捨てる父あれば拾う兄あり
――目を開けると、僕は暖かなベッドの中にいた。
ぼんやりとした頭で、ここがどこなのか考えようとする。
その時。
「……起きたか」
真っ暗な部屋で、蠟燭に火をともして本を読んでいる人物が、こちらを見た。
「ルース、兄様……、いや、ルース、様……」
「ルース兄様で構わないさ。それよりも体調はどうだ?」
ルース兄様は、本を閉じて僕の方へと歩いてくる。
「ここは……?」
「ここは公爵家の王都別邸。雨の中、道で倒れているお前を回収してここまで運んだって訳だ」
そう言ったルース兄様。
「し、しかしっ、僕は勘当されて……!」
そこまで言うと兄様は僕の口に手を当てた。
「それを俺はまだ知らされていない。という事は俺の中ではお前はまだ公爵家次男のリック・ラインストだ。いいな?」
ルース兄様はそう言っていたずら顔で僕の口から指を離す。
「とりあえず、今日はゆっくり休め。また明日、ゆっくり話をしよう」
そう言って兄は笑顔で移動し、寝室の扉を開ける。
「おやすみ、リック」
兄は寝室からゆっくりと出て行った。
途端に静かになる寝室。
そうなった瞬間に、心からあふれてくるものが。
「う、うぅ……!」
父様から見捨てられて、どうすることもできなくて……。
これからどうすればいいんだろうって頭の中がぐるぐるして。
これからずっと一人なのかなって思った時にルース兄様は助けてくれた。
いつものように、何気なく。
……僕は一人じゃないって思えたことが、本当にうれしかった。
「うぅ、う……」
僕はその後、泣きつかれて泥のように眠った。
——翌日。
僕はルース兄様と向き合っていた。
「さて。それじゃあ不本意だけど今後の事について話そうか」
「不本意って、兄様……」
僕がそう言うとルース兄様は大きなため息をついた。
「そりゃ不本意だよ。何がどうあったらうちの可愛い弟を追い出すなんてことができるんだい?」
ルース兄様は頭痛を抑えるかのように額をつねる。
「いつかやらかすとは思ってたけど、まさか入学式でとは……」
「やらかすって……」
兄様って父様をそんな風に見てたのか……。
「まぁ、それはいい。とりあえず、リックの今後についてはおおよそ二択だ。働くか、学校に通うか」
ルース兄様は指を二つピンとたてる。
「あいつがやらかしたとはいえ、今の当主はあいつだ。流石にずっとは誤魔化せない。……まぁ、最悪父には病気になってもらうが……」
「……」
兄様は恐ろしい笑みを浮かべる。
病気ってそれ、もう二度と治らないやつじゃ……。
「まぁでも、流石に手間がかかるからな。その間に向こうが動いたら厄介極まりない。だからリック、お前には自立ができるようにはしてもらわないとな」
「……それが、働くことと、学校に通う事?」
「あぁ。働くことは手に職を付けるってことだ。もしもあいつからの圧力があっても、働き方を知っていれば、生きてはいける。……まぁ、おすすめはしないがな」
「どうして?」
僕は疑問をルース兄様にぶつける。
「そりゃ、貴族のボンボンが、今から一般の店で働きだして、やっていけるかってことだ。答えは簡単。絶対に無理だ」
ルース兄様は首を横に振った。
「今まで豪勢な生活に慣れていた連中が、下働きで耐えられるかって話もあるし、当然、今のリックの年齢で仕事のできる奴なんてざらにいる。そんなところで貴族が働けるわけがないってことだ」
……ルース兄様はすっごく兄妹に甘い。でも、全肯定ってわけでもない。僕や妹に厳しい言葉を投げかけてくることだってある。
だから、ルース兄様はすごいと思う。
きっと、僕が上手く生きていけるように、一生懸命に考えてくれたんだなと思うと、嬉しい。
「……ん?大丈夫か?リック?」
「え、あ、うん、大丈夫ですよ、兄様。僕が今から仕事を覚えるにはもう遅いってことなんですよね」
「要するにそういう事だ。正直、難しいと思う」
「じゃあ、学校に通うというのは……?」
僕がそう言うと、兄様は「うーん!」と唸る。
「そっちはな……言ってみれば『先延ばし』だ」
「先延ばし?」
「学校に通うのなら、寮の手続きやらなんとやらはもう済んでいる。なんせ、入学はもう終わってる。つまりは、授業料その他は支払い済みだ。特に公爵家だから、卒業までの授業料一括でな。勘当したからと言って、学校に『金返せ!』とは言えないだろう?」
