カエルになれないオタマジャクシ

バラック

第1話

「なぁ、せっかくだからメシでも食いに行こうか」


「いや、今日はいいよ、また」


 相方の誘いを断り、若手が集まる楽屋を逃げるように抜けて、オレはビル裏の湿った喫煙所へ向かった。


 日本一の若手漫才師を決める大会の予選3回戦の結果発表があり、同じ楽屋の若手達は興奮の中にいた。オレたちも予選を通過することが出来たが、その熱気を同じ温度感で受け止めることは出来なかった。


 オレ達は既に芸歴20年、コンビ結成から13年を迎えようとしている。俺自身で言えば、コンビ解消などの紆余曲折はあったが、ライブに出ればそれなりに人気もあり、なんとか生活はできている。

 しかし、跳ねるように人気が出たことはない。次のステージにジャンプする機会を待つ「待機組」だ。



 ラストチャンス。



 世の中を見渡せば、結婚、出産、自宅購入。くたびれた顔をしたサラリーマンに比べれば、未だ夢の途中にいられることは幸せなのだろうか。



 ※※※※※※※※※※※※



 煙草を咥えながら、昨晩のバラエティ番組をスマホで見る。同年代や年下の人間が華やかに活躍する姿は、どうしたって気になってしまうものだ。


「いいよなぁ、売れて抜けていったやつらは」


 独り言がこぼれる。


 そんな言葉が呪文になったか。


 既にお笑いの道から引退をした「元」相方が喫煙所に現れた。


「お前の相方に聞いたらさ、ここじゃないかって。一本くれよ」

 

「あぁ。なんか、お前、随分パリッとしてるな」


 「そうか?まぁ、今は保険屋でさ。客の前に出なきゃいけないから、どうしてもな」


 ツーブロックの頭にブルーのスーツ。磨かれた革靴。高そうな腕時計。13年前までランニングシャツで漫才をしていた頃からは想像できない姿だ。

 

「どうした?突然?」


「冷やかしさ」


 数秒だろうか。コンビ解散から15年を感じるのには十分な沈黙が生まれた。


「パスワードを忘れた夢をよく見たよ。自分だけが切符を持っていない夢をもう見ないで済むから、セイセイしてるさ」


 煙草をもう一本要求された。


「お前、よく自分達のことを『ハネるの待ちの待機組だ』って言ってたよな。けれど、カエルになれないことを知ったオタマジャクシは、どうすれば良かったんだろうな」


 元相方は、吸い切った煙草を灰皿に落とし、その場を去ろうとした。


「恨むか?オレを」


「いや、お前なら出来るよ。次は準決勝か?期待してるよ」


 元相方は背中越しに言った。煙草の煙は、まだ灰皿から立ち昇っている。

 

 冷やかし、ね。オレは吸いかけの煙草を灰皿に沈めた。



※※※※※※※※※※※※ 



「夢は叶う!」

 今や売れっ子コンビの決め台詞で、準々決勝は終わった。

 本番後のドキュメンタリー用だろう。カメラが次々にコメントを取りに行っている。いつかオレたちの所にも来るのだろうか。


「行きてぇな。決勝」

 相方がしみじみ言う。

「そうだなぁ。」

 オレもしみじみ言うが、それに返答はない。

 20年。随分と永く続けてきたもんだ。報われなくてもいい。感動もいらない。

 ただ次のステージへ。早く抜きでたい。


「それでは、当会場から準決勝へ進むグループの発表を行います。よろしいでしょうか」


 ステージの上でディレクターが発表を始めた。


「12番、○○○○。108番△△△△……」


 オレたちの番号は929番だが……


「720番■■■■、848番◎◎◎◎、1067番☆☆☆☆……」


 大きく息を吐いた。相方は少し頭を垂れただけだった。


「以上のグループが進出になります。お疲れさまでした」


 舌打ちをしながら、屋上を見上げる。またか。



「また抜けられなかったな」


 相方は顔を上げずにそう言った。


 オレは何も言わなかった。


 いつまでこれが続くのだろうか。いや、そもそもオレたちは次のステージに上れない「カエルになれないオタマジャクシ」なのだろうか


 隣で準々決勝を通過した例の売れっ子コンビインタビューを受けている。カメラに向かって決め台詞の「夢は叶う!」も使っていた。


 夢、ね。


 今のオレには前向きに聞こえない言葉だ。


 カメラがやってきた。敗者コメントが欲しいらしい。


 お笑い芸人として折れた瞬間かもしれない。一つまみの演技もできず、絞り出すように答えた。


「夢なんて、呪いだよ」

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