三章 その動乱、始まりにつきーー

1 その者、冒険者につきーー

 

 バルセット城塞都市を有するアルムグラード辺境伯領。


 希少鉱物が産出されるガラバック連峰を領地に持つラダム子爵領。


 その他貴族家と隣接すると言う重要地を任されたアルムグラード辺境伯側の代官の管轄地には、広範囲に根を張る大森林が存在し、その森の中ほどには疾うに朽ち果てて久しい開拓村があった。






 ――――いや、朽ち果てて久しかった・・・開拓村がある。






 その開拓村は本来の目的とはかけ離れた者たちによって占拠され、新たな役目を担っていた。


 野盗団の塒。


 それが元開拓村に与えられた新たな役目であり、蜘蛛の巣が張って長かった窯に火が入れられた理由だった。


 しかしなんてことはない。


 人族の支配領域にある地域とはいえ、アルブドル大陸にはまだまだ人の手の及ばない場所はいくらでもある。

 そんな地を人の手に収めんがため、拓かれた村は日々作られては消えていく。


 消えていく理由は様々だ。


 元々、人が住むには適していなかった。

 野盗や傭兵、蛮族に襲われて住人が居なくなった。

 天災や飢饉によって、再興できないほどの痛手を受けた。


 その元開拓村も吐いて捨てるほど転がっている理由で潰れた村の一つであり、そんな村を野盗たちが塒にするのもまた、どこにでもある有り触れた話だった。


 ウェルタもそんな有り触れた話が積み重なったが故にそこに居た。


 平凡な農村、平凡な両親、平凡な日常の中に彼女は産まれ落ちた。

 いたって普通の〝人〟の家庭に生まれ、代り映えのしない日常に嫌気がさして幼馴染たちと共に一旗揚げようという、有り触れた理由で冒険者にもなった。


 そうして故郷を飛び出した当初は良かった。

 数十人に一人程度でしか〝人〟では扱えない攻勢魔法を扱えたこともあり、自分たちは数多にある平凡に埋没するような存在ではないという希望があった。

 慣れないながらも幼馴染たちと野営しながら語った寝物語は、今でも鮮明に思い出せるほど夢に満ち溢れていた。


 しかし一路目指して辿り着いたバルセット城塞都市には自分たちと同じ境遇の者は幾らでも――――それこそ掃いて捨てようにも掃き切れないほどいたのだ。

 それでも意地と、故郷を勝手に飛び出したという後ろめたさで頑張り続けた。


 だがその努力も、結局は平凡の域を出なかった。

 そんな有り触れた話が、有り触れた悪党の話に変わった契機は成果の出ない日々に悶々としていた時だった。


 幼馴染の一人が死んだ。


 依頼で受けた隊商の護衛――――といってもその役目は専属の傭兵のものであり、ウェルタ達の役目は見かけ上の護衛の数を増やす賑やかしだ――――で野盗に襲われ、流れ矢を受けて死んでいた。


