第2話 これで終わりのはずだった

「…………バイト疲れに感謝だな」


 俺はクッションを挟んだ硬い壁に凭れかかりながらカーテンの隙間から差し込む朝日を眺めて、しみじみと呟いた。

 設定したアラームが鳴るまでまだ一時間以上はあるけど、二度寝できる気はしない。


 昨晩、色々あって琴朱鷺莉世を家に泊めることになった。

 俺だって健全な大学生だ、美少女と呼んで差し支えない異性と一つ屋根の下で過ごすのは煩悩との戦いだった。

 イヤホンをしながらスマホと睨めっこすることで琴朱鷺の寝息や身じろぎの音すらも遮り、意識を逸らし続けた。


 結局は途中でバイトの疲れが押し寄せてきて寝落ちしたけど、乗り切った。

 何事もなく乗り切ったのだ。


「というか琴朱鷺はどうしてほとんど知らない男の部屋のベッドでこんなにも熟睡できるんだ?」


 俺はちらりと視線をベッドへ移す。


 普段使っているベッドを占有しているのは琴朱鷺だ。

 あどけない寝顔を無防備に晒しながらぐっすりと眠っていて、まるで警戒している雰囲気がない。


 琴朱鷺は家出をしたと言っていた。

 理由までは聞いていない。

 聞いたところで俺にどうこう出来るとは思えないからだ。


 昨日の時点で俺が知りえている情報と言えば琴朱鷺は家に帰りたくなくて、寝泊まりさせてくれる人を探していたことだけ。


「家族と何かあったのか?」


 家出となれば真っ先に浮かぶのは家族関係の問題。

 だとしたら、尚更俺が出る幕はない。


 俺に出来るのはこうして一晩泊めて、何事もなく送り返すことだけ。


 そんなことを考えながら寝ている琴朱鷺をまじまじと眺めていると。


「……ん、っ」


 身じろぎ、瞼が徐々に上がって――。


「…………おはよ、湊」


 寝起き特有のふにゃりとした表情で、眠たげな瞳に俺を映しながら舌足らずに口にした。


 可愛いな。

 なんていうか、本当に猫みたいな感じで。


「……おはよう。よく眠れたみたいだな」

「いつもより熟睡だった」

「そりゃよかった」


 琴朱鷺は「んぅー」っと可愛らしく唸りながら身体を起こし、背を伸ばす。

 すると服がないからと貸していた一回りは大きな俺のシャツが肩を滑り、鎖骨の当たりまで丸見えになってしまう。


 俺は慌てて視線を逸らす。

 昨日、琴朱鷺が着ていた服は下着も含めて乾燥機にかけている。

 なぜか下だけは替えを持っていたが、上はないらしく今は乾燥中で……見えてしまうんじゃないかとひやひやする。


「俺は一限からだからしばらくしたら出る。琴朱鷺は?」

「私も。一限は現代文」

「……俺と同じか」


 運がいいのか悪いのか、時間はそこまでずらさずに済みそうだ。


「さて、と。それじゃあ飯でも作りますかね。琴朱鷺も食べるよな」

「……いいの?」

「俺だけ食べるの気まずすぎるだろ? 最後のサービスだと思ってくれ」

「なら、もらう」

「はいよ」


 答えを聞いた俺は足早にキッチンへ。

 今日の朝食は昨日の残りとインスタントの味噌汁……あと玉子焼きも作ろう。

 俺は目玉焼きより玉子焼き派で砂糖の甘い味付けの方が好みだ。


 琴朱鷺はどうだろう。

 ……まあいいか、用意するだけありがたいと思ってもらおう。


 手馴れた手つきで用意をしている間に洗面所の方から物音がする。

 琴朱鷺が乾燥を終えた服に着替えているのだろう。


「何考えてんだよ俺は……」


 浮かんでしまった思考を追い出して、出来上がった朝食をテーブルに運んでおく。

 すると着替えを済ませて寝癖も直した琴朱鷺が合流し、向かい合うように座った。


「洗濯も、ご飯もありがと」

「泊めるついでだ。こんな朝食で悪いな」

「ううん。助かる」


 二人揃って「いただきます」と手を合わせ、思い思いに箸を伸ばす。


 綺麗な黄金色の玉子焼きを口に運びながら今日も美味しく作れたなと自画自賛。

 正面ではちょうど琴朱鷺が玉子焼きを小さな口に運ぶところだった。

 つい目で箸を追い、咀嚼する姿を眺めていると、


「……玉子焼き、美味しい」


 呑み込んだのちに、僅かに頬を緩めながら呟いた。


「お気に召したのならなによりだ」

「湊、料理上手い」

「そりゃどうも」


 元から自分で食べられる程度には料理が出来ていたし、一人暮らしを一年続けて家でもバイト先でもしていれば上手くなる。

 でも、正面切って褒められるのは素直に嬉しい。


 それが琴朱鷺のように可愛い女の子ならなおさらだ。


 ……というか、昨日今日で琴朱鷺への印象がだいぶ変わったな。

 大学で喋る姿を目撃するのはレアなのに、俺が話しかければ当たり前のように受け答えをしている。


 普通に可愛い女の子って感じだ。

 大学で目にする人形みたいな雰囲気の琴朱鷺よりは、こっちの方が個人的には好感が持てる。


「いつもお店で買ったやつだから、新鮮」


 そう言いつつ、また一口。


 琴朱鷺の食生活が心配になる発言が聞こえた気がするけど放置。

 むやみやたらと踏み込むべきじゃない。


「ごちそうさま。使った食器は流しに置いて水につけておいてくれ」

「わかった」


 まだ食べ終わっていない琴朱鷺に伝えてから俺も大学に行く支度をする。

 とはいえ着替えて髪を軽くセットして授業に必要な教科書を鞄に詰めるくらいだ。


 そうしている間に琴朱鷺も食べ終わり、言いつけ通りに流しに使った食器を積んで戻ってきた。


「俺はもうしばらくしてから家を出るつもりだ。それまでには出てくれると助かる」

「……私は先に出る。着替えてこないと」


 琴朱鷺の服は大学に着ていくには少々ハードルが高い気がする地雷系だ。

 もちろん好きで着てきている人がいないこともないのだが……いつもはもっと控えめな服装だったな。


「あれだけ家に帰りたくないって言ってた割に帰るのか?」

「……昨日は特別帰りたくなかった。今日も帰りたくないけど、この服で学校には行きたくない」

「派手だもんな。それはそれで似合ってると思うけど」

「…………そう」


 率直な感想を伝えると、琴朱鷺は目元を細めて僅かに笑んだ。


 でも、琴朱鷺は素材がいいから何を着ても似合うと思う。

 正しくお人形って感じだ。


 そんな琴朱鷺は改めて俺を真っすぐに見据えながら頭を下げた。


「泊めてくれてありがとう。ご飯も美味しかった」

「……おう」


 あえて短く返答をする。


 本当なら家出の理由を聞くべきだったのかもしれない。

 そうしないと根本的な解決は望めず、琴朱鷺は繰り返すだろう。


 だけど、そこまで踏み込んでいいものかという迷いが言葉を喉元で止める。


 玄関でやや高いヒールの靴を履いた琴朱鷺が扉を開けて、


「それじゃあ、またね」


 軽く手を振りながら告げると、ばたんと扉が閉まった。


「……これでいい。これでいいんだ」


 扉を見つめたまま自分に言い聞かせるように繰り返し、振り返らずに部屋へ戻った。


 ―――

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