第五話

 梅本は初めて逮捕をされた時の裁判を思い出した。

 判決を言い渡される直前は心臓の鼓動が頭の奥まで聞こえ、視界が狭まり、周りが見えなくなったが、今はそれ以上に緊張をしているかもしれない。

 カウントダウンが〈1〉になると、モニター画面がアイボリー色になり、次の瞬間、紺色に近いブルーの数字がくっきりと現れた。

 その瞬間、梅本は「うっ!」と呻き、数時間前に食べた朝食を戻しそうになったが必死に堪え、冷たい数字を脳に焼き付けた。

  

「しかし、こんなのってあるか?」

「お前の気持ちは良く分かるよ。俺だってこんな信じたくはねぇし、今だって間違いだと思ってる……」 

 飲み干した人工ウイスキーの瓶を乱暴にテーブルに置いた相沢の数回目の言葉に頷き、梅本は大きなため息と共に紙タバコの煙を天井に吐き出した。

 衝撃的な〈LEPD〉を確認して、個室を退出した梅本は、力の入らない足を辛うじて前に進めて待合室に辿り着いた。

 空席のない待合室の隅で悄然と座っている相沢を見つけたが、直ぐには声をかける気にはならなかった。

 首を前に折り、普段より小さく見える相沢の姿に、声を掛けてはいけないような雰囲気があったせいなのか。

 それとも、自身の〈寿命〉を知った時の衝撃がまだ残っていて、人と顔を合わせて話すのが億劫だったのか……どちらともいえない心境だった。

 それでも意を決してから梅本は相沢に近付き、「外に出よう」とだけ、短く言った。

 相沢は梅本の声に一瞬ビクッとしたが、ずり落ちそうになっていた眼鏡を指で戻し、梅本の顔を見て小さく頷いて、席を立った。

 役所を出て、二人は行先フリーの市内循環電動バスに乗り、運転手のいない入口にあるモニター画面を操作し、表示された地図の〈更生施設PC〉付近をタッチした。

 モニター画面の〈更生施設PC〉辺りが点滅し、『途中で乗車する方がいない場合は、約14分で目的地に到着します』と音声が告げ、バスは音も立てずに動き始める。

 バスの乗客は二人だけなので、それぞれ通路を挟んで、クッションの効いた椅子に座ったが、お互いに無言のままだった。

 バスがきっかりと14分後に〈更生施設PC〉の前に停車し、二人は支給されている〈フリーパス〉をモニター画面にタッチし、開いたドアから降車する。

「昼飯はどうする?」

 相沢は役所で梅本に声を掛けられてから、初めて口を開いた。

「食欲はないが、一応食うか?」

 梅本は力なく応え、笑おうとしたが、表情筋が強張って上手くいかない。

「だな……けど俺は遅めにするわ」

「……分かった、俺は部屋に行かずにこのまま食堂に寄って、食っていく」

「ああ、そうか……じゃあ、俺は食い終わってからお前の部屋に行くよ」

「おう、じゃあな」

 梅本は相沢に背を向け、右手を上げて歩を進めながら言った。

 