 呆気ないものだった。


 傭兵が野盗を蹴散らしたあと、負傷者の治療をしようとして気付いた時には既に幼馴染は事切れていた。

 身近な人間の死にもう一人いた幼馴染の心は折れ、組んでいた一党パーティーは直ぐに解散してしまった。


 ウェルタは一人冒険者を続けていたが、三人でもうだつが上がらなかったのに一人になって上手く行くはずもなし。

 それどころか一人になったことで、難なくこなせていた依頼も出来なくなった。


 臨時の一党を組むこともあったが、幼馴染たちとしか一党を組んでいなかったツケのように、あり合わせの彼らと息を合わせる事が出来なかった。


 失敗が続き、有り金が底を尽き、喰うに困って気付けば悪事に手を染めていた。


 最初は置き引きのような軽いものだった。

 それで味を締めてからスリをするようになり、より金を求めて主要な道から外れた街道を進む商人や旅人を襲うようになった。

 坂道を転げ落ちていくように、悪事はより悪質なものへとエスカレートしていき、今では幼馴染を殺した者たちと同じ野盗の一味になっていた。


 攻勢魔法を扱えたのも、エスカレートしていく速度を加速させた。


 冒険者でも攻勢魔法を扱える人間は多くいる。

 しかしだからと言って攻勢魔法に対処できる人間は少なく、また悪事に手を染めるような人間に攻勢魔法を使える人間はほとんどいなかった。

 故にウェルタは女の身でありながら組した野盗団の中にあっても狼藉を働かれることもなく、逆に近隣の村々や塒近くの街道を進む隊商相手の急ぎ働きでは重宝された。



 そしてウェルタは幸運だった――――いや、悪運が強かったと言うべきか。



 ウェルタが流れ着いた野盗団の頭は元傭兵を語る巨人種ヨルドの混血だった。

 二メートルを優に超える巨躯、表皮は鋼のように固く、その大木を思わせる太い腕が一度振るわれれば、大の男が木の葉のように宙を舞う。


 頭は腕力だけの男ではなかった。

 元傭兵――――それも一部隊を率いていたと豪語するだけあってか、人心の掌握に長け、練兵の腕も確かで悪知恵も働いた。


 そんな男を頭と仰いでいた御蔭で日夜巡察吏が目を光らせ、真っ当な冒険者や傭兵が護衛として真面目に働き、悪党にとっては生きづらいこの大陸にいてなお、一年以上も急ぎ働きで生きてこれたのだ。


 それに頭目は目端が効いた。

 襲う隊商は護衛の数に比べて金になる物を運んでいることが多く、一働きするだけでウェルタ達の前には農村にいた頃は勿論、冒険者をしていた時にも見たことがない硬貨の山を築き上げた。


