短編集

雪華

時を越えた想いは成就された



 今、私の目の前にいるのは誰なのでしょう。




 セイント学園の新入生、アイリス・ミンティアは呆然としつつも頭の片隅でそんなことを思う。


 目の前にいるのは豊かなミルクティ色の髪を風に揺らしながら歩く一人の女性。そしてその周囲にいる種類の違う顔立ちの整った男性達。


 男性達は女性を大切に扱い、はたから見ても恋をしていると言わんばかりに熱のこもった視線を送っている。




 アイリスには女性の姿に、男性達の姿にも覚えがあった。


 誰かに話せば一笑され気狂いと言われるであろう、アイリス・ミンティアとして生まれるよりも遠い昔、前世と言える記憶。


 前世ではユリスティアという名前で、畏れ多くも周囲から聖女として呼ばれていた一生分の記憶。


 その記憶の中に存在する心強い仲間である人たちの姿は、男性達と瓜二つといっていいほど一致する。


 男性達の姿を見たとき彼らも転生しているのだと分かった。そのことを嬉しく思い、思わず駆けだしそうになった足を止めたのは彼らの中心にいる女性の存在。






 その女性の姿はどう見ても、前世アイリスが鏡で何度も見た存在。


 アイリスの前世、ユリスティアそのものが彼らの中心になって歩いている。






 あまりの衝撃に、その後どうやって入学式を終え、家に帰れたのかすらわからない。


 翌日になって学園に向かい、仲間であった彼らに接触しようにもどうやら彼らはアイリスよりも一学年上らしく、そのうえ学園で人気者だとクラスメイト達が教えてくれたため接触するのに気後れしてしまう。


 そうして戸惑っていれば、仲間達の情報とともに伝わってくるユリスティアそっくりな人についての話。




「あの先輩、ユリスフィール先輩ってすっごい目立つ容姿してるでしょ? 綺麗な髪に、宝石のような瞳、まるで神が自ら生み出したような美貌。しかもあの伝説の、人類の敵である魔王を封じ込めた聖女様であるユリスティア様と同じく浄化魔法の使い手! そりゃもう学園内の注目の的だったらしいよ」


「そんなユリスフィール先輩を学園に馴染めるように手助けしていらっしゃったのが、ゲン・フォレンス先輩、ユラ・セーレスト先輩、クーラン・ファラン先輩、ランディ・コーラル先輩だったらしいわ。彼らもとても見目麗しい方々ですから、ユリスフィール先輩はそちらでの嫉妬も受けられたらしいですよ」


「でもそれが余計に周りにいた先輩達の保護欲を誘ったようでして、彼らとユリスフィール先輩の距離は急接近! 兄曰く、特にゲン先輩との距離が近くて、付き合うのも時間の問題だろうって話ですよ」




 前世の自分についての称賛も混ざった説明に内心恥ずかしく思いながらも聞いていれば、最後の言葉に思わず息をのむ。


 ゲン、ゲン・フォレンス。おそらくあの時彼女の一番近くにいた赤い髪をした彼だと直感的に分かった。


 そして分かったと同時に、胸の奥が酷く痛む。まるで剣を突き刺されたように。




 彼の前世を私はよく知っている。


 誰よりも勇敢に敵に向かっていた、誰よりも私に寄り添ってくれた人。


 その勇敢さに、でもそれ以上にその優しさに心惹かれ、結ばれたあの人。




(ゲンラント……)




 聖女として魔王と戦う事を定められた私の守護騎士に指名されたゲンラント。


 彼とは魔王討伐の旅の中で距離が縮まり、そして結ばれた恋人だった。


 今でも思い出せれる、彼のまなざし、抱きしめてくれた時の腕の強さ、体温。








 クラスメイトから話を聞き終えたタイミングで鐘が鳴り、授業が進む。


 集中しきれないまま時間は過ぎ、放課後となってしまった。


 ぼんやりとした頭のまま学園の中を歩いていれば、気づけば白薔薇が咲き誇る中庭に辿り着いていた。


 そして、その中心にあるベンチで隣に座り合っている男女を見て、思わず血の気が引いてしまった。




 ユリスフィール先輩とゲン先輩。


 アイリスの心をかき乱す存在。


 思わず息をのみ立ち止まってしまえば、後ろの方から声がかけられた。




「お嬢さん、どうしたのかな?」




 優しい言葉に聞こえるはずなのに、どこかひやりとした冷たい何かが背筋を通り過ぎたような恐怖を感じる。


 恐る恐ると振り向けばそこにいたのは白銀の髪が印象的な眼鏡をかけた男性。彼以外にも黒髪の小柄な少年と金髪の穏やかそうな男性もいた。




(ユーラス……クロム、アスラン……)




