第3話 家庭事情

成瀬は部活が終わると急いで着替えを済ませ下校する。

途中で同じ部活の女子から帰りに遊びに行こうと誘われたが、やんわりと断った。

成瀬は急いでバス停に向かい、次のバスに間に合うように走った。

バスはタイミング良く到着し、それに飛び乗った。

息を切らせながら近くの手すりに摑まると、鞄の中からごそごそと紙切れを一枚取り出す。

それは今週の特売商品の情報が載っているスーパーのチラシだった。

今日はニンジンが安いと心で呟きながら、成瀬は今晩のメニューを何にするか考えていた。

家にはまだキャベツも残っている。

たしか、先日買った特売のソーセージもまだ残っているし、ポトフにしようかと悩む。

実は言うと、あの彩綺麗な弁当も成瀬自身が毎日朝早く起きて、作っているものだ。

夕飯を作ると同時に、翌日のお弁当の中身も考える。

やけに健康的で彩鮮やかになるのは、2つ下の妹の弁当を一緒に作ることも理由の1つだ。

偏食の多い妹の為に少しでも栄養のあるものを食べさせたくて、試行錯誤しながら作っているのだが、それが反ってクラスの女子に注目されることとなった。


バス停に降りると、成瀬は足早に目の前のスーパーに向かう。

慣れた手つきで店の前においてあるカゴを手に取って、入り口の特売の野菜や果物に目をやる。

ポトフと決めたのだから、後はジャガイモと玉ねぎを買わなければならない。

そして、切れていたキューブコンソメも忘れないようにする。

同時に明日の弁当に入れられそうな食材も探すのだ。

キャラクターの形をしたかまぼこを見つけて、入れるべきか思案した。

最近の女子中学生の弁当事情はよく知らない。

ネットで調べて、人気のありそうな弁当を見ながらいつも考えているのだ。

成瀬は腕時計で時間を確認しながら、レジへと向かい、お会計を済ませる。

鞄に用意してあったエコバックを広げて、食品を順番ずつ中に詰めた。

水物や汚れやすいものは近くにあるポリ袋に入れ、重いものや硬いものは袋の下に詰める。

このエコバックも食品のまとめ買いの時に景品でもらったものだ。

バックの外側には可愛らしいイラストが付いていた。


成瀬は荷物を抱えて急いで自宅に帰った。

鍵を開け、キッチンへと急ぐ。

冷凍食品を早めに袋から出して、冷凍庫に詰めた。

妹が夏冬関係なくお風呂上りにアイスを食べるので、切らさないようにしなければならなかった。

荷物を冷蔵庫に詰め終えると、シンクの中に目が行く。

そこには可愛らしい弁当箱が無造作に転がっていた。

慌てて中を開けるとやはり野菜のいくつかが残したままになっている。

成瀬はむっすっとすると弁当をシンクに戻し、廊下に出て2階にいるだろう妹の名前を叫んだ。

妹はけだるそうな声を上げて、2階から降りてくる。


「うっせぇな、バカ兄貴!」


彼女は既によれよれのTシャツに短パンという家着姿で髪がぐしゃぐしゃだった。

恐らく勉強をしようとして、そのまま寝ていたのだろう。

成瀬は妹にシンクにあった弁当箱を開けて、中に入っている食べ残しの野菜を見せつけた。


あおい! お前また野菜残しただろう!?」


成瀬は頬を膨らませ、妹の葵を怒った。

葵は舌打ちをして顔をそらす。

そして、そのままリビングにある大きなソファーに寝転んだ。


「嫌いなんだもん。嫌なら入れんな」

「『入れんな』じゃないよ。食べて欲しいからいつも入れているんだろう」

「そんな野菜の1つや2つ食べなくても死なねぇよ!」


葵はそう叫んでソファーにあるクッションを抱き抱えた。

葵はいつもこんな感じだった。

クラスメイト達が可愛いと想像していただろうが、恐らく想像とはだいぶ違うだろう。

顔立ちは成瀬と変わらないぐらい整っていたが、本人はあまりそこに重点を置いていないようだった。


「それと、お弁当箱はシンクに投げないで、帰ったらすぐに洗うこと。あと、兄ちゃんの事をバカ呼ばわりするなよ」