「……なるほど、だから、学校にいる間ならとりあえずは問題ないと」
「あぁ。学校内部の事っていうのは、意外に外に漏れにくい。あいつも、お前が学校に通うなんてこと、全く想像もしていないだろう」
ルース兄様は腕を組む。
「だから、お前が卒業するまでの間に俺が何とか公爵になれれば、万事解決だし、まぁぶっちゃけ、卒業まで期間を延ばせば、また状況やできる事も変わってくると。そういう訳だ」
そこまで言うと、兄様はじっと僕を見る。
「どうする?職を得るのなら、俺は全力で協力するし、学校に通うのも良しだ。お兄ちゃんはお前と一緒に学校に行きたい」
……僕はうつむいた。
だって、僕は魔力値が0だった落ちこぼれである。
こんな僕が、魔法学校に通って、何になるというのだ。
そう思って気分が落ち込むと、自然に目線も下がっていく。
「でも、僕、魔力値が0で……」
ルース兄様はしかし、うつむいた僕の顔を持ち上げる。
「……リック。お前に言いたいことが二つある。」
兄様は、じっと僕の目を見ている。
「人間の良し悪しは、魔力の大きさで決まるもんじゃない。そんなんで決まるなら、こんな性悪人間に、こんな魔力があるわけないさ」
兄様は自嘲気味に言い放った。
「そんな!兄様はすごい人で!……」
「俺が陰でなんて呼ばれてるか知ってるか?『氷血鬼』だそうだ。『頭が固くて、血が凍ってるみたいに冷徹で、まさに鬼とよんでもいいぐらいの人間』なんだとさ」
……僕は言葉に詰まった。
なんていえばよいか分からなかったからだ。
「……まぁ、全く気にしてないし、むしろかっこいい二つ名だと思うけどな!ミュリの『氷姫』にぴったりのあだ名だと思ってるし」
ミュリエルさんは、兄様と婚約している女性だ。
とても苛烈な人だけど、身内や親しい人には凄く優しい人だ。
「まぁ、とにかく!学校に行くことは悪い事じゃないさ。魔法以外の知識も学べる場所が学校だ。それに、学校では滅多に魔法使わないし……」
「え?」
僕は思考が止まった。
「だってそうだろ?魔力量は使う度使う度減っていくんだから」
「あっ……」
そうだった。
魔力量は今持っているのが全部で、それを切り崩して魔法を使うんだ。
つまり、下手に消費できないのか。
「だから、基本的に学校では魔法を使わないぞ?よっぽどのことが無ければな」
「そうなんだ……」
「だからこそ、リックが学校に行くのも問題は無いわけだ。そういう理由から、一応うちの学校は貴族でない学生も受け入れているしな」
「そうなの?」
僕は兄様に聞く。
「あぁ。まぁ、年に一人か二人しか来ないけどな。そりゃ、勉強するにはまとまった時間が必要だし、中々その時間を捻出できるのは裕福な人間だけだろうよ」
「……」
僕は考える。何が良い選択なのか。
今から働きに出るというのは、兄様の言う通り問題が多い。
それこそ、今の僕が今から農家や、下働きをするのは無理だと思う。
それだけ僕には今の貴族の生活が馴染んでしまっている。
もう一つの選択肢、学校に行くことを考えてみる。
こちらも色々と問題はある。
僕の身分とか、魔法が使えないこととか、色々だ。
でも、まだ希望はあると思う。
だって、今と生活が大きくは変わらないと思うから。
だからこそ、色々とチャレンジをする余裕が生まれる。
例えば、今からすべての生活レベルを一気に下げることはできなくても、少しずつ下げていいって、最終的に卒業の時までには、生活基盤を整えられれば、問題が無い。
今、選択を迫るより、猶予があった方がいい。
僕はそう考えた。
「……決めた。ルース兄様」
僕は真っ直ぐルース兄様を見つめ返す。
「僕は、学校に行くことにします。そこで、僕がどうすればいいか、考えようと思います」
そこまで言うと、ルース兄様はコクリと頷いた。
「よし!分かった!それじゃあ準備だ!入学パーティは昨日だったが、実際に入学するのは一週間後!それまでにリックが学校に通えるように準備しような!」
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