている事を示すので怖いことこの上ない。

もしかしたら魔力を相殺するのは何らかのタブーだったのか。いや、言い方から考えるに秘匿されている様な情報なのか。いずれにしても問い詰められる様な事ではあるらしい。


「えっとですね。こう、魔力が集まると、ありえないはずなんですけど、魔力の質量みたいなのが生まれるじゃないですか。私、昔にそれを試して、辺り一帯を更地にしまして。多分質量が大きすぎて疑似的なブラックホールが出来て、それが結果的に吸引っていうあの現象になるって思って。で、今師匠が同じようなことをしようとしてたので、今度はその逆...ホワイトホールみたいなので相殺しました。イメージした性質は、魔力の吸収と質量の発散です」


どうやったと言われてもそんなに小難しいことはしていない。

魔法で魔力と対消滅するような、いうなれば反魔力というような物を作ってそれを同量集めただけだ。

この物質のイメージが上手く整わなかったが故に、少し先の実現したい現象からイメージを逆算したのが未熟な点だろうか。ここを一発で想像できるようになれば瞬時に相殺できるのだが。まだまだ修行不足である。


「......あー。理論としては分かったわ。出来るかどうかもこの際置いておく...っていうかお前相手にはマジで常識当てはまらないからその体でいくわ」

「わ、わかりました?」


何と返したらいいかわからず、語尾も疑問形になってしまった。


「今回のでわかったことが二つと、念のため説明しておくことが一つある」

「は、はい」


これで、お前は礼儀知らずや考えなしと言われれば平謝りコースになるが果たしてどうだろうか。先刻のわくわくはどこへやら。すっかり叱られる前の子供と化して、少々怯えながら判決を待った。


「まず一つ目だけど、お前さ、とんでもない奴だわ」

「それは...礼儀知らずっていう...」


顔から血の気が引いていくのがわかる。やはり目上の人の魔力を消してはいけないというようなルールでもあるのだろう。この場合マナーかもしれないが、どちらであろうと重罪に変わりない。ラズさんは魔力が低かろうと、魔法が拙かろうと見放さないでくれるという確信があったが、ルールかマナーかを守れない人間にはその限りではないのかもしれない。

まだラズさんから離れたくない。学び代としてはあまりに高すぎる。

つい目の縁に涙が溜まっていくが、それを見たラズさんは「いやいや!そうじゃなくて!」と焦っている。


「そうじゃなくて、魔法使いとして優秀すぎるって意味だ。...ああもうなんで泣くんだ。言い方が悪かったよ」

「いやっ、そうじゃなくて、師匠に何か変なこと、したかなってっ。見限られたかなってっ」

「あぁ悪かった悪かった。こっちとしてもとんでもない事...いや、凄いことな?凄い事されたもんだから理解すんのに必死で...。それに俺は見限ったりしないから。な?」


頑張って堪えようとしたものの、安堵からかあっけなく涙腺は崩壊して、気づけば幼い子供のように泣きじゃくっていた。それ程までに私にとって、孤独な今までは辛く、ラズさんと居たこのあっけない程に短い時間はかけがえのないものだったらしい。

暫くオロオロとしていたラズさんだったが、あんまりにも私がぽろぽろと泣いて居るのを見て、ぎこちないながらも頭をなでてくれた。

いつぶりかも分からないほどに久しいこの感触は、それまで嵐のように荒れていた私の心を少しづつ、少しづつ落ち着かせていった。




翌日の早朝、ベットで目を醒ました私は着替えた後、ラズさんの朝ごはんを作る為にキッチンに来ていた。

考えていることは言わずもがな昨日の事である。

昨日については反省することがあまりに多すぎた。

まず一つは朝の寝坊である。

昔から仮眠気味ではあったのだが、ラズさんに助けられたあの日からというもの、病院でもここでもひたすらに寝ている気がする。

いよいよラズさんと暮らすことになったのだし、ラズさんの生活を向上させるためにも、私がだらしなくてどうするのだ。そろそろ切り替えなければいけない。

二つ目はラズさんの魔法の相殺の件だ。正確に言うと魔力の相殺か。

そもそもルールやマナー以前に、あれは危険だった可能性がある。私の魔法についてはまだ何もわかっていないわけだし、正規の魔法と組み合わせて危険がないかと言われればその証拠はどこにもない。私が今いるのは人里離れた危険な森の奥ではなく、活気にあふれた街なのだ。考えなしに私の魔法を使ってうっかりミスでもすれば、森の中のように”やってしまった”では済まない。

それに魔法使いとしてラズさんが非常に優秀なことは見て分かっていたのだから差し出がましい事をしたのも反省するべきだろう。ラズさんが「大丈夫」というなら大丈夫なのだ。むしろ私が介入することで状況が悪化した可能性まであるわけで、本当に何ともなくてよかった。

三つ目は...わんわんと子供のように泣いてしまったことだ。

日を置いて考えれば、自分でも何故あんなにも泣いてしまったのかよくわからない。確かに怒られるのは怖かったが、その感情は泣いてしまう程ではなく、全く別の感情由来で泣いてしまった。

あの時、何より私の感情を揺らがせたのは何だっただろうか。


私はもやもやと考えながら、冷蔵庫を開けた。

あまり重くなりすぎないように、魚や卵を中心にメニューを決め、無駄に豊富な調理器具を引っ張り出してさっと水洗いした後せっせと作り始める。

コンロの下には魚用のグリルが付いていたのでそこに薄く塩を揉んだ魚を入れて焼く。

冷蔵庫には油揚げと豆腐が入っていて、どちらをみそ汁の具にしようかと悩んだ結果、どちらも捨て難かったので両方入れることにした。

卵焼きは先にアルコールを飛ばしておいた味醂とはちみつを溶かした卵液を最初に焼いて巻き、次に出汁を混ぜた卵液で包み込むように巻く。こうすると出汁の中から上品な甘みが出る、というのは確かいつかに泊まった宿で聞いた方法だ。

この味醂の層と出汁の層を逆にしてしまうと焦げやすくなってしまうから注意するようにと念入りに言われた記憶がある。初めて作ったのでうまくできているか味見して確かめると、舌に出汁の風味が広がった所に後から上品な甘みが来て、自分で言うのもなんだが、かなりおいしくできている。

因みに作ったのは三人前だ。

昨日の昼で学んだことだがラズさんはかなりの量をかなりのペースで食べる。

対して私は量こそ食べられるが、食べるペースはゆっくりだし、量も食べられるというだけで、少量で事足りるので普段からたくさん食べるわけではない。

ラズさんは食べ終わった後、特に何するでもなく、ボケっと私の食事風景を見ているので本当にいたたまれないのだ。

なので量を出して何とか同時に食べ終わろうという作戦である。

出来た料理を少し苦労してテーブルに並べた後、ラズさんを起こしに行くため部屋に向かった。

昨日ギャン泣きした上に、挙句の果てにはそのまま寝落ちてしまったので、恐らく部屋まで運んでもらった手前、気まずさが肩を重くしているが、早くしないとご飯が冷めてしまうので意を決してコンコンと扉をノックした。


「師匠、朝ですよー。朝ごはん作ったので起きてください」


声をかけても中からの返事はない。それどころか身じろぎした音さえ聞こえないので「ししょー?」と大きな声を出してみる。

......本当に全く音が聞こえない。寝がえりは勿論、手足を動かしていても衣擦れの音が聞こえるはずなので、何も聞こえないという事は本当に全く動いてないのだろう。

このままでは埒が明かない気がひしひしとして「入りますよー?」と近所に迷惑にならないギリギリの声量で警告し、反応がなかったので了承とみなして中に入った。


中は部屋かと疑いたくなるほどの殺風景で、寝るためのベットと机、クローゼットしか家具がない。確かここに来た時にすべての部屋を確認したはずだが、どの部屋もゴミにまみれていたので、この部屋は家具がこれだけなのにも関わらず足場もない程に汚れていたことになる。本当に何をどうしたらああなってしまうのか分からない。

件の男性に恨めし気な目を向けると、当の本人は人が入ってきたのも構わずにすよすよと寝ている。無防備な顔で眠っているところを見ると、普段は隈があったり鋭い目つきで減点されているものの、ラズさんはやはり絶世の美男子である事を認識する。

肌はシミどころか毛穴すら見えないし、鼻は高く整っていて羨ましい。ずっと見ていると少々恨めしくなってきて、鼻を軽くつまんで、「師匠、朝ですよ」と声をかけると、声以下の音を鳴らして寝返りを打った。寝起きは悪いらしい。

肩をつかんで遠慮なくゆさゆさと揺らすと、ようやく意識が浮上してきたのか薄く瞼が上がる。


「ん...ガブ...?」

「師匠!朝ですって!ご飯冷めちゃいます!」


尚もむにゃむにゃと微睡んでいるラズさんのほっぺたをぴしゃりと挟んで起こすと、漸くのその体を起こした。


「あー...おはよう」

「おはようございます師匠。昨日はご迷惑をかけてごめんなさい。朝ごはん出来てますので身支度したらリビングに来てくださいね。私は温めなおしておきますので」

「ありがとう。その...もう大丈夫なのか?」


心配そうな視線がむしろ痛い。

完全に此方が悪い上に、早とちりして年甲斐もなくわんわんと泣いたのだ。恥ずかしいなんてものではない。


「はい...あの急に泣いてしまってごめんなさい。私は本当に何でもないので...」

「ならいいんだ。その...こちらこそすまん。言い方が悪かったというか―」

「いえいえいえ!本当に今回の件は私が悪んです!曲解したのも私ですし!」


心底ほっとしたように言い、しまいには謝ってくるのだからたまったものではない。

慌てて弁解する私にラズさんは困ったように笑って「次は俺も気を付けるから」と頭に手をぽんと置いた。


―正直心臓に悪い。




ラズさんを起こすことに成功した私はラズさんと供に食卓に着いた。


「朝からこんな贅沢していいのか...」

「ちょっと待ってくださいね。温めなおすので」


前回に続いて今回もやや過剰に喜んでいるラズさんはいったん無視して、並べられた料理に意識を向ける。

使うのは炎魔法、だが炎は出さない。あくまで温める事が目的なため、イメージするのは物質を構成する電子の振動である。

少しの間そのままでいると、料理から湯気が上がってきた。あまり熱すぎても食べるのに苦労するのでここらでやめておく。


「そんな事まで出来んだな」

「これは結構練習しましたね。ちょっと気を抜くと炎が出ちゃって丸焦げですし」

「...まぁ言いたいことは山ほどあるが飯の前だ。今は食材とお前の努力に感謝だけしとくわ」

「師匠に褒めてもらえるなら頑張った甲斐ありです」


頂きますと言って、まずは魚に箸をつけると、想定していたものよりも身が柔らかく、箸でつついただけでほろりと崩れてしまった。一口大にしたものに醤油を垂らすと身に脂がのっているのかそのほとんどを弾いてしまう。それでも幾分かは染みただろうと余り気にせずに口に運ぶと、想像通り身には脂がのっていて魚の脂由来の甘みが強い。やはり見た目よりも染みている醤油がそれと混じって甘じょっぱくなっていて非常にご飯が進む。魚の身の淡白さが食べ進める箸に重りをつけないのでつい夢中になって食べていると、正面から苦しげな声が聞こえた。

胸をバシバシ叩いているところを見るに詰まらせたのだろう。そういえばお茶を注ぐのを忘れていた。

最悪味噌汁で流してもらえればいいのだが、尚も胸を叩いている彼にはその選択肢は見えてなさそうだ。


「師匠、上向いて口開けてください」


怪訝な顔をするものの黙って従うラズさんがちょっとかわいい。もっとも、苦しくて喋れないだけではあるが。

ぽっかりと開けられた口に水魔法で作った一口分の水を流し込む。というかラズさんも魔法使いなのだから同じようにすればいいものを何故バタバタと苦しんでいたんだろうか。


「助かっ...た?」


何故か疑問形で呟いているが聞きたいのはこちらである。

疑問から驚愕、畏怖、最後に呆れを滲ませたラズさんは残っていたご飯を一瞬で平らげて「食べ終わったら授業だな」とにっこり笑った。

笑っているはずの顔は酷く冷えて見えた。




ご飯を食べた後はラズさんの部屋に連行された。腕を取られたわけでも、圧をかけられたわけでもないのだが、後ろからついてくるラズさんの雰囲気が嫌に怖い。


「さてと。話したいことは山ほどある。まずは昨日話したかった事。そんでさっきの件。最後に一般的な魔法の事について話す」

「はい」

「じゃあ昨日言いたかったことだけど、お前のソレは正確に言うと魔法ではないかもしれない」

「え?」


薄々可能性を感じてはいたが、それなら私の能力は何なのだろうか。


「俺たちの使う魔法ってのは、式を立てて発動するんだ」

「式?」

「そう。発動したい魔法によってその式の中身をちょっとずつ変えて使うんだよ。式は頭の中で組み立てるんだけど、他のこと考えてたり、集中してなかったりすると上手く発動しないんだ」

「成程」

「で、式、立ててる?」

「全く?」


式なんて考えたこともなかった。というか最初に使った時が感覚的なものだったから、そこから何とか体に流れてる魔力の流れを把握して...といった具合だ。

やはりこの場合は全く別物なんだろうか。いやまだ私がなんの知識もなかったが故の、原始的な魔法を使っているというだけかもしれない。


「じゃあやっぱり別物かな」

「あの...師匠たちが使う魔法の進化前...というか、未発達なだけという可能性は―」

「ないな」


一縷の望みをかけての問いはぴしゃりと否定される。


「ぶっちゃけ現代魔法の課題は式の省略なんだよ。それをすっ飛ばしてるお前のソレは魔法の完成形か全く別の何かだけど、どれだけ省略しようと式がゼロになることはないから全く別の物で考えた方が妥当だな」

「そうですか...」

「まぁ後で詳しい奴に聞きに行こうか」

「わかりました」

「落ち込んでる?」


正直ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ落ち込みはした。

元々は自分の同類を求めて始めた旅だったわけで、私のこれが魔法じゃないという事実はほんの少しだけ気分に影を差す。

けどほんの少しだ。

もっと本質的なことを考えれば、私は自分と全く同じ能力を持った人間に固執していたわけではなく、私と同じような、いわば”魔法のような”ことができる人間を探していたわけで。


「そうですね。師匠とおそろいじゃないのは残念ですよ?」

「何ともないようで何よりです」

「ししょー、照れなくてもいいんですよー?」

「うぜぇ」


本当に強い言葉を投げられた割に私になんのダメージもないのが面白い。やはりラズさんは素直じゃない、とこの流れでいってしまうのは流石に卑怯だろうか。


「じゃあその件は後で聞くとして、えっと...確か、説明しておくことがあるんでしたっけ?」

「あぁ。お前は昨日俺の魔力を相殺しただろ?」

「はい...」

「いや、責めようってんじゃなくてな?」


つい眉が下がってしまった私にすかさずフォローを入れてくる。


「まぁ危なかったから止めたんだと思うんだけど合ってる?」

「合ってます」


一度森を更地にしているので危険性は骨身に染みている。


「まぁ、あの時点で止めたのは賢明だよ。それこそ一握りの魔法使いしかあの場で動く事は出来なかったと思うし」

「えっと...ありがとうございます?」


なんだかここで下手なことを言うと、また呆れられそうな気がしたので素直に頷いておくと、ぱちりと驚いたように目を瞬かせた後「いいね、それ」と頭を撫でてくれた。

やっぱりラズさんに撫でてもらうのは好きだ。


「俺なぁ...何つーか、まぁギフテッドってやつなんだけど、簡単に言えば、式を一段下まで細かく設定できるんだよ」

「式を細かく?」

「魔法は式の段ってのがあって、その現象を細かく設定できる、つまり式の段数を増やせるとより威力の高い魔法になるんだ」


なるほど?つまりどういう事だ?

