風の道しるべ

衞藤萬里

羇旅の途中

 冬の気配をまだかすかにはらんだ乾いた風が、街道を駆けぬけていき――鋭い剣戟の音は一度でやんだ。その後は、重たい袋が地に伏したような音。

 それを眼の当たりにして、身をすくませたのは七人ほどの野粗な男たちである。いずれも得物を手にし、身なりも粗末だ。汚らしく伸びきった髪や髯の間から、飢えた野良犬のように凶暴な眼がのぞいている。たちの悪い追いはぎである。

 黒髪の若者が斬り斃したのはその中のひとりで、この男だけは他の者と違い、すね当てと小手を身につけていた。男たちの中では頭目格の男であったようだ。

「お師匠様」

 若者は血に染まった剣をひと振りし、振りかえりもせずに後ろに問う。

 亜麻色の髪の娘が、これも剣を片手に老年の剣士の前に屹立している。

「いかがいたしましょう」

「生かしておいてもろくなことをしまい。構わぬ斬れ、アト」

 老年の剣士は、髪も顔の下半分の髭も濃い灰色の、穏やかな眼元の顔貌であった。長いこと風雪に耐えたであろう外套、足元の使いこまれた雑嚢は、この人物が旅慣れた者であることがわかる。

「わかりました」

 アトと呼ばれた黒髪の若者は、剣を構えなおす。

 頭目格を斬り斃されて一時すくんでいた追いはぎ連中の表情が、再び殺気立ったものとなった。相手は老人と若造ふたり――それもひとりは小娘である。若造の腕は立つように見えたが、勝てない相手ではない、そう思ったのだろう。

 手斧や馬車のながえをそのまま利用したと思われる棍棒を構えなおすと、アトらを半円に囲み、じりじりと迫ってくる。

 人通りの少ない脇街道である。路の両側は藪で、襲うにも場所が限られている。

「ジル」

「後ろには誰もいない。そいつらだけだ」

 師の傍らで背後の気配を探っていた亜麻色の髪の娘――ジルが答えた。

 前後から襲われたら危なかったが、おそらく老いぼれと若造と侮ったものだろう。

「そいつら、か……餓鬼がなめやがって」

 追いはぎのひとりがいきりたつ。

「腹ぁ、たてんな。売っぱらう前のお楽しみもあるで」

 別の者が手斧を悠々と見せつけると、いやらしい笑いをうかべた。ジルが軽蔑するように顔をしかめた。

「小便くさい貧相な小娘じゃ」

「これで我慢しちょけ」

 下卑て笑いあった追いはぎ連中の真正面のその男の片腕が、手にした棍棒ごと両断された。それが地に到達するよりも早く、アトの身体はその右にいた男に迫っていた。手にした得物を構えなおす間もなく、追いはぎたちはたちまち斬り伏せられていく。

 その手練にとうてい敵わないと、ひとりが逃げだそうとするが、ジルがさえぎる。狼狽し、ながえを半分ほどに切った棍棒で打ちかかろうと振りかぶったまま、ジルの剣で胴を斬り裂かれたその追いはぎは二歩、三歩とたたらを踏み、糸の切れた人形のように倒れ伏した。

 血で汚れた剣身をジルがぬぐい鞘に納めたとき、生きているのは最初に片腕を切り落とされた男だけであった。

「腕ぇ! 俺のぉ……う……腕ぇ! うぅっ、でぇっ!」

 男は獣のような悲鳴を上げて、斬り落とされた腕の斬り口同士を懸命にくっつけようとするが、血を吹きだす切断面はずぶずぶの肉塊にすぎず、無論どうにもなるものではない。

 喚く男の身体がぐらりと揺れて横倒しになり、ひくひくと痙攣をする。失血で気を失ったのだろう。

 アトは顔をしかめ、追いはぎたちの襟を引きずり、ひとりずつ路の脇の藪に押しこんだ。最後に片腕の男を押しこむと、男は意識がないくせにひどく呻いた。

「お師匠様、いかがいたしましょう?」

 ジルが傍らの老年の騎士に訊ねる。

「セイラムの街に着いてから、警護団に伝える。その者がそれまで生きているかどうかは、パーンの恩情に任せるとしよう」

 このあたりの街道筋は、セイラムの領主の管轄である。治安のよい土地柄であるが、それでも町から少し離れれば、あのような追いはぎがうろついている。


* * *


 老年の剣士に若いふたり。奇妙な一行である。

 三者とも腰に剣を佩く。馬車も持たないところをみると、行商人とも思えない。身なりは粗末ではあったが、かといって傭兵や追いはぎなどの喰いつめた者のすさんだ風はない。

 老年の剣士は歳を感じさせないたくましさと身体の運びがあった。髪も髭も灰色で、太い眉の下の瞳は、常に尋常ではない遠くまで見すえているようであった。刻まれた皺は、この老年の剣士が長き放浪をつづけてきた証であろう。

 放浪を愛し主を持たず、その剣技や見識から数多の国や封土から剣術指南、仕法家として招かれ、畏敬の念でもって“大地の騎士”――そのふたつ名でいつからか呼ばれるようになったリーグは、ベルセーヌ大陸で並ぶ者のない称賛を得る名高い剣士である。

 師の前を黙々と歩く若者アトは、むしろ小柄と云ってもよいが、その身のこなしは山猫のように俊敏であった。くせの強い黒髪は短く広い額を見せている。その太い眉の下の双眸、引きしまった口許には、歳に似合わぬ落ち着きがあった。事実、彼は若者らしからぬ無口さである。

 ジルは年ごろの娘としては背が高く、アトとさほど変わらない。身にまとうものは男物の上着にズボン、亜麻色の髪を男のように短く切りそろえているため、アトと並ぶと髪の色が違うだけの兄弟のように見える。薄いそばかすが散る頬、切れ長の瞳はひどく気の強い印象を与える。

 ともに歳のころは十七か十八であろうと思われる。思われるというのは、ふたりとも幼子のころリーグに拾われて育てられたため、およその歳でしかない。実際、どちらが年長かなど、見かけからはまったくわからない。

 大事なのは、このふたりの若者がリーグに育てられた弟子であることであろう。先ほど一行を襲った追いはぎ程度など、相手にもならないのは当然のことであった。


* * *


 本話ではこの若きふたりの剣士、すなわちアトとジルの旅路の顛末を語ることにしよう。アトとジル、たがいに兄妹弟子を永遠に失うこととなる――風が導いた、その物語を。


(つづく)

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