第十話 恋ではなかったはず

なぜ、今さらシェラン殿下がここに?

私に妊娠疑惑がかかったあの夜、一切の弁明も聞かずに罵って、即、婚約破棄を決めた殿下。疑惑が疑惑でないと、すでに知らされているはず。もう、私に用はないはずなのに……


一歩、後ずさると、コツン、と小さく足音が鳴った。


「ユリエル嬢、そこにいるのか!?」


こちらに向かって駆け寄ろうとする殿下を、半透明のベールが包み込んで、玄関脇の壁に縫い留めた。


「無礼者!」


もがきながら叫ぶ殿下の前に、立ちはだかるアロイス様。事態は一触即発の様相を呈している。


「たとえ第二王子殿下であろうとも、許可なく我が館に踏み込む権利はございません。彼女はあなたの婚約者ではないのです。それは何があっても覆らない。それは御自分でもお分かりでしょう」


「俺、私は……ただ彼女に謝罪にし来ただけだ。直接会って、謝りたい」


殿下は壁に張り付けられたまま、大声で叫び出す。


「ユリエル嬢、聞こえるか!? あの時はすまなかった。あれから、君が自分の意志で私を裏切った訳ではないのを知って、どうしても謝らなければと……」


私は意を決して、ホールに姿を見せた。一歩一歩、ゆっくり階段を降り、アロイス様の横に立ち止まり、優雅にカーテシーの姿勢をとる。そしてシェラン様の青い瞳を、正面から見据えて、告げた。


「殿下……謝罪の御気持ち、しかと受け止めました。僅かな間でしたが、許嫁として過ごせた日々……殿下には良くしていただきました。ありがとうございます」


「ユリエ」被せるように言葉を繋げる。


「しかし、私はもう王家に嫁げる身体ではございません。これ以上、殿下にお会いしては、要らぬ憶測を呼ぶやもしれませんので、何卒、穏便にお引き取りくださいますよう、平に願います」


殿下は、切なげに表情を歪めた。


「ユリエル……私が聞きたいのは、そんな言葉じゃないんだ」


「ご期待に添えず、申し訳ございません。御前、失礼いたします」


もう一度カーテシーをすると、私は身を翻し、階段を早足で駆け上がった。追いかけてきたパールと共に、そのまま客間に戻る。


「ユリエル様、念のため、扉に鍵を掛けますか?」


「お願い」


部屋に戻った私は、すぐさまソファに倒れ込んだ。

走って切れた息を整えながら、先ほどの殿下の表情を思い出す。

あんな顔、婚約中にも見たことがなかった。どうして、今になって……




しばらくすると、玄関先での喧騒が止んだ。馬車の遠ざかる音が聞こえる。

少し間を置いて、ドアをノックする音が響いた。パールが取り次ぐ。


「御主人様です」


「お通しして」


アロイス様が、やや遠慮がちにドアから顔を出した。


「御令嬢、あれでよかったのか?」


「はい。殿下には、私のような瑕疵のある者ではなく、もっと相応しい方がいるはずです。

それに……もともと私は婚姻後、ビジネスパートナーとして頑張るよう、殿下から言われていました」


「そうなのか。とてもそのようには見えなかったが……」


アロイス様は私の左肩にそっと手を置くと


「御令嬢、もし今後も、何か困ったことがあれば、いつでも私に相談して欲しい。力になる」


そんな言葉を残して、研究棟に戻っていった。




***




「御主人様は仕事に集中したいとのことで…」


一人、食事を摂る私に、パールが申し訳なさそうにする。


「かまわないわ、でも一人で食事をするのも味気ないから、パールも一緒に食べない?」


「いえいえ、私達は人と同じものはいただきません。空間に漂うエネルギーがあれば、それを取り込んで糧とするのです」


「そうなの」


髪の色はともかく、姿はほとんど人間と変わらないのに、やはり精霊は私達とは違うのだ。


「実は……ユリエル様、と申しますか、お子様から、とても強い力が溢れてまして、私、常にお腹が一杯でございます。おこぼれをいただいても、お子様には何の影響も無いようですし……

私も、仲間達も、今まで生きてきた中で、こんなに美味しい思いをするのは初めてです」


はにかみながら、そんな告白をするパール。


「ふふ、だったら、私の滞在中は、皆でたくさん味わってね」


「ありがとうございます! 私達、全員で精一杯、お二人のお世話をさせていただきますね」




そんなことを話していると、再びノックの音が聞こえた。


「御令嬢、今、いいだろうか」


アロイス様だ。

彼は忙しげにドアを開けると、ツカツカと歩いてきて、正面に座る。


「縁を手繰る秘術を手に入れた。よければ、食事の後に試させてもらっても、かまわないだろうか」


「縁を手繰る秘術……ですか?」


「たとえ真新しい魂だとしても、何も無いところからいきなり発生するわけではない。父がいて、母がいる。

この子の力の成分を分析して、似た波動を探り出す術だ。

詳細までは特定できないが、町や村の単位までなら割り出すことができる。

これで父親の特定に、二歩も三歩も近付けるはずだ」


どこかにいる、この子の父親……

正直、その事実に向き合うのが怖かった。間違いなく、普通の人間ではなさそうだから。


だけど、向き合わない訳にはいかない。

なぜ私を選んだのか、この子をどうするつもりなのか……


知りたいことは、沢山あった。

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