思い切り分からないと言う様な顔をしていたらしく、微笑ましい様な視線を投げてくるが、こればかりは初めて聞く上に割と複雑そうで咀嚼に時間がかかりそうだ。

頭にはてなを浮かべているとラズさんが「つまりな」と説明してくれる。


「こっからは魔法の事についてなんだけど、魔法ってのは式で発動するって言っただろ?その式を構成する一個一個の付与特性を数学に倣って項って言うんだけど、その項は一段に入れられる量に限りがあるんだ。ここで段を増やすわけだけど...ここまで大丈夫?」

「えっと...ちょっと待ってください」


数学の連立方程式みたいなものだろうか。一つの式に入る項に制限があり、一回で計算できる式の数は修練次第、という事だろうか。


「ま、まぁなんとなく分かりました」

「理解が速くて助かる」


正直半分も飲み込めてないが一応頷いておく。


「でだな、その段にも上限があるんだけど、この上限はギフテッド以外は一律で同じなんだ」

「なるほど。それで一段深い...と」

「そう」


ようやっと話の全貌が見えてスッキリした私を見て、ラズさんは満足げにパチンと指を鳴らした。これが様になるのだから美形はずるい。


「んで、項の一個一個は魔法の発動原理を突き詰めたようなもんで、例えば、炎魔法を使うときに、何をどうやって炎を出すのかを細かく並べられれば並べられるほど威力が増すんだ。ギフテッドはその最小単位の”原子生成”から行える。だから他より一個多くなるってわけ」

「ほえー」


何というか、非常に難しい話である事は分かるのだが、ラズさんの雑なようで分かりやすい若干砕けた説明はざっくりとした内容理解にはとても効果的らしく内容がするする入ってきた。


「ギフテッドは性質上、原子レベルの感知能力を持ってるから、昨日の奴もお前より詳しく見れてたってわけ」

「なるほど。だから『大丈夫』と」

「そうそう。もっと厳密に言うと、魔力を感知できる単位も一個深いんだよな、俺ら。例えばブラックホールが生成されるときの魔力量を百とするだろ?」

「はい」

「んでお前は俺が集めた魔力が九十九になったから危険だと判断して止めたわけだ。けど俺は単位を一個小さく見れるし扱えるから、九十九・九までは詰めれるってわけ」

「なるほど!」


単位が細かくなるのなら、あの滑らかで均一な魔力の集まり方にも説明がつく。恐らく私は小数点以下の魔力の移動を感知できたわけではないけれど、それでも芸術的と言わざるを得なかった。

聞けば聞く程凄いというか、魔法院の前で話のネタにされていた時はいい気分ではなかったが、確かにこれほどの人ならば動向を気にかけられるのは必然かもしれない。


「やっぱり師匠ってすごい人だったんですね!」

「どうだか」


私としては、素直に思ったことを思ったまま伝えたつもりだったが、何故かラズさんの顔には影が差した。

...ここは触れてはいけない。

自分の耳と直感がそう告げている。いずれは知りたいが少なくとも今はその時ではないのだろう。

私は完全に心を許してしまっているが、まだ出会ってから一週間と経ってないのだ。足りない分の信頼度はこれからじっくり上げていけばいい。


「よし、昨日の事は話したな。じゃあさっきの件なんだが―」


まだまだラズさんとのお勉強会は続くようだ。


「なんで俺は助かってる?」

「はい?」


昨日の事を清算してギフテッドの事も教えてくれたラズさんは一転してよくわからないことを言い始めた。

ラズさんがこれから話す”さっきの事”は、確か喉を詰まらせたラズさんに水を飲ませた件だったはずだが、それがどうしてその問いになるのだろうか。


「はぁ...んじゃ、ここで魔法のお勉強会を始めます」

「えっと...よっ!...?」


おかしな事を言ったと思ったら次は唐突にお勉強会を始めるらしい。

どう反応したらいいかわからずイマイチなリアクションをする私を見てラズさんは吹き出して笑っている。

暫く笑っていたが、私ができうる限り感情を殺した目でじっと見ていると、こほんとわざとらしい咳ばらいをして話始めた。


「もうめんどくさくなってきたし結論から言っちゃうわ」

「はい」

「魔法で作った水で喉を潤すことはできません。よってお前のソレは確実に魔法じゃないです」

「そんなぁ」


先ほどの話で私の能力が魔法でないことはほぼ確定事項だったし、その事実も自分で飲み込んでいたからダメージはない。

しかし”魔法で作った水”云々はどういう事なのだろうか。魔法で作ったとて水は水だし、水なのだから喉を潤せないという事もないはずだ。少なくとも私の常識ではそうだった。


「魔法で生み出される物は実在してるわけじゃない。あくまでも術者の根源的な願いを現世的に表現した仮想の物体なんだ。例えば炎魔法は、術者が対象を”燃やしたい”と思う事でそれが願いとして受理されて、魔力を通して魔法となって現実世界に顕現する。その実体化した魔法はあくまで”対象”を燃やしたいって願いから生まれた魔法だから、本物の炎みたいにほかに燃え広がったりはしないんだよ」

「なるほど」


魔法で生み出される物はいわば”魔法的実体”というか、物質的な質量はもたないらしい。

ただこの話だと私がしたことは何もおかしくないのではないだろうか。

私はあの時”師匠ののどに詰まったものを流す”という目的で水魔法を生成して飲ませたのだ。魔法の原理を考えれば、あの水はラズさんの喉を潤したり、お腹に溜まったりしたわけではないが、喉に詰まったものを流すことだけはしたのではないか。


「あの、私はのどに詰まったものを流そうと思って魔法を使ったので、それが願いとして魔法になったのでは?」

「まぁ、そうなるわな」


そういってラズさんは手元から一口大の水球を出して「口、開けて」と言う。

分かりやすく実践しよう、という事だろう。

流れ的に、ラズさんは”喉を潤す”という願いで魔法を作り私に飲ませようとしている。これで私の喉が潤えば、私のしたことは何らおかしくはない事になるのだが。

ラズさんに言われるがままに「あー」と口を開けた。

そのまま口の中に放り込まれるかと思いきや、水球は私の口元で止まった。自分で飲めるようにしてくれたのだろう。こういった気遣いは意外とできるラズさんである。

ぱくりと一口で口に含んで飲み込むと、水を飲んだはずなのに喉も潤わなければお腹に溜まった感覚もない。喉も飲み込む動作こそしたものの、のど越しの「の」の字すらなかった。ののののののの


「潤ったか?」

「微塵も潤わなかったノ」

「の?」

「いえ、なんでも」


つい引っ張られた私をラズさんが全力で訝っている。たまにあるじゃんね。そういうの。

ないか。


「ラズさんは喉を潤すっていう目的で魔法を出したんですよね?」


このままだと長い間疑われそうだったので早めに話題を転換しておいた。

ラズさんはそれでも少々目を眇めながらも答える。


「...あー、そうでもない」

「それじゃあ意味ないじゃないですか!」


待ってほしい。

そもそもこれは願いを変えればそれに対応した魔法が作れることの実験ではないか。端からそうしてないのなら私の喉が潤わないのも当然である。

詰め寄ろうとした私の眉間に人差し指を立てて距離をきっちり取っているラズさんは「まぁ聞けや」と言った。


「そもそも、魔法を発動させるときのイメージは固定なんだよ」

「えぇぇ」

「こっからは魔法心理学や魔法歴史学の範囲を掠るけど、魔法の祖ってのがいてな?”セラフ”って言う女性らしいんだが、セラフは魔法を戦いのために生み出したとされてるんだ。魔法を使うときの願いやイメージは極限まで分解されて最終的に攻撃的なものしか残らないらしい。考古学の観点からも古代から魔法は攻撃に使用された跡は見つかるものの生活に活用された形跡は一切ないんだとよ。俺がいくら『渇きをいやしたい』と願って水魔法を使っても、その願いは分解されて攻撃的なもの、ここだと『相手を流し去りたい』みたいなものに改変される」

「そんな無茶苦茶な」

「お前が言うのか」


魔法の創設者は、そもそも魔法を攻撃手段としか考えなかったらしい。

そこから進化したのが現代魔法というのなら根っこはやはり攻撃にあり、その因果からは逃れられないという事か。

となると魔法の幅が極端に狭くならないだろうか。


「師匠、私がさっきやった、物を温める魔法ってできますか?」


しかしこの話はどこか抜け道があるような気がする。

さっきラズさんは、私が物を温めたのを見て関心こそすれど驚いてはなかった。私の仮定があっていて、もしラズさんが電子振動を扱えるのなら水魔法を飲料にすることもできるはずだ。


「あぁ。原理まで一緒かはわからんが同じことは出来るな」

「詳しく聞いても?」

「俺が原子単位で魔力操作とか物質操作できるって話はしただろ?魔法で仮原子を作ってあっためたい物の原子と原子の間に突っ込んで動かしてる」

「あー」


案外力技でやってるようだ。これが炎魔法の範疇としてやっていたなら発展の余地があったのだがやはり厳しいのだろうか。


「それ炎魔法としてやることできますか?『発熱させて爆発させたい』みたいな感じで」

「それ爆発するよね?」

「それはうまーく調整してもらって?」


私の言葉を聞くなり不安そうに顔を引きつらせているが、ラズさんから聞く限り現代魔法の限界を超えるためにはこれが最も効果的なはずだ。

つまるところ、分解された攻撃的な願いの部分を変更することで魔法の方向性に多様性を生み出すのだ。

案外、日常に危険は潜んでいる物である。

現代魔法を生活を豊かにするために使うとなれば、日常の”死のリスク”を相手に押し付ける様に魔法を使い、その出力を調整すればいい。

私は席を立ってキッチンからコップを持ってきた。ラズさんの席の前に置いたコップを水魔法で満たし「ほらほら」と急かすと、ラズさんも吹っ切れたのか、いそいそと水に集中し始めた。

ふわりと魔力の流れを感じた次の瞬間、水の端からふつふつと泡が立った。


「師匠!成功じゃないですか!」

「ばっ...かたれ...!」


仮説が正しかったことが嬉しくて、横で見ていた私はラズさんの腕に飛びついた。

途端に均一だった魔力が大きく揺れて、次の瞬間にはコップの中は空っぽになり部屋の湿度が上がった。

そういえば魔法は物凄く集中しなければ使えないし失敗するとラズさんが言っていた気がする。


「...おい」

「すみません」


ラズさんがすごく苦い顔をしている。これは本当にミスというか、なんというか。


だって嬉しかったんだもん


「まぁ、今回はなんもなかったしいい機会だな。...弟子」

「ハイ」

「魔法は非常に繊細です。集中を乱したりしないように」

「ハイ」

「反省したならよし。お前もこっちの魔法を使うときには集中を乱したりしないようにな」

「了解です」


怒られたというよりは釘を刺された感じだろうか。

ラズさんは余り声を荒げたり必要以上に詰め寄ったりはしないようだ。指導者の鏡ではないか。

なぜ今まで弟子を取らなかっ―

考えずとも『めんどくさい』と言っているラズさんが想像できた。


「師匠、イメージはどんな感じでした?」

「お前に言われた通りにやっただけだぞ。てかこれは何の実験?」

「根本のイメージを変えれば師匠が使う魔法も普段使いできるかも大作戦です」

「そういわれると身も蓋もなさそう」


きっぱりと胸を張って答えた私に残念な子を見るような目を向けてくるラズさん。


―待って欲しい。今回ばかりは頑張ったと思うの。


「多分ですけど、普段使いしたい魔法を”大げさにやった場合の危険”から調整する方法だとかなり幅が広がるかと思います」

「なるほど?」

「飲料水の件だと、そうですね...『溺れさせたい』みたいな願いでどうです?なんというか身も蓋もない願いですが」

「やってみるわ」


そういうなり先ほどと同じように口元に魔力が集まってきた。

よく見るとわかるが、ラズさんは魔法の起動スピードが速すぎる。私など比べ物にもならないほどに滑らかに一瞬で魔力を集めてしまうのだから己の未熟さが目に染みるったらない。

たちまち一口大の水球ができたので口に含もうと口を開けると「待て」と制止された。


「ふぇ?」

「なんか悪い予感がする。魔法を構築してる段階で安全に飲めるイメージにならなかった。俺が飲む」

「えぇと、りょ、了解です」


普段のゆるっとというか、だぼっとした雰囲気から一転、スーツを着たようなキリリとした雰囲気に変化したラズさんは、言葉の曖昧さとは裏腹に、肩まで押して水球から距離を取らせてきた。普段はなかなか自分から接触してこないだけにその緊迫感たるや爆弾解除のそれである。

私を水球から十分に話した後、恐る恐ると言った様子でラズさんがそれを口に含んだ。

何故かこちらもラズさんがそれを飲むのに合わせてゴクリと喉を動かしてしまうのは緊張ゆえだろう。


「げはっ...!」

「師匠!?」


水球を飲み込んだ途端ラズさんは体を屈ませてむせ始めた。それこそ水が気道に入ってしまった時のように―

あぁ。何故こうなる前に気づかなかったのだろうか。ラズさんは私の言った通り『溺れさせたい』と願って魔法を起動したはずだ。その願いが受理されたのならば、作られた水が食道に入るわけがない。飲み込んだが最後、その全てが気道から肺に流れる地獄の水が出来上がるに決まっている。


「師匠!大丈夫ですか!」


膝を立てて尚もむせこんでいるラズさんに駆け寄って、それでも何もできずにただ背中をさする。

いや、待て。ほとんどが気道に入ったとはいえ、たかが一口大の水にしては苦しみが長すぎる。むせるペースもだんだんと落ちていかなければおかしいはずだが一向に良くなっている気がしない。

この水は魔法でできた代物で魔法の根源は攻撃的思想。

今回は『溺れさせたい』と願って魔法を構築したはず。ならばその水は少量でも飲めば対象者が溺れるまで肺で暴れる様な性質があるかもしれない。

そもそも本物の水ではないのだ。どれだけ足掻こうと体に吸収されず目的を遂行しようとそこに居続ける可能性の方が高い。

そこまで考えた私の脳は冴えていた。極限状態でこそ冷静になるのは昔からだ。

私は私の口元に一口大の水球を準備した。これはいつも作る本物の水ではなく、ラズさんが飲んでしまったものと同じ、気道にしか入らない水だ。

ラズさんに追い打ちをかけるわけでも、自分で飲み、同じ目に合う事で罪を償うわけでもない。

これには魔法による特異性を完全に打ち消す効果を付与した。これを普通に飲ませても食道から入って胃に届くだけなので問題の代物には届かない。ラズさんを苦しめてしまう形にはなるが人命より大切なものなどこの世にないのだ。

私は口元の水球を自分の口に含んだ。

この歳でこのタイミングで失うとは思っていなかったが、医療行為だしギリギリセーフだろうか?まぁ相手はラズさんなのだからアウトでもセーフでもどちらでもいいのだが。

私は苦しそうにかがんでいるラズさんの顔を上げて、心の中で謝ってから唇を重ねた。


そんな場合でも状況でもないのは重々承知ながらラズさんの驚きに見開かれた目を見て「してやったり」と思ってしまう。

ラズさんに水を全て飲ませた後は、少々名残惜しくも唇を離した。

ラズさんと触れ合った瞬間、恐らくラズさんの魔力であろう温もりが体を巡るのが分かった。

その温もりは体の中の擦り傷のような、ひりひりと痛んだいた部分に覆いかぶさって治していく。まるで私のぽっかりとあいた心の底を埋めるかのようなそれは、正直離れがたかった。

未だにラズさんは苦しそうにしているが、これはプールで溺れた時のようなものになってくれたはずなので時間が解決してくれるだろう。

事実むせるペースは段々と落ち着いていって、苦しそうながらも呼吸は出来ているようだ。

今度こそ背中を擦るくらいしかやることがなくなったので、できる限り優しく背中を擦りながら先ほどの事の言い訳を考えた。

言い訳も何も、あの状況は一刻を争う事態だったわけで、最善で確実な方法を思いついた端からやる事は何も間違っていない。

私が考えるべきは私の言い訳ではなくラズさんが自責しなくともすむような言い訳である。

しかし何といってもあのラズさんである。これがなんとも難しい。

こちら側が完全に悪かった昨日の件ですら自分が悪かったと謝ってきたラズさんが、今回の件で気に病まないわけがない。

ラズさんがどうにもならなさそうな証拠だけが揃っていって、一向に良い言い訳が考えつかないでいると、ようやく落ち着いてきたのかラズさんの呼吸が安定してきた。


「大丈夫ですか?」

「...なんとか」


体を起こしたラズさんは酷くバツが悪そうな顔をしている。頑張ってうろちょろしても中々目を合わせてくれないのでその罪悪感は半端なものではなさそうだ。

致し方ない。

こうゆう時は完全に第三者目線になってお互いの事を整理するのが一番早い。


「師匠、ごめんなさい、事が事だったので」

「本当に謝らないでくれ。というか、もう、ほんとに...」


恐らくラズさんの脳内には千余個の謝罪の言葉が並んでいるが、それらのどれを持ってしても自分の罪悪感を表現できなくて言葉にならないのだろう。私も過去にそうなった経験があるのでよくわかる。


「状況を清算しましょう?私は軽率に魔法の実験を始めた事、”溺れさせたい”で作る水の危険性に気づけなかったこと、このような手段しか取り得なかったことが良くなかったです。師匠は事前に危険かもしれないと分かったものを飲み込んだ事といたいけな少女のファーストキスを奪ってしまったことがまずいですかね?」

「そうだよな...そうだよな...そうだよなぁ...ごめんなぁ......」


茶化して罪悪感をぬぐう計画だったのだが見事に裏目に出たらしい。

ラズさんは最早このまま消えてしまうのではないかという程小さくなってしまっている。正直頭を撫でながらずっと甘やかしてしまいたくなるような絵面だが、男の矜持やらなんやらでそれは悪手だろう。


「えっと、ファーストキス云々は冗談ですよ?いえ!初めては初めてでしたけど、私からしたことですし!それにこれはれっきとした医療行為です!」

「......なるほど、お前は俺に償わせるつもりはないんだな?」

「償わせるも何も師匠悪くないですもん!師匠が無事なだけで嬉しいんです!よかったんです!」

「わかった。覚悟しといてくれ。何かで必ず返す」

「待ってください待ってください!」


これはまずい。非常にまずい。

何もなくともじゃぶじゃぶお金を使うラズさんの事だ。今回の事で何かとなると本当に家とか買ってきそうで怖い。


「わかりました。私欲しい物あります!!」

「なんでも言ってくれ、ホントに」

「オズのケーキ一日一個食べられる券欲しいです!ないなら作ってください!」

「......わかった。これで手打ちでいいのか?」

「はい。それ以上に嬉しいことないです」

「そうか。その、ありがとな。多分死んでた」


そう、それでいいのだ。

ケーキ食べ放題もなかなかに魅力的だがラズさんからの感謝に勝るものなんてない。「ありがとう」とその一言で私はなんだって許してしまうかもしれない。

私は何も考えずにありのままの表情で「どういたしまして」と答えた。

多分これでも十分に伝わると思うから。




お互いに多少の気まずさが抜けなかったためコーヒーを淹れて一口飲んでからお勉強会は再開となった。


「んで、三つ目の事なんだけど、もう話しちゃったわ」

「式云々ですか?」

「それもそうだし、実際には存在しないってことも基本だからな」

「なるほど」


確かにその二つならもう聞いたし、完全ではないもののある程度は理解した。

となると急にやる事がなくなったわけだが、思えばラズさんの家に来てからは何かすることがあるか寝ているかだったので何もない時間というのがなんともいたたまれない。

こればかりは時間が解決すると思うのだが、そもそもぼけっと家にいるのが好きな性分ではないので何とも言えない。


「んでだな」


そわそわしだした私を見かねてか、それとも最初からその気だったのかは分からないが、ラズさんはそう切り出した。


「魔法の勉強するにも俺が一から教えられるわけじゃないし個人のやり方ってのもあるから、まずは一般的な魔法を覚えたほうがいい」

「はい」

「そこで必要になってくるのが参考書なわけだけど、これも参考書によって好き気嫌いあるから一緒に見に行こうと思ってるんだけど」

「お出かけですか!」

「うん。まぁ―」

「行きます!!」


確かに参考書によっての好き嫌いは多少あるだろうが、昔から大量に本を読んでいるおかげで、思い切り稚拙でない限りはどんな書き方の物でも大差なく読めるようになっていた。

