魔王にラケットを奪われたなら本でスマッシュすればいいじゃない

藤原くう

第1話

 時は世紀末。


 卓球の世界王者に君臨した現魔王は、その権力を行使し、世界からありとあらゆるラケットを狩りつくした。


 征暦1228年あるいは1588年くらいに行われた、かの有名なラケット狩りである。


 ラケット(パドル)とは平面なヘッドとシャフトからなるあれである。木製あるいはカーボン、網が張ってあったりラバーが張ってあったりと人によって思い浮かべるのは様々だが、それらすべて、魔王と彼らの忠実なしもべたちによって奪いつくされた。


 目的は明白。己の権力を確固たるものにするためである。ラケットがなければ、人は卓球を行うことができない。それによって無辜のテニスの民、バドミントンの民、ついでに船の民が致命的な被害を被ったが、彼らの声は武力によって封殺された。


 そんな中、一人の勇者が立ち上がった。


 名は卓野ハヤト。薄い本をラケット代わりに振るうバカである。



「やいやいっ。やっとたどり着いたぞ!」


 ハヤトの言葉が魔王城の大広間に響きわたる。悪趣味に飾り付けられただだっ広い空間は、アーチ状の天井といい、二階のスタンドといい体育館のよう。そんな中にポツンと一つ卓球台が置かれている。その向こうのおどろおどろしい玉座に座る少女こそ、世を恐怖で統べる魔王である。


 数世紀生きているという彼女の風貌は、世界王者になったその時から、変わっていない。だが、瑞々しい肉体に似つかわしくない老獪な笑みは、彼女が過ごしてきた時間を感じさせた。


「よくぞ参った」


 バカにするようなゆっくりとした拍手が、ハヤトへと降り注ぐ。ハヤトは気にしてはいなかったが、その肩に乗る妖精はプルプルと震えていた。


「な、なによ。すっごいえらそうな言い方するじゃないっ」


「実際、わらわは偉いのだ」


「世界大会で一回勝っただけじゃない」


「挑戦者がいなくなってしまったのだからしょうがないじゃろう」


「あんたがラケットを全部取っちゃったからでしょ!」


 妖精がキャアキャア文句を言っても、魔王はどこ吹く風。むしろそう言われるのを嬉しがっているように、両腕を組んで胸を張っている。


「そんなことどうでもいいんだ。オレはアンタと勝負をする。勝ったら、ブックテニスを認めてもらうぞ」


「そのブックテニスとやらを認めるのはいいのだが、卓球と一緒なのでは?」


「一緒なんかじゃないやいっ!」


「そ、そうか。まあよい。かかってくるというのならば、相手にしようではないか」


「ルールはブックテニス準拠でいいか」


「いいだろう。確か、卓球と同じだったよな?」


「セット数が違うな。七セットマッチじゃなくて、三セットマッチ」


「卓球の半分じゃな。ということは二本先取」


「ああ。それ以外は卓球というスポーツとおんなじらしい。いや、たまたまってすごいなあ」


 ハヤトと魔王は揃ったように笑いあっていた。その目は互いに笑ってはいなかった。



 ブックテニスは、テニスやバドミントン、あるいは卓球という、禁忌スポーツを源流に持つどんなスポーツとも違う新たなスポーツ。……というのは、魔王軍の目をごまかすためのカムフラージュ。ハヤトだって、これまでの旅で、自分が編み出した遊びが何世紀も前から存在していた事実を、北極にある図書館で司書から教えてもらった。だから、今の彼は、ブックテニスを普及するというよりは、魔王を討伐し世界に平和をもたらすために闘っていた。


 さて、ブックテニスについてだが、ルールに関しては卓球のそれと一言一句変わらないので割愛。卓球と違うのはラケットの代わりに本を使うという点と、セット数が卓球の半分となっている点だ。つまり、三セットのうち二セット獲得した方が勝利となる。


「頑張って!」


 妖精の声援に押されながら、ハヤトは卓球台へ近づく。


 青い台の向こうには、魔王の姿がすでにある。体操服にブルマ姿という数世紀前の人類にとっては、フェティッシュで倒錯的な感じすらあったその服装も、アンティークなものと成り下がっている。ハヤトは見たことがなく、肌の露出の多さに。ドギマギとする。


