汐留千賀の告白

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汐留千賀の告白

「……私、彩朱花あすかのことが好き。親友としてじゃなくて、恋人になりたい」


 中学校の卒業式の日。


 親が親友同士で、生まれた頃から幼馴染の佐倉さくら彩朱花あすかを校舎裏へ呼び出して告白した。


 彩朱花とは一週間交代で泊まる家を入れ替えながら毎日ずっと一緒に過ごしているくらい本当に仲が良くて、でもそれだけじゃ足りないくらいに好きになってしまったし、彩朱花もきっと同じ気持ちだって信じていた。


 ……だけどしばらく逡巡していた彩朱花から返ってきた答えは、そんな私の自惚れを一瞬で崩してしまう。


「私も、千賀ちかのことはほんとに大好きだよ?でも、付き合うって話になると……うーんと、全然嫌じゃないし、むしろ嬉しいって思うんだよ?だけど……えっと……ごめん……」


 普段はほとんど気を使わないでなんでも話せる仲なのに、精一杯気を使った答え方で振られたという事実が「本当に脈がない」ことを端的に示していて、今すぐにでもここから逃げ出したくなる。


「あ……うん、そっか。そう、だよね。ありがとう。……私今日は先に帰ってようかな」


「ねぇ、待って千賀。無理とかそういう意味じゃなくて……ってちょっと待ってよ!」


 明らかに動揺しているのも隠せないままに、話を切り上げて足早に家へと向かった。


 学校から家までは歩いて10分もかからないから、さっさと帰宅してしまって制服も着替えないままベッドの上に倒れ込む。


 「告白なんてしなきゃよかった」


 勝手に期待して落ち込んだことも。


 せっかくの卒業式に、自分勝手な告白で彩朱花を困らせてしまったことも。


 ……きっとこれまでの関係が崩れてしまうことも。


 告白したことに何一つ良いことなんてなかった。


 そもそもの話、私達は女同士だ。そのことに私は何も思っていなかったし、好きな人が好きなだけだったから性別がどうとかなんてこと、疑問にすら感じてすらいなかった。


 でも彩朱花にとっては……というより、普通の人にとっては相手の性別は恋愛をする上で大きなポイントだろうし、そもそもそこから間違っていたんだ。


 ……来月から高校生として彩朱花と同じ学校に通うことも億劫になるのかな。


 それどころか、もはや仲の良い親友ですらいられなくなってしまったら、私はどうやって生きていればいいんだろう。


 今日一日を全部やり直せたら、きっと何事もなくこれからも友達でいられたはずなのに。


 ベッドに伏せたままそうして過ごしていると、一階からバタバタと聞こえてくる。


 彩朱花の足音だ。ずっと一緒にいるとそれくらいは簡単に分かるようになるらしい。


「ねぇ千賀いる!?」


 私の名前を叫ぶように呼ぶ声と同時に、勢いよく部屋のドアが開け放たれる。


「うん、いる」


 依然ベッドにうつ伏せたままの私が気の抜けた返事を返すと、彩朱花がこちらへ歩み寄ってくる気配がして、ベッドのそばでしゃがみ込んだ。


「千賀、その、なんていうか……私も千賀のこと好きだからさ、千賀が私のこと好きって真面目に言ってくれてすごい嬉しかったんだよ」


 私の髪を撫でながら努めて優しい声で話しかけてくれて、重く沈んだ心が一瞬で溶かされそうになる。


