ある日、左肘と右膝が離れなくなった。

TAKα

起床

 目が覚めた。



 常夜灯が照らす部屋、掛布団すらない寝具の上、俺は鉛のように重たくなったまぶたを薄っすらと開けた。

 まだ喉の開ききっていない声で、誰に聞かせるでもない独り言を呟く。


「何時だ......?」


 枕元の携帯電話を手に取り、電源を入れる。電池残量が残り僅かであった。

 ああ。昨夜、携帯電話の充電をし忘れたのを思い出す。


「12月26日土曜、午前4時35分」


 ......普段の起床時刻より、25分も早い。

 ただの個人的な話だが、目覚ましが鳴る前の時間に目を覚ましてしまうと、何とも言えない損をしたような気分になる。


 朝に早く活動できる余裕が生まれるため得とも言えるのだろう。実際は、休日なら1秒でも長く寝ていたいところが本音だ。くだらない世迷言である。

 そんな100人中100人が思いつくような事を考えながら――アラームが鳴るまで残り18分――と携帯電話の画面に通知が表示された。


「土曜日か......」


 俺は勤続9年のしがない会社員、営業部。普段の仕事と並行して、1年前に新卒で入社してきた声量だけは大きい新人の世話に日々明け暮れている。まあ声が大きいのは、非常に良い事だと思う。聞き取りやすいし、印象が良い。ファーストコンタクトを好印象と捉えてもらうには、あって困らない素養の1つであろう。本当にそれだけだが。


 ただし、この新人が意外にも厄介。若い内は「習うより慣れろ。仕事や電話応対は数をこなしたほうがいい」とかいう風潮があったりもするが、その数をこなした新人の不始末を対処するのは、教育係である俺の役目であるという事をもう少し、理解して仕事をしてほしい。

 年末のシーズンで多忙の中、会社の連中が行祭事だの何だので、溜まった仕事を押し付けられ、挙句の果てに、地獄の21連勤を乗り越えた先の休日が今日であった。


 疲れは取れていない、疲労が蓄積しているのは明らか。昨晩はようやっと帰宅した安堵感と疲労感で、そのまま布団に突っ伏して寝たような気がする。

 もう記憶も曖昧になっているかもしれない。


 久々の休日なのだ、もうひと眠りしようかとも思ったが、さすがは社畜。平日の起床時刻が災いして、寝ようにも寝られない。

 無理に眠ろうとしても、寝覚めが悪くなるだけだろう。さいわい、朝もまだ早い。こういう時は活動的に朝から動こうではないか。


「は............ああ......」


 そう思い、烏か蛙かすらもわからないような、しゃがれた声で小さく欠伸をする。錆びた蝶番ちょうつがいのように硬くなった関節を動かし、軽く伸びをした。


 ......? 体に違和感がある。伸びをした筈だが、上手くできていない。腕が動いていなかったのか、今度は肩のほうから少し大きく伸びをする。


「......」


 おかしい。もしや金縛りにでもかかったか? いや、そんなことはない。首は動くし体も重たくはない。指だってこの通りだ。


「......っ」


 そこであることにふと気が付く。俺はこんなにもうずくまった体勢で寝ていたのか? 脚だって伸ばして、何なら最後の記憶は、うつ伏せで突っ伏して床に就いた筈だ。


 いやいや、睡眠中に体が動くこともあるだろう。そんなのただの寝相だと言ってしまえば、それまでだが、あいにく俺は寝相が良いほうではある。

 学生時代、寮で生活していた時は、まるで棺の中にでもいるのかと思う程度には、睡眠時の動きがなかった。

 一度自分の就寝時の様子を録画したことがある。あれは、一種の仮死状態だと言っても過言ではない。


 うつ伏せで寝ていた筈が、何故このような体勢になって寝ている? この程度の簡潔な情報ですら整理できないのか、寝起きで頭も回らない中、色々と思考を巡らせるのは好みではない。恐らく精神衛生上、良くもないと(勝手に)思っている。


 ............いや、考えるのはよそう。実際、俺の人生史上、類を見ない程の連続勤務だったのだ。普段は寝相が全く無くても、極度の疲労で体は限界だったのかもしれない。寝相の1つや2つ出てもおかしくはないのか。


「............」


 話を戻す。今の問題は伸びをする事が出来ないというだけだ。大した問題ですらない。ならいっそ一度、体全体を起こしてみれば良いだけではないかと。

 そう思った俺は、脚と腰、肩の反動を使って、思い切り上体を起こす。


「......よっ......と」


 体育座りに近いような形で寝具の上に起き上がった。何の変哲もない休日の早朝、そして何の異常も見当たらない体、かと思われたが............何だこれは。


「は............?」


 左腕が右脚に乗っている。


 いや、正確には、が、の上に乗っかっている。


 左腕を持ち上げれば、右脚がついていき、右脚を伸ばそうとすれば、左腕が持っていかれる。何がどうなっている。


 もしや、これはまだ夢の中ではないのか、などとそんな都合の良い話は、端から存在しない事はわかっている。

 全く以て理解が出来ていない。脳が追い付いていない。これ以上、朝から頭を使わせないでくれ。


 接合部は?


 ふと疑問に思った。百聞は一見に如かず。ただくっついているだけなのか、本当に離れないのかを確認するには、これ以上ない方法だろう。

 俺はすぐさま顔を傾け、腕(脚)を横から覗き込む体勢になった。


「............ああ」


 何とも形容し難い。離れないのではない、くっついているとか言っていられる次元ではなかった。

 本来別々である筈の肘関節と膝関節が、1つしか存在しない。最初からそうであったかのように1つの関節として宛てがわれている。


 二の腕から脹脛ふくらはぎへ、大腿から手首へと筋肉が繋がっているかのような感覚が正しいのか。いや、もはや何が正しいのかも定かではない。


「......はあ............」


 状況を整理する前に、俺は気を失いそうになる。失っている場合では微塵も無いのだが。非現実的な光景を目の当たりにすると、人間はこうも脆くなってしまうものかと頭を抱える。ついでに膝も抱えているのか。

 

 駄目だ。意識が混濁する。

 頼むから、もう一度眠って、目が覚めたら全て元通りに。


「ピピピ、ピピピ」


 ――午前5時00分のアラームが鳴った――


 俺の名前は竹中藤次郎。ある日、左肘と右膝が離れなくなった。

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