小物達の悪あがき
*暴力的な描写があります。
「お、おい!アグリー!お前、まさか、殺したのか⁈」
目の前で倒れている騎士を見て、コモノー男爵は息子のアグリーを問い詰めた。アグリーは、ハンカチで御者の鼻と口をふさぎながら、冷たい声で答えた。
「大丈夫ですよ。死にはしません」
しばらく抵抗していた御者の体がやがてぐったりとなり、アグリーはまるで汚いものでも触ったかのように抱えていた御者の身体を投げ捨てた。
が、ふと思い出したかのように、御者の体をまさぐると、御者が腰に差していた小型のナイフを奪う。
「ふん、たいした物ではないが、ないよりマシだろう」
親子は暗闇に紛れ、身を隠しながら街へと向かった。
「それにしても、騎士達が阿保供で助かりましたね」
「ふん、我々を侮るからだ」
逃走を防ぐためか、裁判所の騎士団がコモノー男爵家に来たのは、夜もだいぶ更けてからだった。そのため、親子の移送が真夜中になってしまったことが、男爵親子にとっては幸運だった。
また、その晩は月のない夜で、こんな闇の中でこれだけぶくぶく太った親子が、騎士達を倒して逃げるとは誰も思わなかった。そのため、常に人手不足の裁判所が、騎士を二人しかつけなかったことも親子に有利に働いた。
(それに、屋敷から連行される前に、これを仕込めたのは僥倖だったな)
屋敷に踏み込まれた際、最近取り扱いを始めたばかりだった、無臭の違法薬物を染み込ませたハンカチだけは、騎士団に見つからずにポケットに忍ばせることができた。
(数滴で効き目があると言うところを一瓶まるまる使ったからな。おそらくしばらくは目が覚めないだろう)
若い騎士達は腕に覚えがあるらしく、最初から油断していた。剣を握るどころかろくに動いたこともなさそうな親子に、まさか自分達が負けるとは夢にも思わなかったのだろう。
人気のない並木道に差し掛かった所で、アグリーが、小用をたしたいから外に出たいと頼むと、騎士達は馬車を停めさせ、アグリーの縄を外した。
本来なら容疑者を移送中の護送馬車は何があっても途中で停めてはならない。たとえ本当に用を足す必要があっても、車内でそのまま、だ。
当たり前だが、停めてしまったら逃亡する可能性が高くなるからだ。
だから、騎士達だけでなく護送馬車の御者も「移送中は裁判所に着くまでは絶対に馬車を停めない」と叩き込まれていたはずだった。
だが、若い騎士達はこの親子相手で取り逃すことは絶対にないと考えたのだろう。渋る御者を半ば脅すようにして、馬車を停めさせてしまっただけでなく、あろうことか、手足を拘束していた縄まで外してしまう。
「ほ、本当に停めるんですか?」
「ああ、停めてくれ。ただでさえ臭いのに、これ以上車内が臭くなっては叶わん」
「どうせこいつらが逃げようとしても無駄なことだからな」
「も、もう我慢できない、早く停めてください!」
猛スピードで走っていた馬車が完全に止まると、年上の方の騎士がコモノー男爵の首元に剣を突きつけながら言う。
「おい。変な真似をしたら、こいつの命はないぞ。わかっているな」
「は、はい。それはもう」
「どうせ何もできやしないよ。ほら、さっさと歩け」
年下の騎士がアグリーを連れて馬車から離れて行く。辺りは真っ暗で、馬車から少し離れただけで、すぐに姿が見えなくなる。
と、アグリーが突然立ち止まった。すぐ後ろからついてきていた騎士は、急には止まれず、アグリーにドンとぶつかった。
「おい!急に立ち止まるな…ん!ん!ん…」
アグリーは躊躇わずに、騎士の顔に違法薬物たっぷりのハンカチを押し付けた。まさか攻撃されるとは思っていなかった騎士は抵抗する間もなく、すぐに意識を失ってしまった。
