第64話 新たな火種


「ひお……あ……れ」


瞼を開くと、屋上の乾いた風が僕の頬を撫でた。


眠ってたのか。

どうやら寝不足が過ぎたらしい。人気のない屋上には誰の姿も見つけれらない。


夢の中にさえいたはずの、少女の姿も。


『もう……その、あんまり付き纏わないで欲しいっていうか……俺たちただの友達だろ?」


『今のクラスにも仲良い人いるでしょ?その人たちとつるみなよ』


嫌な記憶。

思い出すまいと蓋をしていた記憶が頭に流れてくる。


「おぇ……」


吐き気がする。無意識にポケットを探るが、今の僕はカッターどころか薄い紙切れ一つ持ち合わせていないのだった。


心臓が不協和音を奏でる。具合が悪くなる。


それでもいい。彼女のことを思い出せたのなら、それでも……。


彼女はどこに……氷織は……。


屋上のフェンスから遠慮なく身を乗り出すが、どこを見ても彼女の姿は見つけられない。


「……またかよ……」


自分の内側を曝け出した。

彼女のことを思い出した。

結果はどうだろう。


僕が縋った、どこまでも綺麗な少女。


彼女からの答えは、また得られなかった。


結局、本当の僕には、何を得ることも許されていない?

僕が人を想う気持ちは、おかしい?

歪んでいる?


それは……悪いこと?


どちらにしろ彼女に届かないのならば……意味は……。


そんなふうに考えるのは早計なのかもしれない。


けれど、感情が、本能が言うことを聞かない。


僕は……いつも通りの顔で、明日も氷織に会えるだろうか。


怖い。


「……帰ろ」


ラノベ読んで寝よ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



練習を含め、だらだらと長かったように感じる学校行事も、終わってしまえば、一瞬のように感じる。


いつも通り、学校に登校して、自分の席に座る。


——おい、来たぞ。


——本当に潮海さん、何をトチ狂ったんだ?


いつもの景色と、クラスメイト達が巻き起こすいつもの雑音。


こうしていれば、特別だと感じた数々の瞬間も、なんでもないことのような気がしてくる。


「あまち!聞いたよ!頭打ったって!大丈夫なん!?」


「打ってないわよ。どこ情報なのそれ」


相変わらずクラスで目立つのはいつものリア充グループで、今日は潮海と松原の声がよく聞こえ……いや、聞こえない。聞こえたくない。


「だって……あのほら……なんだっけあいつ……えっと……」


潮海と話してるやつは誰だったか。


茶髪巻き髪で、声がデカくて、爪もデカくて、松原とかいう名前だったと思うのだが。えっと……?