 でも彩朱花は幼馴染だからこうやって情けをかけてくれてるだけであって、その言葉に甘えてしまわないようにちゃんと適切な距離を保たなければ。


「そういう風に励ましてくれるのは嬉しいけど、迷惑もかけちゃってるし本当に申し訳ないなって気持ちがある。ごめん」

「迷惑……ってどの部分?告白したこと?」

「幼馴染で仲が良くてそれで好きって思ってたけど、そもそも女子同士で告白すること自体困らせるでしょ」


 伏せ続けていた顔を、ちらと彩朱花の方に向けてそう言うと、一瞬きょとんとした顔をしていた。


「……あ、そっか。そういえばこれって女の子に告白されたことになるんだ」

「え」

「いや、ごめん。私千賀のことは千賀としてしか見てなかったから、かも?」


 女子からの告白だったから振られた訳じゃないと知って、少しの安堵と『じゃあどうして』という疑問が浮かぶ。


 当然、そんなことを聞いてみる勇気なんてないけど……。


 それに、女子同士だから振られたって訳じゃないにしても、男子の方がタイプかも知れないし。




 ……ふと、今の彩朱花の発言に引っかかるところがあることに気付いた。


 私に告白されて、女子が相手だという部分は気にしていなかったとして。


 ついさっき告白されたばかりで『そんなこと気にしてなかった』と答えるならまだしも、彩朱花は『そんなこと今まで気にしたことなかった』と言った。


 とはいえ、この明らかな表現の違和感をどう捉えたらいいのか、今のメンタルじゃあ正直ろくな答えを出せそうにない。



「……彩朱花。私のこと気にしてくれてるのは嬉しい。だけど今はちょっと、いつも通り振舞える自信がないから一人になりたい……かな」


「あ……そっか。……ごめんね」


「ううん、ほんとに今日はわがままばっかり言ってごめん。またそのうち元に戻ると思うから……」


「……わかった。今日は自分の家に帰るけど、明日また会いに来るから……ね?」


 部屋を出る瞬間まで私を心配そうに見つめる彩朱花に、私は空元気の微笑みで『大丈夫』と答える。


 本当に何から何まで気を使わせて、自分でも最悪だと思ってる。


 一人になったらなったで、どうして告白なんてしてしまったんだろうとまた考えてしまったり。


 自己嫌悪のループから逃れたくて思い切り顔を埋めて抱きしめた枕が、少しだけ濡れていた。




 翌日の私は、彩朱花が部屋に来そうなタイミングを見計らって、あらかじめ公園へ散歩をしに行った。


 さらにその翌日は、居留守をしていた。


 我ながら最悪だ。


 せっかく心配してくれているのに、そもそも私のせいで心配をかけているのに会うのが怖い。


 今まで毎日ほとんどの時間を一緒に過ごしていた彩朱花から2日も逃げていると、そろそろ本気で嫌われたり、怒っているんじゃないかと思って余計に会えなくなってくる。


 スマホの電源だって切ったままだ。


 このまま高校の入学まで逃げ続けて、そしたらきっと高校も満足に通えなかったりして、そんな私を想像するほど消えてしまいたくなってくる。


 小さな不安や恐れですら、逃げ続けていたら大きく育ってしまうことは知っていたのに、今回は最初から大きな不安を抱えて逃げて、そろそろ取り返しがつかないんじゃないかと本気で思う。


