第1章 ー女盗賊ミランダとアメジストの大ダンジョンー

1 女盗賊ミランダ、推参



気が付くと、そこは暗闇だった。

うっすらぼんやり思い出せるのは、自分が人間であったというだけ。

名前は、た…いや、わ…から始まった様な気がする。

何をしていたんだったか…まるで思い出せない。目前に広がるのは暗闇だ。手足は…感覚がない。動かせるがゆっくりだ。何かずっと大の字に両手を広げ、真っ直ぐ指を伸ばして、体がそのまま固まっている様な、そんな感じだ。


俺は死んだのだろうか。これが死なのだろうか。死というものは認知出来るものなのだろうか。

なんだかで聞いた言葉があったな。我思う故に我ありとかなんとか。


・・・


眠りについては暗闇を繰り返す。長い余りにも長い時間がたった。何度も人間だった頃の夢を見る。しかし、妙な事に見る景色は滅茶苦茶だ。


自分が大人だったり子供だったり、木造の建物だったり石や土づくりの建物だったり、様式の違う無数の景色がある。

起きている時は、時折、振動の様なものが聞こえたり、風の様な錯覚も感じた。確かに聞こえたのだが、時間がたつたびに自分の錯覚なのではと疑いたくなってくる。

人間だった頃の記憶がひどくおぼろげだ。人間ってどういうものだったっけ。柔らかくて暖かいもので、でも遠い存在だった気がする。

そう、自分がオスだったことは覚えている。あったかくて柔らかいのは、メスだ。本能でそれを覚えている。



・・・



「空いてる。」


今何日ぐらい経ったんだろうな…。


「胸当て…か。叩いてみても…反応ないか。厚手の割に軽いな。裏地も柔らかい。ウチなら装備できるかも。」


厚手に反してウチに帰りたい…あれ?なんか寒いし解放感ある。俺どうなって…


ふにょん。


柔らかくて…あったけえ。


「なんかイヤに生暖かいな…この胸当て。妙にフィットするし。」


でもなんか、コレジャナイ。小さくない?いや、気持ちはいいんだけど。


「あ、あれ?ベルトが外れない…」


そう、なんだっけ。最高に柔らかくて暖かい奴。そうだ。生殖。メスの柔らかい奴。確か。


そう。おっぱい。



おっぱいだ!!!これはおっぱい!!!離さねえ!


「あれ…裏地が動いて…あれ…胸まさぐってるような…」


このメスは俺のものだ!俺のおっぱい!俺のメス!


「触手が伸びてくる!しまった!こいつは…なんでこんな浅層に!?」


でもなんか…あれ?


「…あれ?なんか急に動き止まった。ぁんっ…ちょっとまさかこの胸当て。」


押しても小指の爪幅ほども沈まないぞ。ここらへんが山の上だよな。


「…」


うーん…俺の知るおっぱいは違う。もっと、オスの握りこぶしが全部埋まるぐらいのだったはず。いや、柔らかくて暖かいし、気分はいいんだけど。


ガィィィン!


痛っっっって!!!!!!!!!



―――


胸当ての中心にある鉄板の頂点から、目が開いた。

(いてーな!この貧乳!)


上を見ると、バンダナとマスクをつけた盗賊の容姿をした女の顔がこちらを見ていた。


「まずい!コイツ、インフェクテッドアーマーか!」

(いてててて!いや、それはそれとしてせっかくのおっぱいは離さねえよ!くそ、何とか伝えらんねえか!)

手足を伸ばそうとすると、何か伸びる。

(人差し指が伸びた!よし、えーっと、耳だ!とりあえず耳!)

「うわっまた触手伸びて来た!このっ!」

(あっがー!いってえ!折れる!強く握りやがって!あ、中指も背中側に伸びる!)

「うそ!やだ!誰か…」

触手が耳の裏の骨に当たると、女の頭に声が響く。

(いてーじゃねえか、やめろこのクソ女!)


「うるさい離せ!この!」

地面に倒れてゴロゴロと転がり出す。錯乱していて声は聞こえていても届いていない様だ。

(いってーな!だから、やめろっつってんだろ!)

