第二十六章 拒絶   辻井俊成・2019年7月8日

 辻井は小川からスマートフォンに着信が入っていた事に仕事中気付いていたが、今日は月曜日だ。辻井は帰宅してから自宅で小川に電話を掛けなおした。


「こんばんは。辻井さん、折り返しありがとうございます。今、少しお話大丈夫ですか」小川はスマートフォン越しに聞いてきた。声が若干震えている事に辻井は気付いた。


「大丈夫だよ。どうした」辻井は小川に聞いた。小川から連絡が入るという事はサイト関係の事だろうなと思っていた。ろくな話ではないだろう。


「次の指示を管理人から受け取りました」小川は小声で呟いた。「今電話で喋っても大丈夫ですか」


「電話で話す内容か?俺が暗号を直接見た方が早いんじゃないか」辻井は聞いた。


「いいえ、電話でお願いします」小川は焦っていた。


「じゃあ、聞かせてくれ」辻井は着ていたスーツのネクタイを緩め、冷蔵庫を開け中から缶ビールを取り出して聞いた。


「まず、次の指示はある女性を撲殺したら高倉に罪を着せられると書いてありました」小川は言った。「撲殺の方法も、細かく書いてあって。これなら初心者でも気軽に殺せますって、書いてあるんです」小川の声は震えていた。


 辻井は持っていた缶ビールを開けようと思いスマートフォンをスピーカーモードにして両手を離そうと思ったが、止めて缶ビールをダイニングテーブルの上に置いた。


「ついに殺人か」辻井は自分で思ったよりも冷静な声で返事をしている自分に気付いた。


「殺人に関してなんですけど、辻井さんは山の遺体を本当に知らないんですか」小川は聞いてきた。以前聞いた話と同じ内容だ。


 以前、小川は管理人とメッセージチャットでやり取りを行い、管理人から人が山に埋まっていると言われたと辻井は聞いていた。


 小川は管理人に指示されて実際に山に確認しに行ったらしい。その後、小川から連絡が入り、辻井は何か知らないかと聞かれたのだ。山の件はサイトに居る誰かがやった事だと管理人が言ってきたらしい。辻井は山の遺体の事は本当に何も知らなかった。小川はどうやら自分を疑っているようで、辻井は気分が悪かった。


「知らないって言っただろ。俺じゃない」辻井は苛立ちを我慢して答えた。小川が自分に怯えている事も分かっていた。自分の事を疑っているのだろうなと辻井は思った。


「そうですか。知らないなら、いいんです。何度も聞いてすみませんでした。それで、撲殺の方法なんですが。細かく書いてあって…後ろからなら顔を見ずに済むから初心者でも殺せるとか書いてあって。あと、遺体の上に高倉の煙草の吸い殻を置けと指示があって」小川は小さな震えた声で言った。「こんな事許されないと思うんです。俺にはとてもじゃないけど殺人なんて出来ません。でも管理人に脅されていて。どうしたらいいのか分からなくて。どうしたらいいと思いますか」


 辻井は焦ってアドバイスを求める小川にうんざりした。単純な事だ。今までの流れで高倉に冤罪を着せる為に行動をするべきだと辻井は思った。辻井はいずれ殺人に発展するだろうとは予測していた。そうしないと高倉の煙草の吸い殻をわざわざ盗んだ意味がない。


「それは誰を何処で殺すと書いてあるんだ。日時の指定はあるのか」辻井は聞いた。


「七月十二日の午前中にこの前の橋の近くを通る女性を撲殺すると書いてあります、容姿も細かく書いてあります」小川は小声で言った。「この女性を殺せば、高倉に罪を着せられると書いてあります。何故でしょう。何故この女性なんでしょう」


「そんな事は俺に聞いたって仕方ないだろ。俺も知らない。管理人に聞くべきだ」辻井は言った。


「俺はもう管理人とやり取りをしたくありません。管理人が怖いんです。でも家族の事で脅されていて。やらなければ俺は山の遺体の共犯者で捕まってしまう。どうしたらいいと思いますか」小川は酷く怯えていた。