 ……明日こそは彩朱花に会わないと。


 本当に取り返しがつかなくなって、完全に嫌われてしまう前に。


 でもやっぱりもう既に嫌われたんじゃ……。


 そんな堂々巡りを続けている間に、時計は深夜の3時を指している。


 そろそろ本当に寝なきゃ。明日は会わなきゃ。でも……。




 意識をぼんやりと取り戻した瞬間、いつも通りの日常に戻ってきたような感覚があった。


 目を開けるまでもなく、これまで毎日一緒のベッドで寝ていた時の、彩朱花に抱きしめられるあの感触が……。


 と、そこまで考えると心臓がドクンと跳ねて一気に意識が覚醒して目を見開く。


 私の胸元には当然、彩朱花がいた。


「あ、彩朱花……」


 私が起きたことに気付くと、彩朱花は顔をこちらへ向けた。


「……もうお昼過ぎちゃってるよ」


 そう言われてちらりと時計を見れば、時刻は13時をとうに過ぎていた。


「うん……」


 どうやら私は、寝過ごしてしまったことで奇しくも逃げずに済んだ……もとい、逃げるタイミングを失ったらしい。


 突然の出来事に、話すべきことが何も浮かばなくてそのまま沈黙が続く。


 彩朱花は私に抱き着いたまま、こちらをじぃっと見つめている。


 いつもなら、何を考えているかなんてなんとなく分かるはずなのに、今日に限ってはどんな思いで私を見ているのかが何一つ分からない。


 耐えきれなくなった私が目を逸らそうとした時、彩朱花は少し怒ったように頬を膨らませ、目元には涙が滲んだ。


「……ばか」


 彩朱花は震える声で呟き、それを皮切りに泣きだしてしまった。


「……うっ、ぐすっ……心配したぁ!ばかあ!」


 ぎゅううっと力いっぱいに抱きしめられて、思わず私も泣きそうになる。


「家にいないし、メッセージも通話も反応無いし、最悪なことになってるかもって不安だったんだからぁ!」

「ご、めん……ね」


 泣きじゃくりながら言われて『あぁ、なんて酷いことしたんだろう』って。


 もちろん頭では分かっていたけど、泣くほどの心配をさせていたことでようやく私も我に返った気がした。


 彩朱花はよっぽど心に来ることでもない限り、あんまり泣かないタイプだから余計に。


「ごめんね……心配かけてるのは分かってたのに、会うのが怖くなって逃げてた……」

「こわいことなんて無いのに……」

「だって、気を使わせて気まずくなってたりとか、怒ったり嫌われたりとか」

「だから」


 彩朱花は私のネガティブな思考ごと断ち切るように言葉を遮る。


「気使ってるとかじゃなくて、私は千賀のことがほんとに変わらず好きなんだよ」


 違う意味だと分かっていても『好き』という言葉に反応して一瞬鼓動が強くなる。


「だからまた前までと同じようにさ。なんていうか、腫れ物に触るみたいに気を使うのはやめて普通にしゃべろう?」


 せっかくこうして彩朱花から歩み寄ってくれているんだから、さっさと元通りに接してしまえばいい。


 理性ではそんな風に思っているんだから、心もそれに合わせてこの鬱屈とした気持ちをさっさと振り切らないとって思ってるけど……。


 私の心は思った以上に繊細なのか、それとも悲劇のヒロインにでもなったつもりなのかと、自分で自分を責めるのを簡単には辞められない。


「じゃあ、こうしよう」


 中々煮え切らない表情の私に、彩朱花はある提案をしてくれた。


「お互いに1個ずつわがままを言って、それを叶えあって元通り。ね?気を使ったような軽い内容じゃなくて、ちゃんとわがままを言うの」

「う、うん、わかった。じゃあ彩朱花からお願い」


 一度しっかりわがままを言ってしまえばまた気を使わないで喋れるだろうという意図なんだろうけど、なんという荒療治。


 して欲しいこともしたいことも、急に言われたって中々思いつかないのに。


「ダメ。千賀から。私はそれに釣り合うように内容重くするからさ」


 そんなことを言われても……と悩む。


 軽くないわがままと言ったって、バランスの取り方なんてわからない。


 『じゃあ付き合って』なんてことしか思い浮かばないけど、わがままで叶えてもらうものじゃないし、そもそも断られてしまうだろうし……。


 しばらく無言の時間が続く。それでも、私が真面目に考えてるのを分かってくれているからか彩朱花はなにも言わないで待ってくれている。


 ……こんなことお願いしていいのか分からないけど、断られそうだけど他に思いつかなくなってしまった。


「じゃあ……最後の思い出というか、ほんと駄目じゃなかったらでいいんだけど」


 私は一呼吸おいて、震える指先を止めようと意識を集中して言う。


「キス……とか、して欲しい」

「……え?」

「すぐ終わらせるし、それでちゃんとこの気持ちをきっぱり断ち切るようにするから」


 それで長年抱き続けた彩朱花への恋心に終止符を打とうと思った。


 ……でも、彩朱花は黙ったままだ。もしかしてドン引きされてるんじゃないか気になって、嫌な汗が滲んでくる。


「あ、いやごめん、やっぱり大丈夫。変なこと言った」

「千賀は私とキスしたい……の?」


 せっかく取り消そうと舵を切ったのに、逃がしてはくれなかった。


 なんだか彩朱花の顔が少し赤くなってる……ような気がする。


「いや、それは……そうだけど、でもほんとごめん」


 余計な事を言ってしまった私は、とにかく一刻も早くこの話題を退散させようと必死に他のわがままを考える。


「……やだなあ」

「……う、ごめん。あんまり軽率に言うことじゃなかったと思う」


 顔が赤く見えて、ちょっとは意識されてるのかもと一瞬よぎった気持ちが粉々に砕け散った。そりゃあそうだ。


 私としてはもちろん大真面目に言ったつもりではあったけど、よく考えれば恋人ですらないただの幼馴染をせっかく慰めてくれているのにそこに付け込むようなお願いなんて、本当に軽率だ私は。