 毎日の食事は豪勢になり、装備は上質なものになり、実力は冒険者だったころよりも遥かに上がった。


 以前とは比べるべくもない日々。


 そうした生活を送っていくうちにウェルタも変わって行った。




 悪事を働いた時に懐いていた罪悪感は消え失せ、他者から奪うことに躊躇いはなくなり、真っ当に生きることがバカらしくなった。



 汗水垂らして働くよりも、他人が作った金を奪う方が遥かに楽だった。



 そしてそれを押し通し、不遇を押し付けるだけの力も手に入れた。



 自分は奪われる側ではなく、奪う側に立てる人間なのだと思った。









 故に忘れてしまっていた。

 奪う側に立ったからと言って、決して奪われる側にならない保証はないということを。







 その時も代わり映えしない双子月の浮かぶ、痛いほど静かな夜だった。

 ウェルタは割り振られた夜警に就きつつ同輩達の下卑た話題を聞き流し、暇な時間を潰すために先日の急ぎ働きで得た大金の使い道を夢想していた。


 ウェルタは幸いにして巡察吏に顔を知られていない。


 襲った者たちをことごとく根切りにしているのもあったが、仮に生き残りがいたとして野盗の中に女がいると誰が思うだろうか。

 それは街の治安を守る衛兵達も変わらず、旅人らしい格好をすれば、ウェルタは持ち物を改められることもなく大手を振るって街で豪遊することができた。

 故にウェルタは手隙になれば大金の使い道を考えるのが癖と化していた。


「……男は単純で良いわよね。使える〝穴〟さえあれば満足できるんだから」


 そんな日課に近いことを考えていると、ウェルタの下腹が疼きを訴えてくる。

 塒には食料庫替わりに使っている近隣の村々から〝人質〟として連れ去ってきた女達がおり、代わる代わる犯し犯される者たちの声は滅多に途絶えることはない。

 近々塒を移すとあって、当面の禁欲を強いられる同輩達はお盛んだ。


 そんな所で寝起きしていれば、女であるウェルタとて性欲は溜まる。

 同輩達は全くと言っていいほど好みではないし、そもそも自身の欲求を晴らすことしか頭にない男たちに抱かれるなどごめん被ると思うウェルタ。

 かと言って近隣の村々にはもうウェルタ好みの男はいない。

 あらかたウェルタが愉しんだ末に殺したか、従順な村民を作るために一発〝殴った〟際に死んでいる。


 大きな街へと出向いて男娼を買うか。

 そこまで考えたウェルタに天啓が舞い降りる。


 かつて拠点としていたバルセット城塞都市まで足を運び、未だに極貧生活を送っているだろう冒険者たちに財力を見せつける。


 その上で媚びてくる者がいれば、その男たちに奉仕させるのもいいかもしれない。


 ちょっとした思い付きだったが、必要な日数や根回しの相手を選りすぐる程度には、ウェルタにとって魅力的な思い付きだった。


「こんばんは、良い夜ね」


 そんな思考を遮るように、ウェルタの耳に聞き慣れぬ女の声が届いた。

 声自体は近くからではなく、ともすれば塒の中から漏れ聞こえる嬌声に紛れていても可笑しくないほど微かなもの。


 しかし確かに聞き取ったウェルタはハッとして思考を切り上げ、本来の役目を思い出して辺りを見渡した。

 そして元開拓村を囲う古ぼけた塀の外、切り開かれた木々の境界に一人の人種らしき姿を見つけ出す。


「女……? もしかして冒険者?」


 木々の生い茂る隙間、塀から少し離れた雑木林から歩み出てくる女を見てウェルタは眉を寄せた。


 腰に提げられた小さなカンテラによってうっすらと浮き上がった人影は女の冒険者のそれ。


 野盗を狩るべく冒険者がやってきたと考えれば可笑しくはないが、何故ここまで近付いてきただろう女が声を掛けてきたのかが分からなかった。


 奇襲するにせよ、先行して様子を見に来ただけにせよ、声を掛ける理由はないのだから。


 それに近隣の村々には立ち寄った巡察吏や冒険者に村民たちが〝告げ口〟をしないか見張る者たちも潜ませており、彼等から冒険者がやってきたなどと言った報告はなかった。


 そも妄想に思考を傾けていたとは言え、常時魔力感知を使っていたのに女の接近に気付けなかったのか。

 目視もしているのに、未だに反応がないのが理解できなかった。


 もしや自分は幻でも見ているのではないだろうか。


 そう思い込みそうになるウェルタだったが、同じく夜警を割り振られていた同輩たちも女に気付いて塒は俄に騒がしくなる。


「敵だ! 敵が来やがったッ!!」

「一人だと? そんな筈ない、何処かに仲間が隠れてるはずだ!!」

「冒険者が来たってことは、もしかしてあいつ等が俺らを売ったんじゃねーだろーな!」


 廃屋の各所から漏れ聞こえていた嬌声は男達の喧騒に上書きされ、普段は目立たぬようにと灯りを一切排した廃村に精霊魔法の火球が灯される。

 そして見張りの作り出した火球によって、輪郭しかわからなかった女の姿がより鮮明となった。





 上衣はプレート付きの軟皮鎧。

 下履きは海を渡った先にある大陸の更に南方、遠い異国の傭兵団が好んで履くダボついた独特なもの。

 手足は薄暗い朱色の小具足に包まれ、その口元は同色の牙を剥いた狼を模した面頬に隠されていた。





 ただの旅装束からは程遠い、血生臭さを孕んだ戦衣装。

 たまたま立ち寄ってしまった――そもそも目的も無しに辿り着ける場所にはないのだが――不運な冒険者ではなく、ウェルタ達の存在を認識してやってきたのだと長屋の上に立っていた者達は理解した。


 そこからのウェルタ達の動きは早かった。


 当初の動揺は見る影もなく、火球を浮かべる者達は敢えて目立つように屋上にて立ち上がり、逆に火球によってより深くなった影の中から弩や短弓を持った者達は女へ狙いを付ける。