しかし若干はあるし、何よりラズさんとお出かけできるなら断る理由などない。たとえ断る理由があったとしても、そんなもの吹っ飛ばして付いていく自信がある。

ラズさんは呆れながらもどこか安心したような顔をして「じゃあ準備してこい」と言った。




ラズさんと一緒に来たのはぬいぐるみを買って貰ったショッピングモールである。

道中、ラズさんの容姿が目に惹いたのか、ご機嫌すぎる私が目に惹いたのか、非常に視線を感じたがあまり悪い気はしなかった。


「本屋に行くんですよね?」

「その予定だけど他に行きたいところある?」


魔法使い用のローブが服屋に売っていたことから、魔法関係の物でも専門店があるというわけではなく、あくまで一分野の一ジャンルとして扱われていることが分かったため、恐らく本屋に行くのだろうと思ってラズさんに確認すると、予想があっている事と、行きたい所を聞かれた。

行きたい所と言われてもここに何があるのか詳しく知らないため出てこない。


「んー、ここに何があるかわかんないです」

「じゃあ適当に回ってみるか?気になる店があったら入る感じで」

「いいですねそれ!」


何ともいい提案をするものである。もしかしたら掘り出し物的な店を発見するかもしれないし、ラズさんの事だからここでも美味しい食事処を知っているのかもしれない。

俄然楽しみになってきて、隠そうともせず満面の笑みで歩いていると、横から「ご機嫌だな」と突っ込みを入れられた。

だって楽しくて仕方がないんだもん。




本屋に到着した私達は、まずお目当ての物から済ませようと魔法の参考書のコーナーに来ていた。

なかなかに大きな本屋だがその三分の一程が魔法関連の物のコーナーらしく、その大きさたるやラズ邸の庭とトントンである。

棚には薄い『楽しく学ぶ魔法学』と書かれた恐らく子供向けの教科書や、持つだけでも疲れそうな厚みの『魔法学応用』と書かれたいかにもな参考書まで置いてある。

昔から本は読んでいるので、簡単に書かれたものでなくとも読める自信はあるが、『魔法学応用』レベルまでいくとどうかわからない。参考書全般に言えることだが、言い回しが難しいかったり自分に合っていないものを買ってしまうと、そちらの理解に精一杯になってしまい、内容の理解が疎かになる場合がある。背伸びせず自分に合ったものを使うのが一番なのだ。

とは言うものの、自分のレベルは知っておくに越したことはない。レベルを調べるためには上限と下限から調べるのが効率的である。というわけで私は『魔法学応用』を手に取った。


「ずっと気になってたんだが、お前の教養レベル高すぎない?」

「実家にそこそこ大きな書斎があったのでそこにある事ならわかります。それ以外はなーんにも知らないですよ?箱入り娘なので」


恐らく私の言葉遣いや理解力を見て思ったのだろう。

小さなころから本に囲まれて生活してきたお陰で語彙力も理解力も相当鍛えられた。

実際、同世代の人と話すときは多分に気を使って話していたし、医学やら薬草学やら金勘定やら、書斎の本を片っ端から読んだ弊害で使わない知識も無駄に持っている。

しかし私の知識なぞ所詮紙上のものでしかないし、書斎にこの世の全てがあったわけでもなかったのでたかが知れている。

ラズさんに返答しながら本を開くと、上から下までびっしりと書かれた小さい文字が重々しく私を迎えた。

一頁分ざっくり流し読むと、書き方自体は全くもって分からないものではないものの、単純に私と相性が合わなさそうな印象を受ける。

この本でこのイメージなら語彙力不足で読めない本はなかなか無いと思って良さそうだ。

そう思って先ほどから気になっていた、見た目が可愛い参考書を手に取った。

その本は、しっとりした革の表紙に細い金の糸でタイトルと飾り縫いがしてあるもので、持った時の手のひらに来る質感と、腕に来る質量感がまさに参考書然としていて親しみやすい。

表紙をめくるとこれまた小さな文字でびっしりと文字が書かれているが、書き口も相性は悪くなさそうでとても好印象だ。

もう一頁捲ると、一枚一枚が比較的薄めで軽いことがわかる。しっかりした紙質の物は捲るときの音が気持ち悪いので好きになれない身として、これは非常にありがたい。


「これがいいです」

「いいじゃん、おしゃれだし」

「私もそこは気にしましたけど、参考書を買いに来たんですから内容を聞いた方がいいのでは?」


選んだ本を両手で持ってラズさんに見せると、するりと感想が出てきた。

こういった時に感想をすぐ言える男性は割と珍しいのではないだろうか。尤も、一緒に買い物に行く男性なんて兄か父ぐらいのものだったので、うちの家族がそういったことが出来ないだけかもしれないが。


「いいんだよ。勉強なんてめんどくさいもんなんだから、参考書がおしゃれだのシャーペンが使いやすいだので自分のモチベーション保って行けるならそれに越したことはないしな」

「一理どころか五理ぐらいありますね、それ」

「だろ?」


全くその通りである。

本を趣味の範囲で読んで身に着けるのと、教養になるよう、勉強として身に着けるのではその重さが全く違う。

勉強するとなると、どうしても面白くないところまで覚えなければいけないし、心構えが重くなりすぎて楽しめない。

そこでラズさんの言っている事である。その憂鬱な気分をたかが参考書の見た目程度で緩和できるならしておくに越したことはない。勉強は自分との闘いなんて言うが、率先して辛い思いをしにいっても最終的には非効率になるだけで、モチベーションを保つためならある程度の非効率は甘受していいレベルである。


「ありがとうございましたーー」

「どーも」


本当は他の本も見る予定だったが、お気に入りの参考書を見つけられて満足したのでさっさと会計してもらって本屋を後にした。


「それ便利ですね」


今回も前の家具屋の時と同じく魔法カードで会計をしていた。何度見ても便利な代物である。


「いいっしょ?」

「私のも作れないんです?」


得意げに眉を上げたラズさんにそう聞くと「未成年は作れませーん」と若干煽ったような返事をされた。

まぁ、信用問題周りでそうなってるんだろう。何なら作れてしまう方がおかしな話だ。


「ナルホド。あ、聞いてなかったですけど、師匠って何歳なんです?」

「いくつに見えるよ?」


正直、かなり若そうではある。私の見立てだと二十歳に届いてるか届いてないかぐらいだと思う。


「一九、二十ぐらいじゃないですか?」

「おっ、おしいねぇ。正解は十八でしたー」


いや、確かにそのぐらいだと予想はしていたけれど、実際こう聞いてみると若いなと思わざるを得ない。

実際、十八歳でも私が普通にしゃべると理解に苦しまれる時があったので、ラズさんは相当賢い部類かもしれない。

尤も、以北地区の教育ではこれが当たり前なのかもしれないが。

何でもない顔で考えながら、私たちはショッピングモールをふらりと歩き始めた。




「あ、そうだ」


本屋から出た私たちは、予定通りショッピングモール巡りを始めたわけだが、並べられた服にああでもないこうでもないと言っていると、ラズさんが急に思い出したかのように言った。


「魔石の装飾品の事完全に忘れてたわ」

「あぁ、ありましたね、そんなの」


そういえばラズさんにあった日にそれらしいことを聞いた覚えがある。

魔石をうまく作れるかは未だに心配ではあるものの、まぁラズさんが出来ると言うのなら出来るのだろう。


「家で魔石作ってからでもいいけど、どうせ俺もお前も魔石作りに大した時間かからんし装飾品の店行ってそこで作っちゃうか」

「えぇ。出来なかったらどうするんです?」


急に事態が変わってきた。

家で作ろうとして出来ないならまだしも、店に入って「すぐ出来ます」と言って作れなかった日には少なくとも金輪際その店には入れなくなってしまう。

若干の不安を顔に滲ませるながら聞くと、ラズさんは「だーいじょーぶだいじょうぶ」と他人事だと思って何とも楽観的に答えた。




「いらっしゃいませ」


ラズさんに連れられて来た装飾品店は”上品”を体現したような雰囲気で、根っから庶民の私は少々どころか大きく気後れしながらも、なんとかラズさんの背中に隠れる形で中に入った。

飾られている装飾品は華美ではないが、一目見て高級品という事がわかる程上品なもので、店内は大きさこそそこまでではないものの、それすら高級感の演出に一役買ってそうである。


「魔石の装飾品を買いに来たんですけど、魔石忘れたんでここで作ってもいいですか?」

「えっと...はい、大丈夫ですが...」


ラズさんの話によると魔石はそこそこ時間をかけて作るものらしいので今ここで作るなんてことはそもそも想定されてないのだろう。

店員さん側から見れば意味の分からないことを聞いたラズさんに、それらしく微妙な反応をした店員さんは「ご希望の形状はありますか?」と聞いた。

”装飾品”としか指定されていないのなら指輪でもブレスレッドでも選び放題というわけだが、実はこの町に来てから気になっている装飾品が一つあった。


「あの、師匠」

「んー?」


ラズさんの背中に隠れていた私は、ラズさんのローブの袖をくいと引っ張って小さく呼ぶと、それでもちゃんと気づいてくれたらしく、ラズさんは振り返った。

装飾品のお店で名称がわからないのがなんとなく恥ずかしかったので、私は口の前に手筒を作ってこっそり耳打ちすることにした。


「あの、皆が耳に着けてるやつがいいです」

「耳...ピアスか?でもあれ耳に穴開けなきゃいけないぞ?」

「あな...!!」


なるほど。

耳にぶら下がっているのを見て、耳たぶを金具か何かで挟んで固定しているのだと思っていたのだが、耳たぶに穴を開けてそこに金具を通して固定しているらしい。

正直言って、自分の体に穴を開けるというのは抵抗があるが、お洒落の一環でいつか絶対に開ける気がするので遅かれ早かれかもしれない。それに痛い思いをするなら早く終わらせておきたい性分なので、今回の件で開けてしまうことにした。


「どうせ開けると思うので、開けるなら早めがいいです」

「おっけ。そんなに痛くはないけど、人によっちゃ腫れたりするから覚悟しとけよ」


少し考えてからまた耳打ちすると、ラズさんはニヤッと笑った後に頭をぽんと撫でた。


「ピアス型のやつで願いします。魔石作っちゃうんで、いい感じの奴見繕ってもらえますか?予算は一旦無視で」

「承りました」


店員さんは恭しく一礼した後、裏に下がっていった。


「よし、したら魔石作っちゃうか」

「あのぉ、コツとかって?」

「とにかくギュってする」

「ナルホド」


ラズさんからの有難い助言はとにかくギュっとらしいので、半分諦めながらもそれだけ考えて魔力を練っていく。というかこのまま魔力を集め続けたらブラックホールが出来てしまうわけだがどうするのだろうか。


「あの、どうやって石にするんです?ブラックホールになっちゃいません?」

「ブラックホール作るときはただ集めるって感じだろ?石にするときは集めるっていうより圧縮するってイメージ。極々小さな範囲に魔力を詰めていく感じでやってみ?」

「なるほど。...っていうかコツあるじゃないですか!最初からそう言ってくださいよ!」

「言っただろ?ギュッとだって」


ギュッとの4文字にそのイメージが詰め込まれているなら是非最初から詳しく教えて欲しいものである。

作ってもらうのがピアスという事で、小さく小さく圧縮していくイメージで魔力を固めていく。三十秒ほどそれを続けていると、あっけなくそれは形になった。

色は淡いピンクで透明度がすごく高い。初めてにしては中々綺麗にできたのではないだろうか。

ラズさんが作った石で即上書きされる気がしているが、少なくとも現時点では、今まで見た中で一番きれいな石である。

装飾品にあしらう石はお互いの物を交換するはずだが、この出来ならば渡しても問題なさそうで安心した。


「師匠、出来ました」

「おお、想定してたけどやっぱ早いな。...うん、綺麗にできてる。初めてでこれなら練習すれば小遣い稼ぎもできるかもな」

「ありがとうございます。師匠のは...凄いです。なんというか、こう、純度が高いというか」

「ガキの頃にずっと練習してたんでな。そこそこ自信あんだよ」

「綺麗です」


ラズさんが作った魔石はラズさんの目と同じ色をしていた。私が作った魔石と違い、ラズさんの魔石は向こう側を一切通さない。

予想通り一瞬で歴代一位が更新されたわけだが、なんといってもこの石は私が身に着けるものなので嬉しい以外の何物でもない。

暫くラズさんの魔石を眺めていると、店員さんが三つのピアスを持ってきた。

一つはシンプルな銀のフレームのもので、魔石をそこに嵌める型のようだ。二つ目は小さな台座のような形をしている。恐らくその上に魔石を固定するのだろう。色は白に近い銀のものと漆黒のものの二種で、お互いの髪の色になっている。三つ目は二つ目と同じ形状で、色がお互いの瞳の色と同じものだ。


「お待たせいたしました。こちらが―」


戻ってきた店員さんは一つずつ説明を始めた。

最初のものはこの店で一番人気のあるものらしく、シンプルで好き嫌いの分かれない形から色々な目的で買われるらしい。二つ目と三つ目は師弟や恋人、家族間での贈り物によく使われるとの事。三つ目は色を逆にして使うのが普通らしく、対して二つ目は魔石とフレームのどちらも相手の色にするも良し、フレームは自分の髪の色で、魔石だけ相手の色にするのも良しと、好みで変わるらしい。


「だってよ、どれがいい?」


ラズさんは全面的に任せてくれるらしく、丸投げ状態である。

個人的には一つ目か三つ目で悩んでいた。

一つ目は特別感こそ薄いものの、一番人気というだけあって非常に出来がいい。シンプルなデザインが魔石の綺麗さをより引き立ててくれそうなのも高得点だ。

三つ目は折角渡し合うのだし特別感を求めた結果である。

デザイン自体は一つ目の方に軍配が上がるが、髪の色と瞳の色で別々にするという方法を聞いてからは、正直それをしたくて堪らなくなっている。

暫く悩んだ後、私は三つ目のピアスにしてもらうことにした。 

決め手はやはり”折角だから”だ。一つ目の物は今度別の機会に渡すこともできるが、此方のおそろいのピアスはこの機会でなければ渡すのは少々躊躇らわれる。


「完成するまで一・二時間程頂いてますが、本日のご予定はいかがでしょう?」

「あー、その辺ぶらついてくるんで、三時間ぐらいしたら取りに来ます」

「かしこまりました。お待ちしております」


魔石を台座に固定するのにある程度の時間はかかるらしく、まだラズさんと私のショッピングモール探索は続くらしい。

耳に穴を空けることを除けば楽しいことづくめである。


「さて、と。どうする?時間も時間だし飯でも食いに行くか?」

「お腹すきました!」


店を出ると、ラズさんは一旦食事に行くことを提案してきたので、二つ返事で了承した。

魔石をうまく作れるかが心配で、さっきまでは些か緊張気味だったが、不安要素も杞憂で終わり、解放された私はだいぶお腹がすいていた。

広場に設置された時計を見ると、針は一時半を指している。

時間がお昼時だと分かると一層空腹感が強くなってきて、腹筋に力を入れていないとお腹が情けない音を出してしまいそうだ。


「ここらだと...うっまいパスタ屋があったな」

「いいですねぇ、パスタ」

「お、乗り気じゃん、行くか?」

「行きましょ行きましょ!」


「うまい」にしっかりと溜があったのでそこも期待してよさそうである。もとよりラズさんの味覚と良い店を見つける嗅覚は半ば妄信的に信用しているのだが。




パスタ屋に向かっている途中、ラズさんが思い出したように話し始めた。


「お前の能力の事なんだが」

「はい?」

「もしかしたらものすごく危険なものかもしれないから実態がある程度わかるまで使うのを控えてくれないか?」

「分かりましけど...危険というと?」


ラズさんに正規の魔法の参考書も買って貰ったことだし、徐々に私オリジナルの魔法からそちらに移行できたらとは思っていたが、危険というのはどうゆう意味だろうか。

それで言えば、攻撃的な魔法になってしまう正規の物の方が余程危険な気がするのだが。


「ニュアンス的には周りに対しての危険って意味じゃなくてお前自身が危ないかもってことだな」

「なるほど?」

「魔法の知識として覚えといて欲しいんだが、魔力ってのは魔法を生み出す素材っていうよりも、魔法って言う奇跡を起こすことへの代償の身代わりって感じなんだ」

「えっと...」


という事は、魔力を持っている人がそれを素材にして魔法を使うというわけではなく、魔法を使えることと魔力を持っている事はあくまで別の要素で、魔法を使った時のデメリットの相殺役として魔力がある、という事なんだろうか。

だから魔力を持っていても魔法を使えない人がいると考えれば辻褄があう。


「何となく分かりました。続けてください」

「ん。で、その魔力をどれだけ使うかってのは式に代入して設定する。式を使わずに魔法を使っているお前は、身代わりの設定をしてないから、魔法を使うことに対する代償をもろに食らってる可能性がある」

