第二十三章 還魂   高倉有隆・2019年6月16日

 高倉は車の後部座席でずっと音を出す男が気に入らなかった。


 男の口元には跡が残らないように布を縛っていたが、くぐもった声で聞こえる叫び声が鬱陶しかった。


 高倉は仕方なく、目的地に到着するまで車に流していたCDのボリュームをマックスにした。


 ピアノ演奏のクラシックがかかった。曲名はフランツ・リストの「愛の夢」だ。


 この曲は以前から好きな曲だった。これ以外に聴く曲も基本ピアノ演奏のクラシックだが、持っているCDはこれしか無かった。


 高倉は後ろでくぐもった声で叫ぶ男をバックミラー越しに見て、外からではスモークで見辛くしている窓から男が見えないかどうか時折確認した。


 高倉はなるべく人気のない道を選んで通ると、目的の山まで男を運んだ。


 山の奥に車を進め、高倉は旧型標識の看板の手前で車を路肩に停めた。


 高倉は先程からずっと手にはめていたゴム手袋を再度確認した。ゴム手袋は二重にはめている。ゴム手袋は気軽に処分出来るが耐久性が弱いからだ。高倉はゴム手袋越しに助手席に置いていた折り畳みナイフを持った。


 高倉は後部座席で叫ぶ男を無視して車から降り、車の後ろのトランクを開けた。シャベルとボディバッグが入っていたので、ボディバッグを背中に背負い、シャベルを手に持ってトランクを閉めた。シャベルを持ち山の奥へ一旦向かい目的地付近にシャベルを置くと、車に戻り男の乗っている後部座席に向かった。


 後部座席の扉を開け、高倉は中で叫ぶ男を見た。男はどうやら自力で立ち上がったようで、後部座席に座っていた。扉が開くと暴れて外に出ようとしたので、高倉は一歩下がった。男は車から落ちて、前のめりに地面に落下した。


 男は高倉を見上げると、口元に布を縛られたまま何か大きな声を出した。高倉はため息を吐くと男の横にしゃがみ、右手に持った折り畳まれたナイフを広げて男の顔に向けた。ナイフを見た瞬間男の顔が恐怖に揺らぎ、ナイフから遠ざかるように顔を後ろに下げると、また何かを叫んだ。


「黙れ」高倉は男にナイフを向けたまま言った。「さっきも言ったけど、静かにしないと殺すよ」


 高倉がそう言うと男は黙り硬直した。高倉はため息を吐くと、ナイフを折り畳んで自分のワイシャツのポケットに入れた。


 高倉は地面に倒れている男の両足を両手で掴み、無理矢理引っ張り山の方へ引き摺り出した。高倉は男を連れて車の脇を通り、旧型標識の横から山の中へ入って行った。山の中は木々が均等に立ち並び、地面は平らな土で覆われている。その上を男が引き摺られた跡が残っていった。高倉はこの跡は後で、シャベルで誤魔化そうと思った。


 男は高倉と同じくらいの身長で体重もあったので引き摺るのは苦労したが、歩かせるわけにもいかない。仕方がなかった。男は両手両足を結束バンドで縛られているので、暴れていたが大して抵抗出来ずにいた。先程高倉が脅したのに男は始終くぐもった叫び声を上げていた。高倉はそれを無視して無言で山の中へ男を連れて行った。人気がない山でよかったと高倉は思った。


 目的地までそんなに遠くなかったので、高倉は少し歩いたところで男を地面に置いた。


 高倉は息が上がっている自分に気付いたが、少し深呼吸をすると落ち着いた。


 高倉は男を上から見下ろした。先に置いていたシャベルから少し離れた地面に男が横たわっている。


 男は引き摺られて着ていたジャージが土だらけで、髪も乱れていた。手足を縛られ動けない状態で、仰向けに横たわったまま高倉を見上げくぐもった声で始終何かを叫んでいた。


 高倉は男の口元を縛っていた布と男の口の中に入れていた布を外すと、布をシャベルの方に置いた。


「助けてくれ。誰にも言わないから」男は泣きそうになりながら高倉に懇願してきた。


 高倉は男を無視した。男の正面に立つと、自分のワイシャツのポケットから折り畳みナイフを取り出し広げ、立ったまま男を見下ろす姿勢で男の顔にナイフを向けて聞いた。


「お前、前にあなたは高倉ですかって聞いてきた奴だよね?」


「ち、違う。何の事を言っているのか分からない」男は慌てて言った。


 だが高倉は男の顔を観察していた。暗闇の中でも目が慣れ、月明りで男の顔がよく見えた。男は話している間目が左右に動き、唇を舐めて動揺していた。これは嘘を付いているサインだと高倉は思った。昔心理学を少し学んでいたので知っていた。高倉は首を右に傾けた。


「そう。じゃあ、創也が線路に突き落とされたらしいんだけど、何か知ってる?お前なの?」高倉は聞いた。


「知らない。俺じゃない」男は動揺して答えた。


「でもお前俺のストーカーだよね」高倉は先程の男の回答を無視して聞いた。


「違う。知らない、本当に何も知らない」男はまた目を泳がせて言った。


「創也の事もストーカーした?」高倉は聞いた。


「していない、俺じゃない」男はまた動揺して答えた。


 高倉は男にナイフを向けたまま思考した。


 この男が自分にサイトの管理人か聞いてきた事は確かだった。何故なら高倉の通っているコワーキングスペースのフリーwifiから書き込んだIPアドレスだと、サーバー経由で分かったからだ。スマートフォンで書き込みを行った事も分かっていた。多分スマートフォンで書き込みをしながら自分の顔色を窺っていたのだろうと高倉は思った。


 高倉はあのコワーキングスペースでこの男と視線が合った後、男を尾行して自宅を突き止めていた。だが男の反応を見て、笠木を突き落としたのはこの男ではないと高倉は思った。


 高倉は一瞬小川の顔が頭に浮かんだ。最初は自分達をずっとストーカーしていた小川が、笠木を線路に落とした犯人ではないかと思っていた。だが後から駅の監視カメラを見に行ったら、小川が線路に落ちた笠木を助けている場面を見た。笠木を突き落とした犯人は、帽子とマスクで顔が映っていなかった。


「突き落とした奴誰かも知らない?」高倉は男に再度聞いた。


「知らない」男は怯えて答えた。「本当に何も知らないんだ。助けてくれ」


 男は涙目で訴えてきた。何やら酷く怯えている。俺がそんなに怖いのだろうかと高倉は疑問に思った。だがスタンガンとナイフで脅されてこの状況だ。恐怖心がない方がおかしいのだろうかと思考した。


「殺すの決めてたんだよね。ごめんね」高倉は助けてくれ、殺さないでくれと懇願し涙を流す男の口の中に布を一枚押し込むように入れると、その上からもう一枚の布で軽く口元を縛った。その後男を無理矢理うつ伏せに横たえさせた。


 今日は晴れていて風も弱く、この時間でも生暖かい。音がない山の中は嫌だったので、高倉はフランツ・リストの「愛の夢」を口ずさみ始めた。


 自分の背中に担いでいたボディバッグを手前に持ってきて開け、持っていたナイフを折り畳んで中に入れると、ボディバッグの中に入っていたコンビニの袋を三枚と、新品の長い靴下を一足取り出した。地面に屈むと、高倉はシャベルを使って地面に落ちていた石や土をコンビニの袋の奥に固めるように入れた。それをきつく縛った。そしてその上を長い靴下で覆うように被せた。さらにその上にコンビニの袋を二枚重ねて被せた。


 ふと高倉は男を横目に見た。男はうつ伏せの状態で蓑虫のように地面を這って、必死に高倉から逃げようとしていた。微々たる距離しか動けていないのに何をしているのだろうかと高倉は思った。


 高倉は即席で作った簡易性の武器を右手に持ち、曲を口ずさみながら重さや耐久性を確認した。


 一般的にブラックジャックと呼ばれる古くから使われているこの武器は、本来なら円筒形の布にコインなどを詰めて固く絞って棒状にしたものだった。


 高倉は即席ブラックジャックとなったコンビニの袋を右手に持つと、曲を口ずさむのを止めた。


 地面を這い逃げていた男に近付き、男の後頭部を右手に持った即席ブラックジャックで思い切り殴った。


 ビニール袋の弾ける音だけが響いた。ビニール袋は破けなかった。


 男はうつ伏せのまま地面に倒れ、動かなくなった。


 高倉は男の顔に近付いた。男の息を確認するために、屈んで男の顔に自分の顔を近付けた。男の口元の布が邪魔だったので、高倉は布を外してシャベルの方に一旦置いた。高倉が再度確認すると男はまだ若干息をしていたので、高倉は右手に持った即席ブラックジャックで延髄の辺りを再度殴った。


 高倉は再度男の息を確認した。息はしていなかった。


 男はどうやら出血をしたようで、血の匂いがした。地面に血が広がっているのだろうか。高倉は暗闇で自分の着ていた黒いワイシャツを見たが、黒いカラーでこの暗さだ。血がついているかどうかは分からなかった。どのみち車に着替えを用意していたので、高倉は問題ないと思った。


 両手にはめていたゴム手袋の表の一枚を裏返すように外し、ボディバッグの中から新しいゴム手袋を取り出し両手にはめた。外したゴム手袋はボディバッグの中のポケットの奥に入れた。


 高倉は先程殴る際に口ずさむのを止めていたが、再度「愛の夢」を口ずさみ始めた。


 男はボディバッグを背負っていた。


 高倉は即席ブラックジャックを地面に置いて男のボディバッグを開けると、中身を軽く確認した。中には財布と鍵しか入っていない。財布の中を確認し、高倉は男の免許証を見た。この男は前田渉というらしい。高倉はこの男の顔を何処かで見た気がした。コワーキングスペースではない。もっと前の事だ。高倉はサイトのやり取りから、前田が被害者遺族である事を思い出した。


 高倉は先程奪った男のスマートフォンを自分のボディバッグから取り出すと、男のボディバッグの中に入れた。このスマートフォンは山に来る前に電源を切っていた。


 高倉は男の着ていたジャージのポケット等も念のため漁った。何も入っていなかった。高倉は即席ブラックジャックを開け中身を地面に戻すと、袋を小さく折り畳み、風で飛ばされないように近くに落ちていた石の下に置いた。男の足首に付けた結束バンドをナイフで外し、それを地面に置いた袋の側に置いた。


 次に地面に置いていたシャベルを持ち、近くの地面に木の枝が沢山重なって置いてある個所を確認した。高倉が木の枝を退けると、二メートル程の穴が出てきた。


 高倉は事前に掘ったこの穴に、男の遺体を引っ張っていき、投げ捨てた。


 高倉は男を投げ捨てた後、自分のボディバッグの中を漁り、中から透明のジップロックを取り出した。そしてその中に入っていた煙草の吸い殻を一本取り出すと、男の体の上に投げ捨てた。


 高倉はジップロックを閉めボディバッグの中に戻すと、シャベルを持ち、横に高く積んでいた土を男の上にかけ始めた。積んでいた土を元の場所に返すのだ。


 高倉は土を元に戻す作業をしながら、車の後部座席を埋め尽くすように敷いたビニールシートを思い出した。


 あのビニールシートは、小さく刻んでから中身の空になった即席ブラックジャックの袋と共にごみ回収日に合わせてごみステーションに捨てようと思った。

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