二の七 ブライアン 六月二十九日
夏休みの補習授業も明日で終わる。
補習授業といっても、参加不参加は生徒の自主性にまかせているため、出席日数が足りない切羽詰まった生徒か、でなければ暇を持て余している生徒か、いずれにせよ、ほんの五人程度の生徒相手にブライアンはボランティアのようなこの補修授業をあまり熱意も持てずにこなしているのだった。
今日も今日とて、
「フランス革命って、南北戦争の頃の話だっけ?」
「バカじゃねえの、独立戦争の頃だよ」
「いや、ワシントンが大統領の頃の出来事だ」
「ええ?新大陸発見と同じころだと思ってた」
そんな生徒どうしのささやきが聞こえてくるのだった。
そんなことは自分で調べてくれ、と投げやりになる気持ちを抑え込んで、ブライアンは懇切丁寧にアメリカ史と世界史を対比させながら教えてやるのだった。
そうして、端の席でブライアンの方を微笑しながら見つめている生徒と目が合った。
――トバイアスめ。
とブライアンは罵りたい気分であった。
あんなに学校に来る素振りもみせなかったトバイアス・ケリーが、夜中の校内見回りの時にひょっこり現れ、夏休みに入って補習が始まるとともに登校をはじめ、ブライアンの世界史の補習授業は皆勤賞であった。
ブライアンは彼を自室から外へと踏み出させようと、あらゆる説教の文句を考えていたのだ。みんなお前を待っている、勇気を出して踏み出す時だ、男になれ、などとひと昔前のホームドラマのような光景を想像していたのに、トバイアスは人を食ったような顔で登校してきた。
授業を聞いているのかいないのか、机に教科書とノートを広げ鉛筆片手に、しかし説明を筆記するでもなく、彼はフランス革命の概略を説明するブライアンを、なにか面白くもない舞台演劇でも見るような顔で見ているのであった。
そうして午前中の補習授業が終わり、ブライアンは黒板を消しはじめた。
いつもなら授業終了とともに奇声を発しながら教室を飛び出していく生徒たちが、今日に限って妙に静かに、席についたままでいるのを背中で感じ取って、不思議に思いながら、黒板消しを上下に動かし続けていた。
ふと、
「先生」
とトバイアスが語りかけてきた。
いぶかしみながら、ふりかえると、トバイアスは微笑を湛えたその顔で、
「はじまるよ、ステイシー先生」
冗談のように軽い調子で言うのだ。
意味が分からず、ブライアンは首だけ向けた姿勢のまま、眉をひそめて彼を見た。
「僕を守って」
ブライアンは彼に向けて体をひねった。
その瞬間、これまで時時聞こえてきた意味不明な空耳の意味が閃くように理解できたのだった。
――マモレ。
そう言っていたのだ。
――何を守れと言うのか。トバイアスか、トバイアスを守れと言うのか。
ふと教室を見渡せば、生徒達五人が無機質な顔をして、背を伸ばし、なにを見るふうでもなく前を見、椅子に座っている。
「どうした、お前たち」
が、生徒達は答えない。
脳裡に疑問符を浮かべながら、ブライアンは彼らを見ていた。
すると生徒達は何か合図でもあったように、弾かれたように立ちあがり、くるりと体をひねると、トバイアスにつかみかかっていった。
椅子も机も意に介さずに、一斉にトバイアスに向かって行く。
反射的にブライアンは飛びだした。
彼らを押しのけて、トバイアスと彼らの間に立ちふさがった。
「どうした、目を覚ませ」
精気のない目、無表情な顔、だらりと開けた口、どれをとっても一見して異常とわかる生徒達の状態であった。
体をあずけるようにブライアンに向けて倒れかかり、倒れかかりつつ体といわず腕といわず、掴みかかってくる。
両腕を広げて彼らを妨害しながら、ブライアンは叫んだ。
「トバイアス、逃げろっ」
茫然とその光景を見ていたトバイアスははっと我に返ったように目をしばたたき、立ちあがり、教室を横ぎって出入り口に小走りに走った。
そして、戸を引き開けると、ぎゃっと悲鳴をあげた。
「どうした、トバイアスっ?」
見ると、入り口から数人の生徒が入り込んで来て、トバイアスに掴みかかっている。
ブライアンは両腕に抱えた生徒達を押し戻し、直後にトバイアスに向けて走った。
そして、今度は迫り来る生徒たちを押しのけて、トバイアスとふたり、教室の外にでた。しかし、廊下にも数十人の生徒たちがい、ふらふらとした格好で、こちらにむけて迫ってくる。
「走れっ!」
トバイアスの手をぎゅっと握りしめ、ブライアンは廊下を駆けに駆けた。
迫り来る生徒達、いや、中には教師も何人か混じって、ふたりを捕らえようと迫り来る。のを、ブライアンは走りつつ避け、掻き分け、タックルしてやり過ごし、玄関から走り出て、駐車場まで行き、トバイアスをトヨダブリウスの後部座席に押し込んだ。
そこまでも追って来る生徒達を
ともかく、トバイアスの自宅まで彼を送り届けるべきだろうか。
そう思いながら、スマートフォンで警察に連絡をしつつ道を走った。
「なんなんだ、あれは」
そこでやっとブライアンは疑問が口に出た。混乱した頭が多少は落ち着いたとみるべきか、やっと言葉を口に出来た、といった感じであった。
「わかりません。ある程度は例の儀式の体験者でしょうけど」
「あれだけでもけっこうな人数だったぞ。全校生徒が集まっていたら、どうなっていたんだ」
「さあ」
と他人事のようにトバイアスはいたずらっぽく笑った。
「ね、先生、僕が学校に行きたくない理由、わかったでしょ」
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