黙した想い

蜂蜜酢

ずっと二人

 日が沈み始め、辺りが影に飲まれようとしている頃。私は、大量の瓦礫が残るビル街にぼーっと座り込んでいた。

 ビル街といっても、肝心のビルは全て瓦礫へと変貌しており、事故現場といった方が当てはまりそうな有様。

 瓦礫の他には大きな水溜りがいくつかあり、沈みゆく夕日を映し真っ赤に輝いている。

 こうなった原因は分かっている。それを防ぐことが出来たのも、分かっている。その原因の一端に、私の行動があるのだから。

 私こと、生街いけまちつくしは魔法少女である。

 地味な衣装に身を包み、地味な魔法で敵と戦う、皆のための正義の味方。

 敵は魔物と呼ばれる生物で、魔力の影響で異常に大きく、異常に強く、異常な凶暴性を持った人類の敵。

 一般人では歯が立たないそれらを倒すのが、私達魔法少女の役目であり使命。

 世間からは賞賛されるような、誰もが認める輝かしい存在であるわけなのだが、私にとっては価値のない存在だ。根本的に人間が嫌いな私にとって、人を守るなんて意味のないことに価値を感じる訳がない。

 ではなぜ魔法少女をやっているかと言えば、私の大切な人が、そんな魔法少女を価値のあるものだと言っているからで。

 自分一人だったら投げ出していたであろうこの役目も、彼女と同じものと思えばやる気が出る。

 そう考えつつ隣に視線を向ければ、そこには私の大切な人――憧活しょうかつ美言みことが、私と同じように座り込んでいた。

 耳の辺りで切りそろえられた雪のように白く短い髪。小動物的な可愛さを感じる丸っこい顔立ち。どこを見ても完璧な美少女が、そこにはいた。顔を膝に埋めていなければもっと完璧なのだが、それを言ったところで無駄だろう。

 ビル街がこうなってしまってから、美言は一言も喋っていない。正確には、私から話しかけた時は返してくれるのだが、自分から言葉を発することがなかった。

 このまま美言を眺めている、というのも選択肢としてないわけではない。が、日も暮れて気温が下がってくるというのに、それを無視して美言が風邪をひくリスクを負うのは駄目だろう。

 私は美言に声をかけた。


「美言、そろそろ帰ろう? 風邪ひいちゃうよ」

「……尽ちゃんだけで帰って。私は、ここにいるから」

「でも、」

「大丈夫、私は大丈夫だから。ね?」


 美言の返答は、拒否だった。

 拒否。即ち拒絶。

 美言からの拒絶。

 私は多大なダメージを受けた。

 何か不味い事を言ってしまったかと考えるが、特に何も思い当たらない。逆に不安になるが、そもそもこの拒絶は私のことが嫌いだからしたのではないだろう。

 言動に問題がないということは、問題があったとすれば行動の方か。それならば心当たりがある。

 半分、八割、いや全部かもしれないが、こうなってしまったのは私の行動が原因だろうから、私にはそれをどうにかする義務がある。義務でなくても勿論やるが、兎も角真剣にやらなくてはならない。

 私は体を美言の方に向けた。


「美言」

「……」

「お願い、一緒に帰ろう?」


 今度は無視だった。

 心が折れそうだが、諦めるわけにはいかない。

 不安のせいかバクバクとうるさい心臓を押さえつけ、三度声を掛ける。


「美言が帰らないなら、私も帰らない。ここで一緒にいる」

「えっ……」


 美言が呆然としたような声をだし、顔を上げた。

 我ながら卑怯な言葉だ。優しい美言はこの言葉を聞くしかない。いくら美言とはいえ、私のことを嫌いになるのではないだろうか。

 そう考えると今すぐにでも弁明したくなってくる。美言に嫌われるのは死ぬことと同じだ。嫌われた結果傍にいられなくなったら、私は生きていけない。

 でも、言わないといけない。私と美言、どちらの方が優先順位が高いなど、考えるまでもないのだから。


「そ、そんな」

「ねえ、美言。どうして帰りたくないの?」

「だって、だって私は、」


 美言の声は震えていた。

 理由は分からない。私は美言の事を深く理解出来ていないから。

 だからこの後にくる言葉も、私には予想する事が出来なかった。


「私は、魔法少女としての役割を、果たせなかったから……!」 


 魔法少女の役割を、果たせなかった。

 その言葉で私が思い出すのは、昼間にここで起きた戦闘。

 ビル街に現れた鯨の魔物と、魔法少女──私と美言の戦闘だった。



 鯨の魔物との戦い、それ自体は時間がかからなかった。鯨からの明確な攻撃は一度だけで、討伐するのは簡単であった。

 その一度の攻撃が、致命的だったということなのだが。

 攻撃の内容はしおふき。空に浮かぶ鯨、その頭から大量の水が吹き出し、その下にあるビルや人々を襲った。

 魔物化した影響で身体が大きかったのもあり、空から津波を落としたかのような凄まじい規模の攻撃となっていた。

 巻き込まれれば間違いなく死ぬようなその攻撃。私と美言は当然防御した。

 私は自分と美言に結界を張り、美言は水が落ちてくるであろう範囲全てに結界を張った。

 結果は言うまでもない。私も美言も無事だったが、美言が張った結界はあっけなく割られ、街は津波にさらわれ崩壊した。

 その後しおふきの水を利用して感電させ、鯨を討伐した。

 さすがの私でも、勝利とは言えなかった。



 津波に流された人達がどうなったのかは分からない。興味がないし、考えるまでもないことだから。

 しかしそれは美言が原因ではない。原因は、美言を手伝わなかった私にある。


「沢山の人を守れなかった。大事な街を守れなかった。与えられた役目を、任された役割を、果たすことが出来なかった!」


 悲痛な声で美言が叫ぶ。

 そこに込められた感情はどんなものなのか。これも私には分からない。

 ずっと一人だった私に、細かい他人の機微などわかるはずもない。


「これじゃ駄目なのに! 全部完璧にこなさなきゃ駄目なのに! 私はまた失敗した!」


 だから、そんな自分に魔法少女をやる資格はないと、そういうことなのだろう。


「そんなことない。美言は何も失敗してない」

「したよ! 私は今日の任務で何も出来なかった! 尽ちゃんは魔物を倒したのに、私は……!」


 叫んだ後、美言は俯いてしまう。

 違う、と言いたかった。でも私の口は動かない。パクパクと開閉を繰り返すだけで、何も言葉は出てこない。

 情けない。たった一言美言に言い返されただけで、何も出来なくなるなんて。

 そのまま私が言葉を発せずにいると、小さな声で美言が話しだす。


「私が、私がもっと強ければ。私が尽ちゃんくらい強ければ。尽ちゃんと同じくらい魔法が使えれば。そうすれば、尽ちゃんが私を守らなくてよかったのに!」

「違う」


 思わず声が出た。

 そうだ違う。そんな理由で、私は美言を守ったんじゃない。


「な、何が、何が違うの⁉ 私が一人で何でもできるぐらい強ければ、尽ちゃんは!」

「私より美言が強くても、私は美言のことを守ったよ」


 美言が、信じられない、というような表情を浮かべる。

 そして、わなわなと震える唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……どういう、こと?」

「美言がどんなに強くても、私は貴女を守った。綺麗な理由なんてない、私は、貴女だから、美言だから守ったの」

「私、だから?」


 不思議そうな、困惑しているような顔だった。

 一瞬、これ以上話すのはやめた方がいいのではないかと思った。美言との関係が崩れてしまうんじゃないか、美言からの信頼を失ってしまうんじゃないか、と。

 けれど、もう止まれなかった。


「美言だから、貴女だから守った、優先した。私は、魔法少女の使命よりも、自分よりも、世界中の何よりも、貴女だけが大切だから」

「私はそんな大層な人間じゃない! 尽ちゃんからそんな風に思われるような、凄い人じゃない!」


 私の想いを、美言は否定する。


「私には、尽ちゃんから大切にされる資格なんてない。誰かから大事に思われるなんて、私にはもったいないよ」


