第10話

「心について……ですか」


 渡した本をパラパラと捲る依代を見ながら、自分用に持って来た文庫本のページを捲る。

 心についてというタイトルの本は、専門書や絵本というよりは、学生が使う教科書に似たような本であった。

 専門的な言葉が多用されることもないし、絵本のように物語が出てくるわけではない。

 文字ばかりではなく、挿絵も使われているから比較的分かりやすいはずだ。


「これ、ピポラちゃんより低学年用の教科書じゃないですか? これでいいんですか?」

「いいかどうかはリュウが決めるから大丈夫だろ」

「その答え、保護者としてどうかと思います」


 それは自分でも分かってる。

 リュウに言葉を教えると本人に大口叩いておきながら、手を抜いているから何も言えない。


「明日本屋で買ってくるからいいんだよ。それに、一冊を読み終わるっていうのも大切なことだ。読み終わったらリュウの感想次第でまた別の本やればいいんだから」


 酷い言い訳ではあると思うが、リュウはまだ此処に来たばかりで読んだのは絵本だけだ。自分でも読みやすい本なんて何十冊も読んでようやく傾向が分かったぐらいだから、リュウの理解しやすい本を探すにはとにかく数を読ませてそのつど別の本を与えるぐらいしか思いつかない。


「え!ルイさん明日本屋に行くの⁉」

 いつやってきたのかわからない空炉が声を出す。言葉には出てないが思いっきり連れて行ってほしいと顔に出ている。

「言っておくが、お前は学校だろ。連れて行かないからな」

「ほしい本があるからそれを買ってくれるだけでいいんですよ!」

 それぐらいなら、と思いかけたが普通にこいつの帰路に本屋はある。

 毎月支給しているお小遣いがあるから買えるはずだ。それを頼るということは……

「空炉、お前小遣いはどうした」

「えっとぉ」

 空炉の場合、炎馬鹿なので隙を見つけるとすぐにマッチなどを買う。

 だから他の子ども達よりはお小遣い帳の収支には目を光らせているのだが。

「花火買いました……」

「後で没収するからな」

 予想は当たった。先日の一件があるから花火をしても火の元がないと分かっていたはずだが、と考えるが無駄だ。花火を買ったのがいつかは知らんがその機会を壊したのは買った当の本人なのだから、自業自得だ。

「花火とは……?」

 会話に入ってこなかったリュウが、依代に聞く。

「花火っていうのは、火をつけたらキラキラ光る感じの、なんていえば言えばいいんでしょう」

 花火の説明がなかなかできないのか依代がルイに助けを求めるような視線をする。

「花火はね、火薬と金属の粉末を混ぜて包んだもので、火を付けて色を楽しむんだよ!すっごい綺麗でね、楽しいんだ‼」

 空炉が興奮して早口に説明する。リュウは想像できなかったようで、疑問が顔からにじみ出ている。

「見てみたい」

「ほら、ルイさん! リュウくんも見たいって言ってますよ!」

 リュウの反応に便乗して口に出す。

「お前のせいで火がないんだろ。今日は無理だ」

「空炉ちゃん、花火買うついでにマッチとか買ってない?」

「買ってたらよかったんだけど……忘れてた」

「よくない。没収すんぞ」


「火なら、起こせるが」

「えっ?」

「リュウくん正気?」

「原始的なやつはやる前に止めるからな」

「えぇ~ルイさん、さすがにそれは許してくださいよ!」


「火は呼びかければ応える」


「は」

 

 リュウが掬い上げるように両手をかざす。言葉が波となって辺りに伝わる。

 鐘の荘厳な音に心臓が揺さぶられるような感覚が全身を伝わって、鳥肌が立つ。


 リュウの両手には確かに火が灯されている。

 嘘偽りもなければ、幻覚でもない。現実として、リュウの手元には浮いた火が灯されている。

 依代なんかは手をつねって夢かどうかを確認している。痛い、と声が聞こえた。


「すごい‼ 魔法みたい‼」


 目を輝かせてリュウを褒める空炉。炎に対して見境がないのか、どうなのかすぐに「触ってもいい?」と聞く空炉の手をつかんで止める。

 この施設にリュウがやってきた理由がよくわかった。こんな非現実的なこと、他の施設では手が余る。

「リュウ、その力は無暗に使うな。あ~……俺が明日、本屋に行くついでにライターでも買ってくる。それで、花火をすればいい」

「……そうか」

 少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうな顔をしたリュウは目線を本へと戻し、その長い髪で表情を覆い隠した。

 空炉は空炉で、残念と言いながらも花火を没収されなかったこと、ライターを買ってもらって花火をできることが嬉しいようで、鼻歌を歌っている。

 それをジロリと見ていた依代は、大きくため息をついて、場を離れた。

 大方、空炉の鼻歌を見て、腹が立ったことも馬鹿らしく思えたのだろう。

 入れ替わりで入ってきた青悟の明るい日の光のような声に救われた。

 

 *

 

「本当にいいのか」

 俺がそう聞くと、大丈夫だと答えるリュウ。一応迷子札は持たせたが、戻ってくるか心配で仕方がない。リュウは世間離れしているから、誰かに拐われないかとか、帰ってこれるかがすごい心配だ。昨日、リュウが見せた力があれば確かに強いだろうが、リュウの腕は細い。力勝負となれば折れるんじゃないかと思うほどだ。ピポラとリュウ、どちらが一人にさせても安心かと言われれば、圧倒的に前者というしかない。それほどまでに、リュウは目を離すと何処かに消えそうな気配がした。

「大丈夫だ。ご飯までには帰ってくる」

「ちゃんと、帰ってこいよ」

「あぁ」

 そう言ってリュウは俺から離れ、人混みに紛れていった。心配だからじっと背を見続けるが、あっという間に見えなくなった。当たり前だ。リュウが目立たないように帽子を渡して深くかぶるように言っているから、周りにうまく馴染んでいる。心配な気持ちはあるが、俺も買い出しがある。ため息をついて、足を踏み出した。

 母親とはこんな気持ちだろうなと、何度目かの思考を思いながら。

 

 

 リュウがルイの視界から完全に消えたとき、リュウに声をかける者が居た。

「やあ、昨日ぶりだね」

「ああ、君か」

「少し、話をしよう。車を待たせてあってね、私の屋敷でいいかな」

 

 玲華はそう言うと、自然な動きでリュウの前に行く。周りの人間から見れば、歩きの遅いリュウを追い抜かしたかのように見えるだろう。リュウは自分の足を早めることなく、先をいく玲華を追いかける。

 人の気配がないところに昨日リュウが乗った車が停止してあった。

 それに乗り込む二人。

「施設はどうだった?」

「……心地の良いところだ」

「そう、君とは昨日会ったばかりだが、君は世俗を知らないようだったからね。うまく馴染めるか心配だったんだ。居心地が良いと言うことは良い人がいるってことだね。よかった。安心したよ」

「安心したのか、私のことを知って」

「うん。そうだね。きちんとした施設だし、それなりのことを調べて君のことを預けたつもりだけどね、君がその施設と合わないのならまた別のところへ行ってもらおうかなって思っていたから。安心した」

「そうなのか」

「心配っていうのは気にかけるってことだから、君が心身ともに無事だと安心するものなんだ」

「私が出る時もルイは心配しているようだった。帰れば、安心するのだろうか」

「そうだね。安心すると思うよ」

「そうか」

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