姉妹

数奇ニシロ

 自分には妹がいる。そう知ったのは、ほんの数日前のことだ。

急逝した父の葬儀は、慌ただしいものになった。どうにか喪主としての役目を終え、やっと一息つける。そう思った時に、そんな降って湧いたような話が出てきた。


「妹、ですか」


 妹といっても、母との子ではない。別の女性との間に成した子。いわゆる隠し子というやつだ。

まさか、とは思った。しかし不思議と、「やっぱり」という気持ちの方が強かった。父は遊び回るタイプではなかった。真面目で厳格。門限に厳しく、ちょっとスカートが短いだけで渋い顔をする。それが、私の知っている父だ。それでも、私はどこかで感じていた。父と母の間に流れる、異様に寒々とした空気を。実家を出てからはそんなことを考えることも少なくなり、数年前に母が亡くなってからは、すっかり忘却の彼方に追いやってしまっていたけれど。

 妹。片親とはいえ、血のつながった妹だ。つまり、相続権を持つ相手ということになる。定年前に亡くなった父は、遺言状などという気の利いた物は残していなかった。遺族は私しかいないと思っていたけど、こうなると話は変わってくる。遺産を分け合うにせよ、相続破棄を迫るにせよ、まずは話し合わなければ始まらない。

 気は進まなかったけど、迷っている暇はなかった。相続手続きには期限もある。すぐに入手した連絡先にメールして、会う約束を取り付けた。聞けば、彼女は小さな飲食店を営んでいるという。他人に聞かせたい話ではないし、その店を使う方が都合が良いだろう。そう考えた私の提案で、閉店後の彼女の店で顔合わせをする手筈となった。それが、ほんの数日前の出来事だ。


 どうにか約束に遅れない電車に飛び乗って、ようやく息を吐いた。忌引きしている間に仕事は恐ろしいほどに溜まっていて、遅れを取り戻すだけでもギリギリまでかかってしまった。おかげ様で、夕飯を食べる時間も取れなかった。

でも、忙しいのもそう悪いことばかりではなかったな。いざ電車の席に座り、時間ができると、暗い考えばかりが頭を過る。彼女は、父の事をどう思っているのだろう。良く思っているはずはない。恨み辛みがあって当然だろう。私にだって、良い感情を持っているとは思えない。知らなかったとはいえ、父の葬儀にも呼ばなかった。詰られるくらいなら、まだマシな方だろう。出会い頭に水を掛けられるかもしれない。遺産を要求されれば、最低限の遺品以外は渡すつもりでいた。それで父の贖罪が果たされるとも思えないけど、その程度しか出来ることが思いつかなかった。

 終点近くの駅を降りた先に、彼女の店はあった。重い足取りでGoogleマップの案内に従って歩けば、程なく目的の店は見つかった。レトロ調の小洒落た喫茶店、といった趣で、私好みの雰囲気だ。こんな用事に関係なく来られたなら、さぞ楽しかっただろうに。


 ◇


「そうぞくぅ? いいよいいよそんなの。受け取れないって」


 店に着き、意を決して要件を切り出すと、彼女はケラケラと笑いだした。明るい子だ。私とは、まるで正反対の。


「でも……」

「それよりさ、食べてみてよそれ。けっこうお客さんの評判いいんだよ?」


 私たちが座っているテーブルには、美味しそうなカレーライスが並べられている。店に入るなり「お腹空いてるでしょ?」と彼女が出してくれたものだ。実際、夕飯はまだ口にしていない。でも、急にこちらが押しかけたようなものだ。その上、ご飯まで頂いて良いものだろうか。

 そう躊躇していると、彼女は私の態度を誤解したようだ。


「あっ……もしかして、カレー嫌いだった? ごめん、私勝手に……」


 人懐っこい笑顔が一転、しょんぼりと悲しそうな顔をする。どこか、昔飼っていた犬を思い出す表情だ。そんな顔をさせるつもりはなかった。馬鹿か、私は。遠慮するつもりで、かえって相手に迷惑をかけてどうする。


