第9話 杏子

気が付けば既に16時を過ぎようとしていた。

葵の我儘で結城を連れたまま、近くの喫茶店に寄り道をしていたのだ。

葵には多少甘い結城だが、まさか喫茶店について来てくれるとは思わなかった。

葵がクリームソーダを頼んでいる中、結城はブラックコーヒー1つだ。

アイスをスプーンですくって食べさせようとする葵だったが、甘いものは苦手と結城は拒否する。


食べ終えた後、喫茶店を出ると目の前にいる見慣れた人物の姿が目に入った。

それは派手な格好をした、成瀬の母親、杏子きょうこだった。

彼女の横にはいかにもチャラそうな若い男が並んでいる。

恐らく行きつけの店のホストだろう。

杏子は嬉しそうにそのホストにくっつきながら夜の街へと消えていった。

葵は成瀬の横で震えている。

母親が他の男と街中で遊ぶ姿など見たくはなかったはずだ。

しかも、家では見せないような笑顔。

成瀬も複雑な気持ちで母親から目をそらした。

それに気が付いた結城が成瀬に質問する。


「あれ、成瀬の母さん?」


結城は成瀬が何も言わなくてもすぐに理解していた。

驚きつつも、頷く。


「あんたらそっくりだからすぐにわかった。あれは同伴ってやつだな」

「結城さんはこの辺の事、詳しいの?」


さっきの店といい、結城には何の戸惑いもない。

まるで慣れた様子で街を歩いていた。


「少しな。昔、親父が働いてた場所だから」

「え、お父さん、ホストだったの?」


意外な発言に成瀬は声を上げる。

すると結城はものすごい馬鹿にしたような顔で成瀬を見た。


「なわけねぇだろ。あんな小汚いホストいるかよ。この辺で料理人やってたんだ」


なるほどと成瀬は手を叩く。


「だから、あのバーのママとも知り合いだったんだね」

「ああ、時々ああやって料理を届けに行く。うちは貧乏だけど、親父の料理を今でも好んで食べてくれる人がいんだよ」


結城は少し誇らしげだった。

ここがどんなに物騒な街でも父親の認められた場所だから、結城は学校よりも自然体でいられるのかもしれない。

結城は隣で震えている葵を見た。

葵にとってはあの光景は衝撃だっただろう。

自分たちの事をほったらかしで、赤の他人の男と遊んでいるのだから。


結城は決心したように、葵の腕を掴んで杏子たちの向かった方向へ走り出した。

成瀬も慌てて追いかける。


「結城さん、どうしたの?」

「お前の母さんを追いかける」

「追いかけるってどこ行ったのかわかるの!?」


もう杏子の姿は見えない。

人も増えて来たし、走ったところで追いつくとは思わなかった。


「あのホストには見覚えがある。とにかく、私についてきな」


結城の顔は何かを決意したような顔だった。

おそらくこれは成瀬と葵の為にしてくれているのだろう。

店の仕事もあるのだが、結城にとっては目の前の慕ってくれる後輩と同級生の方が大切らしい。

成瀬も結城を信じてついて行くことにした。

歌舞伎町のネオンの光が灯り始めていた。



そこは多くのクラブが集うビルだった。

そのホストクラブはこの建物の2階にある。

入り口のドアはやけにゴージャスで、部屋の中は金色に染まっている。

入り口の前にはそれぞれのホストの写真と源氏名が書いてあるプレートが一緒に飾られていた。

その中に杏子の指名キャストのカイトの写真もある。

どうやら彼はやり手で、トップクラスのホストらしい。

三人が中を探ろうとして店の中を覗いていると、後ろから酒焼けした荒い声が聞こえて来た。

振り向いてみると、ガタイがいい男と細身の男が2人立っている。

服装からしてもこの店のキャストだろう。


「おい、おめぇら、こんなとこで何してんだよ?」


見つかったと思い、成瀬は真っ青な顔をして立っていた。

葵も男たちを睨みつけながら、結城にしがみついている。

しかし、結城は相変わらず肝が据わっているのか、全く動じた様子を見せなかった。


「中に入っていった杏子という客を呼んでもらいたい」


ああ?と細身の男が威嚇して、結城に顔を近づけてくる。

それでも結城は微動だしない。


「杏子? ああ、あのカイトの太客か。ここはガキが来るところじゃねぇんだよ。帰った、帰った」


細身の男はそう言って追い返そうとしたが、ガタイのいい男が成瀬に気が付いて、じっと顔を凝視した。

そして、隣にいる男に相談した。


「おい、こいつなかなかのつらじゃねぇか?」


そう言われて、細身の男もじっと成瀬を見つめる。


「確かにな。顔だけならヒビキさんに並ぶかもなぁ」


ヒビキとはこの店のナンバー1ホストの事である。

入り口の横にはでかでかと彼の写真が載っていた。


「それにそこにいる甚平服の女も男装したら行けそうじゃね?」


今度は結城にも指をさして答えた。