 前世と変わらぬ仲間達の姿に思わず喜びたくなったが、そんな自分に冷や水をかけるような、まるで視線が物質化すれば氷ができるのではないかと思うほど冷ややかな視線を彼ら三人から向けられる。




「……ああ、新入生ですか。申し訳ありませんがここは彼らが先約でして……。薔薇を楽しみたいのでしたら西の方が咲き誇っていますよ」


「は、はい……」




 表面上は友好的なのに眼鏡の奥が突き放すように冷たくて、思わず俯いて立ち去ってしまう。


 いくらか距離を取ってから振り返ってみれば、ついさっきアイリスを突き放したとは思えないほど暖かな空気を纏った彼らの姿。


 彼らはそのままユリスフィールとゲンに近づき、離れていても分かるほど柔らかな雰囲気で談笑を繰り広げていた。


 そんな姿をこれ以上見たくなくて、アイリスは駆け足で立ち去った。




 そんな彼女を見つめる者がいるとも知らずに。








 学園のいたる場所で話題に上がるユリスフィールとその周囲。


 話を聞けば聞くほどきしむ胸の奥を無視して学園に通っていくうちに見つけた、学園内の敷地内の片隅にある小さな森の一角。


 そこで膝を抱えて目をつむり、外界を拒絶するようにうずくまっていれば声をかけられた。




「どうかしたのですか?」




 以前前世の仲間だった人にかけられた言葉に似ている言葉。


 それでもその言葉に悪意は微塵も感じられず、恐る恐ると顔を上げれば穏やかな顔立ちをした紫色の髪をした少年がいた。


 言葉にも目にも彼にはアイリスへの悪意も害意もない。だと言うのに、彼を見た瞬間アイリスは純粋な恐怖を彼に感じた。




「ま、ぞく……?」




 思わず呟いてしまい、とっさに口を両手で抑え込むが既に言ってしまった言葉は取り消せない。


 そっと少年を見れば聞こえていたはずだと言うのに柔らかい笑みを浮かべたままだ。


 柔らかな笑みを描く、弧を描いている口がそっと開かれた。




「……流石は聖女、一目で正体を見破るだなんてその慧眼は衰えてはいないか」




 一目で聖女だった過去を見破られ息を呑む。


 硬直しているアイリスを見下ろした少年は、しかしそれでもなおアイリスへの敵意や害意はなかった。


 青褪めたまま固まっているアイリスを見下ろしたまま、少年は首を傾げる。




「どうした、聖女。私を封印した時のあの勢いはどうした。今のお前はまるで射抜かれ地に落ちた鳥のようだぞ?」


「え……」




 『私を封印した時』


 この言葉に唖然とするしかない。


 アイリスの前世、聖女と呼ばれるユリスティアが封印した魔族はただ一人。




 魔王。




 目の前にいる者の正体が分かり、アイリスの顔色はまるで紙のように真っ白だ。


 その様子を見てアイリスが自身の正体に気づいたことを察し、柔らかな笑みが嘘のように狂気をにじませた笑みを浮かべる少年――否、魔王。




「ははは、そう脅えることはないだろう? 私は今もお前が施した封印術により全盛期の力を取り戻してはいない。そして、今すぐに人間をどうこうしようなどとは考えていないぞ?」