「あー、なるほど」


確かにそれは危険かもしれない。

どの程度の魔法を使うとどの程度の代償が来るのかは分からないが、少なくとも放置して良い問題ではなさそうだ。


「明日は休日だから好きに過ごしてほしいんだが、明後日に俺の友達の研究医に診てもらおうと思ってるんだがいいか?」

「是非お願いします」


友達に研究医とは、顔が広いのか偶々友人がそれだったのか分からないが、都合のいい事もあるものである。

そんな事を話しながらもせかせか歩いていると、ラズさんが足を止めた。どうやらお目当てのお店についたようだ。

反射的にお腹をさすりながら、私はお店に足を踏み入れた。


店内は雑多でまとまりがないものの、そこに親近感がわくような、言うなれば実家のような安心感のある雰囲気だ。

店員さんに席に案内してもらい、二人でメニューを開くとパスタは見開きで三ページ分ほどあり、その他にもスイーツやお酒、つまみなどが所狭しと並んでいる。


「色々ありますね」

「そうだな、便宜上パスタ屋って言ったけど、半分ぐらい居酒屋だし?」

「おぉー、初めて来ましたよ居酒屋」


確かに”パスタ屋”という言い回しはあまりしないなとは思っていた。大体はイタリアンやファミレスと言いそうなものである。

故郷に住んでいた時は父と母がよく居酒屋に行っていたのを夜も遅いからとお留守番していた。

年の離れた兄が成人した時には三人でこっそり行ったらしいが、絶対に駄々をこねることが分かっていたのか私が寝た後に家を出たそうだ。卑怯である。

そんなわけで、ちょっとだけ居酒屋という物に憧れがあった私は、先ほどより幾分輝いた目で店内を一瞥した後、メニューに戻ってきた。

ミートソースやカルボナーラ、ジェノベーゼ辺りが美味しそうだ。

ある程度当たりをつけながらページを捲っていくと、期間限定の文字と共にでかでかと書かれたメニューがある。どうやらカルボナーラらしいが先程見たものではなく、カルボナーラの上にこれでもかとチーズソースがかかっている。正直カロリー爆弾であることは言うまでもなく一女の子としては渋々引き下がるのが正解だとは思うのだが、一方で期間限定の文字が目を釘付けにしてやまないもの事実だ。この機会を逃してしまえば、こんな夢を詰め込みましたと言わんばかりのはっきりいって頭の悪いものをいつ食べれるのかわかったものじゃない。

暫く悩んだが、そういえば明日は休日らしいのでラズさんに近場で運動できるところを教えてもらって、このカロリー分動けばいいということに気づき、一時の幸せを味わうことにした。


「決まりました?」

「んー、どれが正解かわかんから全部頼んじゃうことにしたわ」

「お残しはダメですよ?」

「舐めんな」


私も相当悩んだつもりだったが、私と同じぐらい悩んでいたらしいラズさんはめぼしい物を全て頼むつもりらしい。

ラズさんとはいえ少し心配になって釘を刺すと、にやりと笑って流された。


店員さんに注文を済ませるとラズさんが話始めた。


「居酒屋は故郷には無かったのか?」

「いえ、ありましたし親はよく行ってましたが子供が入る場所じゃないと連れて行って貰えなくて」

「あー」


親には連れて行って貰えなかったことを話すとラズさんは若干気まずそうである。「親御さんに顔が立たんなこりゃ」とこぼしているのが何よりの証左である。


「ていうか、お前の親御さんたちはお前のことどうだったんだよ」


ふわっと聞いているが、概ね全容が聞きたいのだろう。どのように扱われていたかや、この家出についてどう思ってるのかなど。


「家族は…というか故郷の人達は皆いい人ばかりでしたよ。私を蔑視する訳でも、全く知らないふりをする訳でもなく、生活に活かせるところはお小遣いを餌に手伝いを頼んできたり、かと言って変に持て囃したり、変だと差別することも無く、丁度いい距離感で接してくれました」

「へぇ、できた人達だ」

「でしょう?」


最初は心配そうな顔をしていたラズさんだが、私の話を聞くうちに次第に安心したような顔に変化していった。自分で口に出してみると改めて有難いことだと身に染みる。

なんとなく得意げになってしまった私を特に咎めるわけでもなく、「いじめられててもおかしくないからな。それなら良かった」と、ただ安堵を零すラズさんもまた彼らに引けを取らないほどできた人間なのだろう。

思えばラズさんは私のことについて根掘り葉掘り聞くことは無かった。普通に考えれば、森の中に子供が倒れていて、その子供が住み込みで自分の家に来る事になったら、身元だったり事情を確認しそうなものだが、ラズさんはそれらをあっさりと終わらせてしまった。

先程の言い方から察するに、こちら側に思い出したくない事情があるかもしれないと気を使った結果だろうか。

ラズさんに確認したら『面倒だった』と誤魔化されそうである。


「家に帰りたくなる時はないのか?」

「ありますよ、勿論」


できるだけ深刻に聞こえないようにあっけらかんとしたように言ったつもりだったが、私の口からこぼれた音は想定よりも遥かに重い響きを持っていて、ラズさんの雰囲気が固くなったのを感じた。

このまま重い雰囲気にしたままというのも本望ではないので「でも」とラズさんが何か言う前に続けた。


「でも、古郷から出ていくことを決めたのは私です。それに、さっきも言ったように古郷の人々は皆良くしてくれたのにも関わらず、です」


そこで一息ついて自分の中で言葉をまとめた。決意を固めるように、確認するように。


「良くしてもらった場所から飛び出した身として、中途半端で帰りたくないんです。どこまで行っても自分勝手になってしまうことはわかっていますが、せめて、私が求めたものを手にするまで村の人に顔を合わせたくないんです」

「成程ね」

「いつか帰った時には『幸せになったよ』って言いたいんです」


できる限りプラスの方向に持っていこうとしたが、依然として雰囲気はやや重たい。

ご飯の前だっていうのに失敗したな、と思いながらラズさんを伺うと、最近見慣れてきた顔でにやりと笑って言った。


「俺といて幸せになれそうかよ?」

「あぁ言い忘れてました」


聞く前から答えはお互いにわかっていそうなものだが、まぁ確認作業というのも大事だろう。


「ラズさんが付いてきてくれるならいつだって故郷に帰ってもいいですよ?」


ラズさんと両親が話しているところをぼんやりと想像しながら言うと、ラズさんは「もっと立派になったら考えてやる」と言った。


「そういえば、魔法使いに階級とかってあるんですか?」


立派と聞いて思い出した。

ラズさんはギフテッド様、なんて呼ばれているが、それは階級というよりかは通称みたいなものだろう。


「結構細かくあるぞ、まず初めに魔法使い見習い。この中に三級から一級まであって、この一級の試験に合格することと、師匠の承認を得ると晴れて見習いから正式な魔法使いになれる」

「そこまで行ったら弟子卒業ってことですか?」

「大概はそうだな」


師匠は弟子を卒業した後も面倒を見てくれるのだろうか。話では”大概”ということだったし要相談であって欲しい。


「んで魔法使いの中でも勿論階級が分けられてる。見習いと同じように三級から一級で分かれてるんだが、見習いの階級が単に一人前になるための試験っていう意味が強いのに対して魔法使いのそれは権力に直結するもんだから、魔法使いとしての出世はすなわち階級が上がることって考えていい」

「なるほど」

「んで、その一つ上に魔導士がある。これが一番上だな」

「ラズさんは...」

「まぁ一応ここかな」

「おぉぉ...ってことは私すごい人に弟子入りしたってことですか?」

「すごい人ねぇ...まぁ恥ずかしくはないぐらいだと思っててくれ」


周りの人から”様”と言われていたり、そもそもギフテッドというのはそのほかと比べると別格なような気がするのでラズさんが最高位なことは分かっていたのだが、改めて考えると本当にすごい人に弟子入りしてしまったという実感がわいてくる。

今までの話や魔法の精度を考えて、どう考えてもすぐれた人物であることは疑いようがないと思うのだが、当の本人はどこまで謙虚なのか”凄い人”というアバウトな誉め言葉でさえしっくりこないようだ。

自分のことをなかなか認めようとしないので、ほんのりと不満を表情に乗せると、なにを勘違いしたのか「お前が誇れるように頑張るよ」と的外れなことを言っている。

そう言ってくれるのは嬉しいのだが全くもってそうじゃない。誤解を解くために口を開けようとしたところで注文していた料理が届いた。

机に置かれたのは想像の一・二倍程大きいカルボナーラだ。

写真で見たときから相当なものが来ると思ってはいたものの、実際に見てみるととんでもない物量に気圧される。

いざと気合を入れて一口口に運ぶと、チーズソースが思ったよりも軽いことに気づいた。どろっとした触感の残るチーズソースも嫌いではないのだが、チーズソースとして食べるのならば白ワインや生クリームでしっかりと伸ばされたものが好みだ。その点ここの店のチーズソースはメインのカルボナーラが重くなりすぎないようにするためかチーズの香りを残しつつも口に残らない程度に伸ばされていて全体のバランスがとてもいい。

個人的にはもう少しブラックペッパーが効いているほうが好みだが、これはこれでチーズを味わえてアリだ。

いつものようにもぐもぐと一心に食べ進めているとラズさんはもう一皿食べ終わったらしく、お皿をどけている音が聞こえた。ラズさんは三皿頼んでいたはずなので私が一皿食べ終わるころにはちょうど良く三皿食べきってしまいそうなペースである。やはりラズさんの食べるペースは私の三倍で見積もってよさそうだ。


「ふぅー」

「ごちそうさまでした」


本当にぴったり同じタイミングで食べ終えた私たちは会計を済ませて外に出た。

あまりに満足しすぎて魔石を取り忘れて一度帰ったのはまぁ、うん。いい思い出ってことで。


翌日、朝食をとるにもまだ早い時間に目を覚ました私は鈍く光るそれを前に戦々恐々としていた。

それというのは所謂ピアッサーで、ピアスをつけるために耳に穴を開けるものらしい。パッと見ただけではどこがどうなっているのかさっぱりだが、とにかく針が付いてるところに耳たぶを挟めばいいらしい。

痛みには強いほうではあるが、というのも受け身をとったり、けがをしたところをかばったりする動きが上手いだけであって、シンプルな痛みに関しては経験が少ない。というか己の体に穴をあける行為が怖くないわけもなく痛くないわけもないだろう。

暫くはそれを見つめながら勇気を振り絞っていたが、どうにもならない気がしてきたのでラズさんが起きたらやってもらうことにした。

ラズさんによれば今日は休日らしいが、どの程度まで休みなんだろうか。

古郷で言う村共通の休みというと、どこのお店も閉まっていてそれこそ家で本を読んだり公園で運動したりする以外にやることがなかったのだが、旅路で寄った村の中には休日こそあるものの、そこが儲かるということでお店なんかは普通に営業している町もあった。傾向としては、その町が大きければ大きいほど休日でも活気があるところが多く、感覚的には丁度、村か町かで分かれている気がする。

ラズさんに連れてきてもらったこの町は村というには大きすぎるし、何なら”町”というより”街”という感じなので後者な気がしているのだが、意気揚々と出かけて行ってシャッターに阻まれるというのも悲しいのでラズさんに聞いてみることにした。ついでに近くに運動できるようなところがないかも聞いてみよう。




「ごちそうさまー、美味かった」

「お粗末様です」


ぼちぼちラズさんも起きてきたので朝食をとった。

朝は肉の脂が重いので魚を出したがそろそろ”わいばーん”の肉をどうにかしないといけない頃かもしれない。

朝っぱらから三人前をぺろりと平らげてひどく満足そうなラズさんに先刻考えていたことを聞くことにした。


「あの、今日って休日なんですよね?」

「そうだな、好きなことやってていいぞ。それとも行きたいところとかある?」

「行きたいところ...あるにはあるんですが、その前にお店と買ってやってるんですか?」

「やってないとこもあるな、そこらへんは自由にしていいよーって言ってあるし」


どうやら私で言うところの村型と町型の折衷案が採用してあるらしく、利益を優先するか休むかは個々の判断に任せられているらしい。...とそんなことはどうでもよくて、


「...今、言ってあるって言いました?」


”なってる”でも”言ってる”でもなく”言ってある”。

前者二つは一人称ではないので誰かが取り決めたことを引用するときに言うだろうが、後者に関しては完了の一人称だ。なぜラズさんが町全体の取り決めに対してそれを使うかなんて答えは一つしかないわけで...


「...あぁ、言ってなかったけど、俺ここの領主やってるんだよね」

「りょうしゅ...」


まぁそうだろう。

まぁそうなんだろうが納得できるかはまた別である。以前もこんなことになった気がしたが、ラズさんと関わるうえでこの情緒になるのは慣れたほうがいいのかもしれない。


「そうそう、代々ギフテッドにはその代のギフテッドが望むだけの領地が与えられることになってるんだ」

「あー...」


そう。ずっとそこが気になっていたのだ。

基本的に支配力と武力というのには相関がある。もちろんそれを持たずして支配者になることも少なくないが、支配者になった後、それを継続するために武力を上げる事から、それらには因果関係とまではいかないまでも相関関係が生まれる。しかし時として大きすぎる武力は支配力に直結し、相関関係を超えて因果関係にまで発展することがある。

そして聞く限りにはなるが、ギフテッドという存在はこの世界において明らかなオーバーパワーである。

にも拘らず、ギフテッドによる統治は行われず、王による治世が実現している所が不思議だったのだ。


「てことは、人によっては国全部を支配したりしてたってことですか?」

「そうだな、王サマも一代の権力よりも何代にもわたって国に存在することに重きを置いたらしく時代によっちゃ王なんてもんは飾りでしかない時もある」


成程。世界の仕組み的に王家が武力、ひいては魔法の実力で頂点に立ち続けることが不可能であるからこそ、王はギフテッドとの共存を選んだのだろう。

だが、それならばまだ王というシステムが存続している理由に疑問が残る。

もしかすると王と権力が完全に分離しているのだろうか。王というのは遥か昔から存在する一族という事実の一点で慕われているのならばある種宗教的というか、よそ者の私からしてみれば尊いというのは分かるがシステムとしての必要性を疑ってしまう。


「そんな中で師匠はこの町を治めていると」

「そうそう、俺に国の運営なんぞできないことは分かり切ってたし、面倒ごとはごめんだ」

「師匠らしいですね」

「だろ?...いやそれはそれでどうなんだ...?」


何やら不服そうになったラズさんを見て少し安心した。やっぱりラズさんはラズさんであって、ギフテッドだったり領主であっても、その前に私にとっては師匠であって恩人である。

飄々とした態度もものぐさな性格も思慮深い一面も、私にはそれらのノイズに阻まれることなく聞こえるのが特権みたいで少し嬉しかった。


「まぁそれはいいとしてだな、どう過ごしてもらってもいいけど分かんないことあったら聞いてくれ」

「えっと、じゃあ聞きたいこととやってほしいことがあるんですけど...」

「どんとこい」

「ここら辺に運動できる場所ってありますか?大きい公園とかそれこそ運動場とか」


切り替えるように話を戻したラズさんに先ほど考えていたことを訊くと、途端にきゅっと眉を寄せて考え始めた。

つい先刻ここの領主と聞いたのだがすべてを把握しているわけではないらしい。運動場の場所が分からないというのがいかにもラズさんらしく、このゆるさもラズさんが統括している街らしい。


「俺がそうゆうとこ行かないからなぁ...あぁ、魔法院に運動場あった気がするぞ」

「なるほど、後で行ってきます」

「道覚えてるか?」

「大丈夫ですよ、迷子になっても師匠の魔力を探せば帰ってこれますし」

「それ大丈夫なのか...」


流石につい先日いったばかりの道を忘れるほどではないし、いざとなれば無理やり帰ってこれるのだが、なぜかラズさんはみるみる不安そうな顔になっていく。


「子供扱いしないでくださいよ、だいじょぶったらだいじょぶです。休日なんだから師匠も休んでください」

「うーん、いや、まぁ、そうか...」


どこまでも釈然としなさそうな顔をしているがわざわざ付いてきてもらうのも悪いのでここは譲らなかった。

大丈夫と念を押して言うと、渋々ながらも何とか頷いてくれたので気が変わってしまわないうちに話を変えてしまうことにした。


「それでやってほしいことなんですけど、ピアスのやつ...あれちょっと怖くて」

「......お、おう」

「なんですか、すごい微妙な反応ですけど」


声色が露骨に虚を突かれたようなものだったので、少し詰め寄るとラズさんは微妙に視線を逸らしながら答えた。


「いやぁ、お前もそうゆうのは怖いんだな、と」

「私だって怖いものぐらいあります、人を何だと思ってるんですか」


非常に言いにくそうなラズさんに、無性に恥ずかしくなってつい強い口調で責めてしまった。ただ女の子に言うにはまぁまぁ失礼だと思うので撤回はしないでおく。

当のラズさんは頬を搔きながら謝っている。そんなに図太いと思われていたのだろうか。


「とにかく、怖いものは怖いのでお願いします」

「任せろ任せろ」


許可も取れたので自分の部屋からピアッサーを取ってくるとラズさんが「耳を冷やしておいたほうがいい」と教えてくれたので指で耳たぶを挟んでから、氷魔法でキンキンに冷やしておいた。


「じゃあ開けるぞ」


耳も麻痺するぐらい冷やしたし聞く限りではそこまで痛くないらしいのでここまで怖がる事もないのだが、どうしても心臓がばくばくして呼吸が浅くなってしまう。

緊張してラズさんに言葉を返そうと思っても掠れた声しかでないのだから我ながら怖がりすぎだとは思う。

そんな私を見てラズさんはくすっと笑った後、安心させるように頭をぽんと撫でてから改めて「開けるぞ」と一言。

個人的にはこういった時はカウントダウンなんてすっ飛ばしてさっさと終わらせてほしい派なのだが、ラズさんも同じだったのか一思いにやってくれようとしたのか、バチっと音が聞こえた時には耳にピアスが刺さっていた。


「お疲れさん、あんま痛くなかっただろ?...っておぉ」


緊張で筋肉に力が入り切りだったのか呼吸が浅くなっていたせいか眩暈を覚えて、労ってくれるラズさんに凭れた。

痛みこそラズさんの言う通りほとんど無かったのだのだが、緊張しすぎたせいか疲労感がどっときて足にうまく力が入らない。


「あ、すみません。ちょっと緊張しすぎたみたいで」

「...なんつーか、お前大人びすぎてるからカンペキ超人だと思ってたけど年相応なとこもあんのな」

「そりゃ体に穴あくんですから誰だって緊張しますよ」

「まぁ、そうだよな。お疲れ」


そういうなり頭をわしゃわしゃと撫でてくる。ラズさんに凭れているのと頭をなでられている事と精神的な疲労感が相まってうとうとしていると、ラズさんに「運動すんだろ、起きろ」と起こされた。