 目に見える女だけではなく、光の届かない闇に潜んでいるだろう女の仲間がいつ現れても良いように周囲へ目を光らせながら。

 その動きは手慣れたもので、伊達や酔狂で何年もこの野盗に厳しい土地で急ぎ働きを熟してきていないと思わせるものだった。


「ふふっ、盛大な歓迎に胸が高鳴ってしまうわね」


 ウェルタも弓兵達と同じように陰に潜みながら女の様子を伺っていると、闇夜にポツンと浮かび上がっている女の声が耳を打った。


 どういう訳か、やたらと女の声が耳に届くとウェルタは疑問に思う。

 魔術や魔法の類が使われた様子もなく、女の囁き声に近い独り言が届くわけもないのにと。

 得体の知れない女をじっと観察し続けていたウェルタは唾を飲み込み、はたと気付く。





 自分の身体が緊張で固くなっていることに。





 何故、そんな疑問がウェルタの内に渦巻いた。

 周りを見やれば、同輩たちも酷く緊張しているように見えた。

 ウェルタを含め、彼等は冒険者だけではなく、より高度に訓練され装備の充実した巡察吏すら屠ってきた。


 だのに今更緊張している理由が理解できなかった。

 何かが可笑しい、そう思い始めたウェルタを前に女が動きを見せる。


 軽い動作。


 特に殺意が乗ってるわけでも、何かの意図があるようにも見えない気軽な動き。

 女は背後に隠していた物を投げたが、それは双方の間の半分にも届かない距離に落下した。故に誰も反応しなかった。

 ただ一人を除いて。


「ウォルム、ペダッ?!」


 一人の叫ぶような驚愕の声。

 挙げられた名は近隣の村々の一つを監視していた仲間の名前。

 そして声を上げたのはそんな彼等と最も付き合いの長かった男。


 その声音を聞いた全員の意識がほんの一瞬だけ投げられた物に向かい、慌てて女に意識を向け直す。

 だが、数秒にも満たない僅かな時間で女の姿は跡形もなく消え――――






「贈り物、気に入って貰えたかしら?」






 ―――代わりに長屋の縁に女が立っていた。

 女の囁くような言葉を皮切りに、ウェルタ達は奪う側から奪われる側へと転がり落ちた。


「なッ?! いつの間―――グギャ?!」

「こんのクソアマ――――ぎゃぁああああッ??!!!」


 まず女の間近にいた巾着切りで失敗し、街を追われたディルンの首が切り裂かれた。

 返す刀で目に余る悪童さで村を追い出されたバッズの腕が叩き切られた。


「く、来るなぁあああ!!!」

「この! この!! 死ね!!死ねぇぇええ!!!!」

「なんで当たんネェんだよぉぉおおお?!!!!」


 女の握る手斧が双子月の燐光で煌めくたび、一人また一人と同輩たちは女の餌食となっていった。






 蝗害で家族と故郷を失い、野盗に身を窶したバルサの足が転がっていった。

 男娼として働かされていた娼館から逃げ出し、野盗に身を寄せたドゥーテの両手首から先が失くなった。

 借金取りに家族を奪われ、止む無く悪事に手を染めたコルトの額が叩き割られた。






 幸運にも女が降り立った場所はウェルタからは離れていた。

 だが、それ故にあまりに一方的な光景をまざまざと見せ付けられた。


 彼等も抵抗はしていた。

 だが全てが無意味だった。


 剣を一閃しても容易く弾かれ、腕を切り落とされた。

 手槍を突き込んでも、スルりと絡め取られて袈裟がけに切り捨てられた。

 遠くから矢を放っても女の身体に刺さることはなく、〝すり抜けた〟矢は同輩を射抜き、お返しとばかりに投げられた短剣が首元に突き刺さる。


 ウェルタは何もできなかった。

 いや、出来ることはあった。ただ身が竦んで動けなかった。

 あまりに一方的な――――否。一方的など生温い、反撃も歯牙にもかけない蹂躙としか形容できない状況を作り出した一人の女に恐怖したのだ。


 少しでも目立ち、女の凶牙が自分へ向けられることを恐れてしまったのだ。


 気付けばウェルタは塒に幾つかある廃屋、その一つの内にあった物置の中に身を隠していた。


 ほぼ本能的な判断、だからこそウェルタは無事だった。


 同じ釜の飯を喰ってきた同輩たちの怒声が悲鳴へと変わり、一人また一人と断末魔を上げては減っていく声にただただ身体を震わせ、耳を塞ぎ気配を殺し続ける事しか出来なかった。


 どれ程時間が経ったのか。

 朽ち果てた物置の隙間からほんの僅かな光しか差し込まない暗闇の中、一秒にも数時間にも感じさせる恐怖にただひたすら膝を抱えて震えているしか出来なかったウェルタは気付く