「……それを、信じろと……?」


「信じるしかないだろう? かつての仲間に捨てられたお前には、何かをする手段はないさ」




 魔王の言葉に愕然とする。


 魔王がアイリスの現状を把握している事ではない。仲間に捨てられたという言葉を否定できない自分にショックを受けてだ。




「……気になるのであれば俺を見張っていればいい」


「見張る……?」


「ああ、私が何か企んでいないか、傍にいて判断すればいいだろう?」




 その表情からでは真意はうかがえず、アイリスは現状できる最善としてその提案を頷いた。








 それから、アイリスは魔王――人としての名前はマイクというらしい――と一緒に過ごす日々を始めた。


 一緒に過ごすと言っても、昼休憩や放課後を一緒に行動するくらいなのだが、クラスメイトからは彼と恋人になったのかと聞かれるようになってしまった。


 自分が好きなのはゲンラントだけだと思いながらも、この時代の彼がどう過ごしているのかを噂で聞くだけで心が引き裂かれそうになる。


 魔王を見張りながら、時々耳に入るユリスフィールとその周囲の話を聞いてはどうして自分がそこにいないのかと思ってしまい、それを醜い感情だと必死に否定する日々。




 なんとなく一人で行動したいと思った日。


 いつもなら魔王を訪れていた放課後に一人で学園内を散策していた。




「……綺麗ね」




 赤い薔薇が咲き誇る校門から少しだけ離れた位置で薔薇を眺める。


 思い出すのはゲンラントの事。燃え盛るような赤い髪を持つ彼は戦いの場以外では寡黙で気遣いのできる一面を見せていた。私に薔薇の花を贈ってくれた時も彼の髪を連想するような赤い薔薇で、私の髪色に映えると言って花束から一輪引き抜いて髪を彩ってくれたことを思い出せば今でも胸は高鳴る。


 そうして過去に思いを馳せていたからか、近づいてくる存在に気づかなかった。




「……新入生か? 先ほどからずっとここにいるようだが、体調が悪いのか?」




 思わず勢いよく振り向いてしまった。振り向いた先で赤い髪を持つ美丈夫が目を見開いていた。




「……ゲンラント」




 失態だと言えるだろう。


 過去の記憶に、思い出に浸っていたと言えども相手に前世の記憶があるかどう変わらないと言うのに口から出してしまった彼の前世の名前。


 慌てて人違いだと言い訳しようかと考えていれば、不意に肩を強く掴まれてしまう。




「いつっ」


「……その名前をどこで知った……」




 あまりの強さに痛みすら感じていれば、耳に届いたのは前世では決して自分に向けられたことのない低い低音。


 慌てて顔を上げればまるで射殺さんと言わんばかりに鋭く厳しい視線を向けるゲンの姿。まるでアイリスが憎き敵とでも言わんばかりの視線に、表情にアイリスの顔からは血の気が下がり、体は哀れなほど小刻みに震える。




「え……」


「その名前をどこで知ったと聞いている」


「わ、わた……」




 追い詰めるように畳みかける声に、前世の自分がどれだけ彼に、彼らに大切に守られていたのかを実感する。


 貴重な浄化の力を持っていたユリスティアは権力者に利用されそうな時もあったけれど、それらはすべて彼らに守られていたことは分かっていた。だからこそ、こんな風に敵意を向けてくるのは明確な敵であった魔族だけだったのだ。


 そんな敵意を前世誰よりも自分を守ってくれていたゲンラントの生まれ変わりに向けられているという状況に、アイリスの心は悲鳴を上げる。




「わ、私、前世の記憶があって……っ。先輩が、私の守護騎士だった人にそっくりで……!」




 思わず吐き出してしまった、今まで誰にも自分から伝えなかった秘密。


 だけども、これでこの敵意から解放されるのかもしれないと期待を抱く。前世のことがわからないのであればきっと意味の分からない事を言う後輩として距離を取られるかもしれないけれど、今のように敵意を向けられるのに比べればはるかにましだ。


 しかし、彼がゲンラントの名前を知っているというのであれば、彼自身も前世の記憶があるのではないのだろうか? そうであるならばきっと前世と同じようにまた彼の隣に……。




 そう期待を抱くアイリスの想いは、裏切られる。




 破裂音の様な鈍い音が響いたと思った瞬間、アイリスの頬に衝撃が響く。


 遅れて脳に伝わる痛みと、頬が発する熱に頬を叩かれたと遅れて理解する。


 誰に? この場にはアイリスとゲンしかいないのだ。その質問は愚問でしかなかった。




「……ふざけた事を言うな……! そう言えばユリスフィールの立場になれると思ったのか? 彼女はお前の様な女が騙れる様な人じゃない。彼女の清らかさも、純粋さも、慈愛も知らない人間が彼女の立場に立てられると思い上がるな……!」