もっと凭れかかっていたかったのだがあのままでは本当に寝てしまいそうだったので渋々体を離すと言い知れないような寒気に襲われる。


「有難うございました、外行ってきます...」

「お、おう、気をつけてな」


正直今日はお腹いっぱいに疲れたのだが昨日のカルボナーラの分を返済しなければいけないので重い腰を上げて外に出た。


ドアを開けると冷たい風が頬を叩いた。それでも寒くないのはラズさんに買ってもらったローブが非常に上等なものだからである。

買ってもらった時こそ『お金が...』と思ったのは否めないが、こうなってしまえば感謝しかない。

しかし身長がまだまだ伸びそうなので一生物にならないのが少し残念というか、もったいなく感じてしまう。ただここから身長が伸びなかったら伸びなかったで余りにも小さすぎるし、ラズさんに子供扱いされ続ける事が目に見えているので成長に期待はしているのだが。

記憶と照らし合わせながら町を歩いていると、やけに視線が自分に向いていることに気づく。

今日は隣に美男子もいなければ後ろにクマのぬいぐるみを引き連れているわけでもないのだが、どこかおかしいことがあるんだろうか、とそこまで考えて思い出した。

そういえば私のこの白髪は珍しいのだ。

今まで旅をしてきて同じ髪色だった人は一人としていないし、なんなら人生で白髪の人に会ったのは自分の母親ぐらいのものである。

勿論老化による髪の脱色で白髪になっているおじいさんおばあさんは見かけるが、生まれた時から白髪というのは相当珍しいようだ。

どうやらそれは以北地区でも変わらないようで、そうと分かれば確かに人の視線は好奇の色が強い。

しかし以南地区でも珍しがられることはよくあったがここまでではなかった。

まぁ差し詰め白髪に関する風潮や噂があるんだろう。正直私の知ったことではないし染めるつもりも毛頭ないが、私の評価は師匠であるラズさんの評価にも関わってくるわけで、余りに悪いものならば対策も考えておかなければいけないかもしれない。

と、つらつらと考えながら歩いているとあっという間にお目当ての場所についていた。さっすが私。

言われてみれば魔法院の周りはぐるりとタータンのようなものが敷かれているし、魔力検知で確認してみると何人かがぐるぐるとそれに沿うように移動しているのが分かる。

ローブで運動というのもいかがなものかと最初は思ったが、実際狩りをしているときに、魔力検知に引っかからない普通の熊や狼が気づけば近くに、なんてことは多々あるので実戦を想定しておいて損はないだろう。

それにこのローブは伸縮性に優れているため運動に不便を感じないのだ。

誰かの真後ろについて行ってしまうのも気まずいので魔力検知で場所を確認し、人と人の中間の位置から走り出した。




結果的に言えば非常に運動不足を感じた。

最初こそ風を切る感覚や足を回すリズムが心地よかったが、十周程したところで足は重たくなってくるわ脇腹は痛くなってくるわでなかなかキツかった。


「お嬢ちゃんだいじょぶかい?よかったらこれ飲んで?」

「あ、どうもありがとうございます」


走り終えた位置から一番近かったベンチで息を整えていると、パリッとした印象のおじいさんが話しかけてきた。

この人はここら辺のベンチに座って景色を見ていた人で、何周もしている手前、何度も顔を合わせたので最後のほうは若干気まずかったのだが、そこそこの距離走っていた私を心配してくれたのか、スポーツドリンク手渡してくる。

丁度のども乾いていたし、水筒の類は持ってきてなかったのでありがたく受け取ってゴクゴクと飲んだ。

運動後に飲むスポーツドリンクは個人的に飲み物界隈では相当上位に挙がってくるほどおいしい。

汗で流れた塩分と水分を補うようにぐびぐび飲んでいると、おじいさんが「よくそんなに走れるねぇ」と感心したように言った。

こういう時心配ばかりされると、悪いとは思うのだが多少辟易してしまうのでそちらにシフトしてくれるのは有難い。


「運動は好きなので、昔からよく走ってたんです」

「にしたってすごいけどなぁ、将来は騎士団...て思ったけど、その恰好は魔法使い?」

「はい、先日弟子入りして今は見習いです」


こっちの地区にも騎士団はあるらしい。

正直魔法が強すぎて魔法一本でいい気もするのだが、もはや魔法パワーと剣を組み合わせていたりするのだろうか。そうでもしないと存在意義が薄い気もする。


「すごいなぁ最近の子は。じゃあ僕はもう行くね、魔法の勉強頑張って!」

「飲み物有難うございます、お気をつけて」


おじいさんは渡すだけ渡して会話もそこそこに帰ってしまった。なんとかお礼だけ伝えると背中越しにひらひらと手を振ってくる。なんとも格好いいおじいさんである。

まだ足に乳酸が溜まっているし、急ぐ理由もあまりないので、私は飲み物を飲み切ってから帰ることにした。




運動後特有の眠気に抗いながら、今度は周りの景色を見ながら帰路を歩いていると、ふと、パチパチと物が燃えるような音と供に悲鳴が聞こえてくる。

疲労感も眠気も正直限界だったものの、聞こえてしまったものはしょうがない。このまま帰って後日人が死んでしまったなどと聞いたら寝覚めが悪すぎる。

休ませろと文句を言う体に鞭を打って音の方向に向かうと、やはりというか家が轟々と燃え上ってる。外傷をこれ以上悪化させずに消火するなら燃えている範囲の酸素を消してしまえばいいのだが、中に人がいた場合、死にはしないものの後遺症が残る可能性があるので、ここは素直に水で消火することにした。

家の真上にたんまりと水を生成してどばっと落とすと、残ったのは焼け焦げて中が丸見えになり半壊した家だけとなる。魔法で出した水は私の足と同じ高さまで落ちたら消えるように設定したので辺り一面が濡れることもなく、被害は最小限に留められた。

というかこの街には魔法使いがわんさかいるのだから最初からこうしていればいいのではなかろうか。

そう思って周りを見ると、皆一様にこちらを凝視している。あまりの光景にびくりと震えた後、後ずさりしたのは正常な反応だろう。


「あなたが消したの...?」


丁度私の母親と同じくらいの女性があり得ないといわんばかりの声で聞いてくる。手癖のようなもので、魔法を使うときに腕を持ち上げたのを今さら後悔しながら、嘘をつくわけにもいかず「えっと、ハイ」とたじろぎながら答えた。

途端にざわつくのは勘弁してほしい。


「どうやって消したの!?」

「ど、どうやって?ふ、普通に...?」


同じ女性がぐいと距離を詰めて聞いてくる。正直ものすごく怖い。

どうやってと聞かれても、ただ水を出して消しただけなのでどう答えるのが正解なんだろうか。

思い切り狼狽している私を前にその女性はなおも詰め寄ってくる。


「あなた、もしかして知らないの!?あれは何をしても消えない”消去の火”よ!?魔法だろうが実物だろうが水をかけたって消えないし、というか何をしてもあの火は消えないの!!」

「えっと...でも実際消えましたし...」


もはや剣幕が凄すぎて何か悪いことをした気になってくるのだが私がしたのは火事の被害にあっていた家を消火した、で合っているのだろうか。

これで神聖な儀式を邪魔したとかであれば笑えない。悲鳴も聞こえていたし、ないとは思うが。


「助けてくれてありが...ん?さっきのお嬢ちゃん?」


話が嚙み合わなさ過ぎてわなわなとしてきた女性に、最早叱られている気分になって小さくなっていたところ、家の中から家主と思わしき人物が出てきた。

こうゆう奇跡は意外と起きるものである。この家の主は先ほど飲み物をくれたおじいさんだった。

おじいさんは私と女性との間で何度か視線を彷徨わせた後、どこか会得したようにため息をついた。


「ティア、お嬢さんが困ってるだろう?詰め寄るのも程々にしなさい」

「お父さん...」

「お父さん?」


優しいおじいさんは怖い女性を”ティア”と呼んでたしなめている。どうやらお二人は親子のようだ。


「うちの子が悪かったね、その様子じゃお嬢さんが何とかしてくれたんだろ?」

「は、はい」


前の尋問の衝撃が頭に残っていて、どこか怯えた様に返した私に、おじいさんは「ガハハ」と愉快そうに笑っている。

結構笑い事じゃないんだなこれが。


「ティナ、恩人に詰め寄りすぎだ、ちゃんと謝りなさい」

「ご、ごめんなさい!余りにもあり得なくてつい...」

「い、いえ、私は大丈夫ですので...それよりおじいさんは大丈夫ですか?」


おじいさんが顎で促すと、あっけなくティナさんは謝ってきた。察するに、もうどうしようもなくて、父親を見殺しにするしかなかった所にそれを何とかして”普通に”なんて言われて混乱したんだろう。

いざ話してみれば怖いというよりもむしろ物腰の柔らかそう...というか物静かそうな雰囲気をまとっている。

とにかく質問攻めから逃れられてほっとしたところで、ひょっこり現れたものの今の今まで火の海に居たはずのおじいさんを見ると額には汗がにじんでいるし肌も先ほど見た時より上気しているが焦げていたり火傷していたりするわけではなさそうでひとまず安心した。

おじいさんも「暑かったぐらいだよ」と笑っているから大丈夫だろう。...なんというかメンタルが強すぎるだけな気がしないでもないが。


「こりゃでっかい恩ができちゃったなぁ。老いぼれにできる事なら何でもするよ?」


これはまずい。

こういった時に「じゃあこれが欲しいです!」と言えればお互い気持ちがいいのだが、如何せん物欲が薄いせいで何と言ったらいいのかわからない。


「え、えっと...あ、じゃあさっきの飲み物でちゃらってことで!!」


...我ながらセンスが無さすぎる。

逆の立場で考えて、じゃあそれでとは絶対にならない。というか一歩間違えれば『あなたの命なんて飲み物一本分ですよ』と言っているようなものである。これは非常によろしくない。

みるみる不安になっていく私におじいさんはまた「ガハハ」と一笑い。


「流石に飲み物の一本で命救ってもらうわけにもいかないし、今度改めてお礼しに行くよ。お師匠さんにもお礼したいしね?」

「えっと...わ、わかりました」


そもそも見返りが欲しくてやったわけではないし、正直言えば割と自己満足でやったので申し訳ない気持ちはあるのだが、ここで頑なにお礼を貰わないというのも相当失礼なので有難く頂戴することにした。

その後、念のため覚えておいた住所を教えて二人とは別れた。

好きなものを聞かれたので素直に『ケーキです』と答えたのだが、これでケーキを頂いてしまうとまた走りこまなければいけなくなるわけで。まぁそれを差し置いても好きなものは好きなので楽しみにしておくことにした。

というかラズさんの住所をしれっと教えてしまったわけだが大丈夫だろうか。というかラズさんはこの街の領主なわけで、住所を見たら気づくのではないだろうか。最悪書き間違いだと思われるかもしれないので魔力検知でそれらしき人がいれば外に出て顔を見せたほうがいいかもしれない。

一段落つくと忘れていた疲労感と眠気が先刻よりも勢いを増して現れてきて、ラズさんには悪いが事情を話してお昼ご飯は外食にでも行ってもらうことにした。流石にここから料理となるとそれこそ塩と砂糖を間違えかねない。

私は重い足取りで少し逸れてしまった帰路に戻った。


「戻りましたぁ...」

「おかえりー」


紆余曲折あったものの何とか無事に帰宅した私は、何とは無しに帰宅を告げたのだが、ラズさんは”おかえり”と。

何だか、いや、元から自分の居場所云々は十分に確保されていたほうだと思うのだが、ラズさんに『ここが居場所だ』と言われているようで、何とも言えないくすぐったさを感じながらリビングに向かった。

声の響きや高さからして、恐らくソファに寝ころびながら言ったのだろうとあたりをつけて部屋を覗けば、案の定ぐうたらしているラズさんがいた。まぁそうだろう、声が凄く気だるげだったし。


「迷子にならなかったか...ってお前なんかやつれてない?」

「色々...ほんとに色々ありまして...」


余り表に出しすぎないようにしていたのだが我がお師匠様にはお見通しらしくあっさりと看過されてしまった。

話すことが多い...といか内容が濃すぎたので濁すしかない私に、ラズさんは懐疑六割、心配三割五分の視線を送ってくる。残りの五分は...珍しい物を見るようなものな気がする。

待ってほしい、私だってあんなことがあればへとへとになる。というか運動しに行ったのだから疲れて帰ってくるのは普通だと思うのだけど。


「まぁとりあえず風呂入って昼寝でもしろ、俺は午後から予定あるから昼飯はいらん」


ラズさんは見かねた様にそんなことを言った。

昼食はこちらからお願いしようとしていたのだが先手を打たれてしまった。午後から予定が入っていて昼食がいらないならあらかじめ伝えておいてくれるはずだし、恐らく、というかほぼ確実に気を使ってくれたのだろう。


「ありがとうございます、夕食の時間になったら起こしてください」


疲れた時の気遣いほど身に染みるものはない。ふわふわとしたものが胸をあたためるのを感じながら、はにかんでお礼を言えば、ラズさんは少しだけ目を見張った後、ふいと目を逸らして「あいよ」と答えた。耳が赤いのは気のせいだろう。




「どはぁぁぁ」


お風呂にしっかりと浸かって、なんならのぼせるギリギリ手前まで入って疲れを取った私は、部屋に入るなりベットにダイブしていた。

あ、と思った時にはもう遅く、電気を消すことも、ドアを閉めることもかなわなくなってしまった。ラズさんにばれたら『またか』と呆れられそうである。

今回ばかりは本当に疲れているらしく、お風呂に浸かってうとうととしていたところ、半分どころか八割がた寝てしまって、余りに長風呂だったので心配になって声をかけに来たラズさんに引き上げられることになった。

裸を見られてしまったことを考えると少しばかり恥ずかしいけど、まぁラズさんだしいいか。

ちなみにラズさんは私を引き上げるときはなるべく触れないようにしていたし目も極力逸らしていた。顔が真っ赤だったのは言うまでもないが。

風呂でおちおち寝こけるとは露ほども思っていなかったらしく、引き上げた後、あっという間にタオルを巻きつけてきたラズさんに「後で事情聴取な」とすごまれた。

まぁやったこと自体は善良も善良なので問題はないと思うのだが、ラズさんがぼそっと「危なっかしいな...ちゃんと見ておかないと...」と呟いていたので多少扱いが過保護気味になるかもしれない。

ラズさんと一緒に居られる時間が増えるならそれもいいかと思考を投げ出せば、目を閉じているにも関わらず、ぐらりと眩暈がしたような感覚に襲われたので、私は抗うこともなく睡魔の波に身をゆだねた。




「まぁ座りたまえよ」

「......ハイ」


起こしてくださいと頼んだはずだったが、感覚的にはかなり夜も更けた時間に目を覚ました私は、ラズさんに出待ちされていた。なんというか、完全にスタンバイされている。


「あの、これは...?」


ラズさんが食卓の向かい合った席に座っているので、正面から詰められるのはなかなか怖かったが向かいの席に座った。

私たちの間には料理がずらりと並んでいる。勿論、私が作ったものではない。


「あのなぁ、ぐったりして帰ってきて、そのまま寝たやつに『腹減ったから飯作ってくんない?』ってどんな馬鹿だよ」

「え、えっと...?」

「疲れたんなら休め、無理すんなってこと!」


どうやら私は相当心配をかけてしまったらしい。

久しぶりに運動した後にちょっと気疲れしただけなんだけどな。

とはいえ気遣ってくれるのは嬉しかったので素直に「ありがとうございます」とはにかんでみせると、ラズさんは「ん」とそっけなく返す。若干顔が赤くなってるので少し照れたらしい。


「昼も食ってないんだし腹減っただろ、飯食ってから話すか」

「はい」


切り替えるように言ったラズさんだったが、私が同じ調子で頷くと、少し目を見張った後、今度こそ顔を赤くしてご飯を食べ始めてしまった。切り替えるのには失敗したらしい。

こうゆう所がかわいいんだよな、なんてちょっぴり失礼なことを考えつつ、私も手元にあったパスタを食べ始めた。




「で、昨日はどうしたんだ。運動の疲れってだけじゃなさそうだったけど」


いつもの如く尋常じゃない速度で卓上を片付けていったラズさんは、私が食べ終わったのを見計らって本題に入った。

ご飯を食べている間に切り替えたらしく、もういつもどうりのラズさんである。ただ感謝を思い切り乗せて笑いかけただけだったのだが、女性耐性が極度に低い...というか無いラズさんには効いたらしい。そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだけど。

どうしたらラズさんが私に慣れてくれるかを考えつつ、昨日の出来事をざっくり説明すると、話をしていくうちにラズさんの顔が心配から呆れに変わっていった。できればそのまま心配してほしいところではある。


「そりゃ、その女が言うことも分かるわ...」

「師匠まで言うんですか!」


一番共感してほしかったというか、一番気疲れしたポイントに共感を頂けず「師匠も人のこと言えないぐらい無茶苦茶じゃないですかー!」とごねると、無茶苦茶に強いお師匠様はため息を一つ。

...なんか自分がすごく出来の悪い子みたい。


「”消去の火”ねぇ...まぁ話を聞く限りそうなんだろうが、あれは俺でも消せん。ていうかお前以外に消せる奴はいないと思うぞ」


苦々しく自分には消せないといったラズさんを見るに、嘘はついてなさそうだ。この苦渋と後悔と諦念が混じった音は一度試して消せなかったという経験を物語っている。

―その被害者は誰だったのだろうか。嫌なこと、聞いちゃったかな。


「...その、消去の火を私が消せた云々はいったん置いといて、なんなんです?消去の火って」


話の流れがよろしくなかったので深堀せずにさっさと次に行ってしまうことにした。聞かれたくないことや思い出したくないことは誰にだってあるものだ。

ラズさんは少しの間考えるそぶりを見せた後、へなっと眉を下げて「実はあんまりわかってないんだよな」と情けなさそうに言った。


「性質として魔法そのものも消してしまうからすべてを消去するモノとして”消去の火”なんて呼ばれてるけど、実際の名前は別にあるだろうしな。わかってるのは”魔法を消す魔法”ってぐらいだ。誰が何の目的でやってるかも魔法の正体も分かってない」