 そんなことはない。美言は、それだけのことをしてくれた。


「大切だと思われることに資格なんて必要ない。ただ、思われるだけのことを、貴女はしているから」

「そんなこと……」


 ここで、私の気持ちは決壊した。


「私は、ずっとずっと貴女に、美言に、救われてきたの」

「尽ちゃん?」

「私にはない綺麗な心を持っていて、私とは違う明るい性格で、私では想像もできないような美しい夢を持っていて」


 最初に会った時から、いつも美言を見ていた。

 私にはない光を持つ人。私が初めて綺麗だと思った人。

 その時からずっと、標にしてきた。


「貴女だけが、私を照らしてくれた。明るくて、可愛くて、純粋で、綺麗な人」


 頬に生暖かい感触が伝う。

 私は泣いているのだと気づいた。いつぶりの涙なのか、私は覚えていない。


「つまらない世界の中で、貴女だけが彩にあふれていた」


 何にも価値を感じられなかった私が、唯一大切にしたいと、守りたいと思えた人だった。


「私は、美言のことが大事で、大切で、大好きだから!」


 だから何なのか。次の言葉を用意していなかった自分に呆れたが、その呆れは直後に驚きに変わった。

 目の前にいたはずの美言がいつの間にか私の傍まで来て、私を抱きしめていたからだった。



 尽ちゃんを抱きしめて最初に思ったのは、凄く細いんだな、という何とも言えないものだった。

 まだ気持ちの整理がついていない。当然だろう、予期せぬ事態に襲われれば、人間は大体こうなる。尽ちゃんからの告白は、正にその予期せぬ事態、出来事であった。

 今私の背中には、尽ちゃんのこれまた細い腕が回されている。それでいて力は強いのだから、これまでの彼女の頑張りが察せられるというものだ。

 私だけが大切、というのは、とても受け入れられるものではない。それを受け入れるのを、理性の部分が拒否していた。

 だが同時に、心の部分では、それを喜ばしい事として、受け入れようとしてしまっていた。

 だって、気付いてしまったのだ。これまで自分が、どれだけ尽ちゃんに大切にされてきたのか、好いてくれていたのかを。

 食事の時は、いつも私と同じものを食べていた。

 洋服も、全部私任せだったように思う。

 就寝時間だって私に合わせていたし、起きる時間も殆ど同じだった。

 話す時、彼女はいつも笑顔だった。私以外と話すときは仏頂面なのに、私と話す時だけ笑顔になっていた。私と話す時は饒舌になるし、頭の良さとかも一段階上がっていたんじゃないだろうか。

 そして一番は、やはりあれだろう。

 私の夢を、笑わなかった。

「世界中の人に幸せになってほしい」、なんていう夢物語を、笑わずに受け止めてくれた。とても真剣な顔で、うなずいてくれた。あんなに嬉しいことはなかった。

 思えば、自分は随分と彼女を頼りにしていた。あんなにも他人には頼らないようにしていたのに、彼女にだけは頼ってしまっていた。

 彼女の気持ちを受け入れないなんて、土台無理な話だったのだ。

 一度そうやって考えたら、すんなりと彼女の思いを受け入れることが出来た。当然だろう、話していて笑顔になっていたのは、彼女だけじゃなかったのだから。


「尽ちゃん」

「どうしたの、美言」

「私も、貴女の事が好き」


 私は、尽ちゃんだけが大切なわけではない。沢山いる大切の中で、飛び抜けて大切、ただそれだけだ。

 大事だと思う、なくしたくないと思う。

 ずっと一緒にいたいと思う。

 でも、誰か一人に全てを委ねられるほど、私の心は強くない。


「私はまだ、今日の犠牲を受け入れられてない。多分暫くは夢に見るし、自分を責め続けると思う」

「美言……」

「だから、傍にいて。貴女が傍にいてくれれば、私は頑張れる、受け止められる。背負って、先に進める。だから、お願い」

「勿論、ずっとずっと傍に、隣にいるよ」


 わかっていたが即答だった。これでもう、私は彼女から離れられなくなった。もう彼女なしでは生きていけない。

 増えすぎた大切を、犠牲を受け止めるのに、私一人の器ではもう、足りなくなってしまったから。



 そのお願いの答えを考える時間は必要なかった。

 一択だ、肯定する以外有り得ない。

 美言がいない生活なんて考えたくもない。死ぬのと美言と離れるの、どちらが辛いかといえば後者の方が圧倒的に辛いのだから。

 私はもうどうにもならない程に、美言に依存してしまっている。彼女がいなければ壊れてしまうだろう。

 だからずっと、隣にいる。傍で美言を支えるのだ。


「帰ろう美言。もう真っ暗だよ」


 伸ばした手に美言の手が重ねられる。

 手のひらに伝わる温もりが、私の存在を知覚させてくれる。

 もう何をするにも、恐怖も不安もない。私たちの未来はきっと、とても明るいものになるだろうから。

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黙した想い 蜂蜜酢 @Hachimitu888

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