 先ほどよりもさらに厳しい視線が、殺気すらも生温いと言わんばかりにアイリスの体を貫く。


 悲鳴すら上がらず、その場で崩れ落ちるアイリスを気遣うことなくゲンは忌々しいと言わんばかりに睨み付け、その場を立ち去った。




 どれだけの時間が経ったのだろうか。


 肩を優しく叩かれ、壊れたブリキ人形のようにぎこちなく振り返れば気遣うようにこちらを見る魔王がいた。


 アイリスからすれば数刻経っていたと言われてもおかしくないが、空を見上げればそこまで時間は経過していない。




「……どうやら、あいつらの誰かに接触したみたいだね」


「なんで……」


「お前がそんな風に揺らぐだなんて、前世仲間だったやつら以外にいないだろ」




 まるでアイリスの事を、ユリスティアの事を熟知していると言わんばかりの口ぶりに疑問を抱く余裕もなく、先ほど自分を襲った衝撃にアイリスの頬が濡れていく。


 絶え間なくエメラルドの瞳から零れ落ちる大粒の雫を、魔王は静かに見つめていた。






 アイリスの涙が枯れそうになったタイミングで、魔王はアイリスから話を聞きだしてから説明した。


 曰く、整った容姿を持つ美男子達に囲まれたユリスフィールの立場を妬んだ女子生徒が去年から様々な方法で嫌がらせをしていたとのこと。


 中にはユリスフィールの立場に入れ替わろうと、彼女の行動をつぶさに監視してその言動をトレースして近寄ってきた女性もいたらしい。


 おそらく、アイリスが前世の事を話したのも、どこかで盗み聞きした物だとゲンは考えてああいった対応をしたのだろうと告げた時、アイリスは絶句して枯れたと思った涙を更に零した。




 一度かかった疑いを拭うのはとても大変な事だと知っている。


 ゲンのあの視線は、纏う空気は紛れもなくアイリスを敵と判断した物だった。


 ゲンラントの事を分かっているからこそ分かる。彼は一度敵と判断した者への慈悲はない。どれだけ訴えたところで疑ってくるだろう。




「……どうもあいつらの過保護っぷりは昔よりも酷いらしいな。おそらくお前の情報も共有されるだろう。どれだけお前が真実を語ったとしても、あいつらはそれを盗み聞きした情報、もしくは薄汚い手で聞き出した情報を騙る偽物としてお前を処理しようとするんじゃないか?」




 魔王の言葉はアイリスを追い詰める。


 前世で彼らに大切に守られていた記憶のあるアイリスはその言葉を否定できない。


 時に人間の、時に魔族の計略によって陥れられかけたことや、聖女という立場を乗っ取られかけたことのある記憶もある。きっと、彼にもその記憶があるのだろう。そうであるならばアイリスの存在はあの時の人間や魔族と同じだと認識されているはずだ。


 一度判断したゲンラントは中々考えを曲げない事を知っているからこそ、そして今の自分では彼の考えを正すだけの影響力がないことを実感して、アイリスは絶望する。




「……本当に、あいつらは見目でしか判断できないんだな? 敵として一度しか対峙したことのない私はお前をすぐに見分けられたというのに」




 魔王の言葉が、アイリスの心に深く深く突き刺さった。


 それはまるで消えない棘の様に。


 それはまるで時間をかけて浸透する毒のように。










 それからというもの、アイリスは何度かゲンに、ユラに、クーランに、ランディに接触しようとしていた。


 どうしても彼らと過ごしたかつての日々を忘れることができなくて。


 どうしても再び彼らと笑い合えたらいいと願って。




 だがしかし、彼らがアイリスに返したのは冷たく凍えた視線と、明確な敵意だった。


 どれだけ言葉を紡ごうとしても最初から拒絶され、それどころか学園内でアイリスをユリスフィールを貶めようとする悪女として扱った。


 次第にアイリスに話しかけるクラスメイトもいなくなり、今ではアイリスと言葉を交わすのは魔王ただ一人だった。




 そんなある日、魔王の提案で普段とは違う場所で昼食を食べる事となった。


 普段学園内で針の筵となっているアイリスを気遣って人気が無い場所で食べている為、珍しいと思いながらもこうやって気遣われる日々を過ごしている間にそれなりに魔王へ信頼を抱くようになっていた中、別に場所をいつもと帰るくらいは問題ないだろうと判断するアイリス。


