第14話 川面を朱に染め上げて
待ちに待った時が来た。もう我慢しなくていい。忍従の日々は終わった。我先にと城を飛び出し、そして、川縁を進む標的に襲い掛かった。
当初、久宣を始め、薩摩勢は何がおこったのか認識できないでいた。後ろの方から駆け足で鶴崎の人々が追いかけてくるのが見えた。荷造りが終わって、急いで追い付いて来たのだろうと思ったが、同時に違和感も感じた。
なぜなら追ってくる者達が、どういうわけか鎧を身につけていたからだ。
なんだ、と考えたのが最後。真横の森からの銃撃、それが文字通りの引鉄となった。地元の地形を知り尽くす先回りによる奇襲だ。
轟音と共に弾丸が飛び交い、島津勢がバタバタと倒れていった。
それだけではない。それに続いて、矢も放たれ、次々と突き刺さった。
薩摩勢は混乱した。“敵”などいるはずもないと思っていたところに、いきなりの攻撃に晒されたからだ。
そう、彼らは失念していたのだ。昨夜愉快に飲み食いして歓待していた鶴崎の人々こそ、“敵”であったということを。
その混乱した薩摩勢の隊列に目掛けて、追いついてきた鶴崎の人々が斬り込んだ。刀を振り回し、槍を突き立て、薙刀にて払い、先程まで仲良く話していた“敵”を殺して回った。
薩摩勢の対応は鈍い。奇襲もさることながら、酔いがまだ残っている。昨夜しこたま飲まされて、それがまだ体と頭を蝕んでいるのだ。
しかも、相手は昨夜抱いた女ばかりだ。昨夜寝床で見た艶やかな笑みは、悪鬼のごとき形相に変わっている。夢か幻か、そう思えるほどに。
「これは夫の分! これはお父の分!」
「こりゃあ、倅の分じゃ!」
日向後家が、あるいは枯れた老人が、倒れた薩摩勢に止めを刺して回る。何度も何度も刺突しては、次の“獲物”を求めては殺して回った。
頭が働かない。何がどうなっているのか認識できぬまま、倒れ、血を流し、そして、死んだ。たちまち乙津川は朱に染まり、地獄と化した。
妙林もその渦中にいた。混乱する敵兵目掛けて薙刀を振り回し、一つ、また一つと、丁寧に命と首を刈り取っていった。
久宜も必死で抵抗するが、混乱する味方が邪魔をして、逃げることも部隊をまとめることもできない。
そして、すぐ側で殺された兵を見やる。刀で何度も斬りつけられており、しかもそれを成したのが女であった。殺された兵士とは、昨夜は仲睦まじく夫婦のごとく振舞っていた女だったことも、久宜は覚えていた。
なんのことはない、すべてが“芝居”であったのだ。
鶴崎の面々は約を違えた。“命”以外はすべて差し出すと言ったが、そんなことはない。“心”もまた差し出してはいなかったのだ。
だが、そんな言い訳は通用しない。なぜなら今は戦国の世。この程度など、乱世にあっては合法であり、戦国の作法であった。
油断すれば食われる。ごくごくありふれた日常であるのだから。
死体の山を築き、道を血で塗り固めながら、島津も大きくなってきた。大友とてそれは同様であり、殺し殺されては当たり前。文句があるなら、手に持つ刃で抗議すればよいだけのことだ。
今、鶴崎の人々がそうしている様に。
久宜の乗る馬にどこからともなく飛んできた矢が刺さり、暴れるままに振り落とされた。地面に叩き落とされ、背中を強く打ち付けた。
ようやく起き上がったその目に映ったのは、不気味の微笑む女人が一人。妙林だ。
「見つけましたよ、久宜殿」
微笑む妙林の腕の中には首が一つ。他でもない、副将の片割れ・重政の首だ。
変わり果てたその姿に、久宜はそれを凝視した。そして、それを投げつけられた。
ベチャリとまだ生温かい血肉の感触が伝わり、顔が赤く染め上げられた。
「ヒェッ!」
「ご安心ください。三途の川にて、皆がお待ちですよ。さあさあ、すぐに送って差し上げますわ!」
昨夜の笑みとはまるで違う。艶めかしい
そして、死神は薙刀を勢いよく払った。絶望に染め上げられた心のままに、それを現す表情を崩すことなく命が刈取られた。
何度も抱かれた屈辱の日々。自分も含めて、鶴崎の女達もまた、自分の抱いた男共をきっちりあの世へ送り出した。
「まだです! まだですよ! まだ、動いている者がいます! お残しは許しませんよ!」
そうだ、まだ終わっていない。生きて返すな、薩摩の地へ。一人たりとて、逃がしてなるものか。妙林の号令の下、再び猛り狂い、もはや戦意も何もない、哀れな敵兵を刈り取るだけであった。
こうして、
こうして後に『乙津川の戦い』と称される一連の戦いは終わりを告げることとなる。耐えに耐えた妙林の、鶴崎の人々の粘り勝ち。
最終的な“根比べ”に勝ちを収めたのだ。
敵を見誤ることなかれ。人は与えられた恩義よりも、奪われた恨みをこそ決して忘れないのだから。
~ 最終話に続く ~
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