2

 ——僕の滑舌かつぜつが悪かったのか?


「瑛斗だよ」


 もう一度、声を大きくして、はっきりと言った。


『瑛斗……。誰のこと?』


「……えっ?」


『俺も知ってる奴のことだよな。下の名前が瑛斗のやつなんて、いたっけ? いつもは、なんて呼んでる?』


「なんて呼んでる、って……。瑛斗は、瑛斗だよ……」


『俺は、瑛斗って名前のやつは、知らないけど。他の友達と、間違えてないか?』


 胸のざわつきが一気に激しくなり、吐き気がした。


 ——神原社長と同じだ……。


 やはり、神原社長の記憶を消したのは、麗華に違いない。そして慎也の記憶も消したのだろう。


 ——もしかして、自分と瑛斗のことに関する記憶を消してまわっているのか? そうだとすれば、御澄みすみ宮司は?


『おーい、蒼汰そうた?』


 慎也が何かを言っていたが、構わずに電話を切った。そして、御澄宮司に電話をかける。


 コール音がしてすぐに『はい』と聞こえた。


「御澄宮司! 僕です! 一ノ瀬です!」


『はい。分かりますが……』


 御澄宮司は静かに言う。


 ——僕のことは覚えている!


「じゃあ、瑛斗のことは? 瀬名瑛斗のことを覚えていますか?」


『えぇ。もちろん』


 ——よかったぁ……。御澄宮司の記憶まで消されていたら、僕1人では、どうにもならなかった。助かった……。


『もしかして、何かありましたか?』


 御澄宮司の冷静な声に、少しだけ落ち着きを取り戻した。一度、大きく深呼吸をしてから口を開く。


「実は、瑛斗の行方が分からなくなっているんです。それと、神原社長と、僕の友達の記憶が消えています。もしかしたら麗華が、自分と瑛斗に関する記憶を、消して行っているのかも知れません」


 しばらくの間、沈黙が流れた。御澄宮司も戸惑っているのだろう。


『随分と、早かったですね……』


「僕も、そう思いました。こんなに早く力を取り戻すなんて……。神原社長と友達の記憶が消えていて、御澄宮司の記憶まで消えていたら、どうしようかと思って……」


 僕が言うと、御澄宮司は、ハハッと笑った。


『そう簡単に、私に近付くことはできませんよ。私は霊力が強いので、乗っ取られると、大変なことになりますからね。ちゃんと対策はしています。それに、いくらあの物の怪の力が強いと言っても、この神社の結界の中には入れないでしょう。それで、瀬名さんはいつ頃いなくなったんですか?』


「夕方の18時頃に、今から帰る、と連絡があったそうですが、まだ帰っていません。瑛斗は今、引越しの準備をしていて、昨日からは新しい部屋に寝泊まりをしていたようなんですけど……」


『引っ越せることになったんですね』


「はい。やっと引っ越せることになったのに、こんなことになるなんて……。一応、奥さんが、前のマンションに様子を見に行ったようですが、いなかったそうです」


『なるほど……。もしかすると、瀬名さんに手が届かなくなると思って、急いだのかも知れませんね。今度こそ邪魔が入らないように、周りの人間の記憶を消したかったはずですが、私や一ノ瀬さんには近付けなかった。だから、せめてこれ以上、邪魔をする人間が増えないように、他の人間の記憶を消そうと思っているのか……』


「そうかも知れません。でも、瑛斗は護符を持っているはずなんです。なぜ連れて行かれたんでしょうか。それが分からなくて」


『うーん……。私もあの護符さえ持っておけば大丈夫だろう、と思っていましたが……。もしかすると瀬名さんは、仕事帰りに、うたた寝でもしたのではないでしょうか』


「あ……。瑛斗は電車で通勤をしていたはずです。電車の中で、居眠りをしたかも知れません」


『その可能性が高いですね。電車の中では周りに知り合いはいなかったと思うので、邪魔をされることもありません。あの物の怪は、瀬名さん以外の人間を嫌うので、知り合いがいない中で眠ったところを狙われたのだと思います。


 ——たしかに、護符を持っていれば、取り憑かれないようには出来るんです。しかし、あの化け物は、夢の中に入ることができる。さすがに夢の中までは、効力が届かなかったのか……本当に、厄介ですね』


「どうしたらいいんでしょうか……」


『とりあえず、あのマンションへ行ってみましょう。瀬名さんの奥様に見えなくても、私なら何か、分かることがあるかも知れません』


「分かりました。僕は奥さんから、鍵をもらってきます」


『えぇ。お願いします。私も今から、そちらへ向かいますので、マンションの前で待っていてください』


「はい。よろしくお願いします」


 電話を切った後、僕はバッグを鷲掴わしづかみにして、外へ飛び出した。

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