 しかし、自分達の後から訪れた人を見て後悔した。




 自分達がいるのは薔薇の生垣で作られた迷路の片隅。


 自分達がいる場所の一つ向こうの道でユリスフィールとゲンが向き合っていた。




「ゲン……」


「ユリィ、君が好きだ」




 ひゅっ。アイリスの喉が不自然に空気を吸い込んだ。


 そんなアイリスの手を魔王が握りしめるが、それに気づく余裕もなくアイリスは聞きたくな続きを聞いてしまう。




「……嬉しいわ」


「ユリィ、前世では君を守り切れなかった俺だけど、どうか今世こそ君を守り切ってみせる。魔王を今度こそ倒したら、どうか俺と結婚して欲しい」




 その言葉を聞いた時、アイリスは自身の胸を掻き毟りたくなった。それは私に向けられるはずだった言葉。私に向けていたはずの愛情。


 前世の記憶のある恋人が、別人であるはずのユリスフィールをアイリスの前世、ユリスティア本人だと思っている現実に叫びたいほどの悲哀がアイリスを襲う。




「……私も、同じよ。前世では不完全な封印しか施せなかったけど、今世はそんなことにはならない、してみせない。だから……魔王を倒したら、私をあなたの花嫁にして」




 ユリスフィールの言葉にアイリスは愕然とする。


 なぜ、彼女はまるでユリスティアの生まれ変わりの様な事を言っているのだろう。


 私にはユリスティアの記憶がある。ユリスティアが物心ついた時から、死ぬときまでの全てを。


 なぜ、なぜと思考が疑問に囚われている間に、生け垣の向こうの気配が増える。




「やれやれ、ようやくか」


「まったく、君達ったら今世でも随分とまどろっこしいね」


「ユラ、クーラン! それにランディも……まさかお前達も……」


「ええ、あなた方同様、前世の記憶がありますよ。忌々しい魔王をあと一歩まで追い詰めた、最期の記憶まで」


「魔王へ施した封印は不完全だったの。お願い、どうかもう一度私に力を貸して!」


「今更頼まなくても、喜んで力を貸しますよ。我らが聖女」


「あの時は後れを取ったが、同じ過ちは繰り返さん」


「君は安心して、僕達に守られていればいいんだよ」


「……ユリィ、俺達は昔と変わらず君の力になる。君を守る盾、君の敵を切り裂く剣として。だから君は魔王にかける封印術だけに集中してくれ」


「……ううん、私は確かに敵を攻撃する術は持たないわ。それでも、みんなを守る力はあるはず。だから今度は私も一緒に戦わせて!」




 まるで別世界の、劇場を見ているように思えてしまう。


 現実感など一つもなく、前世の仲間達が自分ではない誰かに愛を囁き、信頼を向けているのが生け垣を超えた先で行われているなんて実感できない。


 目の前に咲いている薔薇をただただ瞳に移すことしかできなアイリスを見た魔王は、そっと彼女の肩を抱き転移魔法を発動させた。










 転移魔法特有の浮遊感を感じ、目を瞬かせればそこは蝋燭の灯だけで照らされた広大な一室。


 壁も床もカーテンも黒一色で、自分が座らされているであろう豪奢な椅子とそれに続く絨毯だけが色を放つその部屋を、アイリスは知っていた。




「……魔王、城」


「そうだとも、私が坐する魔王城、その謁見の間だ。懐かしい光景だろう?」




 アイリスの髪をひと房掬いながら、いつの間にか前世で対峙した姿そのものの魔王は機嫌良さそうに笑っている。


 そんな彼を呆然と見上げていれば、魔王は眉を下げ、痛ましいと言わんばかりにアイリスを見つめる。




「いやはや、それにしても哀れだな、聖女よ。かつての仲間はあの紛い物を真実お前だと信じ切っている。かつてのお前の恋人ですら――」


「やめて!」




 とっさに耳を封じて拒絶する。


 そうだ。先ほどの光景はその通りだ。


 でもそれを受け入れるにはアイリスという少女の心は育ち切っていなかった。


 アイリスは確かに聖女ユリスティアであるが、同時にまだ幼い少女アイリスでもあるのだ。


 前世の記憶を思い出してからずっと求めていた恋人と仲間たち。彼らに受け入れられず、それどころか自分ではない自分を仲間として受け入れて愛を継げた事実を受け入れるには、アイリスという少女の心は柔らかすぎた。




