もしもシアターの決まりごと
桜木さとか
前編
AIが普及して、生活は本当に便利になった。
俺は今日も仕事帰りにAIバーへ寄る。自分の体調や気分に合わせてAIシェイカーが作ってくれるカクテルを飲むのが最近の楽しみだ。なんだかんだ労働は人力が必要だから、仕事が終われば疲れるし、癒しが欲しい。
「いらっしゃいませ」
今日もマスターが迎えてくれる。接客無しのAIバーもあるが、俺はこのマスターの営むAIバーが好きだ。話が上手で楽しいし、質の高いAIシェイカーをこまめにアップデートしていて、味のバリエーションが豊富で飽きない。
「2杯でそこそこ酔いたいな、今日は」
「かしこまりました」
マスターは慣れた手つきでスティックを使って俺の体をスキャンし、シェイカーマシンにデータを送る。体温やら汗やらと、初来店時に分析された肝臓能力やらのデータを組み合わせているらしいが詳しくは知らない。マスターはAI業界では有名な、AI知識に長けた人らしいと、別の街のAI居酒屋で聞いたことがある。
「工藤さんは、映画がお好きでしたよね。AIシアターに行かれたことはありますか?」
「いや、俺は普通の物語が好きでね。そっちの類は嗜まないんだよ」
AIシアターは1年ほど前から国内にでき始めている。観る人の趣味嗜好や生い立ち等を細かくインプットすると、それに合わせてAIが自動でシナリオを組んで、CGでできたオリジナルストーリーを上映してくれるのだが、賛否が分かれている。俺は物語に関しては"自分に合わせられる"のがなんとなく嫌で、敬遠している。
「私のAI仲間のとある研究者が、面白いシアターを作りましてね。シアターといってもまだ実験段階のようで、おおっぴらには公開されていないラボみたいなものなのですが。今までのシアターとは一味違うんですよ。お勧めです」
AI業界で有名といわれるマスターに勧められると、気になってしまう。
「へえ、どう違うんだ」
「観る人の過去にまつわる物語を上映してくれるんですよ。ここです」
マスターは店のモニターを使ってシアターの情報を映し出した。たしかに、シアターというよりはラボのような無機質な、白い建物だ。
「へえ、こんなところがあったのか。ありがとう、行ってみるよ」
自分の過去にまつわる物語というのは気になるし、マスターのお勧めなら間違いないだろう。しかも研究中で無料だというのだから試してみて損はない。
週末、シアターに予約を入れて訪ねてみることにした。真っ白な建物に入ると、AIロボが中を案内してくれる。
いくつかエレベーターを乗り継ぎ、研究室へ通された。いかにも研究者という感じの白衣の男が出てくる。この人がマスターのAI仲間か。少し雰囲気が似ている。
「こんにちは、工藤さんですね。マスターから聞きましたよ。もしもシアターのお試しにいらしたとのことで、ありがとうございます」
もしもシアター?前衛的で洗練されたラボや白衣とはかけ離れたイメージの名称に、少し拍子抜けした。彼のネーミングセンスなのだろうか。いや、大事なのは中身だ。
「そういう名前のシアターなんですね」
「はい。ここでは、お客様の"もしもあの時、あの選択をしていれば…"という記憶を元にしたストーリーを上映します。
まず我々が、お客様の過去の記憶、そして後悔している瞬間の記憶などを大量に読み取ります。
それらのデータを元に、違う選択をしていた場合の、その後を上映するんです。お客様の脳内記憶を元にするので、登場人物の発言や行動パターンなんかの再現率もすごく高いんですよ」
「すごいな・・・。今までよりずっと高度な技術だ」
思っていた以上に、というか名称以上に面白そうで驚いた。
「ありがとうございます。では、こちらへ」
案内され、研究者の背中を見ながら、自分はどの選択をやり直したいか急いで考え始める。
俺の人生は周りから見れば華やかだ。いい大学を出ているし仕事も順調で、気ままに独り身を謳歌しているが、やはり俺にも失敗や後悔はある。
一番の後悔は、3年前、明日香と別れたことだ。本当に良い子だったのに、当時仕事で成功して調子に乗ってしまった俺は、他の女の子と浮気をしてしまい、あっさりばれた。気まずくなって一切の連絡手段をこちらから断ってしまい、まともに謝ることもせず、逃げるように明日香の前から消えた。