 いつの間にか、同輩たちの声が聞こえなくなっていることに。


 全滅したのだろうとウェルタは即座に察することができた。


 しかし同時にまさかという思いがあった。

 特に頭目の実力を目で見て知っているだけに余計だった。



 なれどウェルタの体は動かない。

 知識が、経験が、本能が敵わないと告げてしまっていたからだ。例え戦場で手腕を奮っていたであろう頭目であったとて。



 それほどに圧倒的な強さだった。

 それほどに一方的な殺戮だった。



 朽ち果てた隙間から差し込む双子月の頼りない月明りに照らされた暗く狭い物置の中、静寂に包まれながらただただ体を震わせるしか無かったウェルタの視界に変化が起きる。


「……え?」


 ただでさえ暗い物置が更に闇を増したのだ。

 あり得ぬ変化に戸惑いながらも視線を巡らせ、月明りが差し込んでいた隙間へ目を向ける。


 そして見つけた。


 爛々と輝き、自身を凝視し続けている血を思わせる濃密な琥珀色の瞳を。


「ヒッ?!」


 引きつった悲鳴が漏れ出るのとほぼ同じく、腐った壁面を突き破った腕に胸倉を掴まれる。

 そして抵抗する間もなく強引に引き摺り出されたウェルタは投げ出され、地面に身体を打ち付けられる。


 痛みと混乱に支配される意識に鞭を打ち、顔を上げたウェルタの眼前に女が立っていた。


「あら、こんなにかわいい女の子が野盗の真似事なんて珍しいわね」


 そして視線の高さを合わせるように屈んだ事で、息を吸い合うような至近距離にまで女の顔が近付いた。


「あ…っ……ぅ………」


 身動き一つ取れなかった。

 薄暗い夜闇の中にあって浮き立つような琥珀色の瞳に見つめられ、身体はより濃密な死の気配に支配されてしまった。

 だからだろうか、唯一自由だったウェルタの思考は目まぐるしく駆け巡った。



 汗一つ浮かばないきめ細やかな肌。

 淡い月明かりですら煌めく栗色の髪。

 何より口元を飾る狼を模した朱殷の面頬。




 それらを間近で見て、ウェルタの記憶から一つの噂話が呼び起こされる。








 曰く―――光を浴びれば光輝の冠を頂くブルネットを靡かせた麗しの女冒険者がいると。








 曰く―――口元を狼を模した仮面で隠し、蔓延る蛮族野盗を悉く一人で狩り取る強者がいると。









 曰く―――例え差し出される財貨が少なくとも、悪漢によって蹲る者に手を差し伸べる慈悲深い者がいると。









 それらは全て一人の冒険者に纏わる噂話。

 それを聞いたとき、ウェルタ達は鼻で笑っていた。

 日々驚異に晒されている脆弱な村民たちが希望を欲して作り出した偶像だと思っていた。



 一体どこに野盗や蛮族の一団相手に、単身で勝てる冒険者がいるのかと。

 命を賭けておきながら、少ない財貨で満足する奴がいるのかと。



 だが噂は本当だった。

 今、ウェルタの目の前には、晒された目元だけでも分かる美しい女がいる。

 単身野盗の塒に乗り込み、蹂躙せしめるだけの強者がいる。


「い、いでぇ……」


 声にならない嗚咽が滲む中、聞き覚えのある声がウェルタの耳に届いた。

 ハッとして周囲へ視線を向ければ、同輩たちが地べたに蹲りながらもうめき声を漏らしている姿が幾つもあった。

 その中には頭目たる男の巨体もあったが、同じように呻き声を出していることから息はあると遠目でも分かった。

 その時、ウェルタには自分が助かるための微かな希望が見えた気がした。


「ま、待って、私は無理やり従わされてただけなの!!」


 ウェルタは思ったのだ。

 普通の冒険者相手であれば考えすらしなかったかもしれないが、周囲に倒れている同輩たちの多くは殺されていなかった。

 つまり目の前の女は噂通りに慈悲深く、そして人もろくに殺せない甘ちゃんであると。

 だから恐怖に震える声を抑え込み、同情を誘うように弱々しい声音で眼前の女の足元に必死に縋りつく。

 弱々しく縋りつき、同情を誘い、被害者のように振舞えば、慈悲深い女冒険者なら騙しとおせるかもしれないと。


 自身に向けられる恨みがましい視線を感じつつも女の様子を伺えば、女は何かを考えるように面頬に手を当てる。


「あらそうなの? それは、困るわね……」

「お願い、私だって好きでやってたんじゃないの!!仕方なかったの!!貴女も女なら男に囲まれて生きていく大変さは分かるでしょ? それにこれからはちゃんと真面目に生きるし、罪も償うわ!!だからお願い、今回だけは見逃して……」