「あ!いつの間にか席にいるし!こいつ!」


僕の席まで災害系女子がズカズカと歩いてきて、ビシッと指をさされてしまった。


当然、僕の身体はビクッと動いて、ソワソワと身体と視線を彷徨わせる。


「こんなのの何がいいわけ?意味わかんないっしょ!みんなあまちが頭打ったんじゃ無いかって……」


松原の大きな声に、クラスメイトの多くが条件反射のように大きく頷いていた。


潮海のやつが生徒会副会長と成瀬による公開告白を断る当て馬に僕を利用したことが、当然のように尾を引いているのだ。


端的に言って最悪。潮海許すまじ。


僕の今のメンタルはそんなことに対応していられる状況にないのだけれど。


クラスメイトの強い視線にも潮海は冷静で、一つ息をついた後、毅然とした態度で口を開いた。


「るいるい、まずは指を下ろしてあげなさい」


「指とかどうでもいーし。ちゃんと教えてってー」


「教えるも何も、ちょっと気になってるってだけよ。私こいつにこの前の定期テストで負けたのよ」


「えぇ?あまちはひおりんと並んで2番だったんじゃん?」


「そう思ってる人多いみたいだけど、2番は三咲よ。こいつ勉強できるから、そういうのもあって少し仲良くなっただけ。そうよね、三咲?」


「あ、えっと……う、うん」


間違ったことは何も言っていないので、適当に肯定しておく。相変わらずクラスじゃうまく喋れないけど、そこはご愛嬌だ。


「はぁ……やっぱり何もない時はこうなるのね……」


「えぇ……こんなのがあまちより成績良かったの……なんか納得できないっていうか……ヤダ」


松原が引き気味の表情でぼやいた。


本人を目の前にして、どうしてここまで他人を下げるような言動をするのだろう。


誰もお前に納得しろとは言ってないし、お前のカラーリングされてそうな脳みそでは不可能だとわかっている。


他のクラスメイト達は納得しているようないないような、そんな微妙な感じだ。


明確に好意があるなどとは潮海は一言も言っていないわけで、クラスメイト達の認識としては、なんとなく想像より仲が良かった、くらいの感じで止まりそうだ。


実際、潮海は僕のことなどむしろ嫌っているわけで、過大評価もいいところだが。被害が少ないなら何よりだ。


「朝から騒がしいな。何かあったのかよ」


成瀬に支えられて、球技大会で怪我を負わされた逆巻が登校してきた。


「あ、逆巻くん!聞いてよ!あまちが……てゆーか怪我大丈夫そ?」


「こんくらい何でもねぇ」


「また面倒なタイミングでくるわね修斗。二度も説明しないわよ」


「修斗には俺から説明してある。無駄なことはしなくていいぞ」


「あら、気が効くわね燐」


「面倒なことになってたみたいだな。チッ、俺はそんな重要な時に伸びてたってわけだ……」


「いえ……それも含めてたぶん……。ごめんなさい修斗、あなたまで巻き込んでいたのよね……私」


「なるほどな……どうやら俺は副会長をぶん殴りにいかなきゃならねぇらしい」


「おいおい、これ以上俺はあの人と関わりたくないぜ。結果的に今回は返り討ちにできたんだ。もうほっとけよ」


「あぁ?そいつは無理ってもんだ」


「……だろうなぁ……」


成瀬が呆れ顔でため息をつく。


逆巻は人の言うことを素直に聞くようなやつではなかった。


そもそも並大抵の相手には意見することすら許すようなやつではないのだ。


唯一多少なりとも逆巻の意見を正面から曲げられのはと、誰もが一人の人物を思い浮かべ、教室内を見回した。


「……有栖川のやつは今日休みか?」


成瀬の何気ない呟きが僕の心臓を締め付けた。


(……休み?)


