第28話/負けヒロインと僕が両思いになった時・中



(うにゃあああああああああああ!? 追ってきてる!? 追いかけてきてるんだけどおおおおお!?)


(くッ、人が多くて本気で走れないっ! でもすぐに追いつく!)


 楯の追跡にエイルはとても焦った、フィジカルでは完全に負けている。

 もし人通りが少なかったら、すぐに捕まっていただろう。


(たぁ君が常識的で助かったわ、――うんそうッ、アタシは堅木楯という存在を隅から隅まで熟知している!! だから――デパートでよかった、ここなら人混みも物陰も全てがアタシの有利に働く!!)


 彼我の差は直線にして二〇メートル、だが人混みや建物の構造を考えれば倍の四〇メートル相当だ。

 その上、一度でも彼の視界から逃れられれば。


(――ッ!? 見失った!? そんなさっきまで前に居たのに……曲がり角に入った瞬間に消えた!?)


(落ち着け、落ち着いていくわよ、柱がどこにあるとか、テナント内の棚の高さとか全部頭に入ってる、全てストーキングに必要だったもの……ああ、アタシは間違っていなかった、好きな人は何処までも追いかけるべきだったんだ、だから……その努力が今、貴重な時間を稼いでいるッッッ!!)


 堅木楯のプロファイリングは完璧だ、見失った彼がどう行動するか見なくても分かる。

 先ずは右に顔を向け、次に左に、目当てが見つからないと思ったら右足を軸にぐるりと一周。

 その後は前を歩いて探し、戻って後方を進んで探し、それを二回か三回、繰り返したら次の場所へ。


(たぁ君は次に一階に降りて正面入り口で待ち伏せを考える、問題は今、通路を往復して探すのが二回か三回かは完全にランダムッ、それでアタシの命運が決まると言っても過言じゃない!!)


 現在のエイルの位置は、通路中央にいる楯に対し、斜め左の柱の陰。

 彼女の計画は、テナントの中、その中でも高い棚で視界を遮りつつ非常口から外へ、そこからタクシーでいったん大学まで。


(――くっ、見つからない!! 階段は突き当たりで僕の視界射程内、だから分からない筈がない……なら、隠れてる? もしかしてデパートの中を完全に把握しているとでもいうのか!?)


 あり得る、エイルならば地形を利用して逃げる筈だ。

 もし彼女以外に人が居なければ、楯はどんなに隠れようと見つけだす自信があった。

 だが、今は雑音が多すぎる。


(まだ近くに居るはずなのに、逃がしちゃうのか? 追いついて君と一緒に居たいのにッ!)


 楯は険しい顔で、ギリと歯ぎしりした。


(まだだ……エイルへの愛はこんなもんじゃないッッッ!! 意識を集中しろ、エイルのことだけ考えるんだ、――肌の柔らかさ、甘く、少し高い声、呼吸のリズム、足音、巨乳がもたらす独特な衣擦れの――――)


 すうはぁ、すうはぁ、目を閉じて深呼吸。

 指の先から空気の流れを感じるイメージ、こそこそしている時の彼女の息づかいを思い出せ。

 五月蠅い、人々の雑音が邪魔だ、様々な靴が通路を踏む音はノイズでしかない、誰とも知れない会話など頭から追い出すのだ。


(――――あった、エイルの匂い! 近いっ、ゆっくり移動しているっ、頭の中でシミュレートするんだッ、人としての限界を越えろ僕ッッッ!! 視界だけに頼るな、人混みの中でも誰にもぶつからずに走れる筈だ!!)


(っ!? たぁ君の動きが変わった!? しかも早くて正確ッッッ!! 非常口は近いけどその前に追いつかれちゃう……なら次に近いエスカレーターにッ!)


 しかしただ移動しただけでは簡単に見つかってしまう、だが慎重すぎても同じことだ。


(たぁ君を足止めしなきゃ……、どうやってアタシを判別してるの? 姿は見えてない筈。音? 匂い? この人混みの中で!? え、…………マジ!? どんな変態すぎない!? でもすっごく嬉しいのが悔しい!! 顔がもっとニヤけちゃうじゃんかぁ!!)


 愛、これは正しく愛だとエイルは感じた。

 だが負けてはいられない、こんな緩みきった顔なんて女のプライドにかけて見せられない。

 だから、ここは賭に出るべきだと彼女は決意した。


(――匂いと音、そう仮定するなら……帽子とコート、これを囮に置いていく。時間は稼げて数秒、見つかるリスクも高まるけど……今はその数秒が欲しい!!)