「いやっ、そういうわけじゃ! ごめんなさい、じゃあその……あ、ありがたくいただきます」


 慌てて口にした一口目。口の中に広がる豊かな香りとコクの深い味わいに、思わず目を丸くする。


「……おいしい」

「でしょ? これを食べれば、つまらない悩みなんて吹っ飛んじゃうんだから」


 その言い方があまりにも自信満々で、思わず吹き出してしまう。


「たしかに、そうかも」

「あっ、やっと笑った」


 えっ、と顔を上げると、悪戯っぽい笑みが返ってくる。


「だって涼子さん、ずっと難しい顔してるんだもん」


 気持ちはわかるけど、と言われて驚いた。私はあまり顔に出ない方だ。何を考えているかわからない、とよく言われる。初対面でそんなことを言われるなんて、今日はよほど酷い顔をしていたのだろうか。


「でも、ちょっと傷つくなあ。今日会えるの、私は結構楽しみにしてたのに」


 冗談っぽく話す彼女に、頭を下げる。


「ごめんなさい、彩夏さん」


 気が進まないと思っていた。複雑な関係の、会いたくない相手だと思っていた。でも、それは彼女の所為ではない。彼女に責任がないことで、彼女に嫌な思いをさせたのなら。心の底から申し訳ない。素直にそう思った。


「いやいや、冗談だから顔あげてよ。あと敬語いらないし、彩夏でいいよ。涼子さんの方が、その……お姉ちゃん、なんだし」


 お姉ちゃん。聞き慣れない響きだ。私はひとりっ子で、兄弟姉妹なんていない。ずっと。そう思って生きてきた。


「お姉ちゃん、なんてなんか言い慣れないけど」

「……それ、ちょっとわかる」


 ちょっとの間。顔を上げると、ちょうど目が合って。そこが限界だった。ぷっ、とどちらともなく噴き出してしまう。


「ふ、ふふっ。いま、私たち同じこと考えてた?」

「ね。完全に一緒だった」


 不思議だ。ここに来る前はあんなに暗い気持ちだったのに、今はもう、こうやって笑っている。


「私たち、会ったばっかりだよね? なんでこんなにおかしいんだろう」

「……それも、いま思ってた」


 また目が合うと、もうどうにも堪らなかった。抑えきれず、あっはっは、と大声をあげて笑ってしまう。彼女もお腹を抱えて笑い転げて、目の端には涙すら浮かべている。


「やばい、ツボった。もう、勘弁してよ」

「あはっ、あはは。もう、笑いすぎてお腹痛い」


 こんなに人目も憚らず笑ったのはいつ以来だろう。考えてみれば、社会人になってからはこんなことなかったな。忙しい毎日の中で、仲の良かった友人たちとも中々会えなくなって、擦り切れるように日々を過ごして。何も考えずに心の底から笑うなんて、学生の頃はあたり前だったのに。


「もー、これで初対面とか絶対ウソでしょ。私たち、実は昔から親友だった?」

「ふふっ、実はそうかも」


 ウマが合う、という奴だろうか。気の置けない親友と話している時のような、それでいて、家でゆっくり寛いでいる時のような。そんな、不思議な気分だ。妹がいるって、こういう感じなのかな。

 チラリとまた目が合う。口に出さずとも、彼女も同じことを考えているのが分かった。


それから何を話したかは、正直あまり覚えていない。くだらない、どうでもいい話ばかりしていたような気がする。


「本当に帰っちゃうの?」

「明日も仕事だから」


 名残惜しそうな声に、苦笑混じりに答える。そんなに話し込んだ覚えもないのに、もうすっかり夜が更けてしまっている。「泊まっていったら?」とも言われたけど、明日遅刻するわけにもいかない。

 いや、わかっている。そんなのはただの言い訳だ。こうやって無理矢理にでも区切りをつけないと、ずっと家に帰れなくなってしまう。

 でも大丈夫。焦る必要は、どこにもない。


「ねえ、彩夏」

「うん?」


 無防備に小首を傾げる様子に、つい唇の端を上げながら呟く。


「また来るね」


 彼女は少し目を丸くして。

 うん、と大きく頷いた。

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姉妹 数奇ニシロ @sukinishiro

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