第32話 鈍感系クール野郎(陸奥志津香視点)

 勝った……。私は勝ったんだ。


 成戸さんとの勝負に勝ったんだっ!


 アイアムウィナー! アイアムチャンピオン!


 ……なにが? え? なにに勝ったの、私。


 てかあの子、蒼を自分の膝の上に座らせたよね? よね!?


 なんなの!? 私だってそんなことしたことないのに、ないのに!


 くそつ。勝負に勝って、喧嘩に負けたとはこのことかよ。


 ……うん。だから、なにが?


「えっとだな、志津香……」


 困惑の声を出しながら、自分のチャックを上げ、哀れみの目でこちらを見てくる。


 私、完全敗北者じゃね? いや、ただの変態じゃね?


「おっと。僕はなんかお邪魔みたいだね。じゃ」


 成戸さんの支払った小銭を回収した純一さんが現場を去ろうとする。


 待って、待ってください純一さん。


 この空気でふたりっきりはきついです。


 だからいてください!


 アイコンタクトで伝えてみる。


 パチッ★ キラっ☆


 なんかやたらと綺麗なウィンクだけを残して純一さんは去って行った。


 うおおい! 違います! 違いますって! 待っ……。


 私の念は届かずに、なんか知らんけどスキップでキッチンに戻って行った。


「その、なんかあったか?」


 完全に同情されている。


「別に。なにもないけど」


 ここはもう、クールで乗り越えるしかない。いつもの五割り増しでクールな声出しとこ、私。


「……ごめん」


 蒼がいきなり頭を下げ出した。唐突な行為に彼を勘繰ってしまう。


「正直、志津香が怒っている理由がわからない。でも、こんな変な行動を取るのも俺がなんかしたからなんだよな? 志津香の怒ってる理由がわからない部分も含めてごめん」


 あ、蒼ってば、根本的な部分を謝ってきてる。


「……ほんと、ね」


 乗っとこ。これはこのビッグウェーブに乗って、増し増しの増し増しでクールな雰囲気作っとこ。


 座席に足を組んで座り、頬杖付いてそっぽを向いておく。


「なんでそんなに機嫌が悪いのか聞いても良いか?」


 成戸さんに嫉妬して機嫌が悪いことにまだ気がついていない鈍感系のクールイケメンは、ちょっと申し訳なさそうに聞いてくる。


 このまま素直に許してやっても全然良いんだけど、股間のチャックを開けたのをいじられるのを忘れるくらいに振り回したい。


「教えて欲しい?」

「ああ。知りたい」

「だったら」


 指で自分の唇をなぞってみせる。


 ちょっとなまめかしく、色っぽく。


「キス。したら簡単に口が開くかも」

「キス……?」


 なんか反応が面白くない。


 もうちょっと焦って、あわあわと、「き、ききき、キス!?」みたいな反応を期待したってのに、鈍感系のくせしてクールが邪魔をして、つまんない反応を示してきやがった。


「そ。キス。ふふ、ま、蒼には無理だろうけどね」


 そのクールな態度のままヘタレとけ。とかなんとか思いながらも、ちょっぴり期待している自分もいる。


 ……って、え? なに、その目。なんでそんなにジッと私を見つめるの? まさか本当にキスするの。


 ちょ、待っ。これ、まじなやつ?


 蒼は私に顔を近づけてくる。


 ゆっくりと顔を近づける。


 はわわわわ。


 本気でキスするの? ここで? 働いている最中に? この私のお気にの席で?


 シュチュ的には最高のシュチュじゃね?


 ええい、覚悟を決めろ志津香。


 そもそもこの唇は蒼のもの。


 いざ、テイクオフ!


「……髪にゴミがついてたぞ」

「そりゃどうも」


 こんのぉ、くそヘタレが!


 顔を近づけたと思ったら、そんなくそみたいなフェイントかましやがって、くそだ! くそだよ。くそ!


『兄さん! お客さん増えたからキッチン来てぇ!』


 店内から紗奈ちゃんが蒼を呼ぶ声を出した。


「今行く!」


 返事をして蒼が店内に戻って行った。


 くそ、まじにくそみたいなフェイントで行きやがった。


 ま、まぁ。キスなんて冗談だもんね。あんなんで簡単にキスできるなんて思ってもないし。別に……。


「志津香」


 唐突に名前を呼ばれて振り向くと。


「……んっ」


 蒼に唇を奪われた。


 ほんの数秒。唇と唇を軽く合わしただけ。


 でも、まごうことなき、キスであった。


「お前が機嫌悪い理由。話してもらうから」


 唇が離れると、蒼はいつものクールな顔で何事もなかったかのように働きに行った。


 私は、なにが起こったのか数秒は理解できずに、自分の唇をなぞった。


 ……え? 今、キス、したの?

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