しかしその後、明日香以上の女の子とは出会っていない。あのまま明日香とうまくやっていたら俺の人生はどう変わったのだろうか。今頃結婚して子供もいるんじゃないか等と思いを巡らせながら、少し怖くなった。
「あの・・・過去に別の選択をしていたらって、すごく気になるしぜひ上映してもらいたいんですが、ちょっと怖いというか。なんだか今の人生がすごく虚しくなってしまいそうで・・・みなさんショックを受けたりするんじゃないですか?」
研究者は穏やかな笑顔で振り返る。
「いえ、そうでもないみたいですよ。過去は美化されがちなんです。実際にその後の展開を疑似体験してみると、なんだ、あんな選択しなくて良かった、なんてほっとする人の方が意外と多いんです」
そういうものなのか。俺もそうなるんだろうか。確かにその方が健全ではあるが・・・。
「まあ、上映内容がとても良かったという人ももちろんいるんですが、問題ないですよ。それでショックを受けるというよりは、どちらかというと、人生の広がりや希望を感じて、今からでもこれをしてみよう、なんて一歩踏み出すきっかけになったりするんです。前向きに捉えられる方が多いですよ」
なるほど。俺も、良いストーリーが上映されたら、今からでも明日香を探し出して、もう一度頑張れるかもしれないとふと思った。残念な結果だったら、すっぱり未練も消えるだろう。どちらにしてもメリットがありそうだ。
「ここへ座ってください。では、遡りたい瞬間を思い出してくださいね・・・あ、遡れるのは3年前の今日までです」
3年前の今日…ちょうど浮気をしてばれてしまった後だ。残念ながら浮気前には遡れない。浮気した後の選択肢を変えるしかないようだ。
ずっしりと重たいヘッドセットを着け、目を閉じる。バレてしまった瞬間を頭の中で再生する。ここをやり直したいと強く願う。明日香にちゃんと謝って、誠実な付き合いに戻す。
スキャンは一度そこで止められ、そこからは遡って俺の過去の記憶も読み取られ、数時間かかってスキャンは終わった。
2週間後、上映の日になった。俺は少し緊張しながらもしもシアターに向かう。
「お待たせしました、どうぞ」
シアターといっても、カラオケルームのような部屋にモニターがあるだけだ。もう少し装飾を凝ってくれると気分が盛り上がるのに、と思いつつヘッドセットをつける。俺の記憶を使うので、またヘッドセットが必要なようだ。前回より少し重い。
目の前のモニターに、見慣れた明日香の部屋がぱっと映し出されて、懐かしさがこみあげる。
ソファーには、怪訝な顔をした明日香と、少し焦っている俺がいた。この瞬間から上映になるのか。
「これ、誰…?」
うっかり別の女の子とのツーショット画像を明日香の前で出してしまったところだ。現実の俺は、いや、とかぶつぶつ言いながら画像を消し、少しの口論の後、部屋にある自分の荷物を持って、逃げるように明日香の部屋を出たのだった。
映像の俺は、慌てて明日香の方に向き直り、両手を胸の前で合わせて、頭を下に下げている。
「ごめん、明日香…!」
俺は平謝りして、もう2度と会わないからこれは忘れてほしいとお願いをした。不思議な生き物を見るような顔で明日香は俺を見ている。しばらく時が止まったかのように2人で向かい合っている。シアターの故障じゃないよな?と思った時、明日香がふぅっと小さいため息をついた。
「本当に、このお店でランチしただけ?」
「そうだよ。この日の夜は明日香と出かけただろ。特別やましいわけじゃないけど、二人きりで出かけるのはよくなかった、ごめんな」
「うん…」
明日香は何か考え事をしているみたいだった。彼女は穏やかで口数が少ないが、その分何を考えているかよくわからないところがあった。俺の余罪に気付いているのかいないのかは、わからない。実際はランチどころではない仲だった。
「ごめん明日香。今日は、明日香の好きなところに出かけよう」
俺は半ば勢いで、明日香を外に連れ出した。いくつかお店をうろつき、以前明日香がほしいと言っていたアクセサリーを買った。明日香は少しずつ笑ってくれるようになった。見ていて心臓がきゅっとなった。ごめん、明日香。
そこで映像は終わる。あっという間だった。もっと見ていたいという気持ちになった。
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