 足にしがみついて訴えながら見上げれば、視線の交わった向こうに映る女の瞳に迷いが見えた。

 だからウェルタは付け入る隙きがあると判断して更に自身の語彙力を総動員して言い募る。

 それらを全て聞いた女は考える素振りを見せ、そしてなぜか周囲を見渡すと薄っすらと目を細めるのだった。


「そんなに必死に訴えられたら仕方ないわね。今回は貴女の言うことを信じてあげる。だから私は殺さないって約束するわ」

「ホントにッ?!ホントに見逃してくれるのッ!?」

「えぇ。私は見逃してあげるし、殺しもしないわ。私、これでも約束は必ず守る主義なの」


 柔らかい笑みを返してくる女にほっと安堵の息を吐き、内心でほくそ笑みながら立ち上がろうとしたウェルタ。

 しかしその脚は不意に膝から崩れ落ち、視界全てが地面を映し出す。

 訳が分からないながら起き上がろうとするが、うまく足が動かないことに気づいて自身の脚に視線を向けたウェルタは目を剥いた。


 自分の両膝が、本来向くはずもない方向に折れ曲がっていた。







「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」








 去来する痛みに喉から自身の声とは思えない悲鳴が溢れ、ウェルタは空転する思考で必死に考える。


 何が起きたのか。


 何をされたのか。


 誰にやられたのか。



 空回りして何度も意味のない事ばかり考えてしまう思考と涙で滲む視界の中でのたうち回ってると今度は右肘が踏み潰され、髪を鷲掴みにされて強制的に顔を起こされる。

 こうなれば混乱の最中にいるウェルタでも、誰がやったかなどすぐに分かった。


「なんでっ?! 見逃してくれるって、約束は守るって……」

「あら貴女、おかしなことを言うのね」

「何を、言って――――アガッ?!」


 女の手を抑えていた指をへし折られ、苦痛に呻くウェルタを無視して女が歩き出す。

 ブチブチと髪が引き千切られる痛みも重なり、引き摺られるウェルタの思考は混乱の極みにあった。


 膝を折られるその時まで女の瞳には敵意も害意も微塵もなく、肘を踏み砕き指をへし折る瞬間にすらそれを感じることは出来なかった。

 語られた言葉にはさも当然とばかりの態度が滲み、女が本当に約束を守る気でいるのだと思ってしまう。


 しかし今の自分はそれらと真逆の姿になっている。


 なんでどうしてと、答えの出ない問答を繰り返していると唐突にウェルタは放り投げられる。


「私は貴女が私に言った事を信じてあげるし、さっきした約束通り巡察吏に突き出すような事もしないわ。勿論私が貴女を殺す、なんてことも絶対しないわ。だから――――」


 地面に蹲るウェルタの耳に鈴を鳴らしたような声が届く。

 全身を覆う痛みに悶えながらも顔を上げると何が楽しいのか、面頬を外した女はニコニコとした笑みを浮かべていた。


「――――だから大丈夫。きっとも分かってくれるわ」


 呆然とするウェルタの目の前で屈んで視線を合わせてきた女の美貌が、同性のウェルタでも見惚れてしまうその美しい笑みを前に恐怖しか覚えなかった。


 そして自分を囲むように影が差していることに今更ながらに気付いたウェルタが周囲を見渡せば、そこにはこの塒で嬲り続けられていた女たちが立っていた。

 自分を囲む女たちの瞳には暗くどす黒い憎悪が灯り、その濁った瞳は一心にウェルタへと向けられていた。


 当然だった。

 同輩の男たちは勿論、ウェルタも彼女たちや彼女たちの身近な者達で〝遊んで〟いたのだから。

 この場に放置されれば自身の末路がどんなものになるか瞬時に理解し、ウェルタは笑みを浮かべ続ける女に無事な方の手を伸ばす。


「ま、まって!!だって、約束、なんで…守るって……」

「約束はちゃーんと守っているでしょう?」

「なに、を、言って……」

「だから私殺さないし、私見逃してあげるって。約束はしっかり守っているじゃない」


 あぁ、と零れた言葉と共にウェルタは理解した。

 女は端からウェルタの言葉を信じてなどいなかったし、生かす気もさらさらなかったのだと。

 そして女の笑みが嫌悪を呼び起こす醜悪な悪意に満ちた歪な物に変わったのを見て、自分がどんな最期を迎えるのかも容易に想像がついた。


 ウェルタは思う。

 愉悦と恍惚で彩られた瞳に慈悲などないじゃないか、と。


 ウェルタは誰とも知らぬ者が流した噂に悪態を吐きながら、狂気と憎悪の篭った粗末な棒切れが振り下ろされる痛みに耐え続けた。

 狂ったように滅多打ちにされ、ウェルタが息絶えるその時まで女は歪な笑みを湛えたまま、ただただ愉快そうにウェルタの瞳を見つめ続けていた。


「あぁ、やっぱり人の見せる〝彩〟は好いわねぇ……」


 狂乱と血の臭いが立ち込める饗宴の中、女の呟きを聞き取れる者はいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る