時間銀行の受付嬢

@Artficial380

時間銀行の受付嬢

 …粉雪降りしきる白い街。ロンドンでも思い浮かべればちょうどいいだろう、そんな風流な都市だ。傘を差す人間やロボットが往来し、黒いコートが雪の中で目立つ。レンガ造りの屋根にはもう手で掴めるほどに白い綿が積もっているだろう。

 その街の中央にドンと構えるのが、私が務める「時間銀行」という職場だ。私はもう30年も務めているただのおばさん。

 この銀行は名前の通り時間を管理する。この街の住民全員それぞれの時間の譲り受けが円滑に進むように手続きをしたり、全ての時間を正確にまるで「お金の財産」のように取り扱う。時間の管理の対象にはロボットも含まれる。

 この街の職場はほとんどロボットが仕事している、この銀行だって、もう私以外の職員で人間の人なんて居ない。…私も此処にいられるのは時間の問題だろう。

 ー今日も住民が手続きをしに来る。とある少女が私が居る受付に来た。

「ごめんください、全時間を確認したいんですけれど。」

「はい、お名前は?」

 全時間とは簡単に言えば、例えばその少女の残りの寿命、つまりはあとどれくらい時間が残っているのか。という意味だ。中学生くらいの少女が一人で来たので、待合室にでも親御さんが居るのかと思えばそうでもないらしい。しっかりした子だ。

 書類を機械に通す。それだけで情報が出てきてしまうのだ。重大かつ危険が付き纏う仕事だからか、給料は高く、昔は倍率が高すぎる職業だったっけ。今はそもそもの話だけど。そんなことを考えつつ、画面に目をやると。

「…ふぅん。」

 いつものことだ。どんな数字が出てきたって私はもう驚かない。ただそれを淡々と対象の住民に伝えればいい。それだけの仕事だ。

「お客さん、こちらになります。」

 くるりと繋がれたタブレットを机に回し置き、でも少女には重い画面を見せた。

 少女も驚かなかった。でも少しだけ悲しげな目をして、口を噤んでいた。

「…お間違いないでしょうか。」

「はい、有難うございます。」

 そう言って少女は受付の前から玄関の方へ、消えていってしまった。

 数十分後に聞いたのだがその少女はその後、交通事故でなくなったらしい。自動運転車のバグにより、赤信号であった道路を青信号で住民が行き交う横断歩道に突っ込んで来たのに直接ぶつかってしまったそうだ。その直後だった、私は金庫の方に歩き始めていた。


 ーそうこの金庫だ。大きな扉のこの金庫は見た目開きそうだが、絶対に開かない金庫だ。

 この銀行の仕事はもう一つ。死んだ住民の残り寿命、余命を残して体が蘇生不可能になった住民の時間を回収して必要な人に配るという仕事。これの受け渡し自体は完全に機械化されてしまったが、まだ私が受付している。

 どう受け渡しているのは私も知らない。というより、誰にも理解できないもんだから教科書にも載らないし、実際見てもよくわからない。頭にハテナ?だけが残るから私は追及するのを幾分か前に諦めた。

 ここに来ると金庫の扉を模した模様の、私の目線あたりに小さくはっきりと、貯蔵されている時間が表示されている。桁を数えるなんてことをしなくても私は覚えている。毎日見に来ているのだから。

 経歴を覗き見てみれば。本当だ、少女の寿命時間程足されている。1年。たったの一年。あのなんの変哲もない少女があと一年しか生きられないところを、不運にもその場で手放さざるを得なくなってしまったのだ。今も刻々と時間が増えていく。1億なんてところじゃない。もう桁は数えないほうが身の為だ。

 この中にある時間を持っていたモノ達はどういう結末だったのだろうか。自殺をしたくなるほどのつらい境遇だったのか、予想だにもしない急展開に揉み消されたのか、恨みを買って殺されたのか、流れ弾で不運にも貫かれたのか。…どの道、不運なことには間違いないと思ってはいけない。そのモノの幸せなんて該当者にしか本当の理解なんて出来ないのだから。不運だとしてもそれが違うかの生があるのだから、要するに「メリーバッドエンド」だったという可能性だってある。