「誰がやめるか!離せ!」

(お前がまずやめろよ!)

「うるさいうるさい!お前が離せ!」

(ギャアアア!指が千切れる!目にゴミが!頭凹んじゃう凹んじゃう!)

「お前に指なんかあるか!指…え?指?」

(うつ伏せで倒れるな!苦しい!)


無理にでも呼吸しなければ。そう思った時に胸当てが緑色に輝き、爆発するような風圧で、女はうつ伏せのままジャンプした。


「うわぁっ!?風魔法!?」

(ゲロゲロ~!圧死するとこだったじゃねえか!)

女は頭に響く声を認識した。鎧が話しかけてきている。

「この胸当て、もしかして…」


(あ~ようやく大人しくなった…。)

「アンタまさか口利けるの?」

(あ?)

「アンタよアンタ!胸当て!」

(むねあて?)

「だーかーら、お前のことだよ!」


女はこんこんと胸をドラミングする。目玉は上を向いて女の顔を見る。そして周囲を見渡した。

松明の炎の光。そして暗い洞窟の壁面だ。ところどころに大きな透明度の高い紫水晶が地面から天井まで伸びて薄暗く光っている。

その水晶をじっとみると、反射している松明の炎の横に、一つの目玉が中心にある胸当てをつけて尻もちを付く女がいる。上に見える女と同じ、口元にマスクとバンダナをつけた、少し後ろ髪がボさついた盗賊の容姿をした女。

水晶と真上を目玉が何度も往復する内に、女は松明を拾って水晶の前に来た。

近づくとぎょろぎょろと、上下を見る速度が速くなり、そして水晶を見て止まった。


(な…なんじゃこりゃー!?俺、これ俺ぇー!?)


女は耳を塞ぐ。

「うるさ。耳塞いでも意味ないし。やっぱりこれか?」

耳の裏に張り付いた触手を剥がすと、声が遠のいた。ビチビチと暴れ出してまた同じ場所に張り付いてくる。

(俺、俺は人間だ!)

「いやどう見たって鎧でしょ…」

(嘘だ!なんかの間違いだろ!俺は人間だよ!)


「とにかく外れてくんない!」


女は再び胸甲を引きはがそうとする。

(うわー!やめろ!いやちょっと待ってお願い待って!タンマ!)

「そうはいくか!寄生されて乗っ取られる前に外してやる!」

(いやちょっと待って、話聞いて!」

「くそっ、ビクともしない!」

(人間に会ったのなんて、どれぐらいぶりかわかんないんだ!お願い!お願いします!このままお話だけでも!)

胸当てから涙が出て来た。金具も溶接されているのかと思わんばかりにバックルがビクともしない。

(このままじゃラチが開かないな。とりあえず、話すだけ話して隙見て外すか…。)

(外してもいいから!見捨てないで!)

「思考まで聞こえてんのかよ…。わかった、とりあえず話だけ聞いてやるから、絶っっ対に耳の中に指突っ込むなよ。」

彼女は耳の穴に小指を突っ込んで言う。

(ありがとうございますぅ~!)

胸当ての目玉から涙が滴り落ちた。

「マジ泣きしてるわ…にしても喋るモンスターなんてねぇ…。」


・・・10秒後


「落ち着いた?」

(あぁ…)


彼は周囲を見渡した。薄暗い紫色の明りがぼんやり光る洞窟だ。


(ここはどこだ?)

「ダンジョンさ。迷宮の4層だよ。」

女はさも当然の様な口ぶりで話す。

(迷宮?4層?何のことだか…)

「それで、お前はなんなんだい?口が利ける鎧?」


彼は自分を思い出そうとするが、念じる様に記憶を探ろうとすると頭にモヤが掛かった様にぼーっとして、次の瞬間には目が覚めた様に正気に戻される。


(俺の名前…ごめん、全然思い出せない。人間だった気はするんだ。ワとかタで始まったオスの成人だった気がするけど。)

「あぁそう…なら離れてくんない?自称人間の男が女の胸に飛び込んだままなんてさぁ。」

(や、それは見捨てられそうだからちょっと…無理かな。君の名前は?)

