10

「はぁ、あせったぁ……」


 大した収穫はなかったけれど、あのおじいさんが、瑛斗の家にいる霊のことを知っているということは分かった。それだけでも良しとしよう。また仕事終わりにでも寄って、おじいさんに話を訊けばいい。


 それにしても、おじいさんが言っていた『あまり良くない話』というのが気になる。それは、あの女性が死んだ原因と、関係があることなのだろうか。


 何一つ解決していないのに、気になることばかりが増えて行く。


 ——ここで悩んでいても、どうにもならないか。


 せっかく来たのだから周辺を歩いて、他の人にも話を訊いてみたい。同じマンションの人に訊いた方が早いのかも知れないが、あまり近付き過ぎると、よくない気がする。


 僕はマンションの裏手にある、住宅地の方へ歩き出した。先程のおじいさんのように、あの女性と交流があった人を探したい——。


「蒼汰?」


 背後から、知っている声が聞こえた。それは、僕がここにいることを、一番知られたくない人の声だ。


 ——しまった! 変装くらいしてくれば良かった。


 僕は戸惑いながら振り向いた。


「瑛斗……」


 そこには、小さな子供を抱いた瑛斗が、キョトンとした顔をして立っている。


「どうして、蒼汰がこんなところにいるんだよ。もしかして、俺に会いに来たのか?」


「えっ? あ、ちょっと、知り合いの所へ行った帰りで……」


「そうなんだ。この近くなのか?」


「うん! そう! 向こうの通りにあるんだけど、散歩をして帰ろうと思って」


「この辺りは住宅地ばかりだから、特に見るものもないと思うよ。それに、そっちへ行くと、駅とは逆の方向になるぞ?」


「あぁ! そうか、間違えた。逆だよな。ハハ」


 ——本当は、近くの公園に車を駐めてあるんだけど。


 必死で笑顔を作っていても、にじんでくる汗は止められない。


 瑛斗は、引っ越すための費用が貯まるまで、我慢すると決めたのだ。解決策が見つかるまでは、僕が調べていることは秘密にしておきたい。変に期待をさせたくないからだ。


 僕が、どうやって誤魔化そうか、と考えを巡らせていると、瑛斗は次第に神妙な顔つきに変わっていった。視線を下に落として、何かを考えているようだ。


 ——やっぱり、僕があの女性のことを調べようとしているのが、バレたのかな……。


 瑛斗は、ゆっくりと視線を上げ、僕の方へ歩いてきた。


「なぁ。急いで帰らないといけないわけじゃないんだろ? だったら、家に寄ってくれないか?」


「えっ……。家、に……?」


「ちょうど今、里帆はいないんだ。蒼汰が家の中を視れば、怪奇現象が起こる理由が、分かるかも知れないだろ?」


「でも……」


 ——さすがに家の中に入るのは、まずい気がする。


 それでなくても、前に2人で食事に行った時に、あの女性に見られていたのだから。


「頼むよ。少しでいいから、一緒に来てくれ」


 瑛斗は、すがるような目つきをしながら、僕の腕を掴む。


 断りづらい雰囲気だ。危険なのは分かっているが、心が揺らぐ。我慢すると決めたと言っても、瑛斗の恐怖心が消えるわけではない。それに、瑛斗が恐れている相手は、普通の人には視ることができないものだ。瑛斗は、僕以外には頼れる人間がいないのだろう。


 ——まだ明るい時間だし、少しだけなら大丈夫か……。


「……分かったよ。あまり長居は、できないけど……」


「良かった! ありがとう!」


 瑛斗は安心しきったような笑顔を見せる。彼が笑顔になってくれるのは嬉しいけれど、不安に駆られる僕は、それ以上の言葉が出てこない。


 心なしか、身体が冷えてきたような気がした。それはおそらく、霊に対する恐怖からきたものではない。別の理由だ。


 ——あぁ……。また神原社長に、怒られるんだろうな……。


 次に出勤する時は、相当な覚悟が必要だ。

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