7

 月曜日になり、会社へ行っても、瑛斗の話が頭から離れない。


 霊感がない人間にも、存在を気付かせることができる力を持った霊が、瑛斗の部屋にいる。それは何となく、普通の霊ではないような気がした。


 ——悪いものじゃなければいいけど……。


 そんなことばかり考えてしまう。


 僕の仕事は、経理の補助だ。伝票や書類の作成、小口現金の管理をしたり、銀行や役所へ行ったり。要は、メインで経理の仕事をしている先輩の、使いっ走りのようなものだ。


 作業をしていても、瑛斗の家にいるのことを考えると、キーボードを打つ手が度々止まる。毎日見ているはずの画面の文字が、全く頭に入ってこない。


「こらっ! まさか、眠いとか言うんじゃないだろうね?」


 突然、大きな声が飛んできて、肩をガシッと鷲掴わしづかみにされた。女性の手だが、妙に力が強い。指がぐっと肩に食い込んだ。


 僕が振り向くと、声の主は社長だった。神原かんばら社長は、誰もが認める凄腕すごうでの女社長だ。


 若い頃は、社長の叔父が小さな会社を経営していて、その会社の経理をしていたようだが、その叔父はとんでもないダメ社長だったそうだ。税金対策だと言って、キャバクラや風俗に毎日のように通い、会社には一切顔を出さずに、愛人たちの家を渡り歩いていたらしい。


 そして、そんな叔父にごうを煮やした神原社長は、社員を守るために、叔父から会社を奪い取った。その際に、愛人宅で寝ていた叔父の胸ぐらをつかんで、平手打ちをくらわせ、廊下に引きずり出した、というのは有名な話だ。想像しただけでも恐ろしい。


 その噂が広まっている為か、他の社員に横暴な態度をとる取引先の人間も、神原社長の姿が見えると、大人しくなる。


「どうしたの! 今日はいつにも増して、ぼけっとして」


 神原社長は僕の肩を掴む手に、さらに力を入れた。


「いったぁ! もぉ、社長は力が強いんだから、ちゃんと加減してくださいよ!」


 とても70歳になる女性の力とは思えない。非力な男性なら、簡単に倒してしまいそうだ。


 すると突然、神原社長が、僕の全身をめるように見た。


「んん? あんた、週末は何をしていたんだい?」


「えっ? あぁ……。友達と飲みに行きましたけど」


 僕が言うと、神原社長は眉をひそめた。


「あんた、悪いものが憑いてるよ。その友達は、何かに取り憑かれているのかも知れないね」


「えっ? 僕にも憑いてますか?」


「僕に『も』ってどういう事だい?」


「実は……、友達が引っ越した先に、がいるらしくて。そのことで、土曜日に相談を受けたんです。まだ取り憑かれているわけじゃないと思うんですけど、霊感がない友達が、家に何かがいるのに気付いたっていうのが……なんだか、気になって。たしかに、妙な気配は感じたんですよね」


「なるほどねぇ。その友達がまとっていた、よくない霊気を、あんたも貰ってきたってわけだ」


 僕は、自分に憑いていた霊気には気付いていなかったが、神原社長は何かを感じ取ったようだ。神原社長は、僕に霊感があることを知っている、数少ない人間の内の1人だ。


 そして社長は、僕の背中を2発叩いた後、ほこりを払うように背中をでた。


 神原社長の祖母は霊媒師をしていたらしく、社長も強い霊力を受け継いでいる。叩かれた背中が、痛みとは別の温かさを感じた。


 ——もしかして、社長なら……。


「あの。……社長は、霊を祓うことは出来ないんですか?」


 僕が訊くと神原社長は、んん、とうなった。


「たしかに、私の婆さんは霊媒師をしていたけどね。私は、そこまでの力はないよ」


 神原社長は、首を横に振る。


「でも今、僕に憑いていた悪いものを祓ってくれましたよね? なんとなく、身体が軽くなった気がします」


 肩が冷たく感じるのは、凝っているせいだと思っていたが、違ったようだ。神原社長に背中を叩かれた後、急に肩が温かくなったということは、霊障だったのだろう。


「今のは、霊が憑いていたわけじゃないからだよ。あんたが汚れを纏ったものに近寄ったから、少し汚れがついていただけ。それくらいなら綺麗にできるけど、除霊まではちょっと、難しいねぇ」


「そう…ですか……」


「それで、お友達はどんな様子なんだい? 取り憑かれていないのなら、まだ変化はないかも知れないけれど」


「今の所は、不安を感じているから少し元気がない。くらいです」


「そうかい。まぁ、早く引っ越しなさい、って言っといてちょうだい。取り憑かれてしまってからでは、遅いからね」


「はい。伝えておきます」


 僕も、早く引っ越して欲しいとは思っているが、金銭の問題で難しい状態だ、ということも理解している。それに月給の僕は、金を出してやるとも言えない。


 ——どうしたものか……。


 なんとも歯痒はがゆい気持ちになった。他に何か、良い手はないのだろうか。


「それから!」神原社長は声を大きくした。


「あんたは中途半端に霊力があるから、影響を受けやすいんだ。これ以上は関わるんじゃないよ? いいね!」


 社長は腕組みをして、眉間みけんしわを寄せる。その威圧感に、僕は思わずのけ反った。


「分かり……ました……」


 鋭い視線を向けられて、身体が一気に冷えていく。蛇ににらまれた蛙の気持ちが、分かった気がした。

 

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