第三章 善悪の彼岸

末人

プロローグ 軌跡:兄妹の域はまだ越えない

 この世のあるがままの運命を受け入れ、そしてそれを愛することなど僕にはできやしない。


 『運命だから』そんな一言で片付けられたくない。


 これらはただのエゴ。僕が勝手に思っているだけに過ぎない。だけど、これだけは言わせてほしい。


 ――もしもこの世界に神がいるのなら、神なんて死んでしまえ。



 血の海に沈んでいる人々を見つめながら、僕はそう思った。


 ……崩れ始めたのはあれからだった。入学してから起きた大きな事件と比べたら、些細なこと。


 それでも、僕を揺らすのには十分だった。手に入れたと思ったものは、仮初のものだったと気付いてしまったあの時。あれが、『今』を創っている一番の原因。



 ……もしもこの世界に神がいるとして、その神がいつか死んだ時、僕は人々にこう言ってやりたい。


 ――神は死んだ、と。



   ◆◆◆



 月日が過ぎるのは早いもの。年の瀬(神楽月かぐらづき)が訪れていたことに気付いたのも最近だったくらいだ。


 神楽月のとある日の就寝前、僕は寒夜月かんやづきに起きたことを軽く振り返っていた。


 寒夜月の間にこの国の言語と隣国の言語の読み書きができるようになったので、今はソルデウスと似たような勉強を行っている。同時に、身体能力を上昇させるための訓練などもしているため、忙しさは霧月むづきの頃と相変わらず。


 最近は模擬戦も行われ始め、転がされる日々が続いている。ティグリスに僕とソルデウスで挑むと、これでもかっていうくらい転がされる。そして、その鬱憤を晴らすためか、僕とソルデウスの一対一の模擬戦ではソルデウスが僕のことを転がしてくるので、たまったものではない。


 ちなみに、ソルデウスを一回でもいいので転がす、というのが今の目標。転がすことができなければ模擬戦で一本取ることすら敵わないからな(全敗中)。


 そんな日々を繰り返し、今はもう神楽月も半ば。どうやらここは雪が降るような気候であり、本格的に降り始めたのが寒夜月の下旬から神楽月の上旬くらいだ。


 おそらく現在も雪が降り積もっているだろう。……この雪の中で訓練をするようになった今の方が霧月の頃より大変かもしれない。


 最近は晴れることも少なくなり、曇りか雪の日が多くなった。なので家の外に出て訓練を行える頻度も増えてきている。


 当然、太陽の光に皮膚が弱いというのは既に伝えてある。隠し通せるものではない……というか、わざわざ隠す必要もない。


 ……そろそろ寝た方がいいな。早く寝ないと明日の活動に支障が出る。


 以前より暖かくなった布団らしきものを掛けて目を瞑る。すると、意識がぼんやりとしてきた。



『ユニークスキル「彼の軌跡lv1」を発動します。良い夢が見れることを、心から祈っています』



   ******************************



『起きろ、レイ・ヴェルガリア。起きるんだ……』


   △▽△


 ……頬が痛い。


 目覚めたら頬に痛みを感じたが、その原因がわからないので、俺は記憶を辿って原因を思い出そうとした。


 ……そうだ。あの裸の女が放った水の龍に吹き飛ばされ、ハルカに起こしてもらった後に事情を説明したら本気で頬を殴られて、その勢いで飛ばされたんだっけか。


 あの時、ハルカに嘘をけば良かったかな……。いや、ハルカには嘘を吐きたくない。そもそも、バレて今と同じ末路を辿ること間違いなしだ。


 っていうか、ハルカはどこへ行った……?


 早く探さないと魔物や変態に襲われるかもしれない。一刻を争う事態だ。


「お兄様、すみません。ついうっかり手が出てしまって……」


 背後から聞き慣れた声……最愛の妹ハルカの声が聞こえてきた。


 良かった。無事だったか。変態に襲われていたら俺はそいつを殺さず、一部分を機能不全にして死ぬより辛いことをしてやるところだったが、その必要はなさそうだな。


「喉の調子はいかがですか?」


「ああ、大丈夫だ」


 水の龍が俺に直撃したときにその純水が口内に入ったのか、喉の渇きは気にならなくなっていた。だが、依然として空腹のまま。


「街に行きましょう。街なら食べ物はたくさんあります。お金は……魔物の素材を売って手に入れるのが良さそうです。とにかく、街に行きましょう!」


「ハルカがそんなに街に行きたいとはな……わかった。早めに行くか」


 どうやらハルカは街に行きたい気持ちが強いようだ。それなら兄として、連れて行かなければならない。


「私のためではなく、お兄様のためなのに……気づかないなんて鈍感です。お兄様のばか……」


 ハルカが俺でも聞き取れないほどの声量で何かを呟いていた。少し気になったので声をかけてみる。


「どうかしたのか?」


「はうっ!? にゃ、にゃんでもないでしゅ……」


 可愛い。可愛いすぎる。今すぐ抱きしめたいくらい可愛い。どうする、俺。抱きしめるなら今がチャンスだ。今を逃せば次のチャンスがいつくるかわからない。だが、それで殴られたら……。


 最近はハルカも抱きしめられることに抵抗を覚えたというか、恥ずかしがっているので、抱きしめようとすると拒否されたりする。


 初めて拒否された時はとても衝撃を受けてしばらくは立ち直れなかった。


 ……少しの間悩んだ結果、チャンスを逃してしまい、抱きしめることはできなかった。とても残念である。



   ******************************



 ……今日も夢は見なかったな。


 この世界に来てから2ヶ月ほど経過したはずだが、夢を見た記憶がない。それが異常かどうか曖昧なので、夢を見ない問題は放置されている。……放置するしかない。


 まあ、見なくても支障は出ないからいいだろう。さて、今日も頑張っていくか。


 残された時間はあと3ヵ月ほど。この時間を有効活用することが大切だ。


 一歩ずつだが、近づいている。そんな気がした。




――――――――――――――――――


 【登場人物紹介Ⅱ】の最後の部分で曜日と月についてまとめました。登場人物とは関係がありませんが、忘れてしまったりした場合に振り返ってみることがおすすめです。

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