6

 たしかに僕も、事故物件ではないかと疑った。


 でも、あの女性が過去に部屋で亡くなった人なら、地縛霊のような状態で、部屋の中にいるはずだ。少なくとも、今まで視たものは皆そうだった。


 瑛斗がすでに取り憑かれているのなら、一緒に外へ出ることもあるかも知れないが、瑛斗からは霊の気配を感じない。


 それなのに、何であんなに普通に、生きている人間と同じように——。


 それに霊体なら、なぜ慎也まで、はっきりと視ることができたのだろう。霊感がない慎也は、存在すら気付かないはずだ。それなのに、なんで……。


 ——そういえば、あの時。慎也は僕の肩に掴まっていた。もしかして、僕に触っていたから視えたのか? そんなのは聞いたことがない。一体何なんだ、何が起こっているんだ。


 考えれば考えるほど、わけが分からない。全身に力が入って、汗が吹き出す。


「蒼汰……? どうしたんだよ」


 ハッとして顔を上げると、瑛斗が困惑の表情を浮かべている。


「え……? いや、何でもない」


 ——だめだ。僕がしっかりしないと、瑛斗が不安になる。とにかく今は、一刻も早く部屋から、あの女性から、引き離さないと。今はまだ、取り憑かれているような気配は感じないんだ。まだ、間に合う。


「なぁ、瑛斗……。やっぱり、不動産会社と話をしよう。これ以上、今の部屋にいない方がいい。僕も一緒に行くから。……な?」


 瑛斗は驚いたように口を少し開けた。瞳は小さく左右に揺れ動いている。無理を聞いてもらったという営業マンに、遠慮しているのだろうか。


「大丈夫だ。僕が不動産会社と話すから。瑛斗だって、このままじゃよくないのは分かるだろ? 怖い思いをしているんだし。もし、向こうが違法な契約をさせていたら、解約金のことを気にしなくても、引っ越せるんだよ」


 瑛斗は俯いたままで、返事をしない。


 僕には、不動産会社は事故物件だと分かっていたのに、そのマンションを勧めたとしか思えない。『3年』という契約期間が、どうしても気になる。


「何も気にしなくていいから、行こう」


 僕がテーブルの上に置かれた瑛斗の左手に、手を乗せた瞬間——。


 ぞわり、と手の上を、虫が這っているかのように感じた。


「うわっ!」


 勢いよく手を振り払ったが、虫はどこにも見当たらない。


「えっ? 何?」


 目を丸くした瑛斗に訊かれたが、言葉が出てこなかった。手を見ても何もいないのに、まだゾワゾワと虫が這うような感覚は残っている。あまりの気持ち悪さに、手が真っ赤になるほど握りしめた。


 ——何だ? 瑛斗の手を触った瞬間、何かが……。


 その時、ふと、視線を感じた。


 何かが、僕を見ている。

 目の前で。大きな目で。

 睨み付けられているような。


 恐る恐る顔を上げると、瑛斗と視線がぶつかった。


「大丈夫か?」心配そうに瑛斗が言う。


 ——違う、瑛斗じゃない。何か、別の視線が……。


 じっと瑛斗の顔を見つめていると、不意に彼の目が、ゆがんで見えた。


「え……?」


 瑛斗の目ではない、別の目がある。ぼんやりと重なる目は、瑛斗のものよりも縦に大きい。女の目だ。大きな目が、僕を見つめる。


 急に眩暈めまいを感じた僕は、ギュッと目をつむった。それでもまだ、ぐるぐると回っているような感じは残っている。呼吸が苦しくなった僕は、大きく深呼吸をした。


 ——何なんだよ、早く治まれ!


 しばらくして、そっと目を開けると——ぼんやりと見えていた目はもう、消えていた。


「蒼汰? どうしたんだよ、さっきから。顔色が悪いぞ」


「いや……何でも……ないよ」


 ——なんて言うんだ。言えるわけがない。お前の目に重なって、別人の目が視えたなんて。怖がらせてしまうだけだ。


 僕は、大きな思い違いをしていたのかも知れない。


 瑛斗から娘の様子がおかしいと聞いて、取り憑かれているとすれば、それは娘だと思っていた。それが間違っていたようだ。


 気配を感じないということは、多分、取り憑かれているのとは少し違う。僕に霊気がまとわりついていたように、瑛斗の中に、僕が気付けないくらいの霊気が入り込んでいるのかも知れない。


 そして、瑛斗の目を通して、僕を見ていたんだ。何でそんなことが出来るのだろう。どう考えても普通の霊じゃない。気味が悪い。


 無意識に手首を触ると、自分の手が、真冬のように冷たくなっていることに気が付いた——。

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