「……どれだけ否定したところで現実は変わらぬぞ。まったく、私は一目見てお前をユリスティアだと見抜いたというのに、あの人間どもは見目でしかお前を判断していなかったというわけか」


「……」


「……ユリスティア……アイリス。私と契約を結ばぬか?」


「けい、やく……?」




 魔王の言葉にアイリスは緩やかに頭を上げる。


 濁った瞳は、それでもなおまっすぐと魔王を写し込んでいた。




「ああ、そなたが私の后になる。その代り、私はこれ以上人間界に何もしない」


「……あなたにメリットが何もないじゃない」




 人間界に何もしないという言葉はとても心惹かれる言葉だ。


 だがしかし、あの魔王が、前世において自分達をあれだけ苦悩させた魔王が人間側にこれだけ甘いことを言うはずがないと首を横に振る。




「あるとも。あの時、お前が私の眼前に立ちはだかった時から、私はお前を恋い慕っていたのだから」


「え……」


「私を見て脅えの一つも見せなかったどころか、未来を見据えた煌めく瞳。仲間を、男を想い、それ故に私への憎悪を膨らませて睨み付けてきたお前を見て、どれだけ手元に置きたいと思ったことか!」




 陶酔した表情でアイリスを見つめる魔王に、アイリスは呆然とする。


 あの時はどうやって魔王を倒すかしか考えていなかったというのに、魔王はそんな風に見ていただなんて。




「だから一目見てあれは違うと分かった。お前が持つ煌めきがない、意思がない。あれは模造品にすぎないとな」


「……一目で、分かったの……?」


「何を今更。お前に声をかけた段階でお前が聖女だと分かっていたのは知った事だろう?」


「そう、だけど……」


「悪い契約ではないはずだ。お前ひとりでは私を封じることは不可能。お前を欠けたあやつらではたとえ私の攻撃をしのげても封じる手段はない。もしもアイリス、お前が真実を継げたところであの人間どもは受け入れぬよ。それどころかお前を聖女を騙る罪人か、もしくは私の手先だと断罪するのではないか?」


「そんな、事……」


「否定しきれんだろう? あの人間どもはあの紛い物を真実聖女の生まれ変わりだと信じ込んでいるようだったからな」




 魔王の言葉にアイリスはどんどん俯いてしまう。


 彼らが彼女をユリスティアの生まれ変わりだと思っているのは薔薇の迷路でよくわかった。


 それ以前にも、入学当初中庭を訪れた時にも……、頬に衝撃を受けたあの時にも……。




「契約、したら……人間界に攻めに行かないのよね?」


「行かないとも。お前を永遠にこの城で愛でるだけでも十分価値があるからな。あの様な羽虫どもをさっさと滅ぼせぬのは煩わしいが、その程度なら我慢しよう」


「……眷属達を、差し向けない?」


「我が后が嫌だと言うのであれば」


「……なら、いいよ……」




 諦めたように、呟くように、だがしかし、間違いなく魔王の申し出を受け入れたユリスティア。


 彼女の返事を聞いた魔王は満面の笑みを浮かべてアイリスを抱きしめる。


 彼が指を鳴らせば瞬く間にアイリスの制服が漆黒のドレスへと変化する。同時に、彼の制服も、姿かたちもかつての魔王そのものへと変化していく。


 漆黒の髪、濃いアメジストの瞳を煌めかせながら魔王はアイリスの唇に指を添える。




「さぁ、我が愛しき后よ。お前の夫の名を呼べ」


「……オーフェン」




 アイリスが魔王の名を紡げは二人を黒と赤の魔力が結ぶ。


 制約魔法だとアイリスは感じながら、そっと瞼を下ろす。


 かつての仲間達が、恋人が自分ではない誰かを囲う光景を拒絶するように。
















(やったやったやった!! これで後は魔王を封印できればゲンルート完走よ!)




