一年前の再演(7)

 壇上の端で、テオドールは身を竦ませた。

 視線が逃げ道を探すようにさまよう。口はもの言いたげに開いては、なにも言えないまま閉じる。

 瞳は焦りに揺れ、強張った顔は怯えの色を隠せない。

 どうにか状況を変える一手を探し、必死に頭を悩ませていることが、離れて立つ私の目にもありありと見て取れた。


 ――遅い。


 頭の回転が早い方ではない、とジュリアンが言っていた意味がよくわかる。

 この男にも策略を巡らせることはできるのだろう。ものを考えること自体は、不得手ではないのかもしれない。

 だけど咄嗟の判断が遅い。時間を稼ぐため出まかせも言えない。意味深に微笑み誤魔化すことすらできていない。

 わかりやすすぎる動揺を顔に浮かべ、十分すぎるほどの間をおいてから、ようやくテオドールは声を絞り出す。


「ど、どうして……今日まで……なんのために……?」

「ん、良い質問だ」


 心にもないことを言って、ジュリアンは笑みを浮かべた。

 もちろん、心にもないことは悟らせない。語る言葉は間を置かず、答える声もよどみない。

 テオドールとは、まるで対照的な態度だ。


「時間が欲しかったんだよ。ルシアの魅了――ルシアに『かけられた』魅了の術式を解析する時間が必要だったし、なにより今日はオルディウスに送った使者が戻ってくる日だ」

「使者…………」

「彼らと君を引き合わせたかったんだ。僕としては使者のヴァニタス卿が来てくれるだけでも十分だけど、オルディウス側の人間がいてくれるとなおありがたい。そう思って待っていたんだけど――」


 けど、と言いながら、ジュリアンは大広間を見回した。

 人の多い大広間も、壇上からはよく見えるはずだ。重臣たちの顔を順に眺めるジュリアンを、テオドールはしばし呆けたように見つめていた。


「………………」


 瞬きを一つ、二つ。

 顔だけは良いテオドールの表情が、私の見上げる先でゆっくりと変化していく。


「は――――」


 追い詰められた表情から、じわりと滲むような安堵に。

 安堵から一転、今度は抑えきれない喜びに。


「は、はははは…………」


 口から漏れるのは、かすれたような笑い声だ。

 喜びの浮かぶ表情には、もう怯えの色はない。

 笑うほどに、テオドールの顔には自尊心が戻っていく。


「はははははは! だけど、使者は来なかった! ルシアの魅了も解けなかった! そういうことなんだな!」


 まるで息でも吹き返したかのように、テオドールは自信に満ちた声を張り上げた。

 追い詰められ、縮こまるように丸まっていた背筋も伸びている。

 傍らの姉を抱き寄せ、ジュリアンを見据える瞳には、勝ち誇ったような色が浮かんでいた。


「せっかく時間を稼いだのに、気の毒なことだ! 僕が使者を出していることに気付かないとでも思ったのか? 今ごろ君の大切な使者たちに、どんな不幸が起こっているだろうな?」


 この大広間に使者の姿は見えない。姉はまだ、テオドールに縋りついている。

 魅了は効かなかったとしても、この状況であればまだ巻き返しが効くだろう。

 少なくともテオドールは武器を失っていないし、逃げる手段も残されている――と。


 この男は、そう思っているのだ。


「ところでフィデル王国諸君! この僕の扱いについてはどう説明するつもりだ? 僕に対する不当な扱いは、すべてオルディウスに報告させてもらう! 自国の第一皇子の言葉と諸君らと、どちらの言葉を信じるかよく考えることだな!!」


 声は高く、大きく響き渡る。

 大広間を越えて、さらに遠くまで。

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