 砂を噛んでいるような昼食を終え、部屋のベッドの上で紙タバコを喫っていると、相沢が人工ウイスキーを二本持って、梅本の居室に入ってきた。

 六畳程の広さに、ベッドと小さな机があるだけの殺風景な部屋だが、鉄格子のない窓から春の風が入り込んできて眠気を誘う。

「で、どうだったんだ?」

 相沢は床に腰を下ろし、意を決したように人工ウイスキーを一口飲んでから、梅本に訊いた。

「最悪だ……」

「お前も短かったのか?」

 梅本の呻くような言葉に、相沢が反応した。

「短いって、やっぱりお前も短かったのか?」

 梅本は相沢に言葉をオウム返しのように言い、紙タバコを喫った。

「ああ、やってらんねぇよ……刑務所を出てPCに入る時の検診では、ヤバい所なんてなかったのによ」

 相沢は持参した人工ウイスキーのキャップを回して開け、口の中に落とし込むように瓶を立てて飲んだ。

「俺もだ……血圧が高めなのは前からだけど、今すぐにヤバくなるような数値じゃなかったねどな」

「お前もそうなのか……まあ飲めよ。今日はヤケ酒だ!」

 相沢は持参した人工ウイスキーを一本、梅本に渡した。

「いいのか?」

 梅本はいつもは一口だってくれない相沢が、気前良く瓶ごとくれたのに驚いた。

「ああ、どうせもうじきくたばっちまうんだ、ケチケチしながら飲んだって仕方ねぇだろ」

「サンキュー、じゃあ遠慮なく貰うぞ」

 梅本は相沢に頭を下げながらキャップを開け、乾杯を促すようにウイスキーの瓶を相沢の方に突き出した。

「おう、乾杯でもするか。でも、何に乾杯するんだ?」

 梅本が突き出したウイスキーの瓶に自分の瓶をカツンと軽くぶつけ、相沢は笑った。

「俺たちの先の短い人生にだよ」

「なに気障な事言ってんだ!まあ、碌でもない人生だったけどな」

 梅本の言葉を茶化し、相沢はウイスキーの瓶に口をつけた。

「そう、このクソったれの人生と、もうすぐおさらばできるんだから、喜ばねぇとな」

 梅本も軽口を叩いてから、ウイスキーを一口飲んだ。

「で、お前はいつくたばるんだ?」

 相沢は少し姿勢を正すようにしながら、ベッドに腰かけている梅本に訊いた。

「俺か?俺は20〇6年の前半から20〇7年の後半だってよ!まったく、笑うしかねぇや」

 梅本は吐き捨てるように言った。

「俺とほとんど同じじゃねぇか!俺は今年の後半からケツはお前と同じ20〇7年の後半だ」

「今年の後半!?……年内に逝っちゃうかもしれないのか!」

「ああ、笑っちまうだろ?肝臓の数値が少し悪いだけなのによ。それがヘタするとあと半年で逝っちまうんだぜ。一体どういうことなんだよ!」

 相沢の顔は紅潮し始めているが、それはアルコールのせいだけではないように見えた。

「まったくだ。だけど、詳しいことは訊けないって、そんなことあっていいのか?そんな理不尽なことがあっていいのかよ!」

 梅本も興奮のためか、顔を赧らめながら憤慨する。

 〈LEPD〉の結果を知り、梅本や相沢のように納得出来ない結果だと、役所に出向いて何故結果がそうなるのかを説明しろと、窓口のロボットに詰め寄る人は後を絶たない。

 当然窓口で対応するロボットは、〈LEPD〉に対する問い合わせや相談が出来ないことは承知の上で署名をしたはずだ、と来訪者に告げる。

 だが、来訪者は自分の寿命に関わる大事なことなので、そんなことで納得はしない。 

 お前みたいなロボットではなく、責任者の〈人間〉を呼べと言ったりして、更にヒートアップをする。

 しかし、どんなに粘っても窓口で対応するロボットは動じるはずもなく、条件に納得して〈LEPD〉の結果を確認したのだからお帰り下さい、と一滴の血も通わない言葉を来訪者に告げて、窓口から離れてしまう。

 それに逆上して窓口の防弾用シールドを叩いたりすれば、即座に警備ロボットが現れて来訪者の自由を奪って確保し、別名〈拘束室〉と呼ばれている〈待合室〉に閉じ込められてしまう。

 〈待合室〉で警備ロボットから事情聴取を受け、二度と〈LEPD〉のに関する問い合わせなどで、役所を訪問しないことを誓約すれば解放される。

 しかし、一部には納得をすることなく、誠意ある対応で自身の〈LEPD〉の詳細説明をしろと抵抗をする人もいる。

 その場合は数分後に警察官が入室してきて、目の前で罪状を表示しているモニター画面を提示し、手錠をかけられてから警察署まで連行されてしまう。


「俺たちは長くても二年足らずであの世にいくのか……」

 相沢が急に老けたように、張りのない声で言う。

「お前は、早ければ一年も持たないのか……」

 梅本も打ちひしがれたように応え、ウイスキーを流し込み、熱くなった喉にタバコの煙を送り込んだ。

「何の病気で死ぬのかね?痛みはあるのか……というより、このままのほほんとしていられるのか、それとも動けなくなって病院にいるのか、どっちなんだ?」

 相沢は苛立ちを隠すように、少し冗談っぽく言う。

「そんなの分かるかよ!今から病院に行って診てもらうか?そしたら、その場で入院させられて……」

「そのまま死ぬのか?」

 苛立ちを見せながら言う梅本に、相沢は平板な口調で言った。

「それが一番最悪だよな。治る可能性がなく直ぐに死ぬのが分っているのに、不自由な病院でクソの役にも立たない治療を延々と受けるなんて、まだ刑務所ムショにぶち込まれてる方がマシだ」

「確かにそうだな……もう治ることなんてねぇんだからな。死ぬって分かってるのに、今更医者に診せたって仕方ねぇって話だ。もっとも、その前に病院で診てもらう金がねぇけどよ。健康保険料なんて払ったことねぇから、十割負担だ。どこにそんな金があるんだって……まあ、どのみち俺たちはくたばるしかない運命なんだよ」

 相沢は抑揚のない話し方で言い、右手に持っていた瓶からウイスキーを口に放り込んだ。

「全く情けない話だな……でも、俺がお前を誘わなければ……」

「それは言うなって……確かにお前に誘われたから行ったっていうのもあるけどよ。でも、俺だっててめぇの寿命を知りたいっていうはあったんだから、お前が責任を感じる必要はねぇって」

「そう言ってくれると、少しは気が楽になるけどな」

「そんなこと今更気にしたってしようがねぇだろ。どっちみち直ぐにあの世に逝っちまうんだからな」

「確かに……だけど、二人共同じような時期にくたばるなんて、つくづく変な因縁だな」

 梅本はそう言って苦笑した。

「そうだな、でもお前との付き合いはそれ程長くはねぇけど、最初っから変にウマが合ったな……何年になる?」

「知り合ってからか?確か、俺が二度目の刑務所ムショの時だから……十七、いや十八年になるか」

 梅本はタバコに煙を天井に吐き出しながら、頭の中で相沢との出会いに関する記憶を呼び起こしてから言った。

「そんなになるのか……結構古い付き合いなんだな」

「そうだな、娑婆での付き合いは短いけどな」

 梅本がそう言って笑うと、相沢もつられて笑った。

「で、どうする?」

 唐突な感じで、相沢が表情を引き締めながら言った。

「どうするって?」

 相沢の質問の意図が分からずに、梅本は訊き返した。

「このまま何もしないで終わるのか、それとも……」

「何かやらかすか、ってか?」

「ああ、どうせ逝っちまうんだ。だったらそれまで好き勝手なことをした方が良いだろ?」

 相沢は眼鏡の奥の赤く濁った眼で、梅本を見た。

「好き勝手って……」

「そんなの難しく考えるんじゃねぇよ。美味いもん食って、酒飲んで、女を抱きたいだけだよ。違うか?」

「そりゃあそうだけど……」

「金か?」

 相沢の言葉に梅本は頷いた。

「俺たちは何者だ?カタギじゃねぇんだ。だったら銭の稼ぎ方は一つしかねぇだろ」

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