 桃色を始めとしたパステルカラーに囲まれた部屋の中、ベッドの上で枕を抱き込みながらユリスフィールは歓喜していた。


 彼女はこの世界が女性向け恋愛ゲームとして配信されていた世界からの転生者であり、そのゲームの主人公であるユリスフィールになっていたことに気づいた時に思ったのはただ一つ。


 この世界で無事に恋愛エンドを迎えなければ、世界が滅んでしまう!




 彼女が知っているこの世界は『運命は時を越えて』というソシャゲで、物語はかつて魔王を封じた聖女の生まれ変わりである主人公が学園へ通う所からスタートする。


 攻略キャラクターは合計で四名。ゲームは彼らのうち一人を選んでから始まる。


 というのもこのゲームは恋愛ゲームの中では珍しく、恋愛できる相手は最初に選んだ一人だけというタイプなのだ。


 選んだ相手の前世が主人公の前世である聖女の恋人で、学園で過ごすうちに聖女と聖女の恋人、仲間達が前世の記憶を取り戻していき、無事前世の恋人と再び結ばれれば魔王の封印が不完全であることも思い出せ、前世の仲間たちとともに再び魔王の封印を完全な物にするというエンディングがこのゲームのハッピーエンドなのだ。


 戦闘要素は皆無で、最後の魔王との戦闘だって自動で進んでいくこのゲームだが、バットエンドは勿論ある。


 それが前世の恋人と結ばれなかったエンディング。前世の恋人と結ばれなければ思い出される前世の記憶は欠けが多く、魔王の封印が不完全であることも思い出せずに復活した魔王に世界が滅ぼされるというエンディングがあるのだ。


 だからこそユリスフィールは無事にハッピーエンドを迎える必要があったのだ。




 だがしかし、最初は誰が聖女の恋人であったのか、それが分からなかったためにユリスフィールは苦戦していた。


 何せゲームだったら開始直後に攻略対象を選べるのに、生まれ変わった段階ではそんな選択肢が出るはずもなく。


 ストーリーが進めば前世の記憶とやらが思い出されるかと思ったが、前世が地球の女性だった成果聖女の記憶は思い出されなかった。


 だから攻略対象であった四名とはとにかく平等に仲良くして、彼らの記憶が取り戻されると同時に発生する会話で何とか前世の恋人を特定したのだ。




(それにしても、前世の恋人が推しのゲンでよかったわ!)




 前世で一番はまっていたキャラであるゲンが前世の恋人であることが分かったユリスフィールはそれはそれは喜んだ。


 自分は推しと結婚できて、世界は平和になる。誰にとってもハッピーエンドであるとユリスフィールは信じ切っていた。








 そんな彼女を嘲笑う存在など、知る由もなく。
















 


 アイリスをその胸に抱きながら、魔王オーフェンは自身の口元が歪な弧を描くのを抑えきれなかった。


 ようやく、ようやくだ。長い時を経てようやく手に入れた至宝を抱きしめ、魔王は内心で歓喜の叫びをあげ、同時に至宝を手放した愚者共を嘲笑う。


 アイリスには魔王が聖女に惹かれたのは聖女達の最期である決戦の時だと伝えているが、実際は違う。彼女が魔王を討伐するべく旅立ったその時から魔王は聖女ユリスティアを知っていた。そして一目その姿を見た時から魔王は聖女に惹かれていたのだ。


 ずっとずっと、聖女を監視し続けていた。多くの苦難を乗り越え、恋を知り、結ばれ、そして未来を約束して魔王の居城に訪れて自身の下に辿り着くまでずっと。




 もちろん、ただ見ているだけで満足していたわけがない。聖女の唇を奪い、味わっていたあの男へどれだけ殺意を憎悪を向けた事か。


 だがしかし、この時を迎えれると分かっていたからこそ魔王は束の間の夢を見ているのだと誰よりも高みですべてを睥睨していた。




 魔王に施された最初の封印が不完全だったことも、聖女達の魂が封印が緩むこの時代に生まれ変わるのも、本来聖女の魂が宿るはずだった肉体に異物が入るこむことも。


 全ては魔王の計略の結果だった。




 当初、魔王はあの決戦の場で聖女を手に入れるつもりだった。しかし、そうしてしまえば聖女は魔王に心を開かず、永遠にあの赤い男だけを心に宿すことになるであろうことが分かった。


