第11話その2(SIDE E)


「ぐ……こいつ等は」


 角を曲がった瞬間、総司達は出会い頭に敵と遭遇した。そこにいるのは、半ば崩れた人体を引きずるようにしてのそのそと歩く、腐った死体――ゾンビの一団だ。その数は八匹、彼我の距離は数十メートル。ゾンビは総司達に向かって動いているがその速度は呆れるほど遅かった。


「ゾンビはノンアクティブで何もしてこない。そこに入ってやり過ごそう」


 総司達はT字路に対して下向きの横道から上へと進んで入ってきたような状態で、彼等はもう一度その横道へと引き返した。そこで待つことしばし、ようやくゾンビの集団が総司達の前へと差しかかってくる。


「……こいつ等なら俺でも勝てるだろ、戦うべきなんじゃないのか!」


 突然塩津がそう言い出し、総司は呆れた目を向けた。塩津は自分の祝福で作った剣を強く握り締め、力のあまりその手が震えている。


「なんでわざわざ何もしてこない相手を」


「だったらちょうどいいだろう、経験値を貯めるには!」


「ゲームじゃないんだぞ」


「戦いに慣れておきたいってことだよ! 虎姫や高月だけに戦わせるわけにはいかないだろ!」


 予想外の前向きな姿勢に総司が唸った。彼の言うことにも一理あり、男子の何人かがそれに賛同する。コピーした塩津の剣で武装した彼等は、今にもゾンビ軍団に突撃していきそうだ。だが、


「何があるか判らない、今は余計なことをするべきじゃない」


 それでも総司は安全を最優先とする。だが彼は、決死の覚悟を「余計なこと」呼ばわりされた塩津の憤りまでには思いが至らなかった。そして、そんな話をしているうちにゾンビの一団が彼等の目の前までやってきて――それが一斉に横を向いて総司達を見つめた。


「ひっ、ひいいっっ!!」


 攻撃される、と早合点し、またそれを口実とし、塩津がゾンビへと吶喊した。敵の一団のど真ん中に飛び込んだ塩津がでたらめに剣を振り回す。ゾンビは反撃しようとするように腕を上げるがその速度はあまりに遅く、簡単に塩津の剣にぶん殴られて首を吹っ飛ばされた。そうやって既に三体のゾンビが倒されている。女子生徒が悲鳴を上げたのは飛び散った敵の体液が降ってきたからだった。


「くそっ、先を越された!」


「獲物がなくなるぞ!」


 三人の男子生徒が剣を片手に飛び出して、ゾンビを攻撃した。それは戦闘などではなく藁人形を斬りつけるようなものだった。狭い範囲で何人もの素人が真剣を振り回しているので同士討ちをしやしないかと、総司はその点ではらはらしつつ推移を見守り、だがそれも長い時間ではなかった。ゾンビはあっという間に掃討されて、塩津達は偉そうに剣を高々と掲げている――多くのクラスメイトは顔をしかめていたが。


「くせーぞ、お前等。近寄んなよ」


 鼻をつまんで木ノ本が言う。飛び散ったゾンビの体液、腐敗したそれをまともに浴び、塩津達は耐えがたい腐臭を放っていた。その指摘に彼等はシャツを脱いで側溝の水で洗おうとする――が、塩津の足が崩れ、彼は顔面を側溝に突っ込ませた。尻を高く掲げたその姿勢はまるで「蹴ってください」と言わんばかりで、


「何してんだよ、てめーは」


 不用意に木ノ本が彼に近付く。「待て!」と総司が警告を発するが間に合わなかった。思いがけない速さで身を起こした塩津が木之本に覆いかぶさり――その首元に噛みつく。


「ああああっっっ!!?」


 痛みと驚きと気色悪さに木之本が悲鳴を上げて、塩津を押し剥がそうとする。が、それは巨大な蛭のようにしがみついて離れない。それの歯が木之本の肩に深く深く食い込んでいく。


「この!」


 若葉がドロップキックのような蹴りをその顔面に叩き込み、ようやく塩津は木之本から剥がれた。塩津の歯の何本かが木之本の肩に残り、何本かが宙を舞ってその辺に散らばる。吹っ飛ばされた塩津が起き上がって顔を上げて――


「こいつまさか……!」


「ゾンビに?!」


 白く濁った眼は何も映してはおらず、口から流れる血は腐ったように黒く濁り、その顔は死体のような土色で……その有様は死人としか思えず、死人が動くその姿はゾンビとしか言いようがなかった。


「きゃあああっっ!!」


「いやー! 離れて!」


 複数個所で同時に悲鳴が上がった。見ると、ゾンビ化した男子生徒が女子を襲っている。ゾンビ化したのは全員ゾンビと戦った四人――いや、五人目が追加された。ゾンビ化した木ノ本が迫ってくる。さらに一人、もう一人。クラスメイトが次々とゾンビと化していく。