「チッ…ミランダ。」

彼女は露骨に不服そうな顔をする。

(上の名前は?)

「苗字はない。そんな高尚な生まれじゃないよ。一匹狼の盗賊さ。」

(そうなのか?苗字は誰だって勝手に名乗っていいもんだろ。)

「必要ないね。名前だけありゃいい。」

(そっか…ドライなヤツだな。)

「で、アンタはなんで口利けるんだい?」

(んなこと俺に言われても…人間だからな?この、なんだ?俺は今一体どうなっちまってるんだ?)

彼は自分の体を見ようとする。手足の感覚はあるが、伝わってくる感覚は全く違う。

「さぁねえ。ただ、アンタの種族は分かるよ。インフェクテッドアーマー、鎧に擬態した寄生虫さ。」

(寄生虫って…俺は人間だって言ったろ。)

「これ見てまだ言うかい?」

(うーん…)

ミランダは一度大きなため息をついた後、腕を組みながら言った。

「しかし、そうだね、協力してくれるなら考えてやるよ。」

(例えば?)

「魔法、使いなよ。さっきみたいにさ。インフェクテッドアーマーは、凶悪な魔法を使ってくることで有名なのさ。」

魔法やダンジョンと言われて、彼は少しの間、考え込て聞いた。

(…ここダンジョンって言ったよな。もしかして、モンスターが徘徊してたり?)

「当たり前だろ。というか、アンタ自身モンスターなんだからな。」

彼はとにかく、今よりも安全に、状況を把握できる環境が欲しかった。自分で動けない以上、なんとしてでもミランダを頼るしかない。

(俺が止めさせてて悪いけど、立ち止まってる場合ではないじゃないか。君が倒れたら、俺はもう動けなくなっちまう。とにかく、もう真っ暗で動けないのだけは嫌だ。外の景色が見たい。)

「私の体を乗っ取ればいいじゃないか。」

(…どうやってやるんだ?いや、なんとなく、君の耳に指突っ込めばいいんだろうけど…。既にもう何年寝たかも判らないんだ。失敗したら元も子もないのに、そんな危険は冒せない。)

「…変な奴…。」


グルルルルル…


「!」

ミランダは短刀を出して、低く身構えた。

(どうした?)

(そういやさっき、あんた私の思考を読んでたね。聞こえてる?)

(あぁ。)

(スケアリーウルフ、ダンジョンの中層の入り口に出てくる、狼タイプのモンスターの唸り声さ。臭いを辿られたか。どうやら、マゴつきすぎちまったみたいだね。)

キラりと光る目が見えて、ミランダは少し後ずさった。足音を聞いても5匹以上は見える。

(狼か…群れで襲い掛かってくるんじゃないのか?)

(あぁ、参ったね。ここは行き止まりだよ。)

(君の仲間は?)

(いないよ。以前はチームでいたけどね。分け前とネコババでトラブって、もう誰も組んじゃくれないよ。)

ミランダは周囲の状況を見るが、打開できそうなものは一つもない。

(追い込まれた場所が悪すぎる…アンタには悪いけど、またここで1人になっちまうかも。)

(せっかく出れたのにか!?そうは行くか!)

(ウチも死にたくなんてないけど、限界ってものがね…。運がよくても、3匹道連れにするのが精いっぱいだよ。)

スケアリーウルフがゆっくりと近寄ってくる。松明の明りで、先頭のオオカミの姿が露わになった。大型犬よりもはるかに大きい。口を大きく開けたら、ミランダの顔がテニスボールの様に咥えられそうなぐらいに大きい。

(何かないのか?!道具とか!)

(そうだね、一瞬気を引ける様なものはあるけど…あんたがアタシを乗っ取れば、モンスター同士で仲良くなって見逃してくれるかも?)

ミランダはベルトから煙幕を出した。

(何強がってクールぶってんだよ!そんなこと出来るか!)