「魔法を消去...」


なるほど。魔法を消去してしまうならラズさんに消せて私に消せるのにも納得である。つまるところ正式な、式を組み立てる魔法は全部弾かれてしまうのだろう。

...私の魔法とラズさんの魔法は多々違いがあれど、その一つに式を立てるかどうかがある。もしかしたら消去の火は組み立てた式を解いてしまうのではないだろうか。根拠の薄い予想だがないわけでもない。

あの時、目の前で揺れていた火は、どことなく隙間があるというか、ラズさんが扱う、中までぎっしりと詰まった魔法とは違ってゆとりというか質が悪いわけではないが密度が低いような感触がした。もっと言えば、あの隙間はまるで魔法を受け入れることを前提としたような、人為的な隙間だった。

あれを見た手前、どこか人の悪意を感じざるを得ない。ラズさんの口ぶりから間違いなく既存の魔法ではないし、作られた目的はまさに昨日起きたような対処不能の火災を起こすことで間違いない。

あれやこれやと考えていると、ラズさんがおもむろに立ち上がって、私の隣に来た。

なんだろうと顔を向けると、ぽふっと頭の上に手を置かれる。


「何はともあれ、今回はお手柄だったな。偉い」

「ぇ、は、はい」


突然のことだったのと、呆れられたりしていたので予想外の称賛に体が固まってしまった。

...こっちからくっついたりすると照れるくせに自分からは割と撫でてくれるよねラズさん。

最初こそぼけっとしてしまったが、再起動した後はラズさんの撫でてくれる手に集中した。ラズさんに触られるのは好きだ。なんというかほわほわするというか、傷口を温めて少しずつ直されるような感覚がある。

お手柄のご褒美としてラズさんのなでなでを享受していると、頬を指の背でつつかれた。


「だらしない顔」

「だって嬉しいんですもん」


概ね女の子に向ける言葉ではないが、確かに頬がゆるゆるになっていた気がするので咎めはしないでおいた。

なでなでの幸せパワーと失言の怒りパワーの比べあいは圧倒的に前者が勝っていたので、緩んだ顔はそのままに、素直な感想を言うと、ラズさんは顔をさっと赤くして「俺はたまにお前が分からなくなる...」と呻き、撫でるのを辞めてしまった。

私ってそんなに変だろうか。というかラズさんに全幅の信頼を寄せているのは出会った当初から一貫していると思うのだけど。

人肌と摩擦とそれ以外の何かで温まった頭が徐々に冷えていくのを感じながら、それでも温度を保った心の言うままに「ラズさんに撫でられるの、好きです」と呟けば、ラズさんは呆気にとられた後、頭をガシガシと搔きながら「お前、なつきすぎ」と言って、今度は少し乱暴にわしゃわしゃと撫でてくれた。




「いくぞー」

「はーーい」


なんだかんだありつつも、特に何かが変わったわけでもなく翌日を迎えた私たちは、二人して若干の眠気に襲われながらも、予定があったので靄のかかった頭で準備をした。

というのも変な時間に寝てしまってなかなか寝付けなかった私に付き合う形でラズさんも起きていてくれて、結局寝た時間は三時を回ったころだったのだ。

今日はラズさんのお友達に会うらしい。昨日聞いた話によると、曰く「何でもできて失礼なぐらい謙虚」「気遣いの塊だけど時たまモラルに欠ける」とのこと。

失礼なほど謙虚というのは、まぁなんとなく分かる。実際に能力が優れているのならばある程度それを自認することも大切らしい。

謙遜はコミュニケーションにおいて便利な道具ではあるが、万能というわけでは決してない。というのは母の受け売りだ。

それはいいとして後者に関しては全く予想がつかない。気遣いができるのに道徳に欠けることがあるのだろうか?勿論、ピンと来なかった私は真義を聞いたのだが、ラズさんは「まぁ、関わっていけば分かる」と。

ラズさんのお友達ってことだし恐らく変な人ではないんだろうけど、後者がちぐはぐすぎて未知への恐怖が若干ある。できればラズさんの弟子として良好な関係を築きたいものではあるのだが。

玄関で待ってくれていたラズさんの耳には私とおそろいのピアスが付いてる。それを何とも面映ゆい心境で眺めながら、つかず離れずの距離を保って歩いていると「ん、」とラズさんが手を差し出してくる。...何か借り物でもあっただろうか。

はた、と呆ける私にラズさんは少し照れた様子で「後ろ歩かれると付いてきてるか不安なんだよ」と恥ずかしそうに言った。

―その声が心地よくて、やっぱり私はこの人が好きなんだと認識を確かにした。

気遣いに満ち満ちている、けどそっけなくして照れ隠しをするような不器用な声がこの世のどんな音より好きだ。

恋愛感情がどうの、詳しく言えば恋愛なのか、敬愛なのか、親愛なのかというような”好き”に関しての分類は本を読んでもよくわからなかった。母に聞いてみても『その時が来ればわかるものよ』の一点張り。

よって私がラズさんに抱いている感情がどんなものなのかはわからない。

が、恋愛的な好きを知った時、私はラズさんにそれを向けるんだろうなと、未来のことながら漠然と確信している。

あわよくばラズさんに教えてほしいものだが、さすがに重いだろうか?


「ありがとうございます、師匠」

「...行くぞ」


最近いつもこの顔をしている気がするが、懲りずにまたラズさんに笑いかければ、ラズさんは照れたのを隠すようにそっけなくする。この流れはもはやお決まりである。

ラズさんの善意に私は素直に感謝を伝え、ラズさんはそっけなくすることでそれを引きずらない。この短い二人の不文律が私のお気に入りだ。

役得、なんて思いながらラズさんの手を取って歩くと、ラズさんはさっきよりもほんの少しだけゆっくり歩いた。




手を引かれて連れてこられたのは魔法院より一回りほど小さな病院だった。

そういえば前に聞いた話によればお友達は研究医らしいので納得である。

確か私の魔法について危険かもしれないから診断を、という話だったのだと思うのだが、比較した魔法院が大きすぎるだけで、規模としては十二分に大きい病院で診てもらうことになるとは。


「院長いる?ラズが来てるって取り次いでほしいんだけど」

「ギフテッド様ですね、少々お待ちください」


受付の人にさも当然かのように顔パスをしているラズさん。なんというか、本当にすごい人に弟子入りしたのだとひしひしと感じる。

それはそれとして気になったことがあったのでラズさんのローブの裾をちょいちょいと引っ張る。

ちなみに、ここに入るときに繋いでいた手は離して、代わりに私はラズさんのローブの後ろに引っ付いている。

なんでも友達に出くわしたら面倒、とのこと。それで言うと道を歩いているときなんかもいつもの如く視線を集めていたので知り合いが通りがかったらばれていたと思うのだけれど、そこは心配が勝ったらしい。

個人的にはずっと心配しておいてほしい...いや、心配は余りかけたくないしさっさと一人前になりたいのは山々だが、それはそれとして手は繋いでおいてほしいところではある。


「あの、院長って...?」

「あぁ、言ってなかったけど、例の友達が院長ね」

「あの...年齢は...?」

「俺と同い年。あいつの名誉のために言っとくと、あいつは世襲でなったわけでも金を積んだわけでもないからな。ひたすらに能力が高くてなったって感じ」

「えぇぇ」


何と突飛な話だろうか。

そもそも医者というのは覚えることが多すぎる。蔵書にそれ関係の本がたくさんあったが、如何せん量が多すぎて、知識として覚えておく程度に留めたほどだ。

それを十八で網羅して、医者になることでさえ恐らく規格外だというのに、数多のベテランを差し置いて院長とは。

前情報で『何でもできる』とは聞いていたが、医者としてこれだけ地位があるというのに特化型じゃないのは最早神の采配ミスを疑うレベルである。

余りに衝撃を受けて目を回している私に、ラズさんは「まぁ話してみると癖のない親しみやすい奴だから」とフォローになっていないようなことを宣った。

というか魔法使いという職業が身近になかったために、どこか遠い話のようにラズさんが最高位であることを受け止めたわけだが、正直、覚える量に関しては魔法も医学に引けを取らない、というかむしろ上回っているくらいなので、お友達の凄さの感覚をそのままラズさんに当てはめると、やっぱりこの人もこの人でとんでもないことが分かりやすい。まぁラズさんはお友達と違って魔法特化の生活力皆無なわけだけど。




ラズさんパワーというかなんというか、待つという程待たされなかった私たちは客室に通された。

案内してくれた看護師さんによれば『もう少しで来る』とのこと。


「コーヒー飲む?」


客室にはなぜか簡易的なキッチンや冷蔵庫、電気ポットがあって、軽食どころか使いようによってはそれなりのご飯は作れそうな設備が整っている。

これまたなぜなのか、ラズさんはそれらをあたかも自分のものかのように慣れた手つきで使っているのに加え、棚をあけてコーヒーを出している。


「あの、それ飲んでいい奴なんです?」


至極真っ当な質問だったと思うのだが、ラズさんは虚を突かれたように呆けた後、合点が言ったように表情を崩した。


「あー、ここは俺とあいつが駄弁るためにあるみたいなとこあるからなぁ。ここには基本誰も入らんし、ここにあるもんはほとんど俺かあいつかが買ったもんだから」

「えぇ...ここ病院ですよね...?」

「まぁまぁ、もともと使われてなかった部屋をあいつが私的に綺麗にして使ってるってだけだから」


うーん、ゆるい!!

でもラズさんらしいしラズさんのお友達らしい。

飲み込むことはできたものの飲み込んでいいものか決めかねていると、黙っていたのを了承と取ったらしく私の目の前にこと、とカップが置かれた。

パッと見コーヒーではない気がする。もっと茶色が強いし端に小さく泡が立っている。ラズさんに怪訝な視線を送ると「砂糖なかったから」とだけ言った。

砂糖がなかったから何にしたんだろうか。まぁ飲んでみれば分かるか、と湯気が出ていたのでふーふーして冷ましてから飲んでみると、舌あたりはまったりとしていてコーヒーより幾分甘い飲み物であることが分かる。

コーヒーはどこまでいっても”砂糖の甘さ”という甘さの分類からは逃げられないが、これは砂糖よりもまろやかで、それそのものが甘さを持っているようだ。実際、ラズさんは砂糖を切らしていると言っていたので、砂糖抜きでこの甘さなのだろう。

コーヒーは人並み以上に好きであると自負している私だったが、正直この飲み物のほうが好みかもしれない。あまい。おいしい。

うまうまと暫く夢中で飲んでいると、案の定というか、ラズさんがこちらを微笑ましそうに見ていた。


「ココア好きなら言ってくれれば買ってきたのに」

「ここあ...?」

「なんだ、ココア知らんのか」

「聞いたことも飲んだこともないです」


どうやらこの飲み物はココアというらしい。見つけ次第飲みたいものではあるので、万万が一にも忘れてしまわないように頭の一番大事なことリストにメモしておく。


「今まで飲んだ飲み物の中で一番好きです。甘くておいしいです」

「帰りにどっさり買って帰るか。多分美味いココアの店はあいつが知ってたから後で聞いてみな」


また不経済が発揮されている気がしないでもないが、これに関しては嬉しい以外の何物でもないのでココアを飲みながらこくこくと頷いた。

するとラズさんはまた微笑ましいといった様に相好を崩して、こちらに手を伸ばして―


「ごめんごめん、待たせたね...って、邪魔した?」


私にとってはちょっぴり、ラズさんにとってはとびきり悪いタイミングで、お友達は姿を現した。




「んで、その子が例の?」


いいタイミングで入ってきたお友達は、どうやら空気が読める人らしく、すぐに切り替えたようだ。

一方ラズさんはというと、まだどこかバツが悪そうな顔をしてコーヒーを啜っている。

別に悪いことをしていたわけでもないのに、と思いながら、話を振られた形のラズさんをじっとみているとふと目が合った。途端にふいと目を逸らされるので相当照れているようだ。


「そ。やばいのは分かっちゃいたけど想像の五倍でもまだ足りんぞ、コイツ」

「その類のことラズが言うんだ?」


あまりハードルを上げないでほしい、というかそもそも求められているものが何かも分かっていないのでハードルも何もないのだが、あまり期待されても応えられるかは怪しいラインである。

恐らく過剰に表現したラズさんに、お友達はまず驚いたように目を見開いてから、面白そうに口の端を持ち上げてこちらに視線を向けた。


「初めまして、ガブエラ・エルメルニアです。よろしく」

「あ、えっと、マリエル・グランシェルです。よろしくお願いします」


しっかりとした自己紹介が久しぶり、というかほぼ初めてだったので些か緊張しながらこちらも同じように返すと、隣のラズさんがにやけていた。

だからね、ラズさん、私も初めてのことは分かんないんだってば。

前にもこんなシチュエーションがあった気がしたので、再発防止にきっと睨むと、当のラズさんは「や、ナンデモ」とどこ吹く風である。


「グランシェルってあのグランシェル?」

「いや、綴り違いだな」

「...えっと?」


隣のにやけ面を咎めながらも、私が名乗った時にガブエラさんが怪訝な顔をしていたのは見逃していなかったので、何か失礼があったのかと焦っていたが、どうやら名前そのものが気になったらしい。

我ながらなかなかにかっこいい名字だと思うのだけれど、言い方からして誰か同じ名字で有名な方がいるのだろうか。


「お前、この国の名前言えるか?」

「はい?」


急な話の転換に困惑しながらも、昔に読んだ本から記憶を引っ張て来て「グラン王国ですよね?確か」というと、ラズさんは満足げな顔になる。


「正解。んで、この名前は王様の名字からとってるわけだけど...もうわかるな?」

「...え、マジですか」


王国の名前が”グラン”。私と同じ名字の人がいるという流れでこれを態々言うということはつまり―


「王家と同じ名字だね。綴り違いだそうだけど」

「えぇぇぇぇ」


どんな奇跡だろうか。というかもっと早く教えてくれればよかったのに。外で、それこそ昨日フルネームを名乗っていたらめんどくさいことになっていたんじゃ。というかこれから先名乗るたびにこの問答をしなきゃいけないの...?

ぐるぐると考えていると、ガブエラさんは「ラズ、対策しとかないと面倒じゃない?」と、諫めるような視線を送っている。

ラズさんの話によれば以南地区出身の魔法使いという事実はあまり周知させるようなことでもないらしいし、悪目立ちは避けたいのだろう。

対してラズさんは「確かに」と本当に意識の埒外だったように言った。


「対策...んー、ラズの養子にでも入れる?」

「養子...」


すごく複雑である。とっても複雑である。

こちらとしては、別の方法で同じ名字になりたいなんてしれっと思っているので、養子というのはその可能性を限りなくゼロにしてしまう手前諸手を上げて喜べない。

それでも一緒の名字になれるわけだし、養子であれば弟子を卒業した後も一緒に居てもおかしくないわけで。

メリットデメリットある...というか関わり方の問題だし、現状として師弟で、養い養われな関係だし養子というしっくりくるのは確かにそうなのだが。


――なんか、やだなぁ...


「いや、養子はナシだな」


考えれば考えるほど養子のほうが都合がよくて、考えれば考えるほど養子になるのに忌避感が募って、もやもやと非合理な感情を抱えていた私は、正直自分の耳を疑った。

真偽を問うためにラズさんを見れば、ラズさんは何でもないよう、というか、最初から選択肢にも入れていないような、明確な理由を伺わせる毅然とした態度で答えた。


「あいつらと一緒くたにするのはコイツにも、コイツの親御さんにも顔が立たん。それに名前で突っ込まれるのは俺の養子にしたとて同じだし、俺が養子取ったとなればそれはそれで話題になっちまうだろ。本末転倒だ」


確かに。

そもそも悪目立ちを避けるために名字を変えたいという話なのに、ラズさんの養子になんてなってしまえばその話題性は私の名字と比較にならないだろう。

いけないいけない。最近気づいたことだが、私はラズさんのことになると視野が狭窄するらしい。それもとんでもなく。

頭がすっきりして、晴れた感覚でもう一度先ほどの内容を振り返ると、おかしな点に気づいた。

あいつら、と言ったときの声は、今まで聞いたことがないほど冷え切っていた。全てを諦めた諦念の中に、それでも嫌悪と忌避がとぐろを巻いているような、そんな音だった。

話の流れから、”あいつら”が誰か分からないほど馬鹿じゃない。

しかし私は意図的に思考をシャットダウンした。ラズさんの抱えた物を一緒に持てるほど、私は立派になれていない。

一人前になれたその時に初めて、教えてほしいと、分けてくださいと言おう。


「まぁそうだよね」

「お前な、人を試すな」

「いやいや、人聞き悪いなぁ」

「そうだろ」

「まぁそうだけどさ」


提案者であるガブエラさんは最初から想定していた様だ。ラズさんは人を試すなといったけれど、果たして何を試されたんだろうか?というか私が試されたのかラズさんが試されたのかすら私にはわからない。

そこは長年の勘か何かなのか、ラズさんは全部わかっているようだ。


「まぁまぁ、それはいいとしてさ」


ガブエラさんは一口コーヒーを飲んで続けた。


「わざわざここに来たってことはなんか分かんないことがあるんだろ?」

「そ、コイツが使う魔法なんだけどな―」


そう始めたラズさんは、私の魔法について分かっている事を実例も交えながら説明した。


「成程、ね」

「式を通してないってことは魔力使ってるか怪しいだろ?それも含めて調べてほしんだわ」

「了解了解。準備してくるからちょっと待ってて」


一通り説明したラズさんが、調べてほしい旨を言うと、ガブエラさんはそさくさと部屋を出て行ってしまった。

部屋にちょっとした沈黙が流れる。

多分ラズさんは本当にぼーっとしているだけなのだろうが、養子の件やあいつらの件やらで、少しだけ気まずい。


「...あの、師匠」

「んー?」

「名字なんて言うんですか?」

「...オルゼルド」

「へぇ...ラズ・オルゼルド...」

「なんだよ」

「い、いえ、何でも」


...失敗したかも。

ガブエラさんが帰ってくるまではこの空気が続きそうだ。




暫く経って、といっても体感ではあるが、ガブエラさんは帰ってきた。

この光景で思い出したが、そういえばラズさんはガブエラさんに恥ずかしいところを見られているわけで、お互いが微妙に意識しているからこそ、こんな雰囲気になってしまったのだろう。