「撤収! 撤収! 全員走って逃げろ!」


 クラスメイトがパニックになって逃げ出し、だが総司はわずかに距離を作ってすぐに足を止めた。そして魔法のカバンから結界の宝玉を取り出してそれを並べて設置する。それで敵の侵攻を阻んだ総司は周囲を見回し、すぐ横で待機していた若葉へと射るような視線を向けた。


「虎姫、すぐに靴とジーンズと上着を脱げ!」


 なぜ、と問い返すよりも先に彼女がスニーカーと靴下とジーンズと上着を脱ぎ、放り出されたそれに総司が「再生の巻物」を投げつけるようにして使用した。再生の巻物が力を発動してスニーカーやジーンズが新品同様……そこまではいかず単に汚れが落ちただけだが、ともかく元の状態に戻っている。


「いいんちょ、何したの?」


 その問いを無視し、総司は険しい目を若葉を向け続けている。若葉はシャツだけの下着と素足丸出しの格好だがそれを見つめる総司の目に好色は一切なかった。その視線を遮るべく里緒が移動しようとし、


「近付くな!」


 総司が鋭く怒鳴って里緒が身をすくませる。まるで敵同然の扱いだ。


「虎姫、身体におかしいところは? 何か異常は?」


「何も感じない」


 総司はそれでも警戒を解かなかった。総司が匡平に一瞬視線を送り、彼が小さく頷く。その上で、


「解析をかけるから足を出してくれ。右足の方」


 若葉が足を高く上げて、総司がそれに手を触れた。若葉はくすぐったい感覚を無表情で隠している。解析は念入りにかけられるがそれでもさして長い時間ではなく、総司が大きな安堵のため息をついた。


「……大丈夫だろう。服を着てくれ」


「そうか。他に何か言うことは?」


 座った目の若葉が腰に手を当て、胸を張ってそれを問う――パンツ丸出しのまま。総司が思い出したように赤面し、「す、すまない」と慌てて背を向け、匡平もまた無言でそれに倣った。鼻を鳴らした若葉がジーンズとスニーカーを履いて上着を羽織って元の状態となり、


「いいんちょ、何してたの?」


 それを待っていたかのように葵が改めてそれを問い、総司は自分の周りの葵、里緒、匡平、若葉を見回した。


「……塩津はゾンビに侵食されてゾンビになった。山科と石山と野洲、それに守山も。咬まれたわけじゃなく、攻撃を受けたわけでもない。考えられるのはゾンビの体液だ。腐敗したあの体液を素肌に浴びてしまったことで汚染されてゾンビ化してしまったものと思われる」


 山科、石山、野洲は塩津と一緒にゾンビと戦った男子。守山は比較的前線に近い場所にいた女子生徒で、戦闘で飛び散った体液を浴びてしまったのだろう。


「木之本や篠原は」


「塩津はゾンビ化して間もなかったため体液が腐敗していなかった。だから襲いかかって噛みついて、体内に直接体液を注入して汚染したんだろう」


 その解説に葵と里緒は慄然とした顔を見合わせている。若葉もまた固い顔となっていた。


「それじゃわたしも」


「運が良かった。下手に体液を浴びていたなら虎姫もゾンビ化していた」


「そうなっていたら壊滅状態だったな」


 ゾンビ化した若葉が暴れ回ったなら誰にも止めようがなく、今回はこれで終わりだっただろう。幸運に恵まれた……とは到底言えなかった。ゾンビ化したクラスメイトは実に九人、それを見捨てて逃げ出したのだから。被害はあまりに甚大であり、総司は今後を思いやって重いため息をついた。






「せっかく良い場所を見つけられたんだ。このままここに立てこもるべきだ!」


 瀬田が声高にそう主張し、総司は難しい顔をする。ゾンビ化したクラスメイトを見捨てて逃げ出し、探索を再開して数時間後。総司達は休息できそうな場所を見つけてその夜はそこで過ごすこととした。そして、今後の方針について話し合いを始めたところである。


「正直言ってここがそんなに立てこもるに相応しい場所とは思えないけど」


 と総司はその部屋の内部を見回して言う。そこは残ったクラスメイト二一人が入って狭さを感じないだけの広さがあり、複数の出入口と接続されていた。部屋というよりは複数の通路の結合点というべき場所である。確かにここなら、一方から敵が入ってきても別の通路へと逃げることができるだろう。問題は、外と思われる場所からあまり離れておらず、敵の侵入の可能性が低くはないことだった。


「その辺はここに残る人間、立てこもりを選ぶ人間が判断して決めてくれたらいい。俺は探索を続ける。誰が、何のために俺達をこんな目に遭わせているのか、その真相を解き明かしてこの地獄を終わらせる――そのために行動する」