「もしかして、興奮しておるのか?」


「し、してないさ」


「そう言っても、体は正直なようじゃが」


 意地の悪い笑みとともに言われると、ハヤトの顔は真っ赤に染まる。怒りと羞恥心がこみあげてきて、手にしていた粗雑なエロ本がくしゃりと音を立てた。


「落ち着いて。あの女の作戦よ!」


「作戦とは失礼な。あ、そうだ」


「なんですか」


「勝利した方には褒美があった方がいいよな。おぬしが勝利したら――万が一にもそんなことがあればだが――収集したラケットをおぬしにやろうではないか」


「それは当然、あんたが持ってるそのフェアリーラケットもよね」


「妖精族としてはそれが目的というわけか。現金じゃのう」


「……うっさい。それに、そんな大人たちの理屈は、どうだっていいの。わたしはハヤトに勝ってほしいだけなの」


「ふうん。それでは、わらわが勝利したら、おぬしをわらわのものにしようではないか」


「オレを……」


「そうだ。わらわはおぬしのようなガッツのあるガキが好きでな。特に、遊ぶこと以外何も知らないような奴に、教えるのが好きなのだ」


「な、何をよ」


「妖精が教えられないような、あんなことやこんなことじゃ」


「どういう……?」


「耳を貸さないでっ! まだあんたには早いわよっ」


「くふふ。妖精は知っておるのか? わらわがしようとしていることを? さてはおぬしも、わらわと同類――」


「うるさいうるさい! あんたみたいな汚らわしいものと一緒にしないでちょうだいっ」


 やれやれと肩をすくめる魔王と、そんな魔王へバカとかスケベだとか叫ぶ妖精。そんな二人を、ハヤトは困惑したように交互に見ていた。エロ本を手にしてはいたが、男と女が何をしているのか全く知らない。二人が話していることもよくわかっていなかった。


「え、えっと。オレが負けたらあんたのものになればいいんだな」


「そういうこと」


「わかった」


「ハヤト!?」


「おれが負けると思ってるのか」


「そうじゃないけど……」


「じゃあ大丈夫」


「どう思おうが勝手じゃが、話はもういいか?」


「ああ。それで条件を飲むから、あんたも」


「当然だ。わらわは魔王だからの。交わした約束は決して違えぬ」


「どっちからサーブする?」


「おぬしからいいぞ。わらわは王者じゃ、そのくらいのハンデは与えよう」


 ピンポン玉を取り出した魔王は、ハヤトへと投げ渡す。それをキャッチしたハヤトは、ピンポン玉とエロ本もといラケットを構えた。



 右手にはエロ本、左手にはピンポン玉。


 そのエロ本は、月間のものの半分ほどの薄さしかない。俗にいう「ウスイホン」というやつで、個人間でしか売買されることのない希少なものである。古代文明ではこのような本を楽しむ文化があり、それが現細々と続いてきたわけだが、それはさておく。


 ハヤトはピンポン玉に息を吹きかけ、宙へと放る。落ちてきたオレンジ色の球体を本で叩く。


 ネットの向こうでワンバウンド。跳ね上がったピンポン玉を、魔王はラケットで返す。くるくると回転する球は卓球台に触れた瞬間、その弾道を低くさせた。


 キュッと音を立てピンポン玉は、本をかいくぐるように、通り過ぎていこうとする。それを視界の隅で捉えたハヤトは、スイングの軌道修正を図る。


 ――届けっ!


 カッと、軽い音を立て、ピンポン玉が飛んでいく。軽い感触に、球の行方を見るまでもなく、ハヤトは舌打ちした。遅れて、あらぬ方向へと飛んでいったピンポン玉が地面へと落ちて、ころころと転がる。


「いやはや、驚いたよ。まさか反応できるとは」


「ず、ずるいわよっ」


「ズルなどしていないぞ。ルールブックに記載してあるラケットを使用している。このフェアリーラケットをな」


「あんたがわたしたちから奪ったんでしょっ!」


 フェアリーラケットはその名のごとく、フェアリーが制作したもの。ユグドラシルの枝からできたラケット本体と、その表面を覆う青と黒のゴムは、マンドラゴラから抽出したラテックスから生成されたもので、半永久的に使用可能。強烈なスピンがかけられる、シェイクハンド用のラケットだ。


 妖精族は卓球のラケットをつくる一族で、その腕といったら、世界いや宇宙に誇るほど。――もっとも、この数世紀は魔王によって、ラケット製造禁止法が制定され、その技術は今や風前の灯となっている。


「そのラケットさえあれば」


「ふふふ、おぬしはそこに座って、やきもきしておれ。――そら、替えの球だ」


 ハヤトは無言で球を受け取り、しげしげと球を見つめる。どこにも歪みはなく、振っても音がするとか、あるいは魔力的な痕跡は見つからない。


「ズルはしていないから安心していいぞ」


「じゃあ、そのフェアリーラケットってやつがすげえのか」


「それもあるが、わらわの技術があってこそじゃな」


「強いってことか。それは燃えてくるぜ」


 いくぞっ。


 そう啖呵を切ったハヤトは、ピンポン玉を高く投げる。本を筒状に丸めると、それを両手で握り締め。


「ホームランショット!」


 必殺技のように叫んだかと思うと、バットを振るうがごとくスイング。ぱきりと、割れてしまうのではないかという勢いを受けたピンポン玉が、強烈なドライブ回転をしながら魔王側のコートへ突き刺さる。勢いよく跳ね返ったそれを、魔王のラケットが叩く。だが、フルスイングから放たれたオレンジ色の一撃は、天井めがけて飛んでいき、どこかへ消えた。


「しゃあっ!」


「なんて強いサーブだ……」


「ハヤト得意のサーブよっ。とくとご覧じなさいっ!」


「どうしてプレイしていないおぬしが自慢げなのかわからんが、次からわらわのサーブじゃからな」


 スコアは一対一。三セット先取のゲームはまだ始まったばかり。

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