「じゃ、手続きはしといたから、転移門から発散場行こうか」

「発散場?」

「俺らみたいなんが好き放題魔法打っても大丈夫なとこ」


聞きなれない単語が二つ同時に出てきたが、転移門というのは字面から何となく分かるので、より分からなかった発散場について聞くと、ラズさんはニヤリと笑いながら答えた。


「まぁ見ればわかるよ。今回はマリエルちゃんにでっかい魔法を打ってもらって、その影響とかロジックを調べる感じだね」

「なるほど」


別にそれならそこらの修練場でもいいと思うのだが、わざわざ発散場に連れて行くということは、相当大きな規模の魔法を使うことを求められているらしい。

こういった時に変に重圧を感じてしまう所は私の短所なんだろう。




転移門を潜って来たのは見渡す限りの荒地だった。

そこは生命というものの一切が排除された、こと”生”という概念を拒絶しているかのような空間で、どこか空気が重い。

最初は植物が生えていない事から二酸化炭素の濃度が高いのかとも思ったが、少し考えればそうではないことが分かる。

というのもここには酸素を生み出す植物こそないが、一方で二酸化炭素を生み出す動物も存在しない。

となればここの大気は周りの環境そのままであるため、酸素二酸化炭素のどちらかに比重が傾くことはないはずだ。


「ちょっと息苦しいでしょ?」


まるで心の内を見透かしたかのようにガブエラさんが言った。


「はい」

「ここには魔力が充満してるんだよね」

「魔力が充満...?」


本来、魔力というものは実際の重みを伴うものでない。

今までは感覚としてそのことを実感していたが、先日のラズさんの魔法の説明によれば、魔法すらも本来であれば実在しない仮想のものらしいので、魔力が現実世界には関与しないことはほぼ確定で考えて良い。そのため、ここが息苦しい事と魔力が充満している事に関係はないはずだが、ガブエラさんの言い方から、どうやらその限りではないらしい。


「そそ、昔ここでとんでもない規模の魔法が使われたんだけど、余りにもその魔法の威力が大きすぎて現実世界にもこうやって影響を残してるんだ」

「あの、どのぐらいの魔法使えばそうなるんです?」

「んー、実際問題詳しいことは分かってないんだよねぇ...如何せんうんぜん年って昔の話だからさ」

「えぇぇ...うんぜん年って...」


対抗心とかでは全くないが、純粋な好奇心で聞くと、ガブエラさんはお手上げといったように両手を振って答えた。

余りのスケールの大きさに唖然としていると、横からラズさんが「ちなみにそんな魔法使ってくれやがったやつが前に話したセラフな」と敬意のかけらもない補足をしてくれる。

それを見たガブエラさんは「ラズ、言い方言い方」と咎めているが当の本人は素知らぬ顔だ。


「言い方も何も、こんなバカでかい土地を適正持ってないと入れないとかいう制限かけやがったんだから当然だろ」

「まぁ一理あるけどね?けど僕らが魔法使えるのだってあの人のおかげなんだから程々にしなね」

「時と場合は弁えてる」

「どうだか」


なるほどなるほど。ガブエラさんはラズさんのストッパー役で、ラズさんもラズさんでそれにあんまり強く反抗しないらしい。

二人の空気感は長年連れ添ってきた人たちのそれで、いつもとはちょっと違うラズさんを見れて嬉しい反面、ほんの少し、本当にちょっぴりだけ、羨ましいと思ってしまう。


「まぁ、ドカーンってやっちゃってよ。見ての通り見渡す限りの荒野だしさ」

「は、はい。打つ魔法はなんでもいいんですか?」

「あー…ラズの話し聞く限りじゃそもそも僕らの魔法と同じとは考えにくいし、僕ら基準で炎魔法って言ってもたぶん本質的には違うと思うから…そうだなぁ、いちばん得意なのでお願い出来る?」

「得意…わかりました」


繰り返すが、私には魔法の得手不得手がない。

ただここで言う得意は、「”威力がわかりやすい”という点で優れている物を出せ」という意味だろう。

それで言えば炎、それも爆破系の魔法が一番だろうか。ほかの魔法に比べて視覚、聴覚、触覚を刺激するので規模がわかりやすいはずだ。


「じゃあ、いきますね」


出す魔法も決まったので、あとは打つだけと魔力を練っていく。

今回のように極大魔法を打つ時や、反対に極小魔法を使う時には体に流れる魔力をもっと細かく認識する必要がある。

魔力を体に流れる血液とするならば、今回意識しなければいけないのは血液に含まれるヘモグロビンになるだろうか。

身体中の魔力を、心臓の高さにあげた手の先に集中させていく。

莫大な魔力を魔法として整形するためには、膨大な集中力と精神力が必要だ。少しでも気が散れば緻密に作っているこの魔法はバラバラとトランプタワーの様に瓦解してしまう。

壊れない様慎重に、かと言ってゆっくりやってしまうと日が暮れるのでガンガン魔力を集めて固めていく。

以前に打った経験から、成長した分も加味して発動地点は三キロ程前方に設定した。

これだけ離せば恐らくこちらまで被爆することはないはずだし、もし何かあっても私のお隣には最強のギフテッド様もいるので問題ないだろう。

必要量の魔力とその形成、発動地点の設定、魔法のイメージと必要な準備が整ったので、今から打つ旨を伝えようかとも考えたが、思いのほか余裕が無かったのでこのまま打ってしまうことにする。

持ち上げていた手を合図とばかりにぐっと握り込むと、設定した通り三キロ先から爆発が起きた。

爆発音が届くよりも先にそこそこ熱い風が頬を叩き、それからまもなくしてお腹に響くような轟音が届く。

目測にはなるが爆発の端はここから一キロ地点を切っていたので、半径は二キロを超えたはずだ。自己ベストが二キロに少し届かないぐらいだったので、成長が嬉しい。

自分でもよくできたと思える出来だったので、ラズさんの評価が聞きたくて振り返ると、視点が空に向かっていた。

…ラズさんが見ているからと張り切りすぎたようだ。

急速に遠のいていく意識の中、すごく焦ったようなラズさんの顔がぼんやり見えた。


―――――――――


―ドガァァァァァァァァァン!!


「ラズ?聞いてた話と違うんだけど」

「いや言ったろ?五倍じゃ足らんって」

「足らなすぎでしょうよ...」


眼前では見事としか言いようのない爆発が起きていた。

発動までの時間も規模を考えれば相当短いし、あれほど遠くで爆発させたにもかかわらず魔力がぶれることもなく、風に乗ってくる魔力の残滓は濃密なものだ。

あの年でこれほどの魔法を扱えるというのはあいつがひたむきに努力してきた結果だと思う。

実際、あいつの魔法については分からないことが多いが、一朝一夕でああなったわけではないことがあいつの言動の節々から滲み出ているのだ。

個人の意見として、才能は正しく使われるべきだと常日頃から思う。

それは、才能を持つ物がそれを腐らせまいと努力すること然り、周囲がその才能を悪用しないこと然り。

あいつは才能に胡坐をかかず日々努力できる人間だ。

それを知ってしまった手前、曇らせるわけにはいかない。俺たちが、守ってやらなくちゃいけない。


「し!...しょー......」

「馬鹿弟子が...!」


宮廷魔法師何人分かと言わんばかりの魔法を撃った弟子は、勢いよく振り返ったと思えば糸が切れた様に後ろに倒れた。

結構やばそうな倒れ方したな。大丈夫なのか、あれ。

慌てて駆け寄ると、これまたなんとも舐めた顔で熟睡してるものだから一発小突きたくなる。

...理屈に関わらず、この何も考えてなさそうなあほ面を守りたいと思う俺は師匠馬鹿というやつなんだろうか。




ふと目を開けると、私は元の部屋にいた。

確か本気で魔法を使ってせいで倒れたはずだったが、どうやらラズさん達が運んでくれたようだ。

そこまで把握したところで、いつもより意識がはっきりするのが遅いことに気づいた。体に意識を持っていけば、頭は鈍痛を訴えているし、体の節々が痛い。

―これは完全にやりすぎたな。


「おっ?起きた...って、おーい!二度寝しないでー」

「んう...はい...おはよございます......」

「呂律回ってないけど大丈夫そう?」

「はぃ...」


まだ焦点の合わない目を動かせば、正面にガブエラさんが座ってこっちをのぞき込んでいた。

喋ってみると改めて実感するが、とにもかくにも非常に眠い。体が「不調だ!休め!」と騒ぎ立ててこっちの意思を無視してしまっている。

しかしずっと寝ているわけにもいかないので、覚悟を決めて意識を起こそうとしたとき、何とも言えない違和感が私を襲った。

私は恐らく椅子に座っているはずなのだが、なんというか...すごく命を感じるというか、端的に言ってしまえば、私は恐らく誰かの上に座っている。

目の前にはガブエラさんがいるわけだが、本来ならいるはずの人間が見当たらない。というかこんなことは考えずとも分かる。


「おい弟子。起きたなら退け」

「ええええええ!?」


そう、わたしはラズさんの膝にすっぽりと収まっていたのである。


「いや退かしちゃダメだってば、さっき説明したろうに」

「あの、どうゆう風の吹き回しで?」


ラズさんと出会ってから数日で分かっている事は、ラズさんは女性との接触をあまり好まない事、以外と能動的であれば触れてくれること、そして恥ずかしがり屋、という事である。

私は気絶か何かで意識を失っていたはずなので、私を膝の上に乗せたのはラズさんという事になる。という事は能動的な接触なのでおかしなところはないかと言われれば答えはノーだ。

流石にこのレベルの接触はいくら能動的と言っても恥ずかしがるだろうし、そもそもラズさんのモラルの問題でこんなことはしないはずだ。

しかも目の前にはお友達であるガブエラさんまでいるわけで、益々この状況はおかしいと言える。

真偽を問うために振り返ろうとしても、後頭部を抑えられてままならなかった。

...まぁラズさんとくっつけるならばそれは大歓迎なので、私視点は全く問題ないのだが。


「ガブ、せつめー」

「はいよ...ってその前に、マリエルちゃん喉乾いてない?何飲む?」


言われてみれば喉がぱさぱさで今にもくっついてしまいそうだったので、「じゃあココア欲しいです」と言うと、ガブエラさんはそそくさと台所もどきに引っ込んでしまった。

ラズさんの膝の上が思いのほか心地が良くて、ふふーだのへへーだの言っていると、ラズさんが耐えかねた様に口を開いた。


「あー、弟子。この体制に関しては後でガブからそれなりの説明が入るから安心してくれ」

「はい、恥ずかしがり屋の師匠がこんなことしてくれるなんて珍しいですし、何かあるんだろうのとは思ってますよ」

「うん、まぁ、言いたいことはあるが...いいや。それよりだ、...いい魔法だったぞ」

「へ」


まるで言い訳のように前置きしたラズさんだったが、雰囲気を変えるように一息置いた後、急に、それも直球に先ほどの魔法を褒めてきた。

そういえば、ラズさんはこうゆう事ははっきり伝えるんだった。不意打ちとはなかなか卑怯なり。


「えっと、ありがとうございます。師匠から見て私の魔法はどうでした?改善できるならしたいです」

「あー、改善ねぇ...なぁ、これはショックを受けずにむしろ前向きに捉えてほしいんだけど...」

「はい?」

「お前の魔法、ちょっと危なすぎるから禁止です」

「.........はい??」


魔法が禁止?

恐らく、お前の、と言っていることから、私の式を通さない魔法のことを言っているのだと思う。

危なすぎる、というのは魔法の威力のことかとも考えたが、目の前、というか後ろにいる方は、どれだけ少なく見積もっても、先ほどの魔法の二倍の威力は出せるはずなので考えにくい。

となれば、ラズさんが前に話していた、魔力を消費しないことのデメリットが大きく、私にかなりの負担がかかっていて危ないという意味だろうか。

実際、魔法を使った後である今、体調は不調そのものだし、毎回、特にこっちに来てからは魔法を使うたびにひどい眠気に襲われていた。

魔法を使ったことによる純粋な疲労だと思っていたが、それが魔力を通さないデメリットとなれば話は変わってくる。前者であれば、休養を取れば回復するが、後者は、不可逆なダメージであることも否定できない。

ぐるぐると考えていると目の前にグラスが置かれた。

注文通り中身はココアらしく、先刻見た通り、少しとろりとした質感を確認できる。

先ほどと違う点と言えば、氷が入っていて中身がよく冷やされている事だろうか。


「ありがとうございます、それで、私の魔法はどんな感じだったんですか?」


勿論、魔法としての評価を聞いているわけではない。

今回、諸々の測定を行い、数値から考察、あるいは結論を出しているはずのガブエラさんに、「魔法を使うな」の真意を聞いているのである。

ガブエラさんもそれは分かっているらしく、自分用に注いだコーヒーを一口飲んでから話し始めた。


「端的に言えば、君の魔法は危険だ。周りに対してじゃなく君自身にとって」


ゆっくりと話し始めたガブエラさんは、それまでのどこか飄々とした様子から一転して、どこか苦々しさすら感じる声で告げた。


「ラズから魔法を使う際に式を通す必要性...デメリットを魔力で肩代わりしているという話は聞いてるね?」

「はい」

「君の場合はそれがない。今回ラズが僕のところに君を連れてきたのもそれを危惧してのことだ。だから一発デカい魔法を撃ってもらって、君のあれやこれやを計測させてもらったわけだけど...」


そういってガブエラさんはカメラのようなものを取り出した。

恐らくあれで私のあれこれを計測したんだろう。


「魔法を使った瞬間に、セロトニンの分泌の抑制、著しい副交感神経優位の二つが起きている」

「えっと...すっごくネガティブになったり眠くなったりするってことですか?」

「あ、あぁ、そのとおりだよ...よく知ってるね」

「昔さらっと読みました」


セロトニン、所謂幸せホルモンというやつだが、それの分泌が抑制されると、思考がふさぎ込んだり後ろめたくなってしまうという事が起きる。一言で言えばネガティブである。

副交感神経が優位になると、体は休眠状態になるため比例して頭も回らなくなり、ひどい場合はその場で気絶...なんてことも考えられる。

確かに二つとも実生活において悪影響ではあるが、ラズさんとガブエラさんの雰囲気、もとい音はもっと深刻なものだ。


「これの何が危ないかって、両者ともに異常なんだよね。セロトニンの抑制に関しては、一般にうつ病と診断する人の数値を大幅下回るし、副交感神経に関しては数値としては気絶してもおかしくないレベルだ」

「それは、また...」


確かに言われてみれば魔法を使った後には何だか気分が乗らない、と言ったことがままあった。睡眠に関しては急激に眠くなるものの、寝たら寝たで途中で起きてしまってまともな睡眠が取れなかった。恐らく自律神経の乱れにより質のいい睡眠ができなかったのだろう。

...それに、ラズさんに見つけてもらったあの日は魔法を限界を超えて使い続けていた。あの時の思考こそネガティブそのものだったので、まさにと言ったところか。


「心あたりはあります。それで...これに関しては?」


私はこれと言いながら手を広げて見せた。無論、ラズさんと私の体制の話である。


「これまたおかしな話なんだけどね?マリエルちゃん倒れちゃったから、ラズが背負って運ぶことになったんだけど、その時にさっき言った症状が回復してってたんだよね」

「おぉ」

「しかも、二人の間で魔力がすこーしずつだけど循環してて、本来ならそんなことはあり得ないし、実際マリエルちゃんの手を握ってみても同じような現象は起きなかった」

「てことは...」

「ラズはマリエルちゃんの特効薬ってことだね」

「おい、言い方何とかしろ」


一旦なぜラズさんが私の薬となりえるのかは考えない事として、ラズさんと私の間に特別な何かがあるという事実は純粋に嬉しかった。

この際理由は何でもいいのだ。ラズさんにとって私が、あるいは私にとってラズさんが”他とは違う何者か”だったことが嬉しくて堪らない。

それにこれを言い訳にすれば合法的にラズさんにくっつけるのでは?