「んならあんたが考えなよ!アンタみたいなアイテムは欠点相応に高い能力があるって相場が決まってんだ!助けて欲しいのはこっちなんだよ!」


思わずミランダは怒鳴りつけた。それを皮切りに先頭のオオカミがとびかかった。前足に組み伏せられる直前、ミランダは鼻頭に飛び膝蹴りを見舞った。

前歯をへし折って、巨大なオオカミは悲鳴を上げて身を翻す。

横から迫ったもう一匹がとびかかった。目にナイフを刺し込んだが、勢いを失わずに突っ込んでくる。重たい体に下敷きにされ彼女はあおむけに倒れた。すかさずもう1匹がとびかかってくる。

(いででで!)

下敷きになった鎧の彼は、指の感覚が走っている肩紐を地面に擦り付けられて激痛が走る。10数キロの体に踏みつけられた状態で地面を引きずられているのだから痛くて当然だ。

ミランダは煙幕を爆発させ、身を転がし、ギリギリのところで噛みつきを避けて逃げ出そうとするが、毛皮に引っかかり、死体に覆われた下半身が抜けない。

もう他の武器を抜いている暇もない。死体から脱出する前に、腕を噛みつかれて振り回され、肘をへし折られるのが先だ。

(くそっ…こんなところで…)

ミランダに危機が迫る。彼女の背筋に死の恐怖がよぎった直後、彼の脳裏に、電流が走る様な熱い感覚がする。


今まで寝起きの様なぼんやりとした思考が、爆発する様に雲が晴れる様な清涼感のある感覚に襲われる。


目の前にあったのは、牙を剥き出しにしたオオカミの顔だ。彼は本能的に恐怖を感じる。

(うおおおおぁぁぁぁ!こっち来んじゃねぇぇぇぇ!!!)

彼は無我夢中で人間の腕でなくなった異常な感覚の両手を前に突き出す。狼の毛皮の奥で強く目玉が緑色に輝いた。冷たい暴風がミランダの胸から瞬時に吹きだされる。


近くにいたスケアリーウルフが毛皮にバックりと空いた傷から血を吹き出し、天井に叩きつけられた。


「真空波…!やっぱり風魔法を…!」

彼女は素早く後転して起き上がり、ウルフ達と対面する。

(来るな!来るな来るな来るなぁぁぁぁ!)

吹き付ける様なが2度、3度と巻き起こる。行き止まりから先へ先へと吹き抜ける風は、彼女の背中を押す様な気流を作り出す。

(ウチまで吹き飛ばされそうだ!)

松明も煙幕も死体も空の宝箱も、何もかも壁へ叩きつけながら奥へ奥へと押し返していく。

(ぜーっはーっ!)

窮地を脱した2人は、数秒の間、その場に立ち呆けた。鎧の目玉に光った緑色の風魔法の光が消える。

(なんとか…なったのか?)

「…多分。」

ミランダは少し考える。悪魔は契約にうるさいとか言う話をどこかで聴いた覚えがあった。

浅層でインフェクテッドアーマーが出たとは聞いた事もない。コイツは異常な個体だ。


独り身で冒険している彼女にとって、完全とは言えないが魔法が使える彼は今後自分の大きな助けになる。

彼は生まれたばかりなのか、この世界に不慣れの様だ。脱出したがっているし、上手いこと丸め込めるかも知れない。

「なぁアンタ、交渉と行かないかい?私はアンタが自由に動ける様に協力する。代わりに、あんたも私の体を乗っ取らずにそれまで協力する。どう?」

(…勿論だ。正直、余り力になれるか分からないが…)

「よし。だけどすぐには脱出しないよ。武器もなくして、このまま帰ったんじゃ丸赤字だ。アンタは売りもんにならなさそうだし。」

(稼げってことか…)

「そゆこと。」

こうして自称人間の寄生鎧と、女盗賊のコンビが結成した。ミランダの足元には、地面の土色に混じって黄色い結晶が落ちていた。


土埃を被っているうえ、薄暗く、土と色がよく似ているから、よほど注意してみなければ、誰にしもただの小石にしか映らないだろう。

…1人と1匹はそれに気づくことなく、更にダンジョンの奥へと向かう。

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