第08話(SIDE B)


「いい加減にしろ」


 先頭を歩いていた若葉が足を止めたかと思うと、いきなり総司の襟首をつかんで締め上げる。


「ちょっ、若葉ちゃん」


「虎姫さん」


 葵と里緒が若葉を制止しようとするがそれは言葉だけだ。傍観する匡平は内心では若葉に同調しているものと思われた。


「な、なにが……」


「今自分が世界で一番不幸です、って顔で歩かれるのが鬱陶しい。話を聞いてほしいのならわざとらしい芝居をするな」


 総司は若葉の手を振り払ってその拘束から逃れた。


「こ、この……!」


 若葉の挑発に総司は握り込む拳を震わせ、そんな彼を若葉が冷たく見下ろす。


「どうした? 言いたいことがあるなら言えばいい。いくらでも聞いてやる」


「何か判ったんだろう? 何で黙っている」


 匡平に加えて里緒や葵も、


「判ったことはこの五人で共有するべきじゃないですか? 重要なことならなおさらです」


「ホウレンソウは大事だよ?」


 パーティメンバー全員に包囲された総司は顔を俯かせたまま両掌で顔を覆った。


「……こんなの、どうやって説明を……第一俺が何かとんでもない思い違いをしているだけかもしれないし」


「それならなおさらです。一人で考え込んでも堂々巡りになるだけ、って言っていたのは三島君でしょう」


 里緒の言葉に総司がようやく顔を上げる。彼は自分を取り巻く若葉、匡平、葵、里緒を順に見回し……顔を伏せてしまった。


「安全で落ち着ける場所に着いたら……」


 時間稼ぎをするような姿勢に若葉が苛立ちを募らせるが、


「確かに話をしている場合じゃなさそうだ」


 総司も含めた一同が顔を上げ、匡平の視線の先を追う。そこに見えるのは小さな灯火……一つではない、いくつもの明かりが見えている。里緒の耳が足音を捉え、床に突いた葵の手が振動を掴んだ。


「なんかすごいたくさん、何十人も!」


「後退しよう」


 その判断に異議はなく、彼等は元来た道を引き返して逃げ出す。それを追って姿を現したのは何十というワーウルフの集団だった。体格は総司達と大差なく、その装備もかなり粗末だが、おそらく彼等は素の戦闘力で人間の兵士を上回っていることだろう。その敵集団が総司達の姿を認めたようで、全員が雄叫びを上げながら足の回転を速めた。百メートル以上あったはずの彼我の距離がすぐに半分になり、さらに縮まっていく。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。


「三島!」


「判っている!」


 こんなこともあろうかと前もってコピーしておいた「結界の宝玉」を魔法のカバンから取り出し、匡平がそれを並べて通路を塞ぐ。その上で適当な角を曲がって先へと進むが、そこでもまたモンスターの集団に見つかってしまった。遭遇したのはリザードマンの雑兵集団、数は二〇程度。


「なんでこんなにモンスターが出てくるの! おかしくない!?」


 悲鳴のように葵が疑問を呈し、


「本当に外に向かっているのか? 方向を間違えてるんじゃないのか?」


 匡平が総司にそう問うが敵を眼前にした総司に答える余裕はなかったし、そもそも答えを持ち得ていなかった。


(おかしい、何かがおかしい)


 疑念が脳裏で渦巻くがこの場ではただのノイズだ。今はともかく生き延びるための作戦が最優先だった。だが、


「蹴散らした方が早い!」


「虎姫、待て!」


 総司の制止も待たずに若葉は敵集団の中心に飛び込み、縦横に拳を振るった。リザードマンは見る間に次々と打ち倒されていき、瞬く間にその数が半減する。敵は接近戦での不利を理解して距離を置き、その中の三匹が弓を構えて矢をつがえた。


「行ってくる!」


 葵が跳躍を使おうとし、


「向日、だめだ!!」


 全身全霊を懸けたような総司の制止に葵が跳躍寸前で踏みとどまり後ろを振り返る。リザードマンが矢を放ったのはそれとほぼ同時だった。三本の矢が若葉へと飛来し、その射線に匡平が割り込む。加速の祝福により彼は二本の矢を斬り落とし――最後の一本に心臓を射抜かれた。その身体が地面に倒れる。