 総司が確固たる意志を示し――だが瀬田はそれを鼻で笑った。


「『この地獄を終わらせる』って……要するにそんなの自殺と変わらないだろ。何の意味があるんだよ」


「終わらせないと終わらないからだ。この俺がまたリポップして、侵入者と殺し合いを続けさせられるのが。『迷宮の守護者』に玩具にされるだけのくり返しが」


「それが格好いいとでも思ってるのか?」


 瀬田がそう嘲笑し、その意味不明な問いに総司は首を傾げた。


「少なくとも今のお前より千倍は格好いいと思うぞ」


 若葉が事実を述べるように、感情を交えずに指摘。また匡平が、


「ここに立てこもって、それでどうするつもりだ? 、コピーした飯を食って寝て、それ以外に何ができる? いつ敵が襲ってくるか判らず、ただそれに怯え続けて――それをどれだけ続けるつもりだ? どれだけ続けられると思っている? 一ヶ月か? 一年か? 十年か?」


「助けが来るかもしれないだろ!」


「いつ、誰がだよ」


 瀬田はそれに応えられず、ただ歯軋りした。


「そ……それでも、死ぬよりかはずっといいだろう!」


「そんなの、生きているって言えるかよ」


 匡平はそれ以上言うべき言葉を持たず、ただ肩をすくめた。総司は瀬田だけではなくその場の全員に対して諄々と、伝えるべきことを述べる。


「俺と瀬田の、どっちが正しいかなんて誰にも判らない。単に長く生き延びることだけを考えるならここに残った方がよほど賢い選択かもしれない。俺が選んだ道は安全には程遠く、きっと何度も死ぬような目に遭うだろうし、ちょっとへまをすればそのまま死ぬ。でも、それまでに新しい情報を手に入れられるのなら、それを次の自分に託せるのなら、その死は決して無意味じゃない」


「俺としては今回で全部の片を付けることを期待しているんだが」


「もちろん俺だってそのために最善を尽くす」


 それならいい、と匡平が笑い、総司もまた笑った。瀬田はそんな二人から顔を背け、「けっ」と唾棄するだけである。

 ――立てこもりを選んだ瀬田と総司はここで決裂し、別行動となる。別に喧嘩別れをしたいわけではなく、協力できるならそれに越したことはない――だが現状、定期的な連絡も合流も不可能だ。そのための手段が何もないのだから。相手の無事をお互いに祈りながら、自分が最善と思う行動をそれぞれが選んでいくのだ。

 そして、立てこもることではなく総司とともに先へと進むことを選んだのは、若葉、匡平、葵、里緒の四人だけ。瀬田も含めて残り一六人、全員が立てこもりを選んだ――いや、ゾンビに襲われ、クラスメイトの死に直面し、死の恐怖で身体が硬直して先へと進む勇気が持てないだけなのだが。だがそれを非難するべきではないだろう。普通でまともなのは瀬田達の方で、どう考えても総司や若葉達は普通でもまともでもないのだから。


「いや、待ってくれ。虎姫や高月にはいてくれないと困る」


 だが瀬田はそんなことを言い出し、


「そうだよ!」


「誰がわたし達を守ってくれるのよ!」


 クラスメイトの多くがそれに賛同した。だが肝心の若葉や匡平はそれに冷たい目を向けるだけだ。


「知るか。自分の身は自分で守れ」


「俺がお前等を守って、お前等は俺に何をしてくれるわけだ?」


 匡平の問いに答えられる者はいない。いや、女子の一人が激高して立ち上がり、


「抱かせろ、とでも言うつもり? わたし達のことを何だと思っているんですか?!」


「言ってもいないことで勝手に怒り出す、変な奴だと思っているぞ」


 うんざりした様子の匡平が彼女を追い払うように手を振った。


「委員長、もうここから離れよう」


「これ以上しがみつかれても面倒なだけだ」


 総司はため息を一つつき「そうだな」と頷く。そして彼が立ち上がり、それに若葉が、匡平が、葵が、里緒が続く。彼等五人が一六人のクラスメイトから離れて、遠ざかっていく。


「待て! 待て!」


 瀬田の呼びかけに彼等は振り返りもせず、その背中は通路の闇の中へと消えていった。


「……でも、良かったのか? 向日と桂川は。いくら虎姫と高月がいても前回は全滅だったのに」


「向こうに残っても先行きは何もありませんから」


 そう答える里緒の笑顔は無理に作ったもので、こわばっている。だがそれは恐怖を必死に乗り越えんとする、前向きな強がりだった。


「たとえ敵と戦うとしても、いいんちょや若葉ちゃんや匡平君と一緒にいる方が、あっちにいるよりもずっと生き残れそうじゃない?」


 葵もまたいつも通りの笑顔で結構辛辣なことを言い、若葉や匡平が笑いながら「確かに」と頷いた。


「……まあともかく、これでようやく身軽になった。これでようやく前に進める」


 総司には後ろを振り返っている暇などなかった。彼等はあくまで前だけを見つめ、暗闇の先へと臆せずに進んでいく。


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