第九話 これも仕事でしかない

「お帰りなさいませ、お客様」


アロイス様の私邸にある客間に戻ると、メイド服に身を包んだ、小さな女の子が待っていた。歳の頃は十歳ほどに見える。艶々した緑の髪に、深緑の瞳で、とても愛らしい顔立ちだ。髪には、白いムギセンノウの花を一輪差している。

おそらくこの子がアロイス様が使役する精霊の一人なのだろう。


「ただいま。私はユリエルよ。あなた、お名前は?」


「パールですわ、ユリエル様」


「パールね。しばらくご厄介になるけれど、よろしくお願いね」


「かしこまりました。さっそくお食事になさいます?」


「ええ、お願い」


彼女はニッコリ微笑むと、私の手を取り、食卓へと連れて行った。アロイス様から話が通っているのか、こちらを避けたがるような素振りは見せない。


テーブルに運ばれた料理は、まるで王宮のシェフが作ったような、豪勢なものだった。

オードブルに始まり、スープ、ポワソン、ソルベ、アントレ、デセール……


「美味しい! これはパールが作ったの?」


「はい、アロイス様から、イメージをいただいて、再現したものです」


「そうなのね。ありがとう、とても美味しいわ」


礼を言うと、嬉しそうにニコニコするパール。本当に可愛い。




ふと、精霊達が、お腹の子を遠巻きにしていたという話を思い出した。


「あの、パール、ごめんなさいね。

あなた達……精霊は、この子のこと、どう接していいのか、分からなかったのでしょう?迷惑をかけてしまったわ」


お腹に手を当てながら、謝罪すると、彼女は慌てた様子で答える。


「迷惑なんて、とんでもない!

ただ、その御方が、あまりに魂の格が高くて、皆、驚いてしまったのです」


「魂の格? この子は一体、何なの?」


「それは、私にもよく分かりません」


申し訳なさそうに言うと、俯くパール。


「あっ! いいのよ。それを調べるのは、アロイス様の仕事だから」


そう、それは、あの人の『仕事』……




***




食後、パールに湯浴みを手伝ってもらい、ナイトドレスに着替える。昨日は湯船にお湯が張られていたから、全て自分一人で済ませた。しかし髪の長さが腰近くまであるから、手伝ってもらえると、やはり助かる。


「ユリエル様、このあと、いかがなさいます?」


「すぐに休むわ。ありがとう」


スイートルームになっている客間の寝室に行き、ベッドの、糊の効いた清潔なシーツに潜ると、立ち去るパールの言葉と共に、部屋の灯りがかき消えた。


「では、良き夢を……」




……目を閉じるが、なかなか眠れそうにない。

闇の静寂に包まれていると、いろいろな思いが巡ってくる。


第二王子シェラン殿下に、夜会で婚約破棄されたのが、一昨日。まだ一昨日。

だけど、こんなに短い時間しか経っていないのに、脳裏に浮かぶのは、アロイス様のことばかりだった。


だめだ、どうかしてる。

何度も助けられ、守られてきたから、勘違いしてしまいそうだ。


アロイス様が私を助けるのは、私が処女懐胎したからだ。国王陛下の命令に従って、原因を究明しようとしているに過ぎない。精霊の加護の一件で、あの人が私に対し、責任を感じているのもある。それだけだ。


身体がこんな状態で、誰かを好きになるなんて、許されない。子を身籠り、婚約を破棄された令嬢。それが私だ。

しっかりしなければ……私はいずれ母親になるのだ。


それにしても、この子が悪しき者でないと、ハッキリ判って良かった。


「怖い目に遭わせて、ごめんね。きっと、守るからね」


お腹に向かって、心の中で語り掛ける。

安心するような気持ちが、こちらに向かって流れ込んでくる。

それとともに、少しずつ、私は眠りに落ちていった……




***




目が覚めると、すでに陽が高く昇っていた。昨日、半日かけて書類に向かっていたせいか、疲れが出たらしい。自分の家でもないのに、寝坊してしまうなんて……恥ずかしい。慌てて飛び起きる。


コンコン。


「ユリエル様!」


パールがノックの返事を待たずに、部屋をのぞき込んできた。


「おはよう、パール。寝過ごしてしまってごめんなさい。今、何時かしら?」


「十時です。それより、ユリエル様にお客様が来ているようなのですが、無理やり屋敷に入ろうとなさっていて……

先触れもない方なので、御主人様が、玄関で引き止めています。まずは、お着替えを」


「客人が?」


私を訪ねてくる人に心当たりはない。

夜会以来、友人とも連絡は取っていないし、両親なら『お客様』ではなく『御両親』だと言われるだろう。


急いでパールと共に身支度をして、人前に出られる服装になる。

様子を伺いながら、玄関ホール近くに行き、陰からそっと、騒ぎになっている方を見ようとしたとき、大きな声が響き渡った。




「ユリエル嬢に会わせてくれ!!」




その、少し高めの声は、ほんの一昨日まで私の婚約者だった、シェラン殿下のものだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る