第8話 お出かけ
週末、成瀬は久々に葵と一緒に街へ買い物に出かけることにした。
本来は葵が友達と出かける予定だったが、当日になってドタキャンされてしまったのだ。
出かける心構えをしていた葵にとって、もう出かけないなどという選択肢はない。
たまたま予定のあいていた兄を連れて出かけることにした。
「葵、準備は出来た?」
成瀬はノックもせずに葵の部屋に入ってきた。
葵は入ってきた兄を睨みつけて怒鳴る。
「ちょっとノックぐらいしてよ!」
「ノックって、ドアを開けっ放しにして何言ってるの?」
成瀬は呆れながら腰に手を当てて葵を眺めた。
用意どころか、寝巻のTシャツと短パンのままだった。
髪も寝起きのままくしゃくしゃで、到底出かけられる状態ではない。
「だって、服が決まらないんだもん」
葵は部屋中に広げた服を眺めながら言った。
服以外にも雑誌やら、学校の道具やらとひどい散らかりようだった。
成瀬はその中から丸襟にフリルの付いたブラウスとミニ丈サイズの腰にリボンのついた白いキャロットスカートを選んだ。
そして胸元に細いリボンを用意する。
「これでいいんじゃない?」
嫌な組み合わせではない。
しかし、それが中学生でもましてや女性でもない兄がトレンドを熟知して選んでくるのがすごく嫌だった。
「つぅか、きもいんですけど」
葵はそう言って兄を部屋から追い出して、着替え始めた。
成瀬は、葵に女の子なのだからもう少し部屋を片付けて欲しいと願う。
着替え終わると、葵は成瀬を呼びつけ、ヘアアレンジを強要した。
葵は不器用なのでヘアアレンジがうまくできない。
それに代わって成瀬は器用なため、葵の為に編み込みを編んでやった。
もうすっかりおしゃれをして出かけられるので葵は上機嫌になっていた。
久々の街探索に葵はテンションが上がっていた。
可愛いお店を見つけるとその度に兄を呼びつけ、騒いでいる。
成瀬も久しぶりに妹の元気な子供らしい姿を見て、安心していた。
すると、葵はいたっと声を上げ、かかとを覗く。
白いソックスには軽く血がにじんでいた。
靴ずれをしたのだ。
それに気が付いた成瀬は近くのベンチに葵を誘導する。
「だから言っただろう。よく歩く日は新しい靴を履かないって」
成瀬はそう言って鞄から絆創膏を取り出した。
葵はむっとした顔を見せる。
久々のお出かけなのだ。
女の子は着たい服を着て、履きたい靴を履いて、思い切りオシャレをして出かけたい。
そんな女心のわからない男だと不満そうに成瀬を睨んだ。
成瀬はそんな葵の態度に気づきながらも無視をして、血のにじんだ靴下を脱ぐように言った。
葵に絆創膏を渡して、靴ずれをした場所に貼らせる。
その間に携帯用のシミ取り剤を鞄から取り出し、少しでも染み抜きをしておこうとハンカチを靴下の下にひき、汚れを取っていく。
そんな二人に、誰かが声をかけた。
それは意外にもあの結城だった。
「お前ら、こんなところで何してんだ?」
結城は相変わらずの甚平のエプロン姿、飲み屋の制服だった。
手には風呂敷に包まれた弁当を持っている。
「姉貴!」
葵は嬉しそうに片方靴下がないまま結城に近付いて行った。
成瀬は染み抜きの途中のまま挨拶をする。
「やあ、結城さん。偶然だね」
「偶然だねって、成瀬はそんなところで何してるんだよ?」
「え? 染み抜きだよ。家に帰ってからじゃ、洗濯で落ちないから」
結城はこんな街中で堂々と妹の靴下の染み抜きをしている男子高校生を初めて見た。
しかも、それをなんの躊躇もなく行っている。
まるで主婦の鏡のような男だった。
「姉貴は仕事ですか?」
葵は結城に抱き着きながら聞いた。
もうすっかり結城になついている。
「ああ。この先にお得意さんの店があるんだ。そこに弁当を持っていく」
結城は弁当を掲げて見せた。
学校の外と雖も、結城の方から話しかけてくることに、成瀬はなんだか新鮮さを感じていた。
そして、結城はおしゃれをして見違えた葵を見て、頭を撫でてやる。
「葵。お前、今日はまともな恰好してんじゃん。女子って感じでいいな」
