13 その笑顔、本心からにつき――

 

 少女の自我の残り粕を飲み込み、自身の自我に干渉していた〝異物〟を取り除いたレイラは軽く感じる身体に魔力を滾らせ、村の中を駆け抜けていく。


「あハはハハハハはははハハハハッ!!」


 更に普段の瞑想の時を遥かに凌ぐ全能感に包まれたレイラは、走りながら小さく笑い声を漏らしていた。

 そんなレイラが目指す先は開拓村の南――――バルセットへ繋がる街道と開拓村を結ぶ東の入り口とは違い、南方に広がる森林を向く簡素な門。

 しかし簡素とはいっても野生動物や野盗対策に門として十分に機能を発揮できるように作られたそれは、開拓村の近くで伐採した丸太を繋ぎ合わせ、ロープと簡単な仕掛けで作られた跳ね上げ式だった。


 そこを目指しながらすれ違いざまに遭遇する遊鬼には手斧で首を切り裂き、矢をつがえる遊鬼ゴブリンには拾った石と投石器で足を止めることなく仕留めていく。

 一匹一匹仕留めた余韻に浸る間こそなかったが、さっきまでとは打って変わって仄暗い悦びが心の奥底に溜まっていくのを感じ取り、故郷を焼き払われているというのに満面の笑みを浮かべていた。


「やっぱり私はこうでなくちゃねぇ、あぁ、堪らないわぁ……それに獲物の御代わりも向こうから来てくれるし、ほんとに今日はいい日ねぇ!!」


 狂気に染まった笑顔を浮かべたまま、レイラは耳が拾った地面を踏みにじる小さな音の出所に向かって走る先を変える。

 建物の陰から飛び出し、レイラが来るのを狙っていたかのように振り下ろされる遊鬼の粗末な戦斧を躱し、腕を斬り落とし、膝裏へ手斧を叩き込み、後ろ向きに倒れる遊鬼の首を地面に押し付けるようにしてその首を捩じり斬る。


 更に死体から短剣を奪うと同時に死体を飛び越え、向かってきていた別の槍を持った遊鬼に飛び掛かる。

 突き出された槍の穂先を紙一重で躱し、間合いに入り込んだレイラは奪った短剣を首に突き刺し、今度は槍を奪い取って背後から走ってきていた遊鬼に投げつける。


「しかしこれで仕留めた遊鬼は十六体。まだ家々を荒らしてる音も方々から聞こえるし、村の中に七十体はいそうね。別動隊もいたってダルトンは言っていたし、全部の遊鬼が家を荒らしてるってことはないだろうから、総数は百前後かしら? 開拓村を襲うにしては戦力過多にもほどがあるわね……」


 血を吐き出し、貫通した槍に支えられるようにしてはりつけにされた遊鬼を見ながらレイラは返り血で汚れた顔を拭う。


「流石にこの村はお終いね。バルセットに向かうしかなさそう。でもこんなに早く煩わしい人間関係を捨てられるなんて私は幸運ね。しかも蛮族を殺す動機もくれるオマケつき。本当にツイてるわ」


 村の中から漂う夥しい血の香りから相当量の人が死んでいるのは確かであり、最初は聞こえていた悲鳴はもう聞こえなくなっている。

 身体に纏わりつく死の香りにニヤリと嗤い、ぺろりと唇を舐める。

 今後どのように人格を演じ、どんな風に生きている様に見せるべきかを考えているとき、ある疑問が脳裏をよぎる。


「しかしまさか北方砦が陥落したわけでもないでしょうし、となるとこの大量の遊鬼達は本当に深淵アビスを超えてきたのかしら。それなら随分と無茶をするものだわ。そこまでしたのなら、開拓村一つ潰しただけで満足するはずもないわね。狙いはもっと大きな街? それともここを拠点にして近辺を勢力圏に取り込んで北方砦を挟み撃ちする気なのかしら?」


