姉、居座る(5)
「――ライナス。オルディウス帝国のことは知っているだろう?」
ジュリアンは椅子に座り直すと、真面目な顔でライナスを見上げた。
普段は飄々としていても、こういうときはさすがに王子だ。
ジュリアンの変化に部屋の空気が張り詰める。
自分を見据える紫水晶の瞳に、ライナスも緊張したように身を強張らせた。
「あの国は領土の拡大に熱心だ。あまり強引な手段は使わず、穏当な併合をすることが多いとは聞くが、次もそうとは限らない」
――次。
その言葉にライナスが息を呑む。
オルディウスは友好国だ。交易も盛んで、国家間の交流もある。
オルディウスがフィデル王国を狙う理由はないはずだ――が。
「テオドール皇子はなんのためにフィデルに来た? どうしてルシアを連れて、どうして神経を逆撫でするような騒ぎを起こしている? ……まるで、こちらを怒らせようとしているみたいに思わないか?」
狙う理由は『作る』ことができる。
言葉を失うライナスに、ジュリアンは畳みかけるように続きを口にし――。
「もしも怒り任せに手を出して、相手に『不当な扱いを受けた』と主張されたら――――」
「…………戦争、ですのね」
一呼吸。
ジュリアンが口を閉ざしたタイミングで、最後の言葉を私が引き取る。
「自国の皇子が害されては、オルディウス帝国は黙っていませんわ。……たとえわざと手を出させるように挑発したのだとしても、戦争を仕掛ける大義名分になりますもの」
言いながら、私は両手でぎゅっと体を抱いた。
そのまま目を伏せて、瞬きをしてから三秒。じわりと目に涙を浮かべれば、怯え悲しむ令嬢だ。
「瘴気に苦しむこの地が、戦火にも苦しむことになりますのね。……まだ、一年前の傷跡も治っていないのに」
か細い声に、震える語尾。自分ではなく、国が荒れることを恐れる言葉。
国のために心を痛める令嬢に、ライナスが「む……」と小さく唸る。
ライナスは騎士だ。争いを恐れず、剣を取ることにためらいはない。
誇りのためであれば、大国の皇子だって敵に回すことだろう。
だけど、そのせいで涙する令嬢がいるのであれば――。
ライナスは騎士の誇りがあるからこそ、引くしかないのである。
「気持ちはわかるけど、今は抑えてくれ、ライナス」
ライナスの激情が落ち着いたのを見て取ったのだろう。
私に預けていた会話を戻し、彼は再び口を開いた。
「すぐにオルディウスに使者を出して目的を確かめる。あの二人のことはそれからだ」
「…………」
「もちろん、その間ここで好き動き回らせるわけにはいかない。賓客扱いではあるけど、怪しい動きがないかはよく見ておく必要がある。――わかるな、ライナス?」
ライナスは口をつぐんだまま、ジュリアンを見て、肩を震わせる私を見た。
まだ迷いはあるのだろう。完全に納得はしていないのだろう。
それでも、彼は長く深い息を吐いた。
「承知いたしました。あの二人の監視はお任せを。――――もう二度と、あの魔女にこの国を荒らさせはしません」
瞳に姉への怒りを残したまま、ライナスはジュリアンに向けて騎士の礼をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます