第3話 月明りの下の攻防(水原蒼視点)

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」 


 本日最後の客が、カランカランと店の扉の鐘を鳴らして出て行った。 


 時刻は19時を少し過ぎた時間。 


 カフェテリア、『くーるだうん』は7時~19時までの営業である。


「蒼。店の看板入れてくれる?」

「はいよ」 


 最後の客が帰ったのならクローズ作業に取りかかる。 


 店の前に置いてある看板を回収し、ついでにドアのOPEN札をひっくり返してCLOSEにする。


「兄さん」 


 聞き慣れた安心する声。 


 同じ血を分けて育った声が聞こえてきた。 


 俺を兄さんと呼ぶ人物はただ1人だけ。


「紗奈」


 月明りに照らされたショートカットに優しそうな笑みを浮かべて目の前に立つのは、夏のセーラー服姿の水原紗奈みずはらさな


 身長は159センチと女子の平均程度。 


 妹を美少女とかいうのもシスコンみたいだが、身内贔屓を取り除いても美少女だと思わせるルックスをしている。


「おかえり、紗奈」

「ただいま、兄さん」 

「部活の調子はどうだ?」 


 紗奈は志津香と同じく女子バスケ部。


 もうすぐ最後の大会が控えている。


「うん。チームの雰囲気も良いし、順調だよ」

「そっか。最後の大会は見に行くかな」

「うん。見に来てね」 


 素直に嬉しいことを言ってくれると、紗奈は店の看板に目をやった。


「クローズ作業? 手伝うよ」

「いいよ。部活で疲れてるだろうし。今から勉強だろ?」

「そうだけど、看板入れるくらい家に入るついでだよ」

「なら、お言葉に甘えて」 


 せっかく快く手伝ってくれると言っているのだから、俺は紗奈の好意を素直に受け止めた。


 店の中に入り、もうすぐドアが閉まろうとした時。


「あ、志津香ちゃん」 


 紗奈の声と共に、カランカランとドアが鐘の音を立てて閉まった。


「志津香……だと……?」 


 閉店したカフェにやって来るなんて……。 


 志津香が俺に会いに来た? え? 俺に会いに来た感じ? いや、それはないか。 


 普通に本を取りに来たのだろう。 


 明日渡してあげようと思ったが、わざわざこんな時間に取りに来るなんて相当大事な本なのだろう。 


 俺はカウンター奥にある忘れ物箱から志津香の忘れた本を取り出した。


「どうしたの? 志津香ちゃんの本なんか取り出して」 


 レジ締めをしているおやじが尋ねてくる。


「ああ、いや、ちょっと」 


 曖昧な返事をしながらテラス席行こうとすると悟ったような顔をする。


「閉店後の月明りのテラスで好きな人の忘れ物を読む。ストーカーじゃ?」

「ちがわい!」 


 否定するが、おやじの言葉は正直間違ってはないと思う。


「人の忘れ物を勝手に読むのは感心しないな」

「流石に中身までは読まないっての」

「じゃあ、それどうするの?」

「その……。今、志津香が本を取りに来たみたいだから、ついでにテラス席でデレさせようと思って」

「まぁたそんな訳もわからない遠回りをしてからに」 


 呆れた声を上げるとおやじは、レジの近くにあるカゴから布巾を取り出して俺に投げてくる。


「デレさせるのは良いけど、終わったらテラス席掃除しといてね」

「あーい」 


 クローズ作業を少しサボっても良い許可を得た俺は、布巾を手に持ちテラス席へと移動する。


 志津香のいつも座るテラス席に腰かけてテーブルに本を置いた。 


 足を組み、手を組んで彼女が来るのを今か、今かと待っている。


「相席しても良いかな?」 


 予想もしていない方角からのアプローチに、俺の心臓は飛び跳ねた。 


 正面の席を引いて、迷いなく志津香が座ってくれる。 


 ぐはっ! 


 俺は志津香を見て、心臓だけではなく、意識が飛びそうになった。 


 月明りで照らされた彼女の姿は天界から舞い降りて来た天女のように美しく、制服越しの背中には白銀の翼が見えた気がする。 


 6月の夜風が吹くと志津香の髪が靡く。 


 風に乗り、彼女の髪の匂いがこちらまで漂ってくる。 


 制服姿なので部活終わりに立ち寄っただろう。 


 女子バスケ部なんて激しい動きをして大量の汗をかくはずだ。 


 それなのに、なんで志津香からは麗しい匂いがするんだ? フェロモンか? 汗すらも良い匂いの志津香は靡く髪を耳にかける。 


 その姿だけで、もう昇天してしまいそうなほど尊い。


「お前って、意外とドジだよな」 


 天に召されそうになるのを、地面に足を踏ん張ってなんとか耐えた。 


 直視できずに、テーブルに置いてあった本を手渡した。


「やっぱりここに忘れてたんだね。中身見た?」

「見てない。今、気が付いたし」 


 普通に嘘である。 


 中身を見ていないのは本当だが、そうでも言わないと俺がこの席に座っている理由がつかない。


「良かった。大事な本だから」

「大事な本?」 


 この文庫本が志津香にとってどう大事なのか気になった。 


 あまり読書家とは言えない彼女が本を大事というその理由はなんのか。


「誰かにもらったのか?」 


 そう言うと、余裕のあるゆったりした顔をされてしまう。


「んー? どうだろうね」 


 なんなんだ。その含みのある返答は。 


 志津香はモテる。そりゃモテる。これほどないほどモテる。 


 陽キャ、陰キャ、無キャ。三者三様。どの立場の人間からもモテる。極めつけは女子からも告白されている。 


 そんな志津香だ。 


 インテリ読書家イケメンからもらった可能性もある。


「どんな中身なんだ?」 


 中身だ。 


 本の中身を見ればインテリイケメンからもらったかどうかの予測が立てられる。


「気になる?」 


 ここで素直に気になると言えば、デレることに……はならないよな。


 普通に本の話題だし。 


 本自体に興味はないが、志津香が読んでる本には興味がある。 


 そうだ。本が気になるって言えば良いんだよ。


「気になるな」

「ふぅん。それって私の読んでる本だから気になるって意味?」 


 くっ。鋭い女バス部員だ。 


 流石はポイントガードってところなのか。そういう使い方があっているのかはわからないが。


「そう……だな。普段読書をしない志津香が読んでるって意味ではそう捉えられることもできるかもな」 


 ここはあえて本音で言ってみると、受け取った本をそのまま志津香は俺に渡して来る。


「気になるのなら貸してあげよう」

「良いのか?」

「良いよ。私は全部読んだし。中身も全て覚えてある」

「なら、遠慮なく」 


 これはラッキー。 


 部屋でゆっくりとどういう経緯で手に入れたのか考察ができるし、この本を話題に志津香と会話できる。そして返却という大義名分も手に入った。 


 このやり取りだけで、グッとデレさせる機会が多くなる。 


 こちらに本を渡した志津香は立ち上がり、ニコッと微笑みかけてくれる。


「じゃあね蒼。バイバイ」 


 月明りの下で手を振る志津香はなんでこんなにも儚いの?


「ああ。またな」 


 なんとか尊死するのを耐えて挨拶を返す。 


 志津香が店内に入り、店を出て行ったのを確認してから、早速と借りた本を開けてみる。


「ん?」


 中を見て疑問の念が浮かび上がる。


 困惑の中、ブックカバーを外して表紙を見た。


『プロ野球名鑑』


 あいつ……中身を全部覚えてるって言ってたけど、全プロ野球選手の年棒覚えてるの?

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