結城は軽く笑った。
学校では1ミリも口角を上げない結城だが、葵にはそんな顔もできるのかと成瀬は感動した。
結城もまさかこの葵の格好が目の前にいるクラスメイトの兄貴が選んだものとは思っていないだろう。
単純に葵もちゃんとした女の子なのだなと実感していたのだった。
「姉貴、私もお仕事ついて行きたいっす」
葵は遠慮もせずに仕事中の結城に頼んだ。
成瀬は慌てて、葵を止める。
「結城さんは今、仕事中だよ。邪魔しちゃダメだろぉ?」
葵は不満そうに頬を膨らます。
それを見ていた結城は多少迷ったものの、今日は急ぎでもないと葵の要望を聞いてやることにした。
「まあ、お得意さんのとこだしな。ついて来てもいいぜ」
葵は飛び跳ねて喜んだ。
絶対に断られるかと思っていたが、あっさり承諾したことに不思議は感じていたものの、こうして結城とまともに関われることが成瀬は少しだけ嬉しかった。
成瀬たちが連れてこられたのは新宿二丁目のバーだった。
時間も時間なので、まだ営業はしていない。
扉を開けると、妙な恰好をしたおばさんともおじさんともつかない人が店の掃除をしていた。
扉のベルの音で一斉に成瀬たちの方に振り向いた。
最初は無表情だった彼女たちも、結城の顔を見ると一気に笑顔になる。
「やだぁ、馨じゃない? ひさしぶりぃ」
1人の従業員が腰を振って結城に近付いた。
他にいた従業員もそれに合わせて近づいて来る。
少し異様な光景だ。
「今日はどうしたのぉ?」
結城が質問されると結城はお弁当を掲げて見せた。
「ママに言われて差し入れ持ってきた。今日はボンちゃんの誕生日だろぉ?」
「そうよ、ボンちゃん、今日誕生日だったわ。さすがママ、抜かりがないわね」
そう言って1人が結城からお弁当を受け取る。
そして、結城の後ろにいる成瀬と葵に気が付き、声を上げた。
「ちょっとちょっとぉ、この可愛い子ちゃんとイケメン君はだぁれぇ!?」
彼女はそう言って、成瀬たちを指さした。
結城は振り返り普通に成瀬たちを紹介した。
「兄貴の方がクラスメイトの成瀬。隣がその妹の葵だ」
彼女たちは歓声を上げて、二人に近付いて行った。
そして、異様なまでに二人にくっつき、べたべたと触ってくる。
成瀬はどうするべきか困っていた。
葵も隣でパニックになっている。
「なにこの子ぉ。めっちゃ肌綺麗ぇ。顔も整ってるぅ」
完全に囲まれて身動きのできない葵。
隣にいた成瀬にも容赦ない。
「こっちなんて超イケメンよ。成瀬君にならあたし抱かれてもいいかも!」
「もう、鬱陶しい!!」
ついに葵が切れて暴れ出した。
成瀬はそれを抑え込もうと必死で止める。
「あんたたち、掃除さぼって何やってるのよ!」
そんな時、後ろから誰よりもドスのきいた声が響いた。
身体の大きな派手なメイクのその人だった。
彼女たちはその人を見た瞬間、真っ青になってお店の中に入る。
そして、馨は持ってきた伝票をその人に渡した。
「今日の分の弁当代。いつも注文ありがとうって親父が」
どうやら目の前の人がこのバーのママらしかった。
ママは伝票を受け取り、金額を確認している。
そして、後ろにいた成瀬たちに気が付き、目線を向けてきた。
「馨が友達連れてくるとか珍しいじゃない?」
「友達と言うよりクラスメイトな。たまたまそこで会ったからさ」
ふぅんと言いながら、ママは成瀬に近付いた。
葵も成瀬の横で震えている。
成瀬の顔を見て、何か思い出したことがあったようだがこれ以上は何も言わなかった。
「あんたたちも用が済んだら、すぐに帰りなさいね。ここいらは夜になったら物騒になるから」
ママはそう言って、結城に料金を払うと扉を閉めた。
結城は毎度ありと声を上げ、建物を出て行く。
成瀬はずっと結城の後ろ姿を見ていた。
学校とは全く違った雰囲気やしゃべり方をする結城。
不機嫌でもないし、退屈そうな目もしていない。
本当の結城はこんな感じで、学校で見る結城の方が別人なのかもしれないと思った。
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