「ふ、ふはは、やったぞ…!」
アグリーは騎士をその場へ置き捨てると、足音を忍ばせて馬車へと戻り、馬車のドアの横の暗闇に隠れた。
「遅いな。まだ戻らないのか?」
しばらく経っても戻って来ない二人に、さすがに怪訝に思った年上の騎士が、馬車の入り口から少しだけ顔を出した。
と、息を潜めて隠れていたアグリーが、すかさずハンカチを騎士の顔に押し付ける。
「な、何だ!き、貴様…」
力の抜けた騎士の体が馬車のドアからゆらりと落ちてくるのを、アグリーは必死になって支えると、音の出ないように静かに地面に横たえた。
「さあ、父上、急ぎますよ」
馬車に戻り、父の拘束を解くと、二人は右と左から御者台に回り込んだ。
「はあ、絶対に停まらないようにって言われてるんだけどなあ。それにしても遅いな、まだか…うわ!」
右側から突然現れたコモノー男爵に、御者は驚いて左にのけぞった。左側から忍び寄ってきたアグリーが、その体をすかさず抱き抱えると、後ろから顔にハンカチを当てた。
「んぐっ、んぐっ、ん!ん!ん…」
三人目ともなると効き目が弱くなるのか、御者は少し抵抗してバタバタしたが、じきにぐったりとした。
「は、はは!よくやった!息子よ!」
「さあ、急ぎましょう」
親子は馬車から離れ、来た道を戻り始めた。
「だが、これからどこへ向かうのだ?屋敷は既に抑えられているぞ」
ハアハアと荒い息を吐きながら、父親が尋ねた。普段全く歩き慣れていない男爵には、普通の速度で歩くのもつらかった。
「何か策はあるのか?」
「……」
答えはない。
無理もない。もとより行くあてなどあるはずがないからだ。
(逃げ切れるとでも思っているのだろうか)
男爵より少しは頭が働く息子の方は、これが束の間の自由であることを知っていた。
(どうせ捕まるんだ。それなら、捕まる前にせめて、我々をこんな目に合わせた奴らに思い知らせてやりたい)
だが、今回の告発者であるオストロー公爵家もドットールー侯爵家も、屋敷の守りは厳重だ。そう簡単に侵入できるとは思えない。
「…そうだ。確かオストロー公爵には娘がいたな」
「ん?何の話だ?オストロー公爵令嬢のことか?確かにいるぞ。王太子の婚約者じゃないか」
「そうでした、そうでした。高慢そうな顔をした娘でしたね」
「そうだな。美人ではあるがな」
「その娘を狙いましょう」
「娘を狙う?どうやって?公爵令嬢だぞ?護衛が周りを固めているに決まっている」
「確かにそうですね…」
「大体、公爵の屋敷までどうやって行くのだ?まさか、歩いてか?わしはもう膝が痛いぞ」
「今の我々に歩く以外の手段があるとでも?」
馬車の操縦などしたこともないし、馬にも乗れないことから、馬車も馬も捨ててきたのだ。移動手段は徒歩しかない。
「何だと!父親に向かって何という言い草だ!」
置かれている状況を全く把握していないどころか、更に状況を悪化させそうな父親を見て、アグリーはイライラを募らせていた。
(この男は邪魔だな)
「おい!アグリー!聞いているのか⁈」
男爵が前を歩く息子の肩を捕まえた時だった。
「⁈」
振り向きざまにアグリーは男爵の首にナイフを突き刺した。
何が起きたのかわからないといった顔の男爵の首に刺したナイフを一気に横にスライドさせると、男爵はドサッと倒れて、動かなくなった。
「ふん。役立たずが」
薬が染み込んでいたハンカチでナイフを拭うと、ハンカチはその場に捨て去る。
「公爵令嬢がダメならクラリスだ!最後にあの女をものにしてやる!」
既に合理的な判断ができなくなっていたアグリーは、狂気の宿った目を街に向けた。
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