 だからこそ、どれだけ時間がかかっても、どれだけ回りくどくとも、この手段を取ったのだ。




 聖女達の魂に印をつけ、転生する時代を固定して。


 聖女の守護をしていた男達に、聖女の魂を持つ者に疑心を抱きやすくする術をかけ。


 聖女が宿るはずだった肉体に彷徨っていた魂を押し込めて聖女の魂を本来死ぬはずだった肉体へ宿した。




 彷徨っていた魂が魔王の都合よく聖女の振りをしたことも上手く事を進める要因となった。


 どれだけ疑心を抱きやすくしたところで、聖女が熱心に説得を続ければいずれ聖女の言葉を信じるであろう事は想像にしやすい。


 しかし、すでに聖女の立場を乗っ取った者がいれば? その者がまるで本物の様に嘯き、信頼を得ていれば?




 答えが現在だ。


 どれだけ聖女が真実を訴えようとしても、彼らにとっての『本物』は既にいる。


 そして訴えてくる女は疑わしいと思ってし・ま・う・見知らぬ他人。


 結果、昔では考えられないほど親しかったやつらに拒絶された聖女の心は弱まり、魔王の言葉を疑うことなく頷いてしまうほどになった。




「さて、我が后をここまで追い詰めたやつらには礼をせねば……」




 積み重なった心の傷に耐え切れなかったのだろう。魔王の腕の中で意識を飛ばした后アイリスを寝室に鎮座する豪奢な寝具の上に寝かせる。その寝顔を愛おしげに眺め、繊細に指先でその唇を撫でた後静かに退室した。


 そうして再び謁見の間に戻れば、その場には多くの魔族が静かに姿勢を整えて魔王を待っていた。その光景を当たり前のように受け入れ、魔王は静かに、それでいて厳かに歩みを進めて玉座に座る。




「さて、随分と長い時間待たせてしまったな。だがしかし、安心せよ。今日は我が后を無事に迎え、人間界もそう時を経ずに滅ぶことが決定しためでたき日だ。歓喜せよ、勝利の歌声を響かせよ。我ら魔族がこの世界全てを統治する時が来た」




 魔王の后が誰であるかわかったうえで、魔族たちの歓喜の雄叫びが謁見の間を包む。


 その雄叫びを魔王は軽く手を振るだけで沈め、口角を上げる。




「ですがよろしいので? お后様との契約では我らの侵攻は禁じられていたはず……」


「ふん、聖女のおらぬ人間界にわざわざ我らが足を踏み入れずとも、すでに蒔いた種だけであれらは滅びるだろうよ」




 比較的玉座に近い位置で控えていた魔族が質問すれば、嘲笑を浮かべながら魔王は語る。




「聖女との契約で縛られているのは契約後の行動だ。すでに人間界のいたるところに歪みを作っておいた。歪みから出る瘴気は人間達を蝕むだろう。そして、その歪みを完全に消し去ることができるのは本物の聖女のみ。多少浄化の力があったところでできるのは一時的な瘴気の浄化だけ。いずれ浄化が追い付かず人間界は滅ぶさ」


「それはそれは……同族の中には暴れることができぬことに不満を抱く者もいるでしょうが……」


「契約で止められているのはこちらからの侵攻だ。あちらから訪れた人間への対処は縛られていない」


「なるほど、ではそのように手配しておきます」




 恭しく頭を下げる魔族を見ることもなく、魔王は歪んだ笑みを浮かべる。


 聖女の振りをする女がどんな考えを持っていようとも、本物の聖女ではない以上人間界を救う手段はない。


 救える聖女にわざわざ人間界の情報を伝える必要もなく、ゆっくりと魔族の思考へと馴染ませていけばいいだけの話だ。


 魔王と契りを交わせば人間の儚い寿命など塗り替えれる。そして、后となった聖女に契りを拒絶する権利はない。




「……本当に、めでたい日だ」



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