 ふと湧いて出た疑問に思考の一部が寄った瞬間、その思考を邪魔するように甲高い音が周囲に響き渡る。

 音の発生源に目を向けると、口から血を吐き出しながらも牙か何かで作られた笛を咥えた遊鬼の姿があった。


「あら、貴方まだ生きてたの? いえ、私が貴方達の生命力を甘く見てたのかしら? まぁ、どっちでもいいのだけど……」

『Uiyit、noztuens……ッ!!』


 レイラの投げた槍に腹を貫かれ、地面に縫い留められた遊鬼に歩み寄ると、大きく血を吐き出し何かを呟きながら呪詛に染まった瞳で睨まれる。

 周囲から物々しい足音がこちらに向かってきているの感じ取ったレイラは、死に体で笛を吹きならした遊鬼の頬をそっと撫でる。


「しかし駄目じゃない、応援なんか呼んじゃあ。そんな悪い子にはお仕置きをしないとね」


 レイラはそう言いながら首筋を遊鬼が持っていた短剣で浅く切り、脇の下や太腿を切り裂くと夥しい量の血が流れ出る。

 だくだくと流れ出る血に苦悶の表情を浮かべる遊鬼とは対照的に、愉悦に満ちた表情を浮かべたレイラは再び遊鬼の頬を撫で擦る。


「貴方はそこで渇いて逝くといいわ。お仲間が貴方の死体を見つけるその時まで……」


 レイラは顔色が急速に悪くなっていく遊鬼に背を向け、再び走り出す。

 しかし愉悦に浸っていたはずのレイラの表情は、遊鬼に背を向けた段階で渋いものを舐めたような苦いものになっていた。


「しかし浮かれすぎたわね。まさか殺し損なってたなんて、折角のボーナスタイムが台無しよ。まぁいいわ。どの道、ここではそんなに長いこと愉しむのは難しかったでしょうし、切り上げるのに踏ん切りが付いたと考えることにしましょう。それに生きて脱出して、次の機会に期待すればいいものね」


 笛の音を聞きつけたのか、周囲からは続々と足音が集まりつつあった。

 音と気配を頼りに物陰へと隠れ、あるいは不意の遭遇を避けるように家の二階部分の外壁に飛びついて集まってくる遊鬼達をやり過ごしていく。

 遊鬼との戦闘を回避することに専念して走ること数分。

 あっという間に門の近くへとたどり着いたレイラは物陰に隠れ、門と長屋を覗き見る。


「……誰一人逃がす気はないってことかしら」


 簡易の門は固く閉ざされ、村の内側に四体の遊鬼が立ち、防壁を兼ねた長屋の屋上にも多数の遊鬼が配置されていた。

 ただし門や防壁の上を陣取る遊鬼達の視線は村の内側へと向けられており、人族側の救援や増援を警戒するのではなく、村の中にいる人間を逃がさないようにしているのが一目で見て取れる。

 このまま突貫し、防壁と門を突破することは可能かもしれない。

 だが防壁を超えたあと、南に広がる森林まで辿り着けるかは怪しい所であった。


 村から森まで約六〇〇メートル。


 防壁の上には弓兵が多数配置されている。

 門近くにある獣舎には遊鬼達が騎獣として使っていると思われる狼たちが、獣舎の主である丸猪牛ファルゴールの死骸を貪り食っていた。

 更に獣舎の前には村人の死体を嬲り、あるいはその死肉に喰らい付いている狼の騎手だろう数十の遊鬼達がたむろしている。

 弓兵をやり過ごすことはできても、その後に放たれるだろう騎獣兵の追手はさしものレイラといえど多勢に無勢である。

 しかし、かといって南門以外からの脱出もまた難しい。



 主要街道へと繋がる道と接する西門。

 遊鬼達がやって来ただろう東門。

 蛮族の領域と接し、人族域の最北端にある北方砦に最も近い北門。

 そして林業のためだけに設けられ、何処へともつながる道などない南門。



 四つの門の重要度と優先すべき順位は誰が見ても明らかであり、それが明らかであるからこそ、他門のほうが遊鬼達の警戒が厳重であるのは自らの目で確認するまでもない。

 門のような要所以外からの脱出にしても、防壁兼長屋の屋上には等間隔に弓兵が配置されている上、南の森林への距離は南門が最も短く、門から騎獣兵がでてしまえば先回りされてしまうだろう。


「はてさて、どうしたものかしら。ん?アレは……」


 どうやってこの状況を打破するかとレイラが考えていると、遊鬼達の様子に小さな違和感を感じ取る。

 それは門や長屋の上を陣取る遊鬼達の装備と、村の中で収奪に勤しんでいた遊鬼達の装備の質の違いであった。


 周囲の監視と警戒を行っているのは粗末な遊鬼の防具の中でも一際貧相な物を身に着けているにもかかわらず、収奪している遊鬼や騎獣兵らしき遊鬼の装備は彼らと比べれば高品質だと分かる。

 また高品質な装備を身に着けている者たちは皆、熊を模した飾りを装備のどこかに施してあるのに対し、貧相な装備をした遊鬼達は赤い羽根を装備のどこかに用いている。


「装備の質の違いに、飾りの違い……もしかして遊鬼達にも内部争いでもあるのかしら? それとも単純に力関係で弱兵が割を食っているだけかしら? まぁ、どちらにしても、彼らも一枚岩ではないのかもしれないわね」


 そこまで呟いたレイラはチロりと唇を舐め、にんまりとした笑みを浮かべるのだった。

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