 辻井は黙った。あの初めてコインロッカーで管理人からの暗号を解読した後の事を回想した。






 あの後、辻井は管理人から預かった合鍵を使用し、高倉の自宅へ入った。座標はやはり高倉の自宅だった。


 小川の言う通り、家には誰も居なかった。辻井は部屋へ侵入し灰皿を探したが、高倉の部屋のデスクの上に堂々と置いてあったので、探す手間は掛からなかった。


 高倉は煙草を吸う量が多いらしく、灰皿は煙草の吸い殻で溢れていた。ヘビースモーカーなのだろうかと辻井は思った。前職で一緒に働いていた時も煙草を吸う量が多い事には気付いていたが。辻井はゴム手袋をした手で、ジップロックの袋に煙草の吸い殻を入れられるだけ入れた。


 帰宅後、辻井は愚痴掲示板に書き込んだ。


 “管理人さん、やりました”それだけ書いた。管理人なら分かるだろうと思ったからだ。


 “ありがとうございます。私にも五本ほどください”管理人は書き込みをしてきた。


 辻井は言われた通りジップロックの袋に高倉の煙草の吸い殻を五本入れ、コインロッカーに預け、16進数で座標を暗号化した後、愚痴掲示板に書き込んだ。


 管理人はすぐに取りに行ったらしく、愚痴掲示板で礼を言われた。


 その後、管理人から新しい指示が出た。愚痴掲示板に16進数で暗号化されて書かれていた。辻井は暗号を解き、小川と共に指定されたコインロッカーに向かった。するとまた2進数で書かれたメモが入っていた。辻井が解読すると、メモの内容は人を階段から落として怪我をさせろという事が書いてあった。また、こんな内容が最後に書いてあった。


 “これは最後に笠木を高倉の目の前で奪うための予行練習、高倉を殺人犯に仕立て上げる為の種まき作業です”


 辻井は興奮した。辻井は高倉にも大切な人間が居なくなる感覚を味わってもらいたかった。ずっと辻井が望んでいた事が、管理人のお陰で現実となるのだ。


 その人を突き落とす指示された橋は今回小川の指示された橋と同じ橋だった。高倉がその時間帯に橋を通ると書いてあったので、辻井は急いで近くに居た作業服を着た男を階段から突き落とした。小川が通報していたが、高倉は捕まっていないようだった。アリバイがあったのだろうか。


 今度はついに高倉に冤罪を着せる為に、見ず知らずの他人を殺害する計画を立てている。辻井は相手が女性という事で一瞬嫁を思い出し抵抗感が出たが、高倉に罪を着せられるという事が脳裏に過り、興奮で心拍が早まった。


 高倉に罪を着せられるなら誰でもよかった。辻井にはもう何も残されていなかった。


「俺がやってやるよ」辻井はスマートフォン越しに小川に言った。






 辻井はゴム手袋越しに手に持ったコンビニの袋を持ち、道端にうつ伏せに倒れている黒髪の女性を見ていた。


 この時間帯は丁度学生の通学やサラリーマンの通勤ラッシュの時間を過ぎ、人気のない通りだった。この橋の近くにある小道は、高倉の自宅のマンションにも近かった。


 辻井は周囲を見渡したが、誰も居なかった。辻井はキャップを被りマスクをして顔を隠していたが、周囲に人が居ない事を都度確認しながら作業を始めた。


 まず、倒れた女性の体の上に高倉の自宅から奪った煙草の吸い殻を落とした。


 その後に管理人から預かった結束バンドで女性の手を後ろで縛った。結束バンドで縛るのは、普通の殺人事件だと思われないように、残虐性を出す為だと管理人が小川への手紙で書いていた。