 彼女は小さな手鏡で彼の動向を監視しつつ、物陰を利用し彼の視界内へ。

 幸運なことに通路中央のベンチには誰も座っていない、ならばそこにコートと帽子を投げ捨てて――。


「………………ん?」


 次の瞬間、きょろきょろと見渡し探していた楯は違和感に気づいた。

 どこか見覚えがあるコートと帽子がベンチの上にある、人も多いし脱いで休憩する人もいるだろう。

 だが。


(――――妙だな、誰も座っていないし、通り過ぎてる。それに……)


 見覚えがある、あのコートと帽子は高校時代にエイルがお気に入りだった物だ。

 思い返せば今日の彼女はそれを着ていた、きっと実家にそれしかなかったのだろう。


「なんでここに――――ッ!? しまった誘導!? 時間稼ぎか!!」


 どこだどこだ、必ず近くにいると楯は慌てて周囲を見渡した。


(時間稼ぎという事は確実に遠くに逃げる為の布石の筈ッッッ、何処だッ、この近くなら……非常階段!!)


 楯は勢いよく駆け寄ると、非常階段への扉を開こうとして止める。


(――違う、こんな分かりやすいルートを選ぶワケがない、なら……)


 ばっと振り向くと同時に楯は走りだした、階段かエスカレーターか、エレベーターは遠すぎるから。


(僕なら階段の方が早いッ、遠回りになるけどエイルがエスカレーターを使ったと仮定しても僕の方が早く一階の出入り口に行ける!!)


(――――なんて楯は考えて行動する、だからアタシは駐車場の出入り口の横にタクシーを既に呼んだッッッ!!)


 そう、エイルが使ったのはスカレーター。

 しかし行き先は一階ではなく上の階、駐車場への連絡通路のある二つ上の階だ。


(――勝った!! たぁ君を出し抜いた!! これで大学まで行って……、暫く時間を潰した後で実家に戻る、完璧な計画ね!!)


(………………いない、エイルの気配がしないッッッ、今のエイルは帽子もコートもなくて分かりやすいのに、出入り口で待っていても見つけられないなんて……くっ、別の出口、いや一刻も早く僕から逃げたいって考えてると思うと…………)


 もしかして。


「――――もう、外に出ている? くっ、外で見つけられるか? 流石に一緒の屋内じゃないと匂いとか音で辿れない…………」


 楯は険しい顔で外に出る、念のために大学に行かせた秀哉と雪希の連絡を待つか、それとも。


「………………ん?」


 向かいの道路、黒いタクシーが走っている。

 その中に金髪の女性が乗っているように見えた、もしかして、そんな藁をも縋る直感のような何かに従って楯は走り出した。

 今こそ命の炎を燃やすとき、せめて顔を確認しないと気が済まない。


(いやー、一時はどうなる事かと思ったわ……、幸運なことに信号はさっきから青、一度も止まらないし……これはもう勝ち確でしょ、大学には雪希達がいそうだけど、その二人ならアタシが見つかるわけないしー、はー、これで一安心……………………んんっ??)


 ふとミラーを見た瞬間、エイルは目を疑った。

 この車に追いつきそうになってる誰かがいる、自転車でもなくバイクでもなく、自力で走って追いつこうとしている誰か。

 誰かなんて考えるまでもない、エイルが見間違うはずがない、追いかけてくるのは。


(たぁ君!? なんで追いつけるのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?)


(やっぱりエイルだッッッ、この道なら大学ッ、それしかない!! うおおおおおおおおおおお! もってくれよ僕の心臓!!)


(い、急いで運転手さん! このままじゃ追いつかれる!! ~~~~~っ、ち、違う、確実に追いつかれるから途中で降りる、これしかないわ!! 信号が赤のタイミングを祈るしかない、赤でたぁ君と分断された後に曲がって貰って降りる、これしかない!!)


 青、青、青、通るときは青で、楯が通る時にはに赤に変わってますように。

 大学から徒歩で駅にいけるのなら、車をつかえばすぐ。

 幸か不幸か信号はどちらも青通過、それ故に一時は追いつかれそうであったが徐々に楯が遅れ。


(うおおおおおおおおおっ、これで次かその次の信号がうまく噛み合えば!! 噛み合わなかったら……もう信号はない、行き先を変更する? いやたぁ君を甘く見ちゃダメ、時間が経てば経つほど先回りされる可能性が出てくるッ!!)


 次の信号が見える、エイルの乗ったタクシーは青で通過、十秒ほど後に楯が通過。

 だが彼が通過中に信号は黄色に、ならば次で、次の最後の信号でもしかしたら――。


(――――やっ、た!!)


 祈りは通じた、エイルの願い通りに楯と信号で分断される。

 彼女は即座に二つ先の角、大学の裏手に行くルートの途中でタクシーを止めて降車。

 追いついた彼がタクシーを追って大学の裏門の方へ行くのを確認してから正門へ移動。


(…………変装の為に部室に行って、でも雪希達がいる可能性が高い、そしてたぁ君も真っ先に部室へ来る筈、でも……)


 逃げ切るには避けて通れない、むしろ楯に対抗するには味方にするべきだ。

 もはや何のために逃走しているのか忘れてしまったエイルは、勝利して何の意味があるのかも考えず、しかして勝利の為に親友達がいるだろう部室へと向かったのであった。


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