「うざっ! あんたは私の母親かよ!」


葵は不貞腐れたように叫んだ。

成瀬はいつも葵に家に帰ってきたら、まず弁当箱を出して洗うように言いつけていた。

また、部屋に戻ると制服を投げっぱなしにするので、ハンガーにかけるようにも指導している。

葵ももう中学3年生だ。

受験生になるのだから、たまには遊んだり寝たりしていないで勉強して欲しかった。


しかしそこまで強く言えないのにも理由がある。


「今日、お母さんはどうしたの?」


ソファーに寝転がったままの葵に尋ねる。


「あんな女知らない! またいつものところでしょ!!」


葵はクッションを更に力強く抱きかかえた。

そう、2人の母親は家を空けることが多い。

ピアノの先生をしているが、最近ではめっきり生徒も減って仕事をする時間も少ない。

しかも、父親が家にあまり帰ってこなくなってから、母親は家の用事もせずに夜の歌舞伎町に遊びに出かけることが多くなった。

ご指名のホストがいるとかで、ほとんどそこで酔いつぶれていた。

だから、夕食も今は母親の代わりに成瀬が作っていた。

父親はというと、酒に溺れがちな母親を見捨て、他の女と不倫をしていた。

それは母親もとっくに気づいている。

だから父親が家に帰ってくるのも週に一度あるかないかで、ほとんどその不倫相手の家にいるようだった。


昔はこんなんではなかったと思う。

成瀬がまだ小学生の頃は、父親も毎日帰宅していたし、母親も家の用事をちゃんとしていた。

いつの頃からか、母親が酒に溺れることが増えて、葵が中学に入る頃には父親はほとんど家にいなかった。

だから、葵もこんな風になってしまったのだ。

昔のように戻れたら、きっと葵ももう少し笑えるようになると思っていた。

だから、それまでの間は自分が葵の母親代わりとして家事を頑張ろうと思ったのだ。


成瀬はとりあえず服を着替えて、洗い物を持って降りる。

脱衣所に行くと、葵が無造作に置いた服が籠から飛び出していた。

服の仕分けも出来ていないし、靴下もくるくるの状態で転がっている。

毎日、裏返しにして入れるように言っているのに直そうとしない。

成瀬はため息をついて、妹の代わりに仕分けをする。

そして、今日の分の洗濯物を始めた。

その間に今度は夕飯に取り掛からないといけない。

成瀬はダイニングテーブルにかけてあった母親の使っていたエプロンを着て夕飯の準備に取り掛かる。

慣れた手つきでジャガイモやニンジンの皮むきをし、要領良く手順をふんでいく。

一時間もすれば美味しそうなコンソメスープのいい匂いがしてきた。

予約をしておいたお米も炊き終えたようで、音楽を鳴らしていた。

少し蒸らした後、おかまのふたを開けると米の炊けたいい匂いがした。

不貞腐れていた葵もこの匂いにつられたのか、ソファーから起き上がってダイニングテーブルの椅子に座った。


しかしそのタイミングで、玄関から誰かが帰って来た音がした。

成瀬が慌てて向かうと、そこには飲んだくれた母親が倒れていた。

今日は思いのほか早いお帰りだった。


「れぇん君。ただいまぁ」


母親は完全に酔っているのか、ご機嫌な様子で笑いながら成瀬に抱き着いた。

随分と酒臭い。

すると後ろから葵が現れて、軽蔑するように母親を睨みつけていた。


「今日はボトル3つも開けちゃった。カイト君、めちゃくちゃ喜んでくれたのよぉ」


母親は嬉しそうにホストの名前を上げる。

ついに腹を立てた葵がそのままごはんも食べずに自室に上がっていった。


「葵、夕飯!」


成瀬が叫ぶと、葵は振り返ることなく答えた。


「気分が悪い。自分の部屋で食べるから、後から持ってきて!」


葵はそう言って、勢いよく扉を閉めた。

成瀬は母親を抱えながら、大きくため息をついた。

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