「いやぁ実際そうとしか言えない状況だしさぁ...で、まだ、あるんだけどね、マリエルちゃんの魔法による症状なんだけど、一過性の極端に減るものに加えて、慢性的な、最大値を減らすようなものもあるんだ。で、ラズとの接触で恐らくどっちも回復するだろうから、魔法を使うのは一旦式を通すものに限定して症状の悪化を避けて、日常ではラズと触れ合って今までの傷を治していくってのがこれからの方針かな」

「えっと...師匠はどうなんでしょう?」


私個人としては嬉しい。とにかく嬉しい。

が、ラズさんはくっつかれると迷惑ではないだろうか。一応大義名分のようなものは獲得したが、それがあるからこそ無理強いはしたくない。こちらがそれを振りかざせばラズさんは首を横に振りにくいし、私としてもそんな関係は望んでない。

話の途中から、ラズさんは私の頭の上に顎を乗せて、私の固定をしながらくつろいでいたので、依然として私はラズさんの顔が見えないわけだが、問いかける意味も込めて動かせる範囲だけ動かしてラズさんの意思を聞いた。


「俺しかいないってんなら仕方がないだろ。...まぁ多少暑苦しいとは思うが、まぁそんぐらいは許容範囲内だ」

「師匠...」


思いのほか真を開けずに話し始めたラズさんは、仕方が無いと言った。

しかしその声に、本当に微かにではあるが、好意の色があって、私は思わず飛び上がってしまいそうだった。

勿論そんなことをすればラズさんは見事に顎を撃ち抜かれることになるので自制したが、気持ちが昂るのは抑えられない。本当に僅か、吹けば消えてしまいそうなほどではあるが、ラズさんは私との接触を許容し、むしろ好意的に受け取っている。

いつかその色を好意で染め上げてやろうと、私がやる気を出すのも必然のことだろう。


ガブエラさんと別れた私たちは揃って帰路についていた。


「私の魔法が使えないとなると、いよいよ本格的に魔法を学ばなきゃいけないですね」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」


ラズさんはそう言ってとても訝し気な視線を向けてくる。

嬉しい...というのは少し違うのかもしれない。

私が持っている魔法を使わない、使えないという事は、私がある程度”普通”の弟子として生活できることを表しているわけで、その重圧のようなものがなくなったことに関しては安堵というか、一種の解放感を感じる。

それに、”いざとなれば自分の魔法を使ってしまえば解決”だった状況が変わっただけでもモチベーションがまるで違う。

差し迫った脅威があってこそ人間は努力できるというものだ。凄い人は何もなくとも努力して見せるもかもしれないが、少なくとも私は自分をだましだましやるタイプなのでやらなければいけない理由の一つや二つあったほうがいい。

それに―


「みんなと同じって凄くいいものですよ?しかもこれで師匠とおそろいです!」

「...そうか」


ラズさんとお揃いというのは、私がラズさんの事を好きすぎるがあまり、というのも否めないが、割と現実問題嬉しいものがある。

本人も冗談半分で言っているのは分かっているのだが、私が魔法で何かしたときに呆れられたりするのは、ほんのちょっぴり寂しかったりする。

勿論、相当面倒くさい感情であることは自認していたので表には出さないが、私の魔法が使えなくなることによって、ずれていた土俵が一致する、というか、同じ目線になるのは嬉しいのだ。

きっぱりと言い切ると、ラズさんは残念な子を見るかのような目で私を見たが、諦めたのか何なのか、ふっと鼻を鳴らして笑った。




それからはひたすら勉強漬けの日々だった。

まず最初の三日で参考書を十周した。

十周と言ってもあくまで読み物として目を通すのを十回行っただけである。

と言っても量が量なので三日かかってしまった。

軽く目を通し、何度も反復することで、参考書のざっくりとした内容と、どこに何が書かれているかを把握した私は、それからさらに三日かけて精読をした。

必要に応じてノートにまとめたり、線を引いたりして、抜けがないように徹底的に覚えていく。

こうしてみるとよくわかるが、魔法において覚えているかどうかというのは基本中の基本らしい。

覚える量が莫大なのにも関わらず、それら全てを覚えていることが前提で、反射的にアウトプット出来てようやくスタートラインと言った具合だ。

なのでひたすら丁寧に、漏れがないように隅から隅まで覚えていった。

そんなこんなで今日は一週間の末日、週に一回の休日である。


「おい、弟子」

「...はい?」


いくら勉強漬けの日々といっても、ラズさんのお世話は欠かしていない。

と言っても、毎日作ると負担が大きかったので、ラズさんに許可を取って作り置きをさせてもらっている。

ちなみに、作り置きしたのは”わいばーん”関連の肉料理だ。ここにきて役に立つとは。

勿論、肉料理だけというもの健康によろしくないので、付け合わせのお味噌汁だったり、サラダだったりはその都度作っている。

今日も、いつもと変りなく朝ご飯の付け合わせを作り、勉強の続きをするために部屋に戻ろうとすると、ラズさんに手首を掴まれた。


「お前、ちょっと頑張りすぎ」


そういったラズさんの目は本気そのもの。声も心配と不安がごちゃまぜになったような音で、全身を使って「心配してます!」と表現している。

あー...ついいつもと同じテンションでやってしまったけど、初めて見る人間からすれば確かにちょっと異常かもしれない。


「あのー、心配してくれるのは有難いんですが、私、熱中するといつもこ―

「関係ない。俺の目が黒いうちは見過ごさない」


私の言い訳(というか何かに熱中すると寝食が最低限で済むようになるのは本当なのだが)はラズさんに口を塞がれたことで叶わなかった。

先ほどとは一転して、今度は、それ以外を全く認めない、というような、言ってしまえば高圧的な声で凄んでくる。

この様子だと、説得は無理そうである。

私は降参です、というように、私の口を塞いでいる手を叩いた。

私の表情から、私に抵抗の意思がないことを確認したらしく、あっさりと口と手は解放されたが、ラズさんが纏う空気は依然として高圧的なものである。


「正直、もっと早く止めなかった俺も悪いとは思ってる。が、それはそれとしてだ、...こういっちゃなんだが頑張りすぎだ。俺はお前に重圧をかけたくて弟子にしたわけじゃない」


ラズさんの言葉にハッとした。

私が無理に魔法を詰め込んでいるのは、ラズさんからしてみれば、「無茶をかけたかもしれない」「重圧だったかもしれない」と考えるには十分な事柄だろう。

声に隠された不安や罪悪感の正体はこれだった訳だ。


「あの、...ごめんなさい。...その、私としては覚えられることは早く覚えてしまいたかっただけと言いますか...重圧を感じて、とか、そんなのではなくて...えっと、」


どうにかラズさんがそうさせているのではない事を伝えようとしても、どうにもうまくいかずに、それでも必死に伝えると、ラズさんはどこか安心したように「そっか」と一言零した。

何とか伝わってくれた安堵と、本当に正しく伝わっているかという不安に板挟みになってラズさんの顔を伺うと、視線に気づいたラズさんは困った様にはにかんで「ごめん、怖かったよな」と頭を撫でた。

事実、軽いパニックだったのだが、ラズさんから見ると、怯えていたように見えたのか、撫でる手は壊れ物を扱うかのように優しかった。

途端に緩んでいく頬を今回ばかりは少し引き締めて、「あの、お話しましょう?最近勉強ばかりでしたし...」と弁解の機会作りの意味も込めて言うと、ラズさんは「ココア入れてくるから先に座ってて」とスタスタと台所に消えていった。




ココアを注いで、隣にどかっと座ったラズさんに、何かに熱中すると本当に寝食が最低限で大丈夫になる事、家族は慣れてしまっていたのでこの特性がおかしな事というのを忘れていた事、ラズさんの事は全く負担には思っておらずむしろやる気の源である事を話した。

ラズさんは私が話し終えるまで黙って聞いていたが、話終わると神妙な面持ちで口を開く。

ラズさんが言った事をまとめると、一般に体を壊すような無茶はしない事、一般と違う体質がある場合先に言っておく事、魔法を学ぶことについては年単位で考えて、焦ったり急いだりしない事、の三つだ。


「体は大切にしてくれ、本当に、...本当に心配だった...」


噛み締めるように呟かれた言葉はあまりに真っ直ぐで、いつもは素直じゃないラズさんにここまで言わせてしまったという罪悪感と、恥ずかしい様な、むず痒いような、何とも言えないいたたまれなさを感じる。

しかし、...そんな感情も悪くなかった。

なんだか凄く大切にされているような気がして、体の中心がぽかぽかする。

そういえばセロトニンの分泌が云々でラズさんと接触しろと言われていたが、勉強に夢中でそれどころではなかった。

―今日ぐらいは甘え切っても許してくれるだろうか。


そんな考えが頭をよぎった瞬間、ぽふ、と頭の上に手が置かれた。

そのまま優しく髪を梳くラズさんはとても満足げな顔をしている。

好きでやったことではあるが、六日も勉強尽くしだった訳だから、ご褒美も必要だろうと自分に言い訳して、私はラズさんの腕に凭れた。

いつもであれば、ここでたじろぐか苦言の一つでも頂戴しているところだが、ラズさんはどこまでも安心したような、慈しむ様な顔をしている。

正直、いたたまれなかった。頭を撫でてもらって、もたれかかる事も許してもらって幸せなはずなのに、どこか恥ずかしくて、逃げ出してしまいたいような衝動に駆られる。


「...あの......」

「うん?」

「い、いえ...なんでも、ないです......」


触って欲しいのに恥ずかしい、甘えたいのに逃げ出したい。

相反する二つの感情は、ラズさんが撫でる手を止めるまで渦巻いていた。




私がラズさんに拾われてから早一か月がたった。

今日は新しい参考書を買いに街に出ていた。

ラズさんに買ってもらった参考書はすべて読み終えたし、その後に行った確認テストでも全てつっかえる事なく答えられたので内容の理解は完璧と言っていい。

勉強を始めた最初の一週間こそ速いペースで詰め込んでいたが、ラズさんがあまりに心配するので控えることにした。

それもあり、進捗的には最初の一週間で八割、後の二週間で二割といったペースになってしまったが、これも悪くないかもしれない。

進度を遅くすると、最初のほうにやったことがどうしても抜け落ちていくため、それを埋めるようにもう一度勉強し、さらに進度が遅くなる。

一見するとよくない事のように見えるが、進度を遅くする、もう一度勉強する、という事は知識の長期的な定着に非常に効果的なのだ。

何より、体を休ませながら勉強できるし、生活が勉強一色になってしまわないので心にゆとりができて、単位量あたりの能率が上がる。

ただ、正直これらの理由がなくともラズさんがやるなと言うなら私は控えていただろう。

あの時の真っ直ぐに心配してくるラズさんの視線が今でも忘れられない。

初めての感覚だった。

感情が飽和してしまって、ぼーっとしたり感情を形容しがたい、と言ったことは多々あった。

しかしあの時抱えていた感情の矛盾はそれとは似ても似つかない心地がした。

いうなれば”矛盾”そのものが正しい形かのような、考えていることは真逆で矛盾しているのに、全体でみるとやけにしっくりくるような。


―あれは何だったんだろう。


それはさておき、あの時のラズさんが理由はどうであれ、攻撃力が高かったのは事実である。

あのモードのラズさんには適わない、というか戦う前から無条件降伏してしまいたいほどなので、勉強の効率が下がろうとも、あの場で私が我を通す選択肢はなかったと言える。


そんなこんなで参考書を読了した私だが、またもや参考書を買いに来ているのには理由がある。

これはラズさんから言われたことでは断じて無く、むしろ私個人の判断だ。

ラズさんによれば、細かな部分や専門知識、経験からくる、参考書には書かないような事柄などの知識をいったん無視すれば、魔法についての知識はあの本一冊でほぼ入っているらしい。

なので方針としては、別の参考書を買って、また知識を詰め込むというよりかは、実践的に魔法を使ったりだとか、魔法で魔獣駆除をしてみたり、というのがセオリーらしい。

ラズさんもそのセオリー通り進めるようなので次からは魔法の実際の扱いであったりを教えてくれるそうだ。

しかし、それとはまったく別に個人的に気になった専門知識があった。

それは「魔法の創造」だ。

ここで言う魔法の創造とは、全体としての魔法ではなく、例えば火球の魔法であったり、風刃の魔法であったりの事である。

それらが、非効率ではあるものの、自分で作れるという事が参考書にあっさりとだけ乗っていた。

つまるところ、今日は「魔法の創造」に関しての専門的な参考書を買いに来たというわけだ。


ようやく春が訪れたのか、日差しはぽかぽかと温かく、それでいて吹き付ける風はまだ冬の香りを残していて、うっすらと上気した肌を心地よく冷ましてくれる。

紛うことなき絶好のお出かけ日和である。

今日は休日だったのでラズさんとお出かけしたかったのだが数日前からラズさんは任務で遠方に出払っており家を空けていた。

ラズさんが『これからって言うときに申し訳ない』『一週間ぐらいで帰ってくるから家を頼む』と言って行ってしまったのは四日前の事なので後三日は帰ってこないことになる。

さみしい。

それはもう淋しい淋しい。

ほんの一か月前はこんなことを思うような我が儘な性格ではなかったはずだ。

ラズさんは帰ってくるのだからと、ラズさんとのつながり自体を重んじて、一人の時間にも耐えられた。

それが今となってはどうだろうか。

少しでも暇になれば「師匠早く帰ってこないかなぁ」なんて考えてしまう私は変わってしまったのだろうか。


つらつらと考えながら歩いていると、目的の書店に着いていた。

私は頭をふるふると振ってマイナスになりかけた思考を振り払った。




「できた...!!」


私の右手には「ゼロから分かる魔法の創造」と書かれた参考書。

ラズさんが帰ってくるまでに完成させたかった魔法がついに出来たのだ。

魔法の創造はそれそのものが魔法のようなもので、言ってしまえば魔法を作る魔法なわけだが、この難易度が異常も異常なのである。

そもそも必要な魔力量が目を疑う程で、人によっては一生かかっても作れないレベルなのだ。

私は魔力の底が無いらしいが、一度に使用できる量には制限があるため、丸々二日、魔力をひたすらつぎ込む羽目になった。

まぁ完成したし、そんなことは些事だ。


「よし...後は試し打ちかな」


理論的にいくら完成していたとて、実物を見ないというのは宜しくないだろう。

正直、連日魔力を使い込んでいたのでほんの少しだけ疲れていたが、実物を見てみたい欲が先行したので、私は掛けてあるローブを羽織って外に出た。




外に出たのはいいものの、私が知る試し打ちができる場所は例の荒野しかない。

例の荒野につながる転移門への行き方を知っている人のあてはラズさんがいない今一人しかいないわけで、その人も確か多忙の日々を送っているはずなので、無理と言われれば今日は渋々帰るしかない。

その時はラズさんが帰ってきてから、一緒に試し打ちに行けばいいのだが、何となくラズさんには試し打ちまで済んだ完成品を見せたかった。




「あの、ガブエラさんって今いらっしゃいますか?」

「院長ですか?...失礼ですがお名前を伺っても?」

「マリエル...グランシェルです。ギフテッド様の弟子と言えば伝わると思います」

「は、はぁ、えー、少々お待ちください」


そんなこんなで私はガブエラさんの病院に来ているわけだが、案の定、受付の人からはとてつもなく不審な目を向けられている。

これは厳しいかなぁ、なんて半ば諦めていると、少し遠い所から「あれ?」と驚いたような声が聞こえた。

己の幸運を噛み締めながら声のした方に駆け寄ると、酷く驚いたような顔をしたガブエラさんが立っていた。


「どうしたのさ、こんなとこまで来て」

「いやぁ、ちょっと試し打ちしたい魔法がありまして、私の知っている試し打ちができる場所はあの荒野しかなかったのでダメもとで来ちゃいました」

「ふふっ、なんか変なとこでアクティブだね?」

「私は素でアクティブですよ?」

「いやぁ、ラズから聞いたよ?勉強詰め込みすぎてラズに怒られたんだって?」

「あ、あれは、そのぉ...」


ガブエラさんと世間話をしているとわらわらと人が集まってきた。

「あの話してる子供は誰だ?」という視線もさることながら、ガブエラさんがラズさん以外に砕けた態度を取っていることに驚いてる人が多い。

こう見えてガブエラさんは仕事だとしっかりするタイプの人らしい。


「はっはっは。まぁ程にね?それで、試し打ちだっけ?それだったら魔法院に試し打ちできる場所があるよ。多分開放されてると思うから好きに使えるはず...」

「そうなんですね!ありがとうございます」


もしかすると魔法院には何でもあるのだろうか。

今度何かに困ったらとりあえず魔法院に行ってみるのもありかもしれない。

ぺこりとお辞儀をしてお礼を言うと、ガブエラさんは気にしなくていい、というようにひらひらと手を振った。




ガブエラさんの言った通り、訓練場と書かれた建物はドアが開け放たれていた。

魔力感知で見たところ中に人はいないようだ。

まぁ今日は休日だし、みんな思い思いの楽しい休日を過ごしているんだろう。

こつこつと中に入ってみると、内壁に魔力を弾くようなものが加工されている事に気づいた。

この広さだとそこそこの魔法を使ってしまえば簡単に建物が崩れてしまいそうだったが、特殊な加工でそれを防いでいるらしい。

これなら好きなだけ魔法を撃っても大丈夫そうだ。

さて。

今回作った魔法は「私の魔法を使える魔法」だ。

学んでみて思ったが、式を通す魔法の自由度は驚くほど狭い。

炎、水、風、雷、氷の攻撃魔法以外はほとんどないと言って差し支えないし、浮遊魔法や転移魔法は事実上ほぼ不可能だ。

どこかの誰かは当たり前のように「ゴトッ」「ガコッ」と家具を配置していたわけだが、これに限らず魔法を学べば学ぶほどラズさんが異常なことが分かった。

そうゆうわけで、自由度を求めた結果、最適解は「私の魔法を魔力を通して使用すること」だ。

私の魔法は自由度こそ発想次第でどれだけでも広くなるが、魔力を使用しないせいで私への負担が大きい。

ということは私の魔法を魔力を使って使用するのが最適、と考えるのはむしろ必然の事だろう。

勿論、魔法を作るにあたって弊害もあった。

どこをどうやって削っても、使用する魔力の量が私の一日に使える魔力の限界ギリギリになってしまうことで、この魔法は一日に一度しか使えないし、使った後は魔法を万全の状態で使うことができない。

正直使いどころがあるかは不明、というかまぁないだろうが、この類のものはあるかないかで話が変わってくるものである。


「よし」


私は気合を入れなおす様に頬を軽く叩いてから、作った式の中に魔力を入れていくイメージをする。

いつもの如く持ち上げられた手の先には、いつもと違って魔法陣が浮き上がっている。

最初は透明で、空間が歪んでいるだけだったのが、魔力を通していくと、魔法陣に淡い桃色が入っていく。

完全に魔力が入り切ると、魔法陣は一際大きな光を放ってゆらゆらと水面のように揺れていた表面が安定した。

ここまでくれば後は打つだけなのだが、初めて使うこともあり、今回は詠唱をしようと思う。

参考書によれば、魔法の使用が困難な場合でも詠唱を行うといくらか難易度が下がるらしい。

詠唱と言っても大したものではなく、魔法の名前を言うだけなのでお手軽である。

一度息を吐いて、肺を空っぽにした後、すぅっと息を吸ってその名前を呼んだ。


「マギア」


―――――

―――

――








ある休日、魔法院の訓練場が爆発し、半壊した。

魔法を放ったとされる少女は、自分のことをギフテッドの弟子だと名乗り、”賢者”ガブエラが証人となった事でそれは証明された。

幾重にも魔法障壁が施された、この国随一の防壁を単独で破壊した、という話は、誇張される余地もなくそれそのままに国中に伝わり、良くも悪くもマリエルを”ギフテッドの弟子”として位置付けた。

この件は任務帰りで程々に疲弊していたラズの胃袋を締め上げるには十分すぎた。





つづく

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