 黙祷をする。此処に入っている時間の持ち主はほとんどが身体を失ったモノ達だ。その中に少しだけ、暇を持て余した人が匿名で譲った時間も混ざってはいるが、そんなことはどうでもいい。手袋を外して義手を露わにする。銀色に光る手でその数字が表示された電子掲示板をなぞる。


 その時にまた数年の時間が追加された…。


 -今日も色々な住民が受付に来る。

「赤ん坊が危篤なんです!何とか今すぐ手続きできませんか!!」

 父親だろう、セットされていたであろう髪もぼさぼさにして雪の中傘も差さず走ってきたらしい。勢い良く受付机に手を叩きつけて、のめり込んできた。いつもの事である。

「…何年をご所望でしょうか。」

 今回は時間を求める客、延命を求めての来店。

 酷い時代だ。親が子供の寿命を決められてしまうのだ。その赤ん坊を助けて何になる?もし何かの病気があったからこうなったとして、延命されて苦しみながらその寿命を無駄にして生きていくのか、それともそれでも生きていることが、それが幸せだと考えるのか?生きることが幸せ?…この銀行に居れば人生観が狂ってしまう。

「な、何年なら今すぐ手続きできるんだ!?いくらでもいい!!」

「いくらでも。ご所望の時間をご用意いたしましょう。」

 私の目は死んでいるだろう。父親は必死そうな顔でこちらを見ている。そっと書類を表示した画面を出す。これに記入して機械に通すだけで…時間が譲られてしまう。とても簡単で迅速で、軽い。

 そいつはガリガリと一生懸命にペンを画面の上で走らせ、荒く書類を私の前に放り投げん勢いで手渡してきた。もう少し顔が近ければ私に当たっていた。勘弁してほしい。そこにおいておけば後は自動で通されるというのに。

「…やっと生まれた子を死なせる訳にはいかないんだ…。」

 父親が後ろでそう呟いた。なるほどそれはご愁傷さまだ。経緯は興味の欠片もないが、これだけ必死になるわけだと操作する必要のない機械の画面を目の前に考えていた。

「手続き完了しました。お子さんは救われましたよ、早く戻っておやりなさい。」

 言葉だけの感情のない一言。

「…!!ありがとうございます…有難う…。」

 これだけで笑顔になるモノが居るもんだ。

 父親はまた走って元来た道を曲がっていった。ちらりちらりと雪が玄関に舞って入っていた。

 その子はどのように生きるのだろう、「お前が生きているのは時間を残して死んだ人が居たからだよ」と言われるのだろうか。残酷だ。そんな父母でないことを願う。


 -そんなことがあった。たくさんの時間を動かして、この仕事だけで私の時間が無くなってしまった。給料だけで仕事に就くもんじゃない。本当にそう思うよ学校でも一回ぐらいは言ってほしいくらいだ。庇護されている時代を勉強と集団行動だけで過ごし、大人になったら生活費を稼ぐためだけに仕事にしがみついて身を粉にする…楽しいことなんてあったのだろうか。もうこの感性の私にはわからない。これを読んでいるのがもしも子供なら、あなたにはしっかりと好きなことを見つけてほしい、その仲間を見つけてほしい。私の知人はそれでとても楽しそうに時間を有意義に過ごしていた。あれはこの職業だった私から見てもとても良い例あろうと思うのだ、もしも働き始めたばかりならまだ間に合う、少しずつでいいあなたの息抜きを見つけて。それだけでも明るくなる時間があるのだ。


「…『どうか、その命を棒に振らぬように、時間を無駄に死なせない様に。私からあなたにだけでもお願いしたいのだ。私のようにならない様に。』………。」


 少年はベッドテーブルに置かれた手紙を読み終えた。そしてそのベッドに目をやった。少年は数年ぶりに母の寝顔を拝んだ。

 そこに居たのは、学業を完璧に修了し、就職戦争を勝ち抜きて高収入の仕事に就き、結婚し子供を育て上げ巣立ちを終え、パートナーに先立たれそれからここまでは一人で生きてきた、老いぼれた銀色の義手の女性の顔があった。

 息子はその顔を暫く眺め髪を撫でた後、布を顔に被せた。顔を伏せて手で目を覆った。ぽたりと、乾いた床に水滴が零れ、木に吸い込まれて消えた。窓のカーテンの奥から朝日が差し込む。

 開封された手紙の封筒の横にあった蝋燭はもう、灯火は無く、煙を吐いて息切れていた。

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