官能小説家はよく泣いている3

恵介

【01】

 ここまでを読んで、朝霞大紀は溜め息をついた。まったく、あの人は赤裸々に物事を書きすぎている。色々と虚構を含んではいるけれど。

 男性の担当作家とキスをしたことがあるなんて、同僚に知られたらどうしてくれるんだと、朝霞は多能初雪に少し苛つく。偽名のような本名を堂々と晒して、あれこれ勝手に書かれることは朝霞の美学に反する。彼はすぐに多能へ電話をした。読み終えたことを伝えると、向こうは少し黙ってから、掠れた笑いを洩らした。それは溜め息に似ていた。

「どうせ、誰も読んでないよ」

「あのね、駄目ですよ。もうこれ以上、書かないでください」

 そもそも多能初雪は、既に商業作家なのだ。作家志望やら、そこまでは目指していないけれども、ただ書きたい人たちの集まるような、小説投稿サイトに無料で公開していいレベルの文筆力ではない。……とはいえ、普段、売り物にしている文体やプロットとはまるで違うのだから、あまりそこは突っ込めないけれど。数段落ちるどころか、どこの新人賞にも引っ掛からないだろうな、という文章を、多能は無償で公開している。

 朝霞は多能に会いに行きますと伝え、電話を切った。

 約一時間後、朝霞は多能の住むマンションに着いていた。

「馬鹿ですか、あなたは」

 多能の腕を掴み、長袖をめくると、そこには幾つかの赤い線が走っていた。やはり、と朝霞は思った。切り傷は既に、治癒しかけていた。血は凝固し、みみず腫れが出来ている。

 書くごとにこの人は自分を傷つける。

 まるで、自分の血肉で文章を作るみたく。

「ほっといてよ」

 つまらなさそうな顔をして、多能は朝霞の手を振り払う。朝霞は何度も訪れた多能のマンションの間取りを、また確かめる。リビングの隣にある、アーチ状の出入り口をした、扉のない書斎。ここは白いマンション。大きな橋を渡って、すぐそこにある建物。

「あの物語は、どこまでが本当のことなんですか」

 朝霞がこの質問をするのは、二度目のことだった。一度目は、多能は答えてくれなかった。今回もやはり、背中を見せて適当に濁された。

「全部、嘘だよ。嘘。……あーあ。読むなよなあ」

「読みますよ。見つけてしまったんだから」

「あのさあ。僕は君との仕事はちゃんとしてる。普段は税理士の仕事も忙しい。たまの息抜きぐらい、許してよ」

「どうせなら売り物にしてください」

「嫌です」

「………………私のことを書かなければ問題はありませんよ」

 何も進展がなければ書くことはないよ、と多能は朝霞を見る。誘い文句のように思えて、目を反らしたのは朝霞のほうだった。

「……多能さんの精神状態が心配です」

「リスカしてるから? 平気だよ、こんなの。すぐ直るし」

「正確にはアームカットです。いや、そんなことはどうでもいい。……自傷行為をしなければ、書けませんか」

「書くことすら自傷行為なんだよ僕には」

 珍しく感情を乱して、多能が言葉を吐く。この人はよく、人を亡くした話を書いている。たとえば、中学の先輩が自殺してしまった人の話。愛する妻を喪った人の話。親友を亡くした名探偵の話。それならば叔父を自殺で亡くしたあの話は、まるごと事実だったのではないかと朝霞は考える。

 人を失う痛みを、少なくともこの人は知っている。

 ────あの人を、愛してた。

 多能は自身の叔父のことを、そう言っていた。家族愛だったのか、恋愛なのか、そのどちらでもあるのか、どちらでもないのか、朝霞には分からない。分かる必要はない。知りたくもない。

「たとえば、」

 と朝霞は多能の肩に触れて胸に引き寄せる。向こうは戸惑いながらも、しかしすぐに落ち着いた。

「私がこうしたら、あなたはまた文字にしますか」

「してほしい?」

「すんなっつってんの。……………あ、いや、失礼しました」

「君がときどき怒るの、好きだよ」

「そうやって人を支配しようとするところ、多能さんにはありますよね」

「うん。……君にだけだよ」

「ほら、またそうやって」

「朝霞さんは全然、引っ掛かってくんないんだもんなあ」

 引っ掛けられてたまるか。

 たとえば、もし。

 今すぐその顎を掴んで、無理矢理唇を奪って、舌をねじこんだら、この人は喜んでくれるだろうか。それとも、腕に噛みついて、強く吸って、赤く痕をつけたなら。

 多能の今まで書いた作品を一通り読んでいる朝霞は勿論、彼の性癖嗜好を分かっている。この人は異性愛者だ。けれど、本人の自覚してないところで、同性との奇妙な行為にも興奮するような人だ。

 朝霞は結局、その唇にも肌にも触れず、彼から離れる。

「とりあえず次回作、どうします?」

「虫を食べる話」

 多能は変なものばかり書いている。


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