第三十六話 闇の中を探す
唱えよ……唱えよ……唱えよ……
唱えよ……唱えよ……唱えよ……
唱えよ……唱えよ……唱えよ……
唱えよ……唱えよ……唱えよ……
経典は呪いの言葉を発しながら、なおも、こちらへと近付いてくる。
「これは……直接呪われている訳ではないな。何か強力な呪いのかかった物の側に保管されて、その呪いが伝染したようだ」
アロイス様の言葉に、私はゾンネ様の書庫に山積されていた、有象無象の怪しい書物を思い出した。
こんなことを思うのは罰当たりかもしれないが、あの方は、本当にろくなことをしない。
本が、ドス黒い、尖ったオーラをアロイス様へと放つ。
彼は瞬時に、それを白い光で燃やした。そのまま光は行き先を変え、書物に向かう。
「ヒイイイイイイ!!!!」
怯えた老人のような悲鳴を残し、経典が青白い焔に包まれる。
黄色い表紙カバーだけが、溶けるように燃えて、めくれ上がり、消えていく。
ドサリと重い音を立て、濃紺の書籍本体が床に落下した。
「これで大丈夫だろう」
アロイス様が本を拾い上げ、あちこち確認すると、テーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます。でも、それより、パールが……」
リビングの隅で、パールが濁った闇の霧に包まれ、倒れたまま、うなされている。
アロイス様が手を上に向けて開くと、そこから白い蝶が現れた。蝶はヒラヒラとパールの周囲を飛び回って、まとわりつく闇を祓っていく。しかし、全ての闇が消えても、パールは目覚めない。蝶はすごすごと主人の元に戻り、姿を消した。
「駄目か。人間なら治癒魔法で何とかできるんだが、精霊には……」
本来、精霊達は傷付いても自己再生するらしいのだが、それが作用していないようだ。
私達はパールを寝室に連れていき、しばらく様子を見ることにした。
ベッドに横たわる彼女の額には玉のような汗が浮かび、表情は苦悶に満ちている。
そういえば……精霊達はノエルから溢れている力をもらっていると、以前パールから聞いたことがあった。
私は目を閉じて、お腹に語りかける。
『ノエル、聞こえる……?
パールが大変なの。あなたの力を少しでいいから、彼女に分けてあげて欲しいの。
できる……?』
すると、お腹の方から答えが返ってきた。
『どこにあげたらいいのか、分からない』
『すぐ目の前に、いるよ』
『心の居場所が分からない』
心の居場所……
どうしたらいいのか、私にもよく分からない。
でも、苦しんでいる様子を見るに、この身体のどこかに、パールの心がある気がする。
私は彼女の小さな手を、両手で包むように軽く握り、そっと目を閉じた。
すぐさま、目の前に、闇が広がる。真っ暗ではなく、日没すぐの、視界にある物がかろうじて目に映る、暗がりだ。
私の? ううん、多分、パールのもの。
私は、いつもノエルと話すときと同じような気持ちで、昏い世界を、奥に向かって進んでいった。
耳を澄ませると、遠くから、微かに誰かが啜り泣く声がする。
声に向かって、薄明かりの中、地平線まで続く野原を、どんどん歩いていく。
周囲の白い花は、ことごとく萎れていた。
しばらく歩くと、五、六歳くらいの女の子が、水溜りの前で座り込んで、泣いているのが見えて、駆け寄った。やはりパールだ。もともと十歳くらいに見えていたが、今はなお一層、幼く見える。こちらに気付いた彼女が、私の袖の端を掴んで、言う。
「怖いの……真っ黒なの。戻らないの」
足元にある、コップの水をこぼしたくらいの小さな水溜りは、黒く濁っていた。
さっきの蝶……シュメタリンだっけ、あの子ではこの深層まで来れなかったのだろう。
「大丈夫、ノエルが力を貸してくれるって。見てて」
私が水溜りの上で両手を組むと、お腹から温かい感触が手元にやって来た。
組んだ手を離すと、その手の間に、小さな光る雫が集まる。
雫が重みに負けるように、下にポトリと落ちて、水溜りに波紋を作った。
すると、その中心から、濁りがスッと、一瞬で消えていく。
その瞬間、私の意識は、コテージの寝室へと帰って来ていた。
さっきまで苦しんでいたパールが、瞼を開く。
「ユリエル様……来てました?」
「ええ、そうよ。それより大丈夫?」
「はい……」
隣で、アロイス様が目を瞠っていた。
「御令嬢、あなたは、パールの深層意識に潜っていたのか?」
「深層意識か何かは分かりませんが……パールの心の居る場所に行ってきました」
彼は信じられないものを見た、と言う顔で続ける。
「あなたが、お腹の子と対話できるのは聞いていた。だが、神の力を持つ子どもの方から、母体にコンタクトを取っているのだとばかり思っていた。君の方から、子どもの元に行っていたのか?」
「ノエルから話し掛けてくることもあるし、私から向こうに行って、話し掛けることもあります」
「……だとしたら、それが闇特有の力だと思う。他の属性では、こんな能力の話は聞いたことがない」
「えっ!? でも、私、魔法を使っているなんて、全然意識してなくて……」
もしもそうなら、結構前から、私は魔法に覚醒していたことになる。
まるで気が付かなかった。今も、ピンとこない。
だけど、もしもそうなら、私でもこれから何か役に立つことがあるかもしれない。
いつものように、ただ守られているだけじゃなくて、今みたいに誰かを助けることができるのかも……
なんだか、少し気持ちが明るくなった。
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