死後残業代
夜如ふる
死後残業代
家に帰ると、大金があった。
月の出ていない深夜で、ジージーと鳴く蝉が耳障りだった。
売れない小説を書く傍ら、生活を成り立たせるために渋々行くコンビニのバイト。深夜帯に来る客なんて大体がろくでもないやつだが、もうそれにも慣れてしまうほどのベテランバイトになってしまった。
その日も、来たのは酔っ払いとサラリーマンくらい。クレームを入れられない程度に適当に対応を済ませ、アスファルトの上を歩いて帰る。
つい2週間前に彼女と別れ、人気を失ったマンションの一室。ゴミは溜まり、嫌な空気が立ち込めている。
そんな部屋の鍵をあけ、コンビニの袋を床に投げ、目に止まったのがその封筒だった。
よく見る茶色の封筒で、宛名は男の実名。宛先に住所等の記載はなく、差出人が書いてあるだろう場所には「死後残業代還元企画センター」の文字。
怪しすぎるそれに眉を顰め、恐る恐る中を見る。と、中には分厚い札束が二つ。
日常を送っていれば、一生見ることのないようなそれに、身震いがしてぼとりと落とす。
まずは警察に通報するべきか、それとも信頼出来る友人か?家族か、それとも、どうすれば。
混乱に陥り、震える手のままスマホをとる。電話アプリを開き、迷う。
1番有力なのは警察だが、家に帰ったら大金が置いてありました、だなんていたずらにしか思われない可能性の方が高い。
しかし、深夜にこんな奇妙な相談ができるほど心許した友人がいるわけでもなかった。
結論は出ないまま悩んでいると、唐突に電子音が鳴り響いた。
驚きのあまり声を失い、危うくスマホを落としかける。
着信画面を見ると、知らない番号。
一瞬無視しようかと思うが、このタイミングの電話にただならぬものを感じて踏みとどまる。
「……はい、どちら様ですか」
「あ、こちら死後残業代還元企画センターでございますぅ」
たっぷり10秒ほど待った後に聞こえてきたのは、いっそ清々しく間延びした男の声。
「死後……?えっと、なんの御用ですか」
「そちらに死後残業代が行っているかと思いまして、そのご説明等させていただきたくー」
「あぁー……えっと、死後残業代って」
「えぇえぇ、説明しますとも。最近ようやく普及し始めているサービスでございましてね。ほら、昔から死んだ後の方が経済に影響を与えている方ってたくさんいるじゃないですかぁ。画家とか小説家となんかは特に。ましてや、今や賃上げだの物価高だのって色々大変でしょう?それで、死後稼いだ分の金だって残業代に含まれるだろうって声が上がっておりましてねぇ。そこで始まったのが死後残業代サービスってわけ。死後稼いだ金の25%を、亡くなる一年前に還元しようって取り組みなんですよ」
「は、死ぬ一年前……?」
「ええ、お客さんも本日でちょうど一年前ですからねぇ」
男はスマホを耳から離し、しばらく固まる。
ショックと、怒り。
けれど、ここで叫び狂わなかったのは、心のどこかで納得する部分があったからかもしれない。
どうせこれからも自分の小説が売れるわけがない。
何も変わらず、酔っ払いに絡まれ、文字を書き、恋人も友人もできないまま静かに死んでいくのだと。
「お客さぁん、聞こえてますー?」
「……まだ何か?」
「一応トラブル防止ってことで質問とか受け付けてるんすけど何かありますかー?」
3秒ほど考える。
「……その、もし死ななかった場合って」
「あぁ、心配はいりませんよ!ちゃぁんと死ぬから金が手元にあるんですから」
その、ヘラヘラとした口調にイラ、とした。
こいつはなんの権利があって人の死を覗き見してるんだろうか。
命と引き換えに金をもらった気分だ。
胸糞が悪い。
「ふざけんじゃねぇ、俺は生きるし金はいらねぇ!」
勢いのまま電話を切る。
息が荒い。封筒に目をやり、手にとっては床に叩きつける。
封筒を見ながら先ほどの男の声を思い出しては、段々と怒りもおさまって冷静になる。
普通に考えて、何が死後残業代だ、何かの冗談に決まっている。
冷蔵庫に入れるのを忘れてぬるくなったビールを片手に、机の前でパソコンを開く。
小説の続きを書こうとしてふと手が止まった。
このことを書いてみるのはどうだろうか。
これだけ強烈な出来事を経験したのだから簡単に書き切れるはずだ。
それからは数ヶ月。日中はぐだぐだと寝るかネットサーフィンをするかし、日が暮れてくるとパソコンと睨み合う。
以前と変わったことといえば、バイトをやめたことと、パソコンのスペックが上がったことだろうか。
出来上がった小説を見せては、担当にラストがつまらないとダメ出しされる。
男は死なず、書いた小説がヒットして封筒に入っていた分と同じだけの金を手に入れるというラストだった。
当然この小説だけを書いているわけにもいかず、細々とした記事の仕事や別の小説の仕事をしていると、いつの間にか月日は経つ。
あれからちょうど11ヶ月と少し。
昔から仲良くしていた、売れない作家仲間が賞を取った。それも、テレビで何度も取り上げられるまでの大ヒット。
一方自分はといえば、スランプと呼んでいいかもわからないほどの不調続きで、担当も外され、酒に溺れる日々。
ふと一年前のあのことを思い出す。お前は死ぬのだと言い切ったあの男。今となっては怒りも湧かず、何をそんなにムキになれたのだろうと不思議にさえ思う。
パソコンに向き合い、見慣れた画面を開く。
ずっと悩んで放置したままだったラスト。
カーソルを合わせ、キーボードを叩き始める。
三日三晩、何度も読み直しては書き直し、日が登り始めるのと同時にエンターキーを押す。
長い間お世話になった出版社へ原稿の入った封筒を持っていき、軽い足取りで帰路に着く。
あの男の言う通りだ。自分には、一年以上生きる理由も、小説を書き続ける理由もない。
賞を取った友人を称える心も持ち合わせていなければ、それをきっかけに頑張るやる気もない。
自分が生きることが何になるというのか。
封筒の中身は使い果たした。もう今更バイトをする気にもなれない。
中身のなくなった茶封筒。
それをビリビリに破いてマンションのベランダから捨てると、一緒に自分も飛び降りる。
一人の男の不運な死を書いた本はネットで話題を呼び、稀に見る大ヒットを記録した。
死後残業代 夜如ふる @huru_2
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