「たかつきぃ!」


 獅子吼する若葉がリザードマンの群れへと吶喊し敵を薙ぎ払った。敵は若葉を包囲して剣を、槍を振るうが、若葉は自分の被害を全く考慮に入れずただ敵を殺すことだけに専念する。十数秒を経てリザードマンは全てただの骸となってその辺に転がり、その中で一人若葉だけが佇んでいた。ただし彼女も無傷ではなく、左腕は剣で斬られた上に矢が突き刺さっている。痛みと出血に足をふらつかせながらも彼女は匡平の下へと向かった。


「いいんちょ、何してるの!?」


「早くそれを、今ならまだ間に合うかも」


 葵と里緒は再生の巻物を使って匡平の治療をしようとするが、総司は巻物を握り締めたまま立ち尽くしていた。どんなに急かされても動こうとしない総司に二人は困惑し、言葉をなくしている。そこにようやく若葉が到着し、ひざまずいて匡平の容態を――その死を確認した。

 立ち上がった若葉は燃え上がるような眼を総司へと向けた。彼は呆然としたままで――鋭い蹴りが鞭のようにその身体を撃ち、総司がぶっ倒れる。


「あが、うで……うで」


 彼の左腕は関節の可動域を大きく超えて曲がっていた。若葉がさらにその肘を力の限り踏み潰し、総司は喉が裂けるほどの絶叫を放った。


「いたい、いたい、いたい、いたい……」


 総司は倒れたまま身体を丸めている。左腕の肘関節は完全に砕け、靭帯は千切れ、手首と二の腕は皮だけでつながっているような状態だった。若葉はそれを見下ろして冷たく鼻を鳴らす。そして地面を転がっていた「再生の巻物」を拾い上げ、それを総司へと投げ付けた。


「使え、それできれいに元通りだ。高月とは違ってな」


 総司の身体に反射して自分の足元に転がってきたそれを、里緒が拾い上げた。そして総司の下へとやってきて「再生の巻物」を使用しようとし、


「だめだ! だめだ、それだけは……!」


 総司が彼女を突き飛ばして突き放す。尻もちをついた里緒が呆然とし、それは葵と若葉も同様だった。総司はその視線に気付かないままワイシャツを脱ぎ、左腕は袖を通したままで、ワイシャツを身体に結んで左腕を固定しようとしている。片手での作業に難儀しているところを里緒と葵が手伝い、なんとか腕を固定した。


「移動するぞ」


 若葉が号令をかけて三人がそれに従い移動を開始。一キロメートル近く歩いて適当な小部屋を見つけ、手前の通路やその角に「結界の宝玉」を何重にもわたって設置し、


「安全で落ち着ける場所を用意してやったぞ」


 その部屋には今、若葉が、葵が、里緒が、そして総司がいる。四人が腰を据えている……若葉は立ったままだが。彼女の左腕の怪我もそのままで、裂いたシャツを包帯代わりにして巻きつけるという申し訳程度の治療をしたくらいだ。きつく縛って出血を抑えているが完全ではなく、また血流が止まっているのでこのままだと左腕は壊死するだろう。


「……モンスターの数がどんどん増えている。まともに戦えるのがわたし一人で、これからどうしろと言うんだ」


 先行きに絶望した若葉が捨て鉢な口調となってしまう。


「その上わたしに祝福を使うな、『再生の巻物』も使うな、って」


「ちゃんと説明してください」


 葵や里緒も一歩も引き下がらない姿勢を見せ、総司は、


「……判っている」


 とまず、深々とため息をついた。


「いくら言いにくかったからって……説明を後回しにしたのは俺の間違いだった。ちゃんとみんなに話しておくべきだった」


 そうだな、頷く若葉。いまさら遅い、と言いたい気持ちもあったがそれは何とか自制した。


「……まず、理屈としてなかなか理解しにくい話になると思う。それ以上に感情的に絶対に受け容れられない話になる。俺が何か思い違いをしているならそれに越したことはないけど、そうでないなら――最悪の、絶望的な話になる」


「その……元の世界に帰れない、とかですか?」


 里緒の問いに総司は「その発想はなかった」という顔で目を見開き、瞬かせた。


「ああ、うん。帰れない。そもそも帰る場所なんかないだろうな」


 非常に軽い口調で、あっさりとそれを認める総司。「元の世界に帰れない」――それですら今の総司にとっては最悪でも絶望でもないのだ。その事実に里緒や葵は慄然とした。


「順を追って説明する。前置きが長くなると思うけど我慢してほしい」

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