「珍しいわね。何も連絡は来てないけれど……球技大会で体調崩しちゃったのかしら。昨日もいつの間にかいなくなっていたし……」


「えー大変じゃん。ひおりん大活躍だったのにまだ誰も話せてないし……」


潮海と松原が憂うように考え込むと、始業のチャイムが鳴った。


「はい、みなさん席についてください」


担任の女教師が教室に入ってくる。今日は少し面持ちが固い様子だった。


「えぇ、まずは昨日の球技大会はお疲れ様でした。特進クラスにも負けないみなさんの活躍っぷりには素直に讃えたいところなんですが……」


言葉の内容と裏腹に先生が教室の出入り口の方を向くので、クラス全員がつられてそちらに視線を向ける。


軽いノック音と共に扉がガラガラと開き、入ってきたのは一人の生徒だった。


「邪魔しまーす」


誰しもが聞き覚えのある男の声に教室がざわつく。

当然だろう。現れたのは、人の姿を模しながらも、ニワトリと同レベルの頭を持つ男だったのだから。


生徒会副会長。学名、進藤鉄馬。


既に女子達の黄色い声が沸き始めていたが、すぐに場が静まった。


ガタン、と椅子が激しく動いた音がして、一人の生徒がズカズカと前に出たからだ。


「おい、修斗……!」


成瀬の静止の声も虚しく。


「よぉ……副会長。会いたかったぜ……!!」


「っ……逆巻修斗か。とりあえず手をはなしなよ」


逆巻に襟元を巻き取るように掴まれ、副会長は少し声を出しづらそうにしたが、余裕の笑みを浮かべていた。


「逆巻くん!やめなさい!」


教師が大きな声で静止に入るが逆巻が聞く耳を持つ様子はない。


「そんなことより俺に……俺たちにいうことがあるんじゃねぇか?」


「特にないね。……!」


副会長が小さく足を動かしただけで、逆巻は予想以上にのけ反った。


「がっ……!」


逆巻が怪我をしている足を狙い撃ちし、教師に見られぬように軽く蹴ったのだ。


「はぁ。そんな状態で突っかかってくるからだろう。日を改めなよ」


進藤鉄馬は特にそれ以上反応するでもなく、軽く息を吐いて言う。


「燐、雨音、君達もそんな目で見る必要はないよ。今日はただの付き添いだからね」


その後、進藤鉄馬は誰かを探すように軽く教室内を見回したが、すぐに視線を切り、主役は別にいるというように、目を閉じた。


「おい、まだ何も終わって……」


逆巻はそれでも止まる気配を見せず、クラスにも軽い混乱が起きていたが、続いて教室に入ってきた人物によって、場は収められた。


「失礼致します」


銀髪の麗人だった。


「随分と楽しそうでしたね、副会長。よろしければ私も混ぜてもらっても……?」


穏やかな口調で、そんな内容は含んでいないはずなのに、なぜか嗜められているのだと、誰もが理解できる。


事実、進藤鉄馬が目を逸らして言う。


「……いや、大丈夫だよ。オレはもう黙っておくから、あとはあなたが勝手にやってくれ」


自然とクラスには先程とは別の混乱が起きており、男子どもが騒がしくなっていた。


—— すげぇ、生徒会長だ。近くで見ると本当に美人だなぁ。俺、有栖川さんとこの人だけは目合わせらんねぇよ。


—— 怖いレベルで顔整ってるよなぁ。この学校の理事長の娘って本当なのかな。立ち振る舞いがめちゃくちゃ上品だし……


——まぁでも、有栖川さんの方が可愛いだろ。


—— いやいや、普通に潮海さんしか勝たんでしょ。


「ちょっと男子!静かにしてよ!生徒会長が困るでしょ!」


女子が伝家の宝刀、ちょっと男子で沈めにかかるが効果はいまひとつ。


「ふふ、賑やかなクラスでいいですね」


それでもなぜか、生徒会長の声はよく通り、彼女が話し出すとクラスが静まる。


逆巻でさえ、視線を尖らせこそすれど、それ以上の反応は見せずにいた。


「生徒会長の白柳紗雪しろやなぎさゆきと申します」


—— 生徒会長と副会長が揃ってうちのクラスに何の用だ?


—— うちのクラスは逆巻くん達のせいで異常に目立つし、そのせいでなんかあったのかも


「突然のことで、戸惑っている方も多いかと思いますが、今日はこのクラスで少し確かめたいことがございまして、参った次第です」


すらすらと大衆が聞き入るような声で、生徒会長が本題に入る。


「由緒ある桜音高校の生徒会として放置するわけには行かない問題ですので、事情を知る人がいれば、どうか正直に答えてください」


担任教師のいつもより固い表情といい、お堅い役職の生徒の登場といい、このクラスになにか問題があったのだということを雰囲気で皆、理解し始める。


「先日の球技大会で、このクラス、一年一組は自クラスの者ではない優秀な生徒をチームに入れていた、という噂について……何か心当たりのある方は?」


美しい声色のはずなのに、異様な威圧感。

クラス全体に緊張が走る。


そんな中、携帯を必死にいじっていたのが自分だけだと、僕は気づくことができなかった。












◆◇◆◇◆◇



『(三咲)おい』


『(三咲)ねぇ』


『(三咲)返信してよ』


『(三咲)体調崩したの?』


『(三咲)見てないの?』


『(三咲)ねぇ』


『(三咲)なんで?』


「(三咲)わかんないよ」

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