「私、ファーストキスまだなのにさ」

「うん、そうだよね。本当にごめん」

「すぐ終わらせようと思ってされるのは、嫌、かも」

「え、や、それは言葉の綾というか……」

「じゃあ、ちゃんと私のこと好きだなって思ってしてくれる?」


 拒否されたかと思っていたら、彩朱花がなんだか妙に色っぽい雰囲気を纏って見えてどぎまぎしてしまう。


「え、その、それはもちろん。……いい、の?」

「それともう1つ、キスしたら私のこと好きじゃなくなる?」

「それも……うん。未練を残さないように、ちゃんと諦めるよ」

「じゃあ、やだ」

「え?」

「私のこと、これからもちゃんと好きでいてくれるなら……私のファーストキス、あげる」


 ……まだ好きでいていいの?とか、本当にキスしてもいいの?だとか。


 念押ししたい気持ちはやまやまだったけど、ここまで心を決めて向き合ってくれた彩朱花に対してそれは弱気過ぎるし野暮かなと思った。


 わがままの言い出しっぺは私だし、私も心を決めて向き合わないと。


「……分かった。彩朱花、ずっと好きだったよ。……これからも好き」

「……うん」


 私の気持ちを再び聞いてくれた彩朱花がゆっくりと目を閉じる。


 気付かれないように息をふぅと整え、彩朱花の頬に手を添えて顔を近づけた。


 頬を染めて私からのキスを待ってる彩朱花がほんの数センチ先にいる事実に、私は心臓が飛び出しそうなくらい緊張して。


 慎重に唇へと向かい、そして触れ合う。


「ん……」


 微かに漏れた彩朱花の声と唇の感触にドキドキする気持ちと、お互い唇が濡れていないせいか『案外、本当にただ単純に触れているだけって感覚なんだなぁ』と冷静に感じ取った気持ちが混ざる。


 どのくらいで離すのがセオリーなのかなんてわからないまま、1秒、2秒……と過ぎていく。


 5秒に差し掛かったところで、そろそろ離さないと長いって思われないかなと流石に離れようとした瞬間、腰の辺りをぎゅうっと抱きしめられる。


 仮にも振られて自信喪失している身なのに『まだ離れちゃダメ』と言われているような気がして、思わず抱きしめ返してしまう。


 5秒で離すはずが、20秒、30秒と過ぎるにつれ、段々と唇が湿り始め、位置を調整する度にしっとりとした厚みのある感触が艶めかしい。


 結局、恐らく1分以上経ってようやく彩朱花が軽く身を引いたことで、私のファーストキスは終わった。


 離れる瞬間に、ちゅっと音が鳴って唇同士もギリギリまでくっついていて、最後の最後まで新鮮な感覚にドキドキしっぱなしだった。


「千賀、どう、だった……?」


 私の人生で初めてキスをしてその後に見る初めての彩朱花の顔はなんだか紅潮していて、目元が蕩けていて、濡れた瞳で見つめていて……。


 こんなにえっちで可愛い顔もするんだって知ってしまったことでより深く恋をしてしまいそうになる。


「……なんて言ったらいいか分からないくらい気持ちよくて、心の中が彩朱花でいっぱいになった」

「ん、そっか」


 そう言って満足そうに微笑む彩朱花にドキっとする一方で、やっぱり『どうして振られたんだろう』という疑問も膨れ上がる。


 でも今は彩朱花がまだ私の前で笑ってくれているだけ、十分だと思うことにしよう。


「彩朱花は、ファーストキスどうだった……?私で嫌じゃなかった、かな」


 自信の無さからまた気を使わせてしまうような聞き方をしたことに、言ってから気付く。


「んー……内緒かなぁ。ふふっ」


 けど、彩朱花の反応を見るに、きっと大丈夫だと信じて自信を持たないと。


 うじうじし続けたら本当に友達ですらいてくれなくなるかもしれない。


「千賀はさぁ、私でいっぱいになったって言ったよね」

「……うん」

「じゃあ約束通り、これからも私のこと好きでいてね?それが私からのわがまま」


 私のことを振っておきながら小悪魔な表情を浮かべる幼馴染にまた一層惹かれているんだから、私ももはやどうしようもないのかもしれない。


「うん。好きだよ、彩朱花。いつか彩朱花に好きになってもらえるように私頑張るから」


 それを聞いた彩朱花の濡れたままの瞳がきらっと輝いたように見えたと思ったら、ほんの一瞬だけ少し切なそうな表情をして。


「……期待してるね」


 と確かにそう呟いた。

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