 辻井は結束バンドをする事に抵抗があった。無駄に時間をかけ、誰かに目撃されるリスクが上がるからだ。いくら顔を隠していても自分と高倉は背丈が一致しない。自分が目撃されたら高倉に冤罪を着せる上で支障が出ると辻井は思った。


 辻井は急いで作業を終えると、コンビニの袋に入れていた土や石を遺体の近くに投げ捨て、コンビニの袋を背負っていたボディバッグの中に押し込み、近くに停めてあった自分の車に急いで戻って迂回して自宅へ帰った。






「札幌市の豊平区で十二日女性が殺害された事件で、現場近くに住む三十代の男を容疑者として拘束し、男は現在取り調べを受けています」


 “あの女性は警察官の嫁だったらしい”


 辻井は自宅で寝室に置いたテレビでニュースを流し、寝室の横の書斎でパソコンを開き大型掲示板の情報を見て、興奮が収まらなかった。あの女性は警察官の嫁だったのか。小川の言う通り、管理人はもしかしたら警察関係者なのだろうかと辻井は疑った。


 ふと、辻井は思考した。高倉を容疑者にするのは良いが、それでは笠木が目の前で死ぬ姿を見せられなくなる。どうすればいい。順番が逆だったのではないかと管理人の設定ミスと、気が付かなかった自分を責めた。高倉の家の合鍵はまだ手元にある。高倉の自宅に侵入し笠木を殺し、ニュース経由で高倉に訃報を伝えようかと辻井は悩んだ。


 ブブブッ。


 デスクに置いたスマートフォンのバイブレーションの音が辻井の思考を遮った。辻井はスマートフォンの画面を見た。着信元は“小川”だった。辻井は電話に出た。


「高倉は釈放されたみたいですよ」小川は辻井に絶望させる言葉を突きつけた。「さっき自宅に戻る姿を見ました」


「管理人は嘘つきだな。管理人は何か言っていたか」辻井は、改めて小川が高倉のストーカーである事を不気味に思った。だがそれ以上に辻井は、高倉に冤罪を着せる為についに殺人まで手を出したというのに、高倉が釈放された現状に納得が行かず苛立ちを覚えた。


「それが、メッセージチャットで連絡があったのですが、笠木に手を出すのは高倉が正式に警察に捕まってからが良いと書いてあって」小川は困惑していた。「笠木は何も悪くないのに」


「あいつを絶望させるにはそれくらい必要なんだよ」辻井は苛立ちが収まらなかった。


「今、またメッセージが管理人から来ました。また16進数です」小川は戸惑った声を出した。「何で俺にばっかりメッセージを送ってくるんですか。もう嫌だ」


「俺がメッセージチャットを使っていないからだろうよ。メールアドレスを登録したお前が悪い」辻井は言った。


「これを解読するのが嫌なんですが」小川は震えた声で言った。


「解読しないと次に何が起こるかわからんぞ」辻井は言った。


「もう俺は警察に自首したい。でも父さんが」小川が言いかけたところで、辻井は怒りで小川の声を遮った。


「俺は高倉に冤罪を着せる為に犯罪まで犯したんだぞ。お前もそれを知っていて黙っていただろうが。管理人も言った通り、お前はもう共犯なんだよ。警察に自首したら勿論お前も捕まる。お前の父親だって加害者家族になるんだ。今の高倉のようにな。高倉のように嫌がらせをされるようになるんだ。俺等みたいに、お前の父親を恨んで父親に手を出そうとする奴が現れるかもしれない。お前もそれは嫌だろう?なら、黙ってろ」辻井はつい怒鳴り声を出していた事に気付き、一軒家でも周囲に声が響いていないか焦った。


 小川は黙った。辻井は自分だけが罪を背負うのは嫌だった。


「もうこの殺人の流れを止められない。サイトの人間も俺も殺人をしている。お前も既に共犯だ。大人しく黙っていた方がお前のためだ。次こそ管理人はお前に殺人の依頼をするかもな。バレない様に気を付けろよ」辻井はそう言うと、電話を切り小川を突き放した。

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