結城は警戒するように睨みつける。


「確かにばけっかもな」


細身の男は顎をこすりながら話した。

そして、親指を立たせて裏口の方を指した。


「とりあえず話聞いてやるから、ちょっと顔貸せや」


成瀬は戸惑っていたが、裏口に向かう2人に迷うことなく結城はついて行く。

ここで結城だけを行かすわけにいかないと、成瀬も意を決してついていった。





3人は楽屋のような小さな部屋のソファーに横並びで座らせられていた。

目の前の細身の男はレオンと名乗っていた。

ホストとして売れそうにない、さっぱりとした顔立ちの男だ。

彼曰く、自分は『飲みキャラ』らしい。


「で、杏子さんはあんたらの母ちゃんってことなのな?」


レオンは改めて聞き返す。

成瀬は頷いた。


「まあ、よく見れば顔も似てるし、疑わねぇけど、その母ちゃんを家に連れて帰りたいっていうのはちょいと厳しいな」

「なんでですか?」


成瀬は身を乗り出して聞いた。


「杏子さんはカイトの太客の一人だからな。カイトが許すとは思えねぇよ。それにあの人失ったら、店の売り上げが減る」


ただとレオンは付け加えた。


「カイトは今や店のナンバー3だが、俺の後輩でもある。後から入った新参者に偉そうにされてるのも気に入らねぇ。だから、あいつの太客一人引っこ抜いてやるもの、俺的にはやぶさかでもないんだがよ」


そう言ってレオンはにやにやと笑いだした。

何か妙案が浮かんでいるようだ。

成瀬には嫌な予感しかしない。


「でだ、お前の母ちゃんを帰す手伝いをする代わりに、今日はお前がキャストとして働け。ついでにそこのあんたもな」


レオンは結城を指さす。

成瀬は慌てて止めた。

自分だけならまだしも、結城には全く関係ない問題だ。


「結城さんは関係ない。それに彼女は女の子です!」

「女でも男でも客が気に入ればいいんだよ。それにそこのお嬢ちゃんの体形なら男装さえすれば差ほど問題ないだろう」


その言葉に皆が結城に注目した。

結城は一瞬何の話か理解できなかったが、次第に顔が引きつってきた。


「あ゛あ゛っ?」


完全に切れている。

当分の間、レオンと結城のにらみ合いが続いた。

その間で成瀬だけがあたふたと慌てふためいていた。




レオンに言われた通り、キャスト用の衣装を借りて着替えた。

高校生にもなればホストの格好も様になっている。

横では何もできずに不満な顔で立っている葵がいた。


「おお、俺たちの見立て通りだな。お前、このままここで働けよ! お前ならナンバー1も夢じゃねぇよ」


レオンは着替えた成瀬を見て絶賛する。

さすがにホストになるのは勘弁してほしい。

しかも、こんなことがばれたらおそらく停学は免れないだろう。

すると今度は、カーテンの後ろから着替えて来た結城が出て来た。

長い髪も後ろに束ねて、微妙に前に垂らしている。

もともときりっとした顔立ちだ。

男が見惚れるほどのイケメンに仕上がっていた。

成瀬もそれを見た瞬間、声を失う。


「姉貴!めっちゃ格好いいです!!」


葵は大興奮して結城にくっついた。

その後ろにいたレオンも興奮しているようだ。


「すげぇな。お前の男装、マジ金になるわ」


結城は全く嬉しそうではなかった。

女の子らしいという言葉にも興味はないが、男装が似合うと言われるのも嬉しくない。


「源氏名は……、そのままでもいいか。お前らそのままでも行けそうだしな。ついでにレンは顔が割れてっから、杏子さんの前には出せねぇ。その代わり、カオルが杏子さんに近付いて、落とせ!」


レオンは嬉しそうに結城に向かって言った。

結城は不満そうな顔を見せる。


「はぁぁ? 私が何で!」

「お前しかいないじゃねぇか。杏子さんに顔も割れてねぇんだろ? 安心しろ。お前ほどのルックスなら女の1人や2人、軽いもんよ」


レオンの言葉に納得いかない結城だがここまで来ると決めたのは自分だ。

正直、杏子にも言ってやりたいことはあるから、彼女の前に出るのはいいものの、女を口説くというのが何とも癪だった。


「そんなに気張んなよ。大丈夫。女なんて耳元で優しい言葉呟いてれば大抵落ちるからよ」


げらげらと笑うレオン。

レオンがそのセリフを言ってもどうも説得力がない。

成瀬自身は杏子と顔を合わせないところでサポートするように言われた。

杏子からカイトを離して、結城に口説かせるために成瀬がカイトのサポートとして別の客につかないと行けないのだ。

その為にも杏子以外にカイトの固定客を店に呼ばなければならない。

そこのところはまかせろとレオンは親指を立てた。

成瀬は不安に感じるものの、今はやるしかなかった。

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