第20話(SIDE F)
総司達がフュルミナン地下神殿――「永遠の楽園」を自称するこの迷宮でリポップし、探索を開始してから二六日目。コピーによって新たに作り出された総司と匡平がフュルミナンを出立して三日後、彼等はクールーの町に到着した。
――まず、フュルミナンはメダールという高原地帯に位置し、その麓に帝都アマギールが存在していた。帝国末期、城塞都市であるアマギールは共和国軍によって包囲された。絶望的で凄惨な籠城戦を経て、帝都は陥落。帝国軍は帝都を敵に渡すことを拒絶し、住民もろとも徹底的にこれを破壊。籠城に巻き込まれた万を超える帝都市民は誰一人として逃げられず、灰燼に帰す帝都と命運を共にしたという。
総司達も旅の途中に立ち寄ったが、いっそ感心するくらいに見渡す限りの瓦礫の山だった。帝都は軍によって封鎖されているが、廃墟の中にお宝を求めて侵入しようとする連中が後を絶たないという。
「由緒正しい『冒険者』って連中だな」
匡平はそんな皮肉を口にして笑っていた。
帝都は海から離れているが大河アバドラと隣接している。帝都が健在の頃は大河アバドラは大動脈として活用されており、現在も重要な水運路であることには変わりなかった――利用者は大幅に減って、かつての栄華は見る影もないとしても。その大河アバドラの、河口にある港町がクールーだ。
大河アバドラはメダール高原を水源としており、総司達は川船で下って一路クールーを目指した。総司と匡平とアリアンの他、ディアデムの部下が護衛兼監視に同行しており、川船も彼等の手配である。このため総司達はごくごく順調にクールーに到着した。クールーからフュルミナンを目指せば徒歩で七日旅程の距離だが、その逆は船を利用すればわずか三日だ。
「なるほど」
「いかにも異世界だな」
総司と匡平はクールーの町を、その雑踏を見渡し、そんな風に感嘆した。中心市街には二階建て、三階建ての石造りの家々が並ぶが、それ以外の場所ではほとんどが木造の平屋の家屋だ。通りや町並みは混沌としており、計画性というものが一切感じられない。ごちゃごちゃとした狭い通りには溢れんばかりの人間が密集していた。貧富の差は甚だしいものの、全体としては景気の良い、活気のある町である。
『元から港町として栄えていたんですがそこに帝都からの避難民がたくさん流れ込んできて、お城の人もお手上げだって聞いています』
町を統治するのは共和国軍の総督で、今は迷宮攻略軍の後方支援に手いっぱいだという。そのためかリザードマンやワーウルフといった獣人の姿も珍しくはなく、街の住人も彼等の存在を当たり前のものとして受け入れているようだった。
『スリやひったくりがたくさんいますから気を付けてください』
とアスリンは言うが、どれほど無謀な物盗りでも武装した兵士を何人も同行させている総司達をわざわざ狙いはしないようで、彼等は何の問題もなく目的地に到着した。そこは庶民が住む下町の、狭く小さな長屋が無数に並ぶ、その一角。迷路のような裏路地の奥に建つ長屋の一つで、薬瓶を模した木製の看板が掲げられている。
『そう言えば薬屋をやっているって言っていたな』
『はい。でもお母さんが寝込んでからはずっと閉めていますけど』
暗い顔となるアスリンに総司は何を言うべきか迷い、結局何も言うことが思いつかなかった。だからやるべきことを事務的に進める。
『それじゃこれを』
とアスリンに渡したのは迷宮で作られた魔法薬だ。
『それを飲んでもらって、落ち着いたら呼んでくれ』
『判りました』
アスリンが家の中に消えていき、その前で総司と匡平は所在なげに立ち尽くした。兵士も多少の距離を置いてその場に留まっており、何人もの通行人がぎょっとした顔をしてその道を避けている。やがて待つこと十数分。
『入ってください』
アスリンに呼ばれた総司と匡平が家の中へと入っていった。
照明などというものは存在せず、入ってくる日差しもわずかだ。部屋の中は暗く、目が慣れるまで少し時間がかかった。おそらく大急ぎで多少の片付けはしたのだろうが、それでもその部屋は雑然としていた。棚には枯れた薬草が詰め込まれ、テーブルの上には乳鉢が転がり、床のあちこちにはいくつもの壺が置かれている。六畳に満たない部屋が二つしかなく、手前が店舗兼ダイニングキッチン兼アスリンの寝床で、奥が島本水無瀬の寝室――
「総司君……? まさか」
粗末なベッドの上で、一人の女性が身を起こしている。彼女の声を、記憶にある島本水無瀬のそれと一致させるのに多少の時間が必要だった。さらにその容貌を、
「島本……」
島本なのか、と問おうとするのを総司は寸前で回避する。その容貌を、見慣れたクラスメイトの顔と重ね合わせようとし、なかなかそれが重ならない。予備知識がなければクラスメイトの島本水無瀬と、目の前のこの女性を同一だと認識するのはまず不可能だった。いっそ「よく似た他人か親戚」とでも思えればいいのだろうが、「あの島本が今はこうなっている」という事実を感情が受け入れてくれない。
――昭和と令和の俳優を並べた画像をインターネットで見たことはないだろうか? 昭和の四〇代五〇代と令和のそれを比較した画像だ。その落差には誰もが驚きを禁じ得ないだろう。昭和の俳優は三〇代でも非常に貫禄があり、悪く言えば老けている。令和の俳優やタレントは五〇代でも若々しく、悪く言えば幼く感じられる。この差がどのように生じたかと言えば、たとえば「年相応」という考え方や社会的圧力が弱まる一方で若さを至上とする価値観が強まる一方だとか、化粧やアンチエイジング技術が格段に向上したとか、近年の写真はフォトショップで加工されているとか、様々な要因が考えられる。だが一番大きいのは、栄養状態と生活環境の圧倒的な改善だろう。五〇代六〇代になろうと若々しく活動的な人間は芸能人でなくとも、近年珍しくはないのだから。
つまりは、栄養状態と生活環境が劣悪ならば令和の人間だろうと急速に老化する――目の前にいる島本水無瀬がその実例であり、そこに重い病気が加わればなおさらだった。まだ四二歳のはずなのに、どんなに若く見積もっても五〇代、下手をすると六〇代の老婆だ。顔のしわは深く刻まれ、白い髪はわずかも潤いがなく、まるで枯れ葉のよう。同じくしわだらけの手は細く、まるで枯れ枝のようだった。
「本当に総司君なのか……? それにその姿は一体」
「その話をするためにここに来た。話を聞かせてほしい」
彼女が目の前の事実を受け容れるのに長い時間は必要でなかった。総司の方が、彼女の今の姿によほど戸惑っていたくらいだ。
「二人だけにしてくれないか」
水無瀬がアスリンと匡平にそう依頼。二人がその家から退出し、その場には総司と水無瀬だけが残された。そこに座って、と椅子を勧められてそれに座る。身を起こした水無瀬と同じ目の高さとなり、距離も一メートル未満となった。
「ああ……本当に総司君だ。君はあの頃と何一つ変わらない」
懐かしさのあまり涙ぐむ水無瀬に対し、総司はどんな顔をすればいいのか、何を言えばいいのか判らなかった。君も何も変わらない、と言えば良かったのだろうが、
「君も何も変わらない、くらい言うべきだと思うよ? 相変わらず君は女心が判らない」
わざとらしくため息をつく水無瀬に対し、総司は「すまない」としか言えなかった。だが総司は、他のどうでもいい相手ならともかく、彼女に対して嘘をつきたくなかったのだ。
「まあ、総司君はそれでいいと思うけど」
と彼女は笑い、総司も微笑みを返した。
「体調がよくないと聞いているけど……」
「ああ、明日をも知れない身の上さ」
と雑に肩をすくめる水無瀬。
「こんなに調子がいいのはどれだけぶりか判らない。あの薬のおかげだよ」
と素直に感謝する水無瀬に対し、総司は痛みを堪えるような顔となった。魔法薬は外傷や軽い病気なら治癒できるが、それ単体で重病を根治する能力はない。病気を治すはあくまで当人の力である。人間の身体を革袋だとするなら、病気はそれに空いた穴だ。穴からは生命という水がこぼれていき、全部なくなれば死に至る。魔法薬(魔力)は体力・生命力の代わりとなって病気の諸症状を緩和するが、それは一時的なものに過ぎない。その間に穴をふさぐことができなければ魔力はこぼれ、元の木阿弥となるだけだ。
そして総司は「おそらく穴はふさげない」と予想しながらも、それでも魔法薬を飲ませたのだ。一時的にだろうと体力を取り戻させ、その間に彼女から情報を得るために。
おそらく自分は地獄に堕ちる――いや、もう堕ちているか。そんな自嘲を浮かべつつ、
「まず先に俺の話をする」
「聞かせてくれ」
水無瀬が頷き、総司はこの一月足らずの出来事を語った。「永遠の楽園」と呼ばれる迷宮にトラック転生した、と思ったら実は自分達が迷宮防衛に配置されたモンスターで、これまでくり返し死んでリポップしていること。この地獄を終わらせるために外部勢力と接触し、協力関係を結んだこと。島本水無瀬がこの町にいると聞き、話を聞くためにやってきたこと、等。
水無瀬は相槌を打つだけで口を挟むことなく、黙って説明を聞いていた。一通り説明が終わり、
「――なるほど」
まずそれだけを言い、重いため息をつく。
「君は新たに作られたコピーで、僕の知っている三島総司じゃないってことだね……最初から判っていたことだけど」
そうだ、と総司は冷徹に明言する。
「君のことと、『君の知っている三島総司』のことを教えてくれ。そいつが何をしたかを」
「そうだね、最初から話そうか……もう二五年も前のことになる」
水無瀬はそう言って長いため息をつき、また長く沈黙した。二五年、という小さな呟きがその口からこぼれる。そのたった一言にどれだけの思いが込められているのか、今の総司に理解するのは到底不可能だった。今の総司は客観的には数日前に作られたばかりで、主観的にも一七年しか生きていないのだから。四半世紀、二五年という無限に等しいほど長く、だが過ぎてしまえば一夜の夢よりも短いその時間に、どれだけ想像を及ばせようと届きはしない。
二五年ほどではないとしても長い時間を